最先端の科学捜査とされ、最高裁も証拠能力を認めたDNAの鑑定結果が覆った。19年前、栃木県で女児が殺害された足利事件。再審開始を大きく引き寄せたのも科学技術の進展だった。「無罪の決定的証拠だ」。東京高裁から8日、再鑑定結果を通知された弁護団は顔を紅潮。無実を訴え続けた菅家利和受刑者(62)も裁判のやり直しに希望をつなげた。
「一刻も早く刑務所から出してもらって両親のお墓参りをしたい」。東京高裁の嘱託再鑑定で8日、犯人のものとされる体液とDNA型が一致しなかったことが判明した菅家利和受刑者。接見した弁護士が鑑定結果を伝えると、涙を流しながら訴えた。
弁護士2人が同日午後4時20分から約10分間、服役している千葉刑務所で接見。鑑定書の内容を知り「じーんときて、良かったと思って、涙が出た」と菅家受刑者。「自分は無実なので、再鑑定をやってもらって、ありがとうございます」。最後は「本当に良かった」と言葉にならない様子で口元を押さえ、おえつを漏らしていたという。
「悪いことをしていないのに、刑務所にいることが悔しい」。菅家受刑者はこれまで支援者にそう繰り返してきた。先月10日に面会した女性(59)には「1日も早く出たい。荷物をまとめたいのでキャリーバッグがほしい」と再審開始に期待を膨らませた。
●「決定的な無罪証拠」 弁護団が会見
「無罪である決定的証拠だ」。8日明らかになった足利事件(1990年)のDNA再鑑定結果。4歳女児を殺害した犯人は菅家利和受刑者とは別人である可能性が強まり、記者会見した弁護団の佐藤博史弁護士は顔を紅潮させ訴えた。「一刻も早く(刑務所から)出して」との菅家受刑者の言葉も紹介。再審開始決定に向けて表情を引き締めた。
鑑定結果について東京高裁から口止めされたことを明らかにした佐藤弁護士は「わたしの責任で明らかにする」とした上で、これまでの経緯や鑑定結果を詳しく説明。
検察側に対しては「明白な証拠を前に捜査機関の行動が問われている。『結果に従う』と言ってほしい」とけん制。裁判所にも「鑑定人の尋問などせず、速やかに再審開始してほしい」と語気を強めた。
●捜査の在り方 見直し迫る
【解説】8日明らかになった足利事件の再鑑定結果は、再審請求中の受刑者と遺留体液のDNA型が一致しないとの内容で、再審開始が現実味を帯びてきた。当時の先進的な科学的手法について、信用性を明確に否定した結論は、取り調べ方法を含め捜査全般に厳しい見直しを迫るものだ。
犯人性を特定する直接証拠がなく、状況証拠を積み重ねて立証するケースでは、科学鑑定がより重要度を増す。今月実施される裁判員制度では、迅速で分かりやすさが求められるだけに積極的に活用されるべきだろう。
足利事件でも物証が乏しく、菅家利和受刑者が1審途中で翻した自白を補強する証拠としてDNA鑑定は重視された。
ただ、この鑑定が実施されたのは1991年。捜査に導入されてから3年目の「黎明(れいめい)期」にすぎず、鑑定の証明力について入念に判断する必要があったといえる。
最高検は、裁判員制度に向けた検察の基本方針として「客観的証拠の収集と科学的捜査を一層重視しなければならない」と明記した。
しかし、確実で証明力の高い鑑定でなければ、裁判員の心証を誤った方向に導きかねず、精度の低い鑑定に依拠した判断は、冤罪(えんざい)を生む可能性をはらむ。
司法は、科学鑑定が「もろ刃の剣」にもなり得ることを肝に銘じ、より慎重な姿勢が必要だろう。
http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6525/
【足利事件】識者コメント・石山帝京大名誉教授(法医学) 田淵九州大教授(刑事訴訟法)
石山●(=日の下に立)夫(いくお)帝京大名誉教授(法医学)の話 「弁護側の発表内容では同じ鑑定方法が用いられたのかどうか分からないが、双方が同様の方法により同様の鑑定結果を出したのなら別に犯人がいるということ。経験からして、事件当時でも複数の鑑定方法を並行して行えば絶対に間違いは起こらなかった。精度の差の問題ではない。DNA鑑定は難しく、誰でもできるわけではない」
九州大学法科大学院の田淵浩二教授(刑事訴訟法)の話 「ここまで違う判定が出ているということは、同一人物ではないということ。早く再審を開始して無罪判決を下すべきた。これまで公判にかかわった裁判官は、当時の鑑定技術の信頼性に対する評価を誤り、全員だまされてしまった。もっと信頼性を高めてからDNA鑑定を裁判の証拠として使うべきだった」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/
090509/trl0905090217005-n1.htm
他にもあるんじゃなかろうか。。。こんな冤罪事件。
足利事件
栃木県足利市で90年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店駐車場で、保育園の女児(真美ちゃん)=当時(4つ)=が、父親がパチンコをしているあいだに行方不明になり、午後8時ごろ、父親は女児いないことに気づき、9時45分頃に栃木県警足利署に届け出、翌日近くの渡良瀬川河川敷で遺体が全裸で発見され、川の中からごく微量の体液(精液)の付着した女児のTシャツが回収された事件。
当時足利では、79年と84年にも、同様の幼女殺害事件が発生していたが、いずれも未解決だったため、栃木県警は、3つの事件は同一犯による警察への挑戦だとみなし、警察の威信(メンツ)をかけて総力を挙げた捜査(1年で延べ36000人の捜査員を動員)を展開したが、半年過ぎても手掛かりがつかめなかった。
注1;79年8月3日、当時5歳の幼稚園児の女児(万弥ちゃん)が、自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうち行方不明、同月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めにされた全裸遺棄体が発見される。菅家受刑者が犯行自供するが、物証不十分で不起訴処分となる。
注2.84年11月17日、当時5歳の幼稚園児の女児(有美ちゃん)がパチンコ店「大宇宙」から行方不明、2年後の86年3月8日、自宅から2.4Km離れた足利市大久保町の市立大久保小学校東側畑で白骨死体で発見される。菅家受刑者が犯行自供するが、物証不十分で不起訴となる。
足利市で起きた3幼女殺害事件
福島万弥ちゃん(当時5歳)
1979年8月 9日失跡場所から約1キロの渡良瀬川河原
行方不明直後に絞殺、窒息死
長谷部有美ちゃん(当時5歳)旭幼稚園児
1984年11月17日(土)午後5時過ぎ、パチンコ店
1986年3月 8日失跡場所から約2.4キロの畑の土中
行方不明直後窒息死?
松田真実ちゃん(当時4歳)竜泉寺保育園児
1990年 5月12日(土)午後7時ごろ、パチンコ店駐車場
1990年5月13日失跡場所から約500メートルの渡良瀬川河原
連れ去られた30分後に絞殺、窒息死
そうしたなか、足利市内に住む元幼稚園バス運転手の菅家利和(すがやとしかず)受刑者が、足利署の周辺聞き込みなどで容疑者として浮上する。それは、アダルトビデオを多数所有していること(家宅捜査の結果、ロリコン物ビデオは全くなかった)と、聞き込みの刑事に対して話した職場の経営者の「そういえば子供を見る目つきが怪しかった」などという言葉であった。
以後、受刑者は、警察により犯人として目星をつけられ、90年12月から1年間毎日尾行されることになる。
91年6月23日朝、身を潜めていた捜査員たちは、借家から出た菅家利和受刑者の右手には白色のビニール袋が握られていた。捜査員は、ごみ捨て場に置かれたのを確認すると、菅家利和受刑者の姿が見えなくなるのを待って、袋を採取、中には空き缶や紙くずのほか、体液の付いたティッシュペーパーが入っていた。これが実用化間もなかったDNA鑑定を行う端緒となった。
尾行された1年の間、幼女に対する声かけなど、怪しい行為はいっさいなかったと、後に尾行した刑事が法廷で証言しているが、足利署は、91年12月、女児の泥だらけの半袖下着に付いた体液(精液)と受刑者(当時45歳)の2つのDNA型が一致し、犯行を認めたとして逮捕した。
だが、当時の鑑定(足利事件での鑑定が行われた91年までに実施されたDNA鑑定は64件。08年は年間3万件を超えている)は技術的に不完全で、いくつかの問題点があった。1つはDNAが一致する確率。現在より精度は明らかに低かったことである。DNA鑑定の多くは血液型のような「型」で識別する方法だが、当時の鑑定で特定できる確率は160人に1人ぐらいだったといわれる(なお、科警研〔科学警察研究所=警察庁の附属機関として科学捜査、犯罪防止、交通事故防止等に関して、広範囲にわたる業務を行っている〕は91年8月、被害女児の着衣に付着していた体液のDNA型を「94人に1人」を識別できる精度の方式で鑑定を実施し、さらに血液型が判明していたため、精度が高まり「1000人に1.2人」を識別できる計算だったという)。したがって、犯人と同じ型の人間は、足利市の男性だけでも数百人に上る計算になる。
注3.DNA鑑定とは、ヒトの細胞内のDNA(デオキシリボ核酸)に存在する個人的特徴を、個人識別や親子関係の判断に利用すること。多くの疾患には遺伝的要素があり、DNA検査から疾患を予防する試みもある。
注4.警察によるDNA研究所(科警研)が89年に始め、3年後に全国の警察で導入。今では年間約3万件の事件で実施されている。裁判では91年、水戸地裁下妻支部で審理された連続婦女暴行事件の公判で初めて鑑定結果が証拠採用されており、足利事件の最高裁判決は、DNA鑑定の証拠能力を認めた初のケースだった。当初は識別の精度は乏しく、捜査でも補助的な役割だったが、現在は「4兆7000億人に1人」の確率で識別できる。また当時は、測定器具の不備もあったとされ、科警研も論文でこれを認めており、92年以降はこの器具を使用していない。
2つ目は誤差が大きく、正しい型判定ができなかったことである。それゆえ、警察庁も、DNA型判定の物差しとなるマーカーに狂いがあったことを認め、使用を中止、その後のDNA判定はやり方を変えたのである。現に、弁護団が独自に菅家受刑者の毛髪を鑑定した結果は、真犯人の型と一致しなかった。
同受刑者は任意の調べを受けた当初、容疑を否認していたが、DNA型が一致していることを取り調べで指摘された後に認める供述を始めたが、1審の公判途中で二転三転、最終的に否認に転じた。
同受刑者は、続けて79年と84年の女児殺害も自白、県警は「市民を恐怖に陥れた幼女連続殺害事件の全面解決」を発表、マスコミも「執念の捜査が実を結んだ」と大々的に報じた(93年2月26日、2事件については証拠不十分で不起訴が決定)。
しかし、1審を担当した弁護士は、DNA鑑定を絶対視して、「罪を認めて情状酌量を勝ち取る」弁護方針をとり、検察側証拠をほとんど全部認めたことから、宇都宮地裁は93年7月7日、DNA型鑑定は「専門知識と技術を持った者が適切な方法で行っており、証拠能力を認めることができる」と認定、自白についても「捜査員の強制や誘導をうかがわせる事情はない」と信用性を認め、無期懲役の判決、96年5月9日、東京高裁も、DNA型鑑定について、「より優れた手法が開発される余地はあるが、手段、方法は一定の信頼性があり、妥当だ」として証拠能力を肯定、また、「自白は信用できる」として、控訴を棄却した。
00年7月17日、最高裁大2小法廷(亀山継夫裁判長)は5人の裁判官全員一致で、DNA鑑定について「(DNA型鑑定の)原理は理論的に正確で、科学的に信頼される方法で行われており、これを証拠として用いた判断は相当」として、DNA型鑑定の証拠価値を初めて認めたうえで、「科学技術の発展で、新たに解明された事項なども加味して慎重に検討されるべきだが、このDNA鑑定を証拠として用いることが許される」として上告を棄却、1審の無期懲役が確定した。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/asikagajikenn.htm
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