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2006年03月20日

パラリンピック閉幕 日本はメダル9個

パラリンピックが閉幕 メダル9個、笑顔の行進

 第9回冬季パラリンピック・トリノ大会は19日午後8時(日本時間20日午前4時)からトリノ市中心部の「メダルプラザ」で閉会式を行い、10日間にわたる雪と氷の障害者スポーツの祭典は幕を下ろした。

 冬季史上最多の39カ国が参加し、477選手が出場した大会で、日本はアルペンスキー女子座位の大日方邦子(おびなた・くにこ)(東京)が金1、銀2のメダルを獲得するなど金2個を含む9個のメダルを獲得。前回ソルトレークシティー大会の銅3個から大きく飛躍した。

 閉会式では、ノルディックスキー女子視覚障害で金、銀2個のメダルを獲得した小林深雪(こばやし・みゆき)(東京)が日本の旗手を務めた。国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレーブン会長が閉会を宣言。パラリンピック旗が次回2010年冬季大会を開催するバンクーバー(カナダ)のサム・サリバン市長に引き渡され、同市長は車いすを回転させ、旗をはためかせた。

 国別メダル獲得数ではロシアが金13個、メダル33個でトップとなり、前回の5番から躍進。続いて前回首位のドイツ。日本は8番目だった。

 大会はアイススレッジホッケー会場などで連日満員に近い観衆を集め、盛り上がりをみせた。2月の冬季五輪に続き、「もう1つの五輪」が、北イタリアの古都で閉幕した。(共同)



 真っ黒に日焼けした顔から、戦いを終えた晴れやかな笑みがこぼれる。トリノ市中心部のメダルプラザで19日、行われたパラリンピック閉会式。選手は"国境"を越え、肩を寄せ合って、互いの健闘をたたえた。熱戦を見守った聖火が消され、障害者スポーツの祭典が10日間の幕を閉じた。

 入場行進ではまず、各国の旗手が登場した。日本はバイアスロンで金銀2個のメダルを獲得した小林深雪(こばやし・みゆき)選手(32)。競技でコンビを組んだ小林卓史(こばやし・たかし)ガイド(48)と一緒だ。「旗手をするとは思ってなかったのでうれしくて、楽しかった」と笑顔の小林選手。

 舞台のスクリーンには活躍した選手が映し出され、場内に大きな歓声がわく。大会旗が次の冬季パラリンピック開催地バンクーバーのサム・サリバン市長に手渡され、式典はクライマックスに。聖火が消え、花火が盛大に打ち上げられた。

 アルペンスキーで金1個、銀2個のメダルを取った大日方邦子(おびなた・くにこ)選手(33)は「また新たな力になるような気がする」と楽しそう。初挑戦で銀メダルの東海将彦(とうかい・まさひこ)選手(32)も「これを区切りにして、次へ向かいたい」と笑顔を見せる。

 バイアスロンで「銅」に輝いた太田渉子(おおた・しょうこ)選手(16)は「(閉会式は)メダルとは別の意味で感動した。こんなにすごいと思わなかった」と音楽に合わせて踊りだした。(共同)



 ノルディックスキーのバイアスロン女子12.5キロ立位で銅メダルを獲得した16歳の太田渉子(おおた・しょうこ)(山形・北村山高)と、アルペンスキー男子滑降座位で4位の17歳、鈴木猛史(すずき・たけし)(福島猪苗代高)。トリノ冬季パラリンピックではそれぞれの競技で最年少の日本代表となった2人のスキーヤーは初の大舞台で掛け替えのない経験を手に入れた。

 太田は最初に出場したレースでいきなりの快挙。「パラリンピックはワールドカップ(W杯)などと違い、地元など大勢の人が応援してくれて楽しかった。また出たいし、4年後は金メダルを持ち返りたい」と決意を新たにした。

 一方、鈴木には苦い初舞台だった。スキー技術は代表のチームメートに一目置かれる存在だったが、滑降以外は回転の12位が最高。途中で体調を崩したこともあり、メダルは持ち越しとなった。

 鈴木は悔しさいっぱいの表情で「もっと体を強くしたいし、世界の大会にどんどん出て経験を積まなければいけないと分かった」と次回のバンクーバー大会(カナダ)に雪辱を誓った。

 10日行われた開会式は競技が迫っていたため、ともに欠席。それぞれの競技を終えた後の閉会式にはそろって姿を見せた。今後は日本の障害者スポーツを引っ張ることが期待される2人の高校生は、閉会式ではそれまでの戦いを忘れ、トリノの夜空に上がった盛大な花火をじっと見詰めていた。(共同)



 「スポーツ」。次の冬季パラリンピック開催地、バンクーバーのサム・サリバン市長(46)にとって、自由を失ったきっかけでもあり、新たな人生を切り開いてくれた感謝すべき存在でもある。「スポーツは誇りと自信を与えてくれた」との思いを胸に閉会式に臨み、五輪閉会式と同様、車いすの金具にパラリンピック旗を差し込み、左右に回転しはためかせた。

 四肢の自由を失ったのは19歳。スキー中の事故で首を骨折した。「若いころは大きな間違いを犯すこともある」と、今は振り返ることができる。しかし、当時は絶望のどん底だった。

 国からの障害者保険での生活。7年後に障害者スポーツを始めたことで「人生を前向きに転換できた」。ヨットや小型飛行機の操縦も楽しむようになった。

 障害者として、パラリンピックへの思いはより強い。「障害者がどんな生活を送っているかは知られていない。厳しい練習を積んで競っている姿を見れば、障害者をもっと尊重するようになる」と力説する。

 政治的には保守系の支援を受けるが、政策的には中道という。「パラリンピックでやってみたい競技は」と問われ、「競い合うのは政界の厳しい戦いで十分」と政治家の顔も。「わたしが市長になれるんだ。障害者ができることはたくさんあるんだ」。熱い思いが2010年に結実する。

http://www.sankei.co.jp/news/060320/spo031.htm


青木が銅メダル/パラリンピック

アルペンスキー女子回転座位で青木辰子(長野)が銅メダルを獲得した。日本は今大会の獲得メダルを金2個を含む9個とし、海外で開催された冬季大会での最多メダルを更新して全競技を終了した。

 日本勢では今大会、アルペンの大日方邦子(東京)が最終日の女子回転座位では1回目に転倒して途中棄権に終わったが、3個のメダルは獲得し個人通算8個に伸ばした。

 各国の獲得メダルではロシアが金13個、総メダル数も33個でいずれもトップ、日本はともに8番目だった。

http://www.nikkansports.com/sports/f-sp-tp0-20060320-9203.html

この青木選手、年齢はなんと46歳!この年齢でメダルとは、頭が下がります。
期待された大日方選手は、転倒。残念ですが、日本が獲った9個のうち3個は大日方選手ですから、こちらも大健闘でしょう!

前回ソルトレークはメダル3個。今大会は日本選手大活躍と言っていいでしょう。

そして4年後、バンクーバーでも日本人選手の活躍を期待です!!!



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2006年03月18日

大回転の女子座位、大日方が金メダル

パラリンピック:大回転の女子座位、大日方が金メダル

トリノ冬季パラリンピックは17日、当地で行われたアルペンスキー大回転の女子座位で、大日方(おびなた)邦子(33)=東京=が金メダルに輝いた。男子座位の森井大輝(25)=東京=も銀メダルを獲得し、日本の今大会のメダルは8個となって、94年リレハンメル大会の6個を上回り、98年長野に次ぐ好成績となった。

 大日方は滑降、スーパー大回転の銀に続き今大会3個目のメダルで、金は98年長野大会の滑降以来。4大会連続出場中で、通算メダル数は8個(金2、銀3、銅3)となり、自身の日本最多記録を伸ばした。

 女子座位で、46歳の女子日本選手最年長の青木辰子(長野)も6位に入った。ノルディックスキーの距離女子リレーで日本は5位、男子は10位だった。アイススレッジホッケーの日本は5、6位決定戦でスウェーデンと対戦。

 ◇大日方「攻め」の気持ちで「金」

 一度は目を疑った。「思うようなラインも取れなかったし、ミスもした」。しかし、見直してみると電光掲示板の表示は1位。勝利を確信すると、右手を何度も挙げてスタンドの歓声に応えた。

 前日にはかぜで寝込んでいた。だが、1回目でトップタイムをたたき出したが、3位には滑降、スーパー大回転で優勝の米国選手がつけていた。「攻めるしかない」。守りの気持ちに入らなかったことが、滑降では転倒しながらも跳ね起きて優勝をさらわれたこの米国選手を振り切ることにつながった。

 出発前に日本で開かれた結団式。大会に向け、健闘を誓った後「真のバリアフリーな社会の実現のためにも頑張ります」と宣言した。自身のホームページでバリアフリー論も展開。競技を通じて障害者への関心を高めることに意欲的だ。

 大会中も組織委員会を通じて日本の障害者スポーツの現状を海外メディアに訴えた。自身も毎年遠征などに300??400万円の自費負担を強いられているのが現状。障害者スポーツにスポンサーのつく欧米との違いを海外にも発信した。

 障害者スポーツの顔だけでなく、競技を通じて障害者への理解の向上にも挑む大日方。そのためには勝つしかなかった。目標は「表彰台の真ん中に2度以上立つこと」。最終戦の回転も、狙うは金メダルだ。【飯山太郎】

 ◇46歳の青木…「初めてのメダルほしい」

 アルペンスキー大回転の女子座位に出場した青木は日本女子最年長の46歳。88年インスブルック大会以来、4度目の出場となる。大けがを乗り越え、98年長野大会では銀メダルを獲得したベテランだ。

 長野県上田市出身で、中学、高校では器械体操の選手。18歳の時に右ひざを痛めて手術をし、右脚にまひが残った。90年に世界選手権を目指して練習を積んでいたところ、今度は転倒してせきついを損傷した。1年間の入院生活を強いられ、下半身の自由を失った。

 障害を抱えた体にさらに重い障害を与える形となったスキー。一度はやめようと思い、用具を捨てた。だが「スキーでけがした人はスキーに戻りたくなるんですね」。93年にチェアスキーを始め、座位で初出場の長野大会は滑降で2位となった。

 今大会中、第3日の滑降の練習で米国選手と衝突して脳震とうを起こすアクシデントに見舞われた。滑降は途中コースアウトに終わり「ゴールが遠いです」と悔しさをにじませた。2日後のスーパー大回転は5位とまずますだった。「初めてメダルがほしいと思った」と臨んだ今大会。この日の大回転に夢をかけて挑んだ。【飯山太郎】

 ○…2度目の出場で初のメダルを獲得した森井は「最高の滑りができた」と満足顔。1回目は全体の2位、2回目は3位と手堅くまとめた。97年6月に交通事故で下半身の自由を失い、98年長野大会の大日方の姿を見てチェアスキーを始めた25歳。これまでスキーのため、事故で給付された生命保険やアルバイト代など「家が1、2件建つくらい」のお金をつぎ込んで来た。経済的な面からもトリノを「総決算」と位置づけていた。「スキーしかしていなかったので、今度は他のこともやります」と晴れやかな表情で話した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060318k0000m050108000c.html


大日方選手、すごいです。滑降で銀、スーパー大回転で銀、大回転で金!
これは回転も期待できそうです。
目標は「表彰台の真ん中に2度以上立つこと」うむ、絶対できます!

>自身も毎年遠征などに300??400万円の自費負担を強いられているのが現状。障害者スポーツにスポンサーのつく欧米との違いを海外にも発信した。

やはり、日本の障害者スポーツに体勢はまだまだなんですね。。。





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2006年03月17日

東海将彦が「銀」 パラリンピック・スキー大回転立位

東海将彦が「銀」 パラリンピック・スキー大回転立位


 トリノ・パラリンピック第7日は16日、ノルディックスキーを除く3競技が行われ、アルペンスキーは大回転の男子立位で1回目3位につけた東海将彦(東京)が銀メダルを獲得した。今大会の日本勢の男子で初、通算では6個目のメダルとなり、海外で開催された冬季大会では94年のリレハンメルに並ぶ最多タイとなった。三沢拓(長野)は10位だった。大回転女子立位の佐々木如美(秋田)は16位に終わった。

      ◇

 ゴール。東海は右手を高々と上げ、ストックを振り回して何度もガッツポーズをした。32歳、夢の舞台で初の表彰台。「自分の力を出し切れた」と晴れやかな笑顔を見せた。

 「コースアウトかメダルか、というつもりで攻め切った」と振り返った。言葉通り、前半の急斜面を過ぎるとひたすら直線にコースをとった。先に滑った三沢から「思い切って滑れるコース」と言われ「突っ込もう」と決めていた。

 五輪を目指した選手だった。01年のスキー中のけがで両足がまひしている。この1、2年でめきめきと力をつけた背景には技術の向上だけでなく、道具や競技生活の変化があった。

 04年、脚力の違いに合わせて左右のブーツの硬さを変えた。板を軟らかい木製のものにもした。「これで足に雪の感触が伝わりやすくなった」

 スキー仲間がスポンサー探しに奔走してくれたおかげで、競技に専念できる環境も整った。

 「障害者スポーツのアスリート化が進むなか、日本は全然世界に追いついていない。若手のために環境を変える道筋をつけるのも、僕の仕事」

 目標にしてきたのは、1位のシェーンフェルダー(ドイツ)だ。

 「(プロとして活動する)彼に勝てるかどうかがいつも頭にある。最後の種目の回転で、もう一度挑戦し、有終の美を飾りたい」

http://www.asahi.com/sports/update/0316/157.html

大会前から「メダル候補」と呼ばれた男が、やりました!
候補と呼ばれるプレッシャーをはねのけ、銀メダル獲得です。

パラリンピック、日本は本当に調子がいいです。







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2006年03月14日

大日方、小林が銀 日本、前回上回るメダル

大日方、小林が銀=日本勢、前回上回るメダル5個に〔パラリンピック〕

トリノ冬季パラリンピック第5日は14日、当地などで各競技を行い、アルペンスキーのスーパー大回転女子座位の大日方邦子(東京)と、バイアスロン女子視覚障害7.5キロの小林深雪(東京)が銀メダルを獲得した。大日方は滑降の銀、小林はバイアスロン12.5キロの金に次ぎ、ともに個人2個目のメダル。今大会の日本勢のメダルは計5個となり、競技4日目にして前回のソルトレークシティー大会の3個を上回った。
 アイススレッジホッケー1次リーグB組の日本はドイツと0??0の引き分け。1次リーグを1勝1敗1分けで終え、準決勝進出は同日の米国??スウェーデン戦の結果次第となった。
 バイアスロン男子7.5キロ座位に出場した長田弘幸(北海道)は14位に終わった。 

http://torino.yahoo.co.jp/news?c=para&a=20060314-00000145-jij-spo


すごい!すごいぞ、パラリンピック!
まさにメダルラッシュ!!!

大日方は滑降、スーパーG両方で銀メダル。小林は12.5キロの金に続き銀!

大日方は技術系のほうが得意なんで、まだメダルを獲るかも!
大日方邦子のHPは↓

http://www.geocities.jp/obkuniko/


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2006年03月12日

パラリンピック 大日方が銀メダル

パラリンピック:大日方が2位 「V狙った」と笑み見せず

当地で12日に行われたトリノ冬季パラリンピックのアルペンスキー滑降の女子座位で大日方(おびなた)邦子選手(33)が2位に入り、日本選手では初の冬季3大会連続のメダル獲得を決めた。最初の種目の好成績で日本選手団主将の責任を果たしたが、「優勝を狙っていたので」と笑みは見せず、気の強さものぞかせた。

 98年長野大会で金、銀、銅のメダル3個を獲得し、02年ソルトレークシティー大会でも銅2個を獲得しているアルペンの第一人者。ベテランだが、「発展途上」を自認し、今季は旗門を次々となぎ倒すよう直線的に斜面を攻める新技術を取り入れた。アルペン日本代表最年少の新鋭、鈴木猛史選手(17)が一気に世界のトップに仲間入りしたのを見て、その滑りにならったものだ。謙虚な姿に、94年リレハンメル大会から、チェアスキーのメカニックとして携わる宮本晃さん(34)は「昔は鼻っ柱が強く、人のアドバイスに耳を傾けなかったのだが……」と感慨深げに話した。

 25歳で初のメダルを獲得した大日方選手だが、最近は年齢とも戦っている。日本代表アルペンの松井貞彦監督(69)は「体力の限界もあり、今まで通りでは結果が出なくなっているのを本人も感じている」と見る。

 3歳の時に交通事故で右脚を切断し、左脚にも障害を負った。17歳の時、義足の修理のため訪れたリハビリ施設でチェアスキーと出合った。4度目のパラリンピックは長い競技生活で一つの集大成にもなる。NHKで教育番組制作に携わるかたわら、さらなる高みを目指すベテランは「自分の滑りが出来れば結果はついてくる」とコースに挑み、好タイムをものにした。

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060313k0000m040073000c.html


パラリンピック:日本のメダルは3個目 アルペン

第3日の12日、アルペンスキー滑降の女子座位で、大日方邦子(東京)が銀メダルを獲得し、冬季競技では日本選手初となる3大会連続のメダルを手にした。第2日の11日には、バイアスロン(12.5キロ)女子立位で太田渉子(山形)が銅メダルを獲得した。同女子視覚障害では小林深雪(東京)が優勝しており、競技2日目にして、前回ソルトレークシティー大会での総メダル獲得数3個に早くも並んだ。

 11日のアイスレッジホッケー1次リーグ初戦でも日本は、世界ランク3位の強豪スウェーデンを5??1で破る好調な滑りとなった。

 ◇新鋭の活躍で初戦勝利 アイススレッジホッケー

 アイススレッジホッケー、日本代表の初戦の相手はスウェーデン。日本で、この競技への取り組みが始まったばかりの95年に、0??21で大敗した強豪だったが、今回は見事に「恩返し」をした。立役者はチーム最年少の24歳、上原だった。

 同点とされた第2ピリオド、こぼれたパックを拾うと中央に持ち込んでゴール右隅へ突き刺す勝ち越しシュート。6分に今度は左サイドからこぼれたパックを拾い、中央へ切れ込んでゴール左隅へ。14分にも中央でパスを受けて追加点を奪い、このピリオドだけでハットトリックを達成した。

 「自分の仕事ができました。次も3点取ります」と陽気に語った上原。98年長野大会に向け、94年に代表チームが編成されたアイススレッジホッケー。過去2大会もともに5位と不本意な結果に終わっていたが、過去の屈辱を知らない新鋭の活躍で大事な初戦を制した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060313k0000m050079000c.html

前回ソルトレークは、正直芳しい成績ではなかった日本ですが、今回トリノはなかなか調子がいいですね!でも大日方選手は銀では満足してないようですが。。。アイススレッジホッケーは明日、前回覇者アメリカとの対戦です。

がんばれニッポン!!!


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2006年03月11日

トリノパラリンピック開幕 と思ったら金メダル!

トリノパラリンピック開幕

障害者スポーツの冬の祭典、第九回冬季パラリンピック・トリノ大会は十日夜(日本時間十一日未明)、トリノ市内の五輪スタジアムで開会式を行い、十九日まで十日間にわたる大会の幕を切った。 

 イタリアでのパラリンピック開催は一九六〇年、ローマでの第一回夏季大会以来四十六年ぶり。今回は、アルペンスキー、ノルディックスキー、アイススレッジホッケーに加え車いすカーリングを新たに正式種目に採用。スキー競技で種目の大幅な統合を行うなど、競技性を一層高める大会となる。

 開会式は「すべての限界と障壁を超えて」をテーマに、五輪の開会式と同じ会場で開かれた。約二万五千人の観客が見守る中、障害のある選手や踊り手がダンスなどを披露。五輪と同じチームによる演出で華やかに繰り広げられた。

 米国に次ぐ四十人の選手を送り込んだ日本は十八番目に入場。前回ソルトレークシティー大会の銅メダリスト、ノルディック男子立位の新田佳浩(東京)が旗手を務めた。トリノ市内から約百キロ離れたセストリエールに宿泊するアルペン、ノルディック陣は翌日以降の競技に備え、主将でアルペン女子座位に出場する大日方邦子(東京)をはじめ多くの選手が欠席した。

 大会には過去最多の三十九カ国から約千三百人の選手・役員が参加。四競技五十八種目でメダルを競う。

 競技は十一日から始まり、日本は初日にアイススレッジホッケーが強豪スウェーデンと対決。アルペン滑降、バイアスロンでメダルを狙う。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/spo/20060311/eve_____spo_____000.shtml

少々クリップするのが遅くなってしまった。。。
もう既に競技が始まってます。

そう、パラリンピックの選手達を応援したいとお思いの読者諸兄!
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号外!金メダルです!

パラリンピック:バイアスロン女子、小林が優勝

障害者スポーツの祭典、第9回冬季パラリンピック・トリノ大会は11日、アイススレッジホッケーなどの競技が始まり、日本勢はノルディックスキー・バイアスロン(12.5キロ)女子視覚障害の小林深雪(東京)が優勝。競技初日で金メダルを獲得する幸先のいいスタートを切った。小林は98年長野大会で7.5キロを制しており、頂点を極めるのは2大会ぶり2度目。

 メダル獲得が期待されたアルペンスキー滑降男子(立位)の東海将彦(東京)が日本選手最高の7位。女子の佐々木如美(秋田)は最下位の13位だった。バイアスロン男子座位の長田弘幸(北海道)は13位。

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060312k0000m050102000c.html


おめでとう!小林選手!!!


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2006年03月02日

カーリングの「チーム青森」が会見

続けてよかった・カーリングの「チーム青森」が会見

トリノ五輪のカーリング女子日本代表「チーム青森」の小野寺歩選手(27)ら5選手が2日、青森市で記者会見し「帰国後、多くの人に声を掛けてもらい驚いている。カーリングを続けてよかった」と笑顔で話した。

 小野寺選手は「1勝3敗と後がない状況で迎え、倒した強豪カナダ戦が印象に残っている」と振り返る一方、「(他の試合で)私のミスがなければメダルが取れた」と唇をかんだ。

 二度目の五輪となった林弓枝選手(27)は「前回の反省を生かし、前向きな気持ちで臨むというメンタル面では目標を達成できた」と話した。

 試合前の愛嬌あふれるポーズが話題となった本橋麻里選手(19)は「瞬間的にその日の気分を表した」と照れ笑い。

 チーム青森は8日から青森市で開催される女子日本選手権に出場。目黒萌絵選手(21)は「試合に向け気持ちを切り替えたい」と抱負を語った。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060302STXKE015802032006.html

以前、カーリングって誰でも出来て、お年よりも手軽に始められるんじゃないかって記事を書いたんですが、カーリングに使う道具って物凄く高いんですね。驚きました。ストーンは1セット160万円以上。あの氷の上をツーッと滑る靴は4万円以上。国で補助するとか。。。

ここで検索してみて。。。



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2006年02月27日

トリノオリンピック、閉幕

トリノ五輪、祭典に幕

 第20回冬季オリンピック・トリノ大会は26日、アイスホッケー男子決勝を最後に全競技が終了し、午後8時(日本時間27日午前4時)からトリノ市内のコムナーレ競技場で閉会式を行い、17日間の熱戦に幕を閉じた。

 イタリアでは1956年コルティナダンペッツォ大会以来、半世紀ぶりの冬季五輪。史上最多の80カ国・地域から2573選手が参加した冬季スポーツの祭典は、テロや運営上の大きな混乱もなく、閉幕を迎えた。

 閉会式ではイタリアの伝統的な「謝肉祭」をテーマにしたアトラクションに続き、戦い終えた選手がリラックスした表情で入場した。日本はフィギュアスケート女子で優勝した荒川静香(あらかわ・しずか)(プリンスホテル)が金メダルを手に持ち、男子選手に肩車されて登場し、外国の選手団からも大きな注目を集めていた。

 海外の冬季大会では最多の112選手を送った日本は、荒川の金メダル1個だけで目標の5個を大きく下回った。スピードスケートやスキーはメダルなしに終わり、世代交代を含めた再建策が求められる。

 五輪旗はトリノのキアンバリーノ市長から次回2010年大会開催地、バンクーバー(カナダ)のサリバン市長に引き継がれ、大会中に聖火台で燃え続けた火が静かに消えた。

http://www.sankei.co.jp/news/060227/spo035.htm


4位入賞、過去最多 戦略不足 崩れた「本命」

 アルペンスキー男子回転で50年ぶりの入賞を果たした皆川賢太郎(アルビレックス新潟)をはじめ、トリノ五輪では日本選手の「4位入賞」が過去最多の5種目と目立った。いずれも健闘したといえるが、五輪アスリートの大きな目標であるメダルには届かなかった。日本選手の4位現象を分析する。(肥谷令子、川越一)

 メダルも期待されたフィギュアスケート女子の村主章枝(avex)をのぞけば、4位入賞の選手たちは予想以上の健闘だった。彼らに共通するのは、同じ種目にメダルを期待された選手がいたという事実。それがこの成績に結びついたといえるかもしれない。

 例えばアルペンスキー回転の皆川。「金メダル以外にない」と豪語し、マスコミの注目を一身に集めていたのは佐々木明(ガーラ湯沢)だった。皆川はさほどプレッシャーを感じずに済んだ1回目、トップと100分の7秒差で3位につけた。注目が佐々木に集まるなか、気楽さと元エースの「やってやろう」というプライドとが本来の実力を引き出した格好だ。抜かれはしたが、2回目も冷静に戦略を立てて滑っていた。

 スピードスケート男子五百メートルの及川佑(びっくりドンキー)の場合も世界記録保持者の加藤条治(日本電産サンキョー)と、1998年長野五輪金メダリストの清水宏保(NEC)がいた。メダルを意識せずに臨んだ結果ではなかったか。女子五百メートルの岡崎朋美(富士急)は長野五輪銅メダリストとはいえ、メダルへの期待感では若手の比重が高かった。

 スピードスケート女子団体追い抜きの4人はまさに幸運に恵まれた。

 80年レークプラシッド五輪ジャンプ70メートル級銀メダリストの八木弘和氏が自身の体験をふまえてこう話す。当時、日本ジャンプ陣のエースは3歳年長の秋元正博氏。「僕はノーマークだった。実力、調子、何から何まで秋元さんが上。でも、どれだけ実力が離れていても妥協はしたくなかった」。そして、一か八かの勝負をかけられた八木氏はメダルを手にし、秋元氏は唯一、本番の1回目を失敗して4位に終わった。八木氏はこの結果について、「秋元さんの存在は間違いなくプラスに働いた」という。どこか今大会の皆川と佐々木のケースに似ている。

 スピードスケート男子千五百メートル元世界記録保持者の野明弘幸氏も、「及川にとってよかったのは加藤と清水が注目を浴び続ける中、自分のペースで調整できたこと」と話す。また村主の場合は、従来の採点方法ならメダルもあり得たという。惜しい4位だったが、荒川静香(プリンスホテル)のほか、マスコミの注目を集める安藤美姫(中京大中京高)もいて1人だけでメダルに挑む感じではなかった。



 4位はりっぱな成績だが、単純に喜んでもいられない。もう少しでメダルに届くはずだった。日本選手団は「5個のメダル」を公約したが、4位の5つがメダルに変われば公約は実現していた。

 八木氏は4位に終わったワールドカップの経験から「3番までは表彰台の上、(メダルが)胸に掛けられる。でも4番は一生悔しさを背負っていかなければならない」と悔恨をこめて振り返る。

 なぜ、メダルに届かなかったのか。そこに「本命」と言われた選手の失敗がある。「メダルを取りにいく」といいながら、自身をわざわざ金縛り状態にした選手がいかに多かったことか。

 スポーツメンタルトレーニングを専門とする日大医学部の田中ウルヴェ京講師(ソウル五輪シンクロデュエット銅メダル)は、「メダルを取りにいく」と豪語していい選手には条件があるという。「金メダルを取るまでのリハーサルを完璧(かんぺき)にしていなければいけない」。しかし今大会、そんな選手が何人いたか。経験不足の選手が問われるままに「メダル」を口にしていた印象がある。

 田中氏はまた、自分の専門を踏まえたうえであえてこう語る。「全部心のせいにするのは簡単だが、本当は情報不足であり、戦略不足。3番目にその日の自分の状態の理解不足がある」。はっきり言えば、それができていたのは荒川ひとり。他はだれも「条件」を満たしていなかった。

 これは選手だけの責任ではない。環境を整えるべき監督、コーチに競技団体の関係者、さらに「メダル」の重圧で選手たちを追い込んだ選手団役員たちも責務を負うべきだろう。4位の分析から4年後のバンクーバーが始まる。

http://www.sankei.co.jp/news/060227/spo007.htm
































いろんな話題を提供してくれた、トリノオリンピックですが、先ほど閉幕式が行われ、17日間の日程を終えました。日本選手団の低迷が言われたこの大会ですが、記事中にもあるようにテロや事故など大きな混乱もなく、無事に終えることが出来ました。
それが何より1番大切なことだと思います。





zaraはカーリングとスノーボードクロスが印象に残ったかな。
兎に角、懸命に戦い終えた選手達に拍手です!

4年後、バンクーバーで会いましょう!!!




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2006年02月26日

アルペン佐々木明と山本美憂が熱愛

アルペン佐々木明と山本美憂熱愛が発覚

 トリノ五輪アルペン男子日本代表の佐々木明(24=ガーラ湯沢)と女子レスリング元世界王者でスポーツキャスターの山本美憂さん(31)との熱愛が25日、分かった。仕事を通じて知り合い、海外のW杯に山本さんが応援に駆けつける仲だ。この日の回転に出場した佐々木は左手の薬指に指輪をして、56年コルティナダンペッツォ五輪で銀メダルを獲得した猪谷千春氏(現IOC副会長)以来半世紀ぶりのメダルを目指した。

 男子回転で、日本勢50年ぶりのメダルが期待されたエース佐々木は1人ではなかった。「最強の恋人」山本さんと一緒にトリノ五輪を戦っていた。

 山本さんが04年4月に女子レスリング引退後、スポーツキャスターを務めていることもあって、仕事を通じて交際がスタート。昨年から佐々木の海外遠征のたびに、送り迎えする山本さんの姿があった。佐々木は昨夏、「おれらの愛は止められないぜ」といつもの陽気な口調でちゃかしていたが、性格はきまじめで、接した相手をとことん大事にする男だ。左手の薬指には愛の証しの指輪が光っている。1月のW杯シュラートミンク大会(オーストリア)で3季ぶりに表彰台に立った時には、山本さんが長男怜君(9)を連れて見守っていた。この日も、佐々木の滑りを怜君とともに祈りながら見詰めていた。

 佐々木の尊敬する人は総合格闘家の山本“KID”徳郁。テレビで試合を観戦して応援してきたが、KIDは山本さんの弟。トリノ五輪では、女子レスリング元世界女王で7歳上の「姉さん女房」の励ましが、佐々木にとって最大の起爆剤になった。

 ソルトレークシティー五輪では大回転で34位、回転で途中棄権し「何でこんなやつが出たんだと思われても仕方ない成績」だった。エースに成長して迎えた今回、20日に行われた大回転では、今季W杯で4試合だけの出場だったため1回目50番目スタートになり、コースアウトして途中棄権。それだけに本命の回転に賭けていた。

 昨年6月、右腕の上腕に「for the glory(栄光のために)」とタトゥーを入れた。栄光をかけたトリノ五輪で、佐々木が熱いシュプールを描いた。

http://torino2006.nikkansports.com/paper/p-ol-tp5-060226-0022.html


「金メダルしか狙っていない」と言って、第3旗門を踏み外し、不発に終わった佐々木ですが、こんな形で爆弾を落とすとは。。。





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posted by zara at 21:26| Comment(0) | TrackBack(2) | トリノオリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

皆川は4位、湯浅7位 アルペンスキー男子回転 これは賞賛!

皆川は4位、湯浅7位 アルペンスキー男子回転

 トリノ冬季五輪第16日の25日、アルペンスキー男子回転を行い、1回目3位の皆川賢太郎(アルビレックス新潟)は合計1分44秒18の4位に入り、湯浅直樹(北海道東海大)も1分44秒57で7位と大健闘、半世紀ぶりの入賞を遂げた。

 佐々木明(ガーラ湯沢)は1回目8位につけたが、2回目で途中棄権した。生田康宏(東京美装)は47位だった。

 大回転優勝のベンヤミン・ライヒが1分43秒14が優勝するなど、オーストリア勢が3位までを占めた。(共同)



 わずか0秒03差でメダルに手が届かなかった。3回目の五輪となったアルペンスキー男子回転の皆川賢太郎選手(28)。大けが、成績低迷、後輩の台頭…。この4年間に味わった苦難と屈辱を乗り越え、大舞台で果敢な滑走を見せた。

 2002年のソルトレークシティー五輪後、ひざの前十字靱帯(じんたい)を断裂。選手生命の危機に見舞われた。体にメスを入れると筋肉をゼロからつくり直さないといけない。手術後の成績は低迷した。

 「賢太郎の時代は終わったとみんな思っていた」と振り返るのは、生まれ育った新潟県で少年時代にスキーを教えた札幌五輪代表の柏木正義さん(57)。「成績が出なくてもモチベーションを下げないで3年待て。3年目に勝負できるから」と励ました。

 実際に昨年のワールドカップから好成績を出し復活を遂げる。

 逆境にめげない精神力は幼少のころに培われた。「おまえ何がやりたいの。オリンピックに出て勝負したいんだろ」。柏木さんはスキーの技術だけでなく、気構えをたたき込んだ。父の日課に倣い、毎朝欠かさずに走った。雨の日も吹雪の日もスキー場へ通った。

 五輪には苦い思い出しかない。大学生で初出場した長野は途中棄権。メダル獲得を公言したソルトレークは旗門不通過で失格に終わった。

 「借りを返したい」との思いを胸に、どん底からはい上がって挑んだ3回目の五輪。強気の発言は影を潜めて「自然体で臨みたい」と語った。北海道・北照高校の後輩、佐々木明選手(24)に注目が集まる中、「僕は2番手」とさらりと言えた。

 「けがから復活して、今の賢太郎が1番強い」。柏木さんがそう言って送り出したトリノ。北照高スキー部の工藤裕監督(56)も「ふた皮むけた。物事を冷静に見られるようになった」と心身両面の成長を評価していた。

http://www.sankei.co.jp/news/060226/spo004.htm

惜しい!

でも、これは大賞賛に値する!
何しろ、猪谷千春以来50年ぶりの入賞。
4位皆川と3位の差は0.03秒。
1回目の中盤急斜面の小さなミスがなければ。。。

期待された佐々木は残念でした。スラロームでは良くあるミスなんですが。。。

湯浅直樹はオリンピック初出場で7位。「次はメダルを狙います!」って言葉が心強い!

ちなみに、メダルのプレゼンターは前述猪谷千春氏だったとか。
氏も「日本人にメダルを渡したかったが、よく頑張った」とコメントしたそうです。

渡されたかった。。。



皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )

新潟県湯沢町出身。チームアルビレックス新潟所属。父は元競輪選手。

1998年、長野オリンピック代表、2002年、ソルトレークシティオリンピック代表。2006年、トリノオリンピック代表。

2000年2月、ワールドカップ・回転、オーストリア・キッツビューエル大会で、ゼッケン60番から6位に入賞し、世界のトップスラローマーの仲間入りを果たした。同年3月、韓国・ヨンピョン大会でも6位に入賞している。

2001年、6位、8位、10位、10位と、立て続けに好成績を残し、第1シード入りを果たす。日本人としては4人目の第一シード選手となった。

2001年、11月に足首を捻挫、その怪我をおして出場したワールドカップ・スラローム、オーストリア・シュラドミング大会の2本目にベストタイムを獲得。日本人としては3人目のベストタイム獲得者となったものの、同じシーズンの翌2002年3月、長野県・野沢温泉の大会中に左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う。

以降、2年間は低迷していたものの、2005年、スロベニア・クラニスカゴラ大会で7位に入り、再び上昇の兆しを見せていた。

2006年、第5戦スイス・ウェンゲン大会で自己最高の4位をマーク。オーストリア・シュラドミング大会でも6位に入り、輝きを取り戻した。



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posted by zara at 07:30| Comment(0) | TrackBack(18) | トリノオリンピック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする