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2009年12月04日

加護亜依ケータイ釣りか?

「海に投げられた」加護ケータイ 無事戻ってきたチョー「不思議」

タレントの加護亜依さん(21)の携帯電話がネット上で、ちょっとした話題になっている。海に投げられたはずの携帯電話がデータも無事で見つかったというのだ。いったいどうなっているのか。

加護さんの「携帯電話」騒動は2009年10月9日に書き込んだブログ記事が発端だ。彼女は09年9月29日から仕事で10日ばかり日本を離れ、アメリカ・ロサンゼルスを訪れていた。その帰国後、「majiで凹むよ5秒前。。」と題した記事を掲載した。
仕事用の携帯電話が海に投げられた?

それによると、加護さんこの日、仕事用の携帯電話がないことに気付いたという。どうやら帰国後に乗り込んだタクシーの中で落としてきたらしい。受けとった領収書をたよりにタクシー会社に連絡を入れ、携帯ショップでもGPS機能をもとに探してもらったそうだ。が、店では「茨城県の砂浜か海にある」と言われてしまった。「うそでしょ!?」。その後は、こんなやりとりがあった。

「で、タクシーの人から連絡来て聞いたら『もう逢わないと思ってこのまま持ってる訳にもいかないですし、海に投げてしまいました。』って」

加護さんは「ちょちょちょっと〜〜〜〜〜〜!!」「いくらなんぼでも海に投げないでよ〜〜〜!!」と悲鳴を。携帯電話の中にあったもろもろのデータは、水の泡となってしまったわけだ。だが、自分のせいといえば自分のせいなので、「こんな私を誰か癒してください」「完全に凹んだを通り越してます」と肩を落とした様子を書き込んでもいた。なお、翌日の記事では携帯電話を新しくしたことを報告していた。

「携帯電話が見つかったのは事実」

この話は「Yahoo!ニュース」でも取り上げられ、記事には3000件を越えるコメントも寄せられた。書き込みには「ひでぇタクシー会社&運転手だな!」「ひどいことする運転手だな」と加護さんへの同情を集めたが、「ちょっと面白いけど、普通は忘れ物として一定期間は管理するだろ」「何か作り話っぽい感じもする」「下手なジョークか?」「ネタでしょう?」などと勘繰る人もいたようだ。

一方、加護さんは2009年12月3日、携帯電話会社のイメージキャラクターとして記者会見に登場し、その中では紛失したはずの携帯電話が戻ってきた旨を話した。見つかったのは群馬県か栃木県で、データも無事だったという。

もっとも、上記のように海に投げられてしまったエピソードが知られているだけに、ネット掲示板などでは「栃木か群馬にあったと加護はどうやって知ったのか?」「投げ捨てたと言ってた運転手から何らかの謝罪はあったのか?」などとさらなる疑問も語られている。いったいどういうことなのか。加護さんの所属事務所はJ-CASTニュースに対し、「(携帯電話が)見つかったのは事実」とだけ話しており、真相は藪の中だ。

http://www.j-cast.com/2009/12/04055490.html


majiで凹むよ5秒前。。

みんな、、聞いてよ。。
あたしって本当に携帯に縁がないみたいなのね。。
今日、仕事用の携帯がないことに気付き探したけどなくて、、。

で帰国した後、タクシー乗ったからそこに忘れてきたっぽいの。
でね、領収書あったんで連絡したら「探してみます」って事で
とりあえず携帯ショップに行ってGPSやらで探してもらったら
茨城県の砂浜か海にあるって言うの。。


うそでしょ!?と私。。。



で、タクシーの人から連絡来て聞いたら「もう逢わないと思って
このまま持ってる訳にもいかないですし、海に投げてしまいまし
た。」って。。



ちょちょちょっと〜〜〜〜〜〜!!
おっさん、いくらなんぼでも海に投げないでよ〜〜〜!!


SDカードも入ったままでデータも何もかも、海の中です。。

まあ、自分が忘れてきちゃうのがいけないんだよね。。
わかってる、、、、。わかってるんだけど、、海じゃ探しようもないし
水に浸かって壊れてるよね。。。


完全なミスだす。時差ぼけで〜〜、疲れてたから〜〜、とかは通用
しないみたいです。。



あたしの大切なデータ達よ。。。


元気でね☆



こんな私を誰か癒してください。。。
完全に凹んだを通り越してます。。。。


さあ、あしたは関西関西!!



卵掛けご飯美味しかったし、また一人ラーメンでもするかな☆

こんな時に、今日はうちのマドンナ、純子さんの誕生日!!
「おめでと〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

http://biscuitclub.fc.yahoo.co.jp/6/1134/


その当時のJ-CASTの記事



加護亜依 海に携帯捨てられた

元「モーニング娘。」の加護亜依は米ロサンゼルスから帰国後に乗ったタクシーに、仕事用の携帯電話を置き忘れてしまった。タクシー会社に問い合わせ、返事を待っている間に携帯ショップで GPS機能を使って位置確認をしてもらうと、携帯は「茨城県の砂浜か海にある」と言われた。心当たりがなく、「うそでしょ!?」とびっくり。

タクシー会社から連絡があり、運転手に聞いてみたら、「もう逢わないと思ってこのまま持ってる訳にもいかないですし、海に投げてしまいました」と打ち明けられた。SDカードも入ったままで、データも何もかも海の中だ。

「おっさん、いくらなんぼでも海に投げないでよ〜〜〜!!」

と憤慨するが、「自分が忘れてきちゃうのがいけないんだよね」と反省も。

「こんな私を誰か癒してください。。。
完全に凹んだを通り越してます。。。。」

と2009年10月9日のブログで呼びかけた。

ちなみに、翌10日のブログですでに新しい携帯を購入したと報告している。

http://www.j-cast.com/tv/2009/10/11051464.html


マッチポンプ?

ただの。。。




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2009年11月27日

のりピー早くも大学広告塔に 動画あり

のりピー映像 大学HPに登場

 覚せい剤取締法違反の罪で懲役1年6月、執行猶予3年が確定した元女優・酒井法子(38)が、来年1月に入学する創造学園大(群馬・高崎市)のHPに登場している。

 酒井が介護を学ぶ遠隔地教育システム「E―LEARNING」紹介コーナー内の「酒井法子さんも学んでいます!」としてリンクしている動画で、「酒井法子のオリエンテーション」と題した18日の初登校時の写真を見ることができる。

 学生たちと触れ合った酒井が「男性も女性も年齢も関係なく(笑い)同じ場所で一緒に学びましょうという気持ちが伝わってきてうれしかったです」などと感想を話す肉声も収録されており、「一緒に頑張りましょう!」とのメッセージで締めくくられている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091126-00000301-sph-ent



酒井法子が広告塔 動画で創造学園大を宣伝

 新生活へ向けたケジメなのか。9月17日に開いた涙の謝罪会見から2カ月半。法廷以外では初めて、酒井の肉声がネットを通じて流れた。

 クスリに染まった生活からの脱却を目指し、一念発起して入学した創造学園大。そのHP上には「酒井法子さんも学んでいます」の文字が躍る。さらに、YouTubeにリンクされ、文字をクリックすると「酒井法子オリエンテーション」の動画が映し出された。

 紺のコートにフリルのブラウススカートという“女子大生ルック”。黒色のエナメルバッグを持つ姿は、初登校した今月18日と同じ。音楽施設や実習施設、トレーニング施設などを案内される写真がコマ送りとなり、そこへ自身のナレーションがかぶせられた。

 「今回、大学にうかがって一番うれしかったと思うことは、学生の方と直接触れ合うことができて、お話をうかがうことができたこと」。一言一言を噛みしめるように、酒井は語りかけた。口調は女優時代をほうふつさせ、明るくハッキリしている。

茶室の写真では、一緒に実習を受けたとみられる学生と並び、笑顔も浮かべていた。

 「みなさん、本当に心が広くて優しくて、男性も女性も年齢に関係なく、同じ場所で一緒に学びましょう、楽しみましょうという気持ちがダイレクトに伝わってきて、すごくそれがうれしかったです」。動画は感謝の言葉で締めくくられた。

 覚せい剤使用を勧めた夫で自称プロサーファー、高相祐一被告(41)の判決公判が、27日、東京地裁で開かれる。夫の有罪が確定する12月11日から会うことができるため、離婚に向けた夫婦の話し合いは同日以降にスタートする。同大で介護、福祉、音楽治療を学び始めた酒井は、夫よりひと足早く更生の道を突き進む。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/
091127/crm0911270604002-n2.htm



しゃぶピーが更生するのは結構な話ですが。。。この大学の見識はどうなんでしょ?





のりピー離婚難航も…夫、義父母が反対

 元女優酒井法子(38)の夫で、覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された自称プロサーファー高相祐一被告(41)に対し、東京地裁は27日午前11時から判決を言い渡す。同法違反の罪に問われた酒井は今月9日、懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けている。

 検察は先月21日、高相被告の初公判で「ここ1年間は2週間に1回の割合で繰り返し使用していて依存性が高い」として懲役2年を求刑している。酒井に覚せい剤を勧めた上、反省の色が薄いともとられかねない供述が多いため、実刑か保護観察処分付きの厳罰が下るかどうかが焦点。

 判決公判は当初、今月12日に予定されていたが、鹿児島・奄美大島の音楽イベント会場で拾ったとする覚せい剤の没収手続きが必要とされたため、27日に延期されていた。この間、高相被告は今後、クラブDJとして音楽活動をしていく意向を知人らに話している。

 一方、酒井は、高相被告が来月11日に控訴期限を迎えるのを待ち、翌12日から離婚に関する話し合いを始める見通し。支援者らの説得で離婚の意志は固いとされ、法廷でも離婚する意向を述べていた。だが、高相被告は自身の更生に「家族の存在が不可欠」とし、2人をよく知る関係者は「高相さんの両親も孫と離れたくない一心で離婚に反対している」と指摘。話し合いは長期化するとの観測も出ている。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/
news/2009/11/27/01.html



この件に関し、大学側からの釈明があったようだ。。。


酒井法子が大学PR動画に登場 大学側釈明のため説明文掲載

覚せい剤取締法違反で懲役1年6か月、執行猶予3年となった女優の酒井法子さんが、福祉や介護の勉強をするために入学した創造学園大学(群馬県)の PR動画に登場した。ただ、裁判が終わったばかりの酒井さんを「広告塔」として使うののはいかがなものか、という批判もあり、大学側は2009年11月 27日付けで、釈明とも見られる説明文を掲載した。

大学サイトのトップページには「酒井法子さんが入学 【オリエンテーションに来校】」という項目があり、そこから辿ってYouTubeの同大学公式チャンネルに行くと、酒井さんが登場する動画を見ることができる。

動画のタイトルは「酒井法子オリエンテーション」。酒井さんが、初登校したときの様子を写した10枚の写真を、スライド式で流している。酒井さんが職員から説明を受けたり、学生たちと交流したりする様子が見られ、長さは1分ほど。英語と中国語の簡単な説明書き付きで、アップされた日付は23日となっている。

動画には酒井さんの肉声も付いており、

「学生の方との直接ふれ合うことができた。みなさん本当に心が広くて、男性も女性も、年齢も関係なく、同じ場所で一緒に学びましょうと、楽しみましょうという気持ちがダイレクトに伝わってきて、凄くそれが嬉しかったです」

と笑い声を交えながら語っている。

大学側「酒井さんの学習環境を保障するため映像を発信」

動画の最後には酒井さんの写真とともに、「一緒に頑張りましょう!」という文字が掲載されており、大学も酒井さんの入学を絶好のPR機会と捉えているようだ。ただ、裁判を終えたとはいえ、芸能活動を休止している酒井さんを広告塔に使うのはいかがなものか、そんな指摘もマスコミから出ている。そうした批判を意識したのか、大学側は11月27日付けで「酒井法子さん映像掲載について」という説明をサイトトップに掲載した。

その中で、酒井さんが初登校した18日には約100人の報道陣が詰めかけ、「学生の落ち着いた学習環境が著しく損なわれました」と指摘。今後は来校する酒井さんと一般の学生の環境を保障するため、アポイントのない取材を断るとともに、「こちらから一学生としての酒井さんの様子を適宜発信することによって、今後の飛び込み取材等による混乱なきようにしたいと考え、映像等を発信することにしました」と釈明している。

さらに、酒井さんの入学に関しても「厳しい意見」があったことも認めたうえで、「酒井さんは真剣に学修したいとおっしゃっております。124 単位を取得して必ず卒業するとおっしゃった酒井さんを大学としても応援しております。『更生』という目標のために努力する酒井さんの姿を見て、学生たちも共に勉強することを歓迎し、これからの日々を楽しみにしています」としている。

酒井さんの登場する動画はこれまでに約5万回掲載されており、

「のりピーが元気そうな様子なので安心しました。これからもいろいろなことがあるとは思いますが、自分のペースで頑張っていってほしいです」

というコメントが寄せられている。

http://www.j-cast.com/2009/11/27054949.html

>酒井さんの様子を適宜発信することによって、今後の飛び込み取材等による混乱なきようにしたいと考え、映像等を発信することにしました

意味不明である。そんなことなら、酒井法子は退学しましたとでも言えば良いじゃん。







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2009年11月23日

紅白出場歌手決定 動画あり

紅白出場歌手決定!嵐、福山ら豪華メンバー

 23日、大みそかの「第60回NHK紅白歌合戦」(後7・15)の出場歌手が東京・渋谷の同局で発表され、紅組、白組合わせて50組の豪華な顔ぶれがそろった。

 注目は来年1月3日スタートのNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜後8・0)に主演する俳優で歌手の福山雅治(40)で、16年ぶり2度目の出場が決定。

 昨年、羞恥心で出場した上地雄輔(30)が遊助のアーティスト名でソロ出演するほか、レミオロメン、flumpool、木村カエラ(25)ら8組が初出場。3人組ユニット、FUNKY MONKEY BABYS、紅白デジタルの応援隊に就任している人気声優の水樹奈々(29)も出場が決定した。今年デビュー10周年を迎えた人気グループ、嵐も初出場。

 4月に俳優、水嶋ヒロ(25)との結婚会見でバセドー病を患っていることを告白し、年内で無期限活動休止を宣言した絢香(21)は、ラストステージとして4回目の出場となった。

 また、司会は白組がSMAPの中居正広(37)、紅組が女優の仲間由紀恵(30)で、2006年の57回、08年の59回に続き3度目。中居はNHKアナウンサー以外では、最多となる6回目で、しかも4年連続。一方の仲間は、2年連続4回目。

 ◇白組:嵐(初)、アリス(3)、五木ひろし(39)、EXILE(5)、NYC boys(初)、北島三郎(46)、北山たけし(5)、コブクロ(5)、ジェロ(2)、SMAP(17)、東方神起(2)、TOKIO(16)、徳永英明(4)、氷川きよし(10)、FUNKY MONKEY BABYS(初)、福山雅治(2)、布施明(25)、flumpool(初)、細川たかし(33)、ポルノグラフィティ(8)、美川憲一(26)、森進一(42)、遊助(初)、ゆず(3)、レミオロメン(初)

 ◆紅組:aiko(8)、秋元順子(2)、絢香(4)、アンジェラ・アキ(4)、いきものがかり(2)、石川さゆり(32)、AKB48(2)、大塚愛(6)、GIRL NEXT DOOR(2)、川中美幸(22)、木村カエラ(初)、倖田來未(5)、伍代夏子(16)、小林幸子(31)、坂本冬美(21)、天童よしみ(14)、DREAMS COME TRUE(13)、中島美嘉(8)、中村美律子(14)、浜崎あゆみ(11)、Perfume(2)、平原綾香(6)、水樹奈々(初)、水森かおり(7)、和田アキ子(33)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091123-00000502-sanspo-ent



紅白歌合戦:松潤「勉強させていただきます」 “ジャニーズ2枠”破り「嵐」初出場

 大みそかに放送される「第60回NHK紅白歌合戦」の出場歌手が23日、東京都渋谷区のNHKで発表され、結成10年を迎えるアイドルグループ「嵐」の初出場が決定。「ジャニーズ2枠」の“慣例”を破り、「SMAP」や「TOKIO」、中山優馬さんらの「NYC boys」と出演する。メンバーの松本潤さんは「今年の締めくくりを最高のステージにしたいと思います。初めての出場なので、先輩方の姿を拝見して、勉強させていただきたいと思います」と喜びのコメントを発表した。

 今年結成10周年を迎える「嵐」は、会見には欠席したが、それぞれコメントを発表。リーダーの大野智さんは「嵐10周年、そして紅白歌合戦が60周年を迎えるこの記念すべき年に出演させていただけることに、本当に感謝しています! 嵐5人で精一杯歌わせていただきます!」。相葉雅紀さんは「すごく光栄です! 紅白の60周年のタイミングに10周年の嵐が出場させていただき、09年の締めくくりができて本当にうれしいです。いろんな方に見ていただけるチャンスなので、精一杯歌わせていただきます! 楽しみです!」とし、櫻井翔さんは「子どものころから見ていた紅白歌合戦に出演させていただけること大変光栄に思います。一年の総決算ともいえる、大みそかの風物詩。僕たちの10年分の感謝の思いを届けたいと思います」と語った。

 二宮和也さんは「僕たちは今年で10周年を迎えることができました。そして紅白は60周年。歴史は違えど、ともに記念すべき年にすばらしい機会を作っていただき本当に光栄です。僕たちらしいパフォーマンスをして今年を締めくくりたいです」。松本さんは「10周年に当たるこの年の暮れに初めて紅白に出場させていただけることを、本当に光栄に思います。いままで僕らの楽曲に触れたことのない方々にも聴いていただけると思うので、とてもうれしいです」とコメントしている。

http://mainichi.jp/enta/geinou
/news/20091123mog00m200013000c.html









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posted by zara at 18:44| Comment(0) | TrackBack(15) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

森繁久弥大往生 動画あり

俳優の森繁久弥さんが死去

 映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。

 96歳だった。告別式は未定。喪主は次男、建(たつる)氏。

 大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。

 戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「夫婦善哉」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。

 後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。

 テレビラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。

 日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091110-00000983-yom-soci



森繁 久彌

(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優・コメディアン。森繁事務所所属。「森繁久弥」とも表記される。身長171cm、体重78kg。大阪府枚方市蔵谷(ひらかたパーク付近に位置する)出身。

略歴

出生

旧制第二高校教員、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)、大阪電燈等の重役職を経て、後に実業家となった父・菅沼達吉(1858年 - 1915年)と、大きな海産物問屋の娘であった母・馬詰愛江との間に出来た3人兄弟の末っ子。江戸時代には江戸の大目付だった名門の出身だった。しかし、久彌が2歳の時、父が死去。母方の実家も、色々と子細、経緯等があって、7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「馬詰」姓から「森繁」姓となった。長男・弘(1907年 - 不明・1940年代頃)は馬詰家を継ぎ、次男・俊哉(1910年頃 - 1982年)はそのまま菅沼家を継ぎ、3男・久彌は森繁家を継ぎ、名字も「森繁」となる。戸籍上の養父は南海電鉄の鉄道技師であった森繁平三郎である。

学生時代

堂島尋常高等小学校、旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院(現・早稲田大学高等学院)を経て、1934年に早稲田大学商学部へ進学。在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉や山本薩夫と共に活動。この頃に萬壽子夫人(当時、東京女子大学の学生)と知り合う。その後、山本らが左翼活動で大学を追われてからは部の中心的存在となり、アマチュア劇団に加わり、築地小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演した。

演劇の世界へ

* 1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。長兄の紹介で東京宝塚(現・東宝)新劇団へ入団。その後は、日本劇場の舞台進行係を振出しに、東宝新劇団、東宝劇団、緑波一座と劇団を渡り歩く。下積み時代は馬の足などしか役が付かなかった。日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を務めた時、藤山に頼み込み通行人の警官役で舞台に立つも、全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた。座長の古川ロッパに認められた緑波一座では、盟友となる山茶花究と出会う。1937年、退座。
* 1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。満州電信電話の放送局に勤務。満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。甘粕正彦とも交流があった。満州巡業に来た5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭圓生らとも親交を結ぶ。この頃、新京の劇団に所属していた芦田伸介と知り合う。アナウンサーになったきっかけは、「徴兵制度を避ける為。海外へ赴任出来る当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書に記している。その一方で、川一本を隔てたソ連軍に対する謀略放送(見つかれば確実に生きて帰れないほどの接近をしたこともあったという)に行ったり、蘭花特別攻撃隊(B29に体当たり攻撃を行う航空隊(本土での「震天隊」に相当)の為の歌「空に咲く」の作詞も行っている。1945年、敗戦を新京で迎え、ソビエト連邦軍に連行されるなどして苦労の末、1946年11月に帰国。
* 戦後も劇団を渡り歩く。1947年、衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画初出演。1949年、再建したばかりの新宿のムーラン・ルージュに入団。演技だけでは無く、アドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在として次第に注目を集める。
* 1950年、NHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』に倣ったラジオ番組『愉快な仲間』を放送。メインの藤山一郎の相手役のコメディアンとして抜擢され、ムーラン・ルージュを退団。『愉快な仲間』は2人のコンビネーションが人気を呼び、3年近く続く人気番組となった。この放送がきっかけで映画や舞台に次々と声が掛かり、一躍人気タレントとなった。同年、新東宝『腰抜け二刀流』で映画初主演。1952年、源氏鶏太原作のサラリーマン喜劇(河村黎吉主演『三等重役』)に要領のよい人事課長役で助演。本作は好評を博し、後に河村が急逝したこともあって、森繁が社長役として主演の「社長」シリーズへと発展する。1953年からマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに三枚目の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げるまで大活躍する。
* テレビドラマでは、草創期から活躍した。テレビ放送が開始された1953年には、『半七捕物帳』(NHK)や『生と死の一五分間』(日本テレビ)に出演している。
* 1955年、豊田四郎監督の『夫婦善哉』に淡島千景と共に主演。この映画での演技は、それまで数々の映画に出演して次第に確立していった森繁の名声を決定的なものにした。同年、久松静児監督の日活『警察日記』で田舎の人情警官を演じ、これも代表作の一つとなる。これにより、単なるコメディアンから実力派俳優へと転進する。
* 1959年の第10回NHK紅白歌合戦から1965年の第16回NHK紅白歌合戦まで、7年連続で歌手としてNHK紅白歌合戦に連続出場。このうち、第10回は森繁の歌のラジオの音声が現存し、第14回(1963年)と第16回は映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で森繁の歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。第14回と第16回はNHK BS-2で再放映されている。
* ラジオやテレビでのトーク番組・バラエティ番組等では、その独特な話り口が「森繁節」として親しまれた。
* 舞台では、1959年より「森繁劇団」を結成し、持続的に演劇活動を行う。また、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』は、900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じ、彼の代表作となった。

晩年

* 1982年、佐々木孝丸の後任として日本俳優連合の理事長に就任。
* 1986年、早稲田大学の卒業式に記念講演の講師として招かれた際、大学から卒業証書を受け、正式に卒業を認められた。
* 1989年に満壽子夫人、99年に長男・泉に先立たれた。長男が行っていた事業清算のため世田谷区にあった大邸宅を売却、等価交換の形で跡地に建設されたマンションのワンフロアに移り、家族及び身の回りの世話をする事務所の関係者と住んでいた。
* 死去前の数年間は年齢・体力的なこともあり、2004年正月放送『向田邦子の恋文』が最後の俳優活動となった。1980年代半ば以降、恒例であった芸能関係者の葬式での弔辞も、2004年1月にした坂本朝一元NHK会長への弔辞が最後となった。
* 2002年12月、沖縄県で心筋梗塞で倒れ危険な状態に陥ったが無事に回復した。
* 2003年に90歳を迎えたことを機に、作家・演出家の久世光彦と<語り森繁、文は久世>の形で、『大遺言書』を週刊新潮に連載し、題名どおり最後の仕事とするつもりだった。だが2006年3月に、22歳年下の久世が急逝し終了してしまい、「どうしてオレより先に逝った…」と嘆き、その葬儀以来公の場に姿を見せることはなかった。なお単行本は新潮社で4冊刊行された。
* 2007年2月23日、「最後の作品」と銘打った朗読DVD『霜夜狸(しもよだぬき)』が出されたが、1991年に舞台用に録音されながらも、お蔵入りになった作品を元に新たに編集したものである。現代社会への憂いを込めた「久弥の独り言」も収録されている(元々、森繁自身が録音する予定であったが、声が弱っていることから、親交の深い竹脇無我が代読したもの)。同年に日本俳優連合の理事長の地位を降り、名誉会長に。
* 晩年は天気のいい日は散歩や観劇に出掛け、食欲も旺盛でフォアグラやステーキ等の肉料理を平らげ、ホットブランデーを愛飲するという元気な日々を送った(関係者談)。「体は思うように動かないが心は現役である」というコメントを発表した。
* 2009年8月、同年7月に風邪をひきそのまま8月3日現在に至るまで入院中である事が発表された。発熱などの重い症状は7月中に回復したが、痰が出る等の症状が治まらない為に大事をとって退院せずに病院で経過を診る措置がとられた。その後、9月15日に森繁が在住する東京都世田谷区内のイベント「第十一回世田谷フィルムフェスティバル」において開かれた『名優・森繁久彌展』へメッセージを寄せ、その中で入院の件にも「皆さんに多大なご心配をおかけしましたが、私自身はおだやかに秋をむかえております」と触れた。
* 2009年11月10日、東京都内の病院で死去(老衰)。96歳没。

人物エピソード

この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2009年3月貼付)

* 久彌という名前は、父が大実業家・岩崎久彌と深い親交を持っていたことに由来する。
* 幕末の奥儒者・成島柳北は大叔父にあたる。父・菅沼達吉は、大目付・森泰次郎の次男であり、菅沼家の養子となった。森泰次郎と成島柳北は、松本家の出身の兄弟であり(泰次郎が兄)、それぞれ、森家、成島家の養子となっている。
* 向田邦子が本格的な放送作家となるきっかけを作った。
* 『知床旅情』でシンガーソングライターとしてもデビューしている。
* 『森繁自伝』で日本文芸家協会の推薦を受け会員となった。著書は単著で20数冊ある。
* 泉酒造の商品パッケージに使われている文字にも達筆ぶりが伺える。
* 岐阜県海津市にある「水と緑の館」の名誉館長でもある。
* 射撃を趣味にしていた時期があった。所有していた散弾銃は、独創的な機構を持つイタリア製の銘銃「コスミ」であったことが射撃界では知られている。芸能人・文化人の射撃好きで結成している『芸能文化人ガンクラブ』会長を長年務めている。
* 老年に入ってからは、整えられた白い口髭と顎髭を蓄えている。
* 記念すべき『徹子の部屋』第1回放送分のゲスト(1976年2月)である。放送中に突然、黒柳徹子の胸を触り(台本である可能性が高い)、ハプニングシーンとなった。この時の映像は、バラエティ番組で「徹子の部屋」第1回放送シーンが流れるたびに使われる。
* 7代目立川談志は、『立川談志 日本の笑芸百選』(NHKBS-2)や自身の著書等で「日本最高の喜劇役者は森繁久彌」と絶賛している(ただしすべてを絶賛しているわけでは無い)。
* 竹脇無我の父・竹脇昌作とはアナウンサー時代からの親友である。竹脇無我は、森繁と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っている。
* 森繁の成功の影響で、コメディアンの中から、ベテランになるにつれてシリアスな演技者となりたがる者が多発したため、小林信彦は著書『日本の喜劇人』でそのような傾向の人々を「森繁病」と呼んだ。ただ小林は同書で、森繁は元来シリアスな役者志望者であり、たまたまコメディアンとしての才能もあったため一時的にそのように注目されたのであって、そのため彼の「転身」を、他のコメディアンが単純に真似するのはおかしいとしている。

受賞・受章歴

1991年、伝統芸能以外の俳優では初の文化勲章を受章している。

* 紺綬褒章(1964年)
* 菊池寛賞(1974年)
* 紫綬褒章(1975年)
* 芸術選奨文部大臣賞(1979年)
* 第1回都民文化栄誉章(1983年)
* 文化功労者(1984年)
* 早稲田大学芸術功労者表彰(1985年)
* 勲二等瑞宝章(1987年)
* 文化勲章(1991年)
* 日本アカデミー賞協会栄誉賞(1992年)
* 日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞(1995年)
* 東京都名誉都民(1997年)

役職

* 日本俳優連合名誉会長
* 「水と緑の館」名誉館長
* 芸能文化人ガンクラブ会長
* 社団法人「あゆみの箱」会長
* 関東小型船安全協会会長(初代)

映画

東宝 社員・重役シリーズ

* 1952年 三等重役、続三等重役(浦島人事課長)
* 1953年 一等社員 三等重役兄弟篇(天栗太郎)
* 1954年 坊ちゃん社員、続坊ちゃん社員(番太)
* 1955年 森繁の新入社員、森繁のやりくり社員、森繁のデマカセ紳士
* 1956年 森繁の新婚旅行、森繁よ何処へ行く
* 1957年 森繁の僕は美容師
* 1959年 新三等重役(沢村四郎・主演)
* 1960年 新三等重役 旅と女と酒の巻、当るも八卦の巻、亭主教育の巻(沢村四郎・主演)
* 1964年 裸の重役

東宝 社長シリーズ(主演)

詳細は「社長シリーズ」を参照

* 1956年 へそくり社長、続へそくり社長(田代善之助)
* 1956年 はりきり社長(大神田平八郎)
* 1958年 社長三代記、続社長三代記(浅川啓太郎)
* 1959年 社長太平記、続社長太平記(牧田庄太郎)
* 1960年 サラリーマン忠臣蔵(大石良雄)
* 1961年 続サラリーマン忠臣蔵(大石良雄)
* 1961年 社長道中記、続社長道中記(三沢英之助)
* 1962年 サラリーマン清水港、続サラリーマン清水港(山本長五郎)
* 1962年 社長洋行記、続社長洋行記(本田英之助)
* 1963年 社長漫遊記、続社長漫遊記(堂本平太郎)
* 1963年 社長外遊記、続社長外遊記(風間圭之助)
* 1964年 社長紳士録、続社長紳士録(小泉礼太郎)
* 1965年 社長忍法帖、続社長忍法帖(岩戸久太郎)
* 1966年 社長行状記、続社長行状記(栗原弥一郎)
* 1967年 社長千一夜、続社長千一夜(庄司啓太郎)
* 1968年 社長繁盛記、続社長繁盛記(高山圭太郎)
* 1969年 社長えんま帖、続社長えんま帖(大高長太郎)
* 1970年 社長学ABC、続社長学ABC(網野参太郎)

東宝 駅前シリーズ 他(主演)

詳細は「駅前シリーズ」を参照

* 1958年 喜劇 駅前旅館(生野次平)
* 1961年 喜劇 駅前団地、喜劇 駅前弁当(柳田金太郎)
* 1962年 喜劇 駅前温泉、喜劇 駅前飯店(柳田金太郎)
* 1963年 喜劇 とんかつ一代(五井久作)
* 1963年 喜劇 駅前茶釜(柳田金太郎)
* 1964年 喜劇 駅前女将、喜劇 駅前怪談、喜劇 駅前音頭、喜劇 駅前天神(森田徳之助)
* 1965年 喜劇 駅前医院、喜劇 駅前金融、喜劇 駅前大学(森田徳之助)
* 1965年 喜劇 各駅停車
* 1966年 喜劇 駅前弁天、喜劇 駅前漫画、喜劇 駅前番頭、喜劇 駅前競馬(森田徳之助)
* 1966年 喜劇 仰げば尊し(浜口丈太郎)
* 1967年 喜劇 駅前満貫、喜劇 駅前学園、喜劇 駅前探検、喜劇 駅前百年(森田徳之助)
* 1968年 喜劇 駅前開運、喜劇 駅前火山、喜劇 駅前桟橋(森田徳之助)
* 1973年 喜劇 黄綬褒章
* 1976年 喜劇 百点満点(北上大三)

松竹

* 1971年 喜劇 女は男のふるさとヨ、喜劇 女生きてます(金沢
* 1972年 喜劇 女売出します(金沢)

次郎長シリーズ

東宝「次郎長三国志」

* 1953年 次郎長初旅、次郎長と石松、勢揃い清水港、殴込み甲州路、旅がらす次郎長一家(森の石松)
* 1954年 初祝い清水港、海道一の暴れん坊(森の石松)

日活「次郎長遊侠伝」

* 1955年 秋葉の火祭り、天城鴉

東宝「次郎長意外伝」

* 1957年 灰神楽の三太郎、大暴れ三太郎笠(森の石松)

その他(主な出演)

* 1953年 大映 凸凹太閤記(木下藤吉郎)
* 1955年 東宝 夫婦善哉(維康柳吉・主演)
* 1955年 日活 警察日記(吉井巡査・主演)
* 1956年 東宝 猫と庄造と二人のをんな(庄造)
* 1957年 松竹 気違い部落(解説者X氏)
* 1957年 東宝 雪国(伊村)
* 1960年 東宝 路傍の石(愛川庄吾)
* 1961年 東宝 南の島に雪が降る(森大尉)
* 1961年 東宝 小早川家の秋(磯村英一郎)
* 1964年 東宝 われ一粒の麦なれど(乳児院院長)
* 1971年 松竹 男はつらいよ 純情篇(千造)
* 1972年 東宝 座頭市御用旅(藤兵衛)
* 1973年 東宝 恍惚の人(立花茂造・主演)
* 1978年 松竹 事件(清川民蔵)
* 1980年 東映 二百三高地(伊藤博文)
* 1981年 東宝 連合艦隊(本郷直樹)
* 1983年 東宝 小説吉田学校(吉田茂・主演)
* 1984年 東宝 さよならジュピター(地球連邦大統領)
* 1990年 東宝 流転の海(主演)
* 1994年 東宝 忠臣蔵 四十七人の刺客(千坂兵部)
* 2004年 東映 死に花(青木六三郎)

アニメ(声の出演)

* 1958年 東映 白蛇伝(男性キャラのすべて)
* 1987年 ヘラルド 風が吹くとき(ジム)
* 1997年 東宝 もののけ姫(乙事主)
* 1997年 ディズニー ヘラクレス(ナレーション)
* 2001年 東宝 ドラえもん のび太と翼の勇者たち(鳥野守博士-晩年)

テレビドラマ

日本テレビ 年末時代劇スペシャル

日本テレビ「年末時代劇スペシャル」には、4年間出演した。

* 1985年 忠臣蔵(吉良上野介・主演)
* 1986年 白虎隊(井上丘隅・主演)
* 1987年 田原坂(龍左民)
* 1988年 五稜郭(佐藤泰然)

TBS 水戸黄門

TBSのナショナル劇場(現・パナソニック ドラマシアター)『水戸黄門』には数回、ゲストで出演している。当初は、徳川光圀役を演じる予定だった。

* 第5部 第24話「二人の御老公・佐賀」(前佐賀藩主鍋島光茂)
* 第14部 第19話「悪を懲らした喧嘩友達・会津」(会津藩主松平正容)
* 第15部 第12話「偽黄門様は喧嘩医者・小倉」(玄磧医師)
* 第22部 第23話「悪計暴いた備前焼・岡山」(備前遊山)
* 第23部 第22話「白いお髭の意地比べ・萩」(前長州藩主毛利綱広)
* 1000回記念3時間スペシャル(紀伊國屋文左衛門)

その他(主な出演)

NHK

* 太陽の丘(1966年 - 1967年)
* 元禄太平記(1975年、徳川光圀)
* 大往生(1996年)
* 怒る男 わらう女(1999年)

日本テレビ

* 24時間テレビ愛は地球を救うスペシャルドラマ『黒い雨・姪の結婚』(1983年、閑間重松)

TBS

* マンモスタワー(1958年)
* 江戸を斬る(徳川斉昭)
* 大岡越前(見雲遊山)
* 関ヶ原(1981年、徳川家康)
* 七人の孫(1964年 - 1966年、1987年)
* おやじのヒゲ(1986年 - 1996年)
* 翔んでる!平賀源内(1989年)
* 南町奉行捕物帖 怒れ!求馬(1997年)
* こちら第三社会部(2001年、現時点では最後の連ドラ準レギュラー格出演)
* 向田邦子の恋文(2004年)

フジテレビ

* 銭形平次 第5シリーズ 第10話「過去からの告発」(1995年、勘助)

関西テレビ

* 裸の大将放浪記(1981年 - 1997年、園長先生)
* 開局25周年記念 吉田茂(1983年、吉田茂)

テレビ朝日

* だいこんの花(1970年 - 1977年)

テレビ東京

* 飛んで火に入る春の嫁(1988年)
* 永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年、幼少時代の手塚の前に現れる謎の老人)
* 女と愛とミステリー『森繁久彌サスペンス 小池真理子の「鍵老人」』(2001年)

CM

* 全日本空輸
* 興和 キャベジンコーワ
* コカ・コーラ
* シーメンス 補聴器
* 三井不動産 レッツ
* 佐渡汽船(ラジオのみ)
* 松下電器産業(現:パナソニック)ナショナル マックロード

ラジオ、テレビゲスト出演ほか

* 日曜名作座(1957年 - 2008年3月、NHK第1) 

2003年からは再放送、共演は加藤道子

* 森繁ゴールデン劇場(1961年 - 1962年、文化放送)
* 今晩は森繁久彌です(1964年 - 1967年、文化放送)
* 徹子の部屋(1976年2月、NET、第1回ゲスト)

舞台

* ミュージカル 屋根の上のヴァイオリン弾き(1967年 - 1986年、テビィエ役)
* 佐渡島他吉の生涯
* 暖簾
* 孤愁の岸
* 狐狸狐狸ばなし
* 台所太平記
* 赤ひげ診療譚

作詞・作曲

* 知床旅情(1970年)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%A
E%E7%B9%81%E4%B9%85%E5%BD%8C














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2009年11月09日

酒井法子に懲役1年6月執行猶予3年 動画あり

酒井被告に懲役1年6月、執行猶予3年「逃走は卑劣」「依存性認められる」

 覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪に問われた元女優、酒井法子被告(38)の判決公判が9日、東京地裁で開かれた。村山浩昭裁判官は酒井被告に懲役1年6月執行猶予3年の執行猶予付き有罪判決を言い渡した。

 判決で村山裁判官は覚醒剤使用の犯罪行為を認定したうえで「常習性やある程度の依存性が認められる」と、酒井被告の覚醒剤依存を認定。「逃走など事後の行動も卑劣」と厳しく指弾した。しかし「夫との離婚を考えている」ことや、母親が監督を申し出ていることなどもあわせて指摘し、猶予刑を言い渡した。公判は約20分で閉廷したが、村山裁判官が主文言い渡し後、酒井被告に量刑を復唱させる一幕もあった。

 検察側は論告で「数年間にわたって断続的に多数回、覚醒剤を使っており覚醒剤に対する依存性が認められる」として懲役1年6月を求刑していた。これに対し、弁護側は「常習性はなく、自分で覚醒剤を用意したのではない。再犯の可能性も低い」と主張していた。

 元アイドルの覚醒剤事件は関心が高く、この日は21の傍聴席を求めて早朝から3030人が列を作った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091109-00000518-san-soci


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酒井法子被告に有罪判決 懲役1年6カ月執行猶予3年


 覚せい剤取締法違反(使用、所持)の罪に問われたタレント酒井法子(本名・高相(たかそう)法子)被告(38)に対し、東京地裁(村山浩昭裁判官)は9日、懲役1年6カ月執行猶予3年(求刑懲役1年6カ月)の有罪判決を言い渡した。

 酒井被告は7月30日ごろ、家族と出かけた鹿児島・奄美大島のホテルの部屋で覚せい剤をあぶって吸った▽8月3日に東京都港区の自宅マンションで覚せい剤0.008グラムを所持した――として起訴された。

 酒井被告は先月26日の初公判で「疲れていた。好奇心もあった」と覚せい剤を使用した動機を説明。今後は夫の高相祐一被告(41)=同法違反の罪で公判中=と離婚し、芸能界を離れて母親のために介護を学びたいと述べていた。

 酒井被告をめぐる覚せい剤事件は、8月2日夜に高相被告が東京都渋谷区の路上で職務質問を受けたことで発覚。酒井被告は現場を訪れた後に行方をくらませていたが、8日夜に出頭した。逃走の理由について酒井被告は公判の中で、使用した覚せい剤を体から抜くためだったと認めた。

http://www.asahi.com/national/update/
1109/TKY200911090005.html








「薬物と手切り更生を」裁判官が酒井被告諭す

 “のりピー”の愛称で親しまれた元女優・酒井法子被告に、東京地裁は9日、覚せい剤取締法違反で、懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。保護観察はつかなかった。

 初公判では、夫、高相祐一被告(41)と離婚し、介護の勉強をする決意を示した酒井被告。違法薬物には二度と手を出さないと誓ったが、覚せい剤の再犯率は高く、更生の道は平坦(へいたん)ではない。

 酒井被告は午前11時半前、黒いシャツとパンツスーツ姿で法廷に入った。村山浩昭裁判官が、証言台の前に進んだ酒井被告に主文を2度、言い渡すと、酒井被告は、軽くうなずき、最後に深く一礼してイスに座り、判決理由の朗読に聞き入った。

 村山裁判官は最後に、「あなたは長年の芸能生活の中でドラマや映画に出てきましたが、残念ながらこれは現実です。その重みは今後、実感すると思います。重みに負けず、薬物と手を切って更生されることを望んでいます」と説諭。さらに「主文は分かっていますか。念のために主文を言ってみて下さい」と尋ね、酒井被告は「懲役1年6月、3年間の執行猶予です」と答えた。

 酒井被告は初公判の被告人質問で、「(覚せい剤に)依存性を感じていない」と語り、民間団体のサポートを受けずに更生を目指す意向を示していた。

 法廷で、裁判官から「また使いたくなることもあるのでは」と問われ、「使わない」と答えたが、その根拠については、「迷惑をかけて信頼を失い、悲しい思いをしたから」と述べるにとどまり、違法薬物を断つ具体的な手立ては見えてこなかった。

 覚せい剤は、依存性が高く、法務総合研究所の研究報告によると、1948〜2006年に初犯が覚せい剤取締法違反だった人から抽出された2万8710人中29・1%が同種再犯を犯しており、各種犯罪の中で最も同種再犯率が高かった。

 法務省は、薬物依存のある受刑者を対象に、再犯防止のための処遇を実施。執行猶予が付いた場合でも、保護観察が付けば、薬物検査や特別なプログラムの受講が昨年6月から義務づけられた。しかし、酒井被告の判決には保護観察が付いておらず、その場合は、国の監督下から外れ、薬物依存を脱することは、本人の意志や努力次第となる。

 薬物依存で刑務所への出入りを繰り返した男性(47)は「執行猶予の場合、生活は自由になるが、相談相手がいなくて孤独感を覚え、刺激を求めてしまう」と話す。薬物依存者の回復を支援する民間団体「日本ダルク本部」(東京)の近藤恒夫代表は「自ら薬を断つことは、無人島にでも行かない限り難しい。酒井被告の場合、介護の勉強をする前に、まずは覚せい剤を断ち切ることを最優先に考えるべきで、民間団体のサポートを受けることも選択肢の一つだ」と話している。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/
20091109-OYT1T00373.htm






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2009年11月06日

本田泰人・高岡由美子が離婚 動画あり

本田泰人・高岡由美子夫妻が離婚

 サッカー元日本代表でサッカー解説者兼タレントの本田泰人(40)と女優、高岡早紀(36)の実妹でモデルの高岡由美子(34)夫妻が離婚したことが5日、分かった。

 本田の所属事務所によると同日、本田が押印して渡していた離婚届を高岡が提出したという。7歳の一人娘の親権は高岡が持つ。協議離婚で慰謝料はない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091106-00000049-sanspo-ent



高岡由美子 離婚発表 「娘の未来を考えた最良の選択」

モデルの高岡由美子さん(34)が2009年11月6日のブログで、報じられていた離婚の件に言及した。

「私、高岡由美子は本田泰人さんと離婚致しました」

それによると、高岡さんは約1年前から、「家族の形」を模索していたのだという。話し合いを重ねた結果が、離婚という結論だった。結婚生活は 9年間。「良い事も悪い事もお互い色々な経験を積み重ねてきた中でお互いの将来と、娘の未来を考えた上での最良の選択と思っています」

今の心境について、「娘の為」にも、いつも笑顔のママでいられるように、前向きでいたいと語っている。今後は、一人の母として、仕事を持つ一女性として仕事に取り組んでいきたいとしている。

http://www.j-cast.com/2009/11/06053375.html






【日本の検索ワード】本田泰人・高岡由美子の離婚に祝福の声多数

  サッカー解説者で元日本代表の本田泰人氏とモデルの高岡由美子が離婚したことが報じられ、関心が高まった。Google「急上昇ワードランキング」に「高岡由美子」が登場した。

  高岡由美子は1975年生まれの34歳、神奈川県出身。姉は女優の高岡早紀である。主にモデルや司会者として活動していた。2000年に当時鹿島アントラーズの現役選手だった本田と結婚し、その後長女を出産した。以前より「ジャンクSPORTS」等のトーク番組に出演し、本田との結婚生活について語っていたが、今年に入り出演回数が急増、4日に放送された日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」にもゲスト出演し、別居状態が続いていることや「主人に触りたくない」という発言をしていたばかりであった。

  ネット上では、「ついに離婚か」「不仲をウリにテレビに出ていたがやらせじゃなかったのか」という感想が見られたほか、「本田はよくここまで我慢した」「本田離婚おめでとう」「今度はいい人を見つけてください」と、本田に声援を送るユーザーが多数を占めた。その一方で高岡に対しては、「鬼嫁というより、ひどい嫁という印象しかない」「芸能活動に自信がついたのか」「テレビでのトークの内容はあんまりだった」などなど批判が相次いでいる。

  双方のブログをのぞいてみると、本田のブログには「頑張ってください」というコメントが約20件寄せられているのに対して、高岡のブログには離婚に関すると思われる応援メッセージはわずか2件程度である。

  「これほど男が悪者にならない離婚も珍しい」というユーザーもいたように、高岡はかなりのマイナスイメージを背負っての再出発となったようである。今後の活動に注目が集まる。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y
=2009&d=1106&f=entertainment_1106_009.shtml




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2009年11月02日

押尾学に懲役1年6月執行猶予5年判決 動画あり

押尾学被告:有罪判決、執行猶予上限5年 「麻薬、結びつき深い」−−東京地裁

 合成麻薬MDMAを使用したとして麻薬取締法違反に問われた元俳優、押尾学被告(31)に対し、東京地裁は2日、懲役1年6月、執行猶予5年(求刑・懲役1年6月)の有罪判決を言い渡した。押尾被告は前科がないことから執行猶予付き判決が予想されていたが、法定の上限に当たる5年間の執行猶予を付した点について井口修裁判官は「麻薬に対する親和性(結び付き)が相当深いと疑われ、刑事責任を軽く見ることはできず、相当長期にわたり(再犯の可能性について)見守る必要がある」と述べた。

 そのうえで「麻薬使用者との交友関係が深く、薬物との関係を断つ環境整備が十分とも認めがたい」とも指摘した。

 判決によると、押尾被告は8月2日ごろ、東京都港区の六本木ヒルズにある知人所有のマンションの一室でMDMAを含む錠剤を若干量飲んだ。この部屋で同日夜、30歳女性が変死しているのが見つかっている。

 押尾被告は「女性から錠剤を渡された」と主張していたが、判決は「説明は不自然でおよそ信用しがたい」と指摘。押尾被告自らがMDMAを持ち込んだ可能性を指摘した検察側の主張を追認した。ただし、押尾被告が女性の変死に関与していたかどうかについては言及しなかった。公判には21席の一般傍聴席が用意され、1202人の希望者が列を作った。

http://mainichi.jp/enta/geinou
/news/20091102dde041040064000c.html



女性とのMDMA使用の経緯「不自然で、信じがたい」 押尾学被告、厳しい指摘に生唾飲み込む

 【押尾学 判決】(下)11:01〜11:04

 《井口修裁判官による判決文の読み上げが続いている。懲役1年6月、執行猶予5年の有罪判決を聞いた後、証言台から移動して向かって右側にある弁護人席の前にある長いすに深く座った押尾学被告(31)は、まばたきの回数が次第に多くなり、罪の重さを実感したのか両手に力が入った》

 裁判官「量刑の理由を説明します」

 《主文を読み上げると、こう述べた井口裁判官は判決理由を読み上げ始めた。押尾被告は盛んに乾く唇をなめ、自ら落ち着こうとしているように見えた》

 裁判官「本件は、被告人が麻薬のMDMAを1回使用した事案であるが、被告人の認めるところ、2年前から複数回外国で知人と服用経験があり、今回も親しい知人と服用していた。麻薬使用者との交友関係が深く、麻薬に対する親和性が相当高いといえる」

 《検察側は法廷で、押尾被告の違法薬物に対する親和性が顕著であることを訴えてきた。井口裁判官は検察側の指摘を認め、「刑事責任を軽くみることはできない」と断罪した。一方で、判決に執行猶予を加えた理由について、井口裁判官は語りかけるように説明していく》

 裁判官「公訴事実を認め、今後は違法薬物に手を出さないと話しており、前科がないことからも社会の中で一度は更生する機会を与えるべきである」

 《押尾被告に、更生するチャンスを与えるとした井口裁判官。「更生」の言葉は、押尾被告の心に届いたのだろうか。長いすに座ったまま、押尾被告は鋭い目つきで正面をじっと見つめている》

 《続いて、法廷で検察側と弁護側の意見が食い違ってきた点に話は移る。押尾被告は犯行当日の8月2日、一緒にMDMAを使用し、その後に体調を急変させて亡くなった知人女性(30)に「来たらすぐいる?」とメールを送っている。押尾被告や弁護側は「『自分がいるか』という意味で、『MDMAがいるか』という趣旨ではない」などと性行為を示唆するものだったと説明する一方、検察側は「こじつけの弁解で不自然」と争っていた。また、MDMA使用に至った経緯について、押尾被告は法廷で「国内に持ち込んだことも購入したこともない」と供述してきたが、検察側は「押尾被告はMDMAを入手できる立場にあった」と強調してきた。井口裁判官は、双方の主張をどう判断するのか》

 裁判官「MDMA使用がどのような経緯で行われたかという点の被告人の説明は、内容が不自然であり、自身が認めている犯行発覚までの経緯や発覚後の言動も、およそ信じがたい」

 《MDMAをどちらが持ち込んだかは、常習性につながる核心部分になる。井口裁判官は具体的な供述内容には触れなかったものの、押尾被告がMDMAを入手していた可能性について、含みを残した。押尾被告は口に力を入れ、たまった唾液(だえき)をごくりと飲み干した》

 裁判官「被告人は相当長期間にわたって再び違法薬物に手を出さないかどうかを見守る必要がある。そのため、執行猶予を5年とする」

 《井口裁判官はそう述べると、量刑理由の説明を終えた。控訴手続きの説明を受ける押尾被告は、軽く肩を落とし、力が抜けたのか目尻がわずかに下がった》

 裁判官「これで判決の言い渡しを終わります」

 《被告人に判決の重みや今後への期待などを語りかける「説諭」を行わないまま、午後11時4分、開廷からわずか4分で井口裁判官は判決公判の終了を告げた》

 《弁護人や検察官が続々と立ち上がると、つられるように長いすから立ち上がった押尾被告。一度傍聴席に目をやった後、検察官に向かって軽く頭を下げ、続いて井口裁判官をじっと見つめて深く一礼した》

 《頭を上げた押尾被告は、法廷内に井口裁判官や検察官が残る中、しっかりとした足取りで裁判官席に向かって左手の扉から法廷を後にした。知人女性の死亡について、警視庁では依然、保護責任者遺棄容疑などでの押尾被告の立件を目指しているという。押尾被告が再度法廷に姿を現すことはあるのだろうか》


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091102-00000553-san-soci



"のりピー"異例の追跡報道は「押尾学=政界ルート」のスケープゴート!?

警察・検察当局およびマスコミの内情に精通するジャーナリストが、テレビでは絶対に報道しない、気になるニュースの裏側をレポートします。

 警視庁に逮捕された女優・酒井法子容疑者の覚せい剤取締法容疑事件は、マスコミをけむに巻くすさまじい逃避行で大騒ぎとなったが、この事件が、もうひとつのタレント・押尾学容疑者による麻薬事件をもみ消すための"スケープゴート"に利用された疑いの強いことが12日、わかった。

「官邸や警視庁がのりピーの事件をことさらあおったために、NHKをはじめ新聞・テレビは衆院選挙そっちのけで逃走劇をニュースで延々と流した。『政界ルート』が出てくるような都合の悪い事件を煙幕で隠そうとする当局の常とう手段だね」(社会部デスク)

 まず、酒井容疑者の事件見ていくと、当局から想像以上の"破格の扱い"を受けていたことが手に取るように分かる。

 酒井容疑者は3日未明、夫の自称プロサーファー・高相祐一容疑者が東京都渋谷区の路上で職務質問された直後に電話で呼び出された。高相容疑者の下着の中に隠していた巾着袋からわずかだが覚せい剤が見つかり、夫の現行犯逮捕を目の前でみた酒井容疑者はその場で泣き崩れたという。

 しかし、渋谷署に一緒に同行して尿検査に応じるよう求められると「絶対イヤです」と拒否、知り合いの男性と車で立ち去る。その直後に、ATMで数十万円の現金を引き出し、新宿駅近くの量販店で下着などを購入。4日夕には、山梨県の身延町付近で酒井容疑者の携帯電話の電波がキャッチされた――などと、実にこと細かかつリアルタイムに逃亡劇が報道された。

 しかも8日には、河村建夫官房長官が記者会見でわざわざ酒井事件を取り上げ、「芸能界での薬物まん延が指摘されている。徹底的に根を断つことが必要だ」などと発言し、NHKが昼のニュースのトップで取り上げる一幕もあった。前出の社会部デスクが語る。

「逮捕状の出ていない段階から当局が情報を流し、かなり意図的だった。携帯電話の電波傍受なんて、誘拐捜査くらいにしかマスコミに公にされない貴重な捜査情報なのに、今回はいち早く情報を出してきた。しかもそれだけじゃない」

 身延町内には、酒井容疑者とゆかりのある宗教団体「真如苑」の支部があり、かなり早い段階から警視庁のリークを受けて「かくまわれているのではないか」と疑いを持ったマスコミ各社がこの支部を取り囲んでいた。

 さらに、一山越えた村には、酒井容疑者と親交の深い大物タレントの妻で元アイドル歌手の実家の別荘があり、ここにも記者たちが飛んでいる。

「マスコミ各社とも、選挙班から引っぱがして張り込み要員を確保していた。当局のリークに翻弄されたといっていい」と前出デスク。

 では、ここまでマスコミの目を酒井事件に向けさせたのはなぜか。その理由は、押尾事件のはかりしれない大きさにあった。政界関係者が証言する。

「押尾は今年に入ってから、政財官の大物フィクサーで知られたパチンコメーカーのオーナーの息子と、与野党に影響力を持った食肉業界の実力者の息子と交際を深め、自ら『おれはフィクサー』と吹聴するほどだった。こうしたバックがあったために、六本木ヒルズの問題の部屋には政界や官界の関係者が出入りしていた。ここをマスコミに突かれると、まずいことになる。だから、のりピーの事件に目を向けさせ、押尾事件にはフタをしたいんだ」

 なにが「まずい」のか。政界関係者が続ける。

「押尾容疑者がいたヒルズの部屋は、ピーチ・ジョンの社長ともつながりがあるAVビデオ制作会社の関係者が実質上管理していた。麻薬をやって乱交パーティを開いている様子をひそかに撮影された可能性があるのではないかと疑い、警視庁は問題の撮影ビデオがあるのかどうかかなり本気になって調べているし、極秘裏に部屋を出入りした人物の特定を急いでいる。この特定作業には、どうやら警察庁の要請も働いているようだ。出入りした政界や官界の要人については、報道されないよう事前に芽をつぶしておきたいからね」

 酒井事件に目が向いているうちに打てる手は打っておきたい。そんな当局の思惑通りに、真相は闇に消えてしまうのか。

http://www.cyzo.com/2009/08/post_2546.html




初公判のときの動画



お塩側は控訴するんだろうか?ま、控訴しようがしまいが、お塩事件はまだ続く。。。



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posted by zara at 19:25| Comment(0) | TrackBack(5) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

三遊亭円楽師匠逝去 動画あり

三遊亭円楽さんが死去…76歳肺がんで

 日本テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。

 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。

 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。

 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。

 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と闘い、07年には落語家を引退。その後も一門会の座談に出演するなど、ときおり公の場に姿を見せていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091030-00000813-yom-soci



落語家の三遊亭円楽さん死去

 古典落語の名手で、テレビ「笑点」の司会などでも親しまれた三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日、肺がんのため、東京都中野区の長男の自宅で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻、和子(かずこ)さん。

 円楽さんは、歌舞伎で有名な助六の塚があり、浅草から足立区に移った浄土宗寺院、日照山不退寺易行院の四男として生まれた。昭和30年、6代目三遊亭円生に入門。37年に真打ちに昇進、5代目三遊亭円楽を襲名した。

 古今亭志ん朝さん、立川談志さんらとともに若手の成長株として注目され、テレビにも数多く出演した。「笑点」「お笑いモダン亭」などのレギュラーとなり、「星の王子さま」の愛称で売り出した。

 53年、師匠の円生とともに落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げた。円生が亡くなった後は円楽一門の総帥として活動。60年春には、寄席に出られなくなった一門の活動の場として東京都江東区内に寄席「若竹」を作ったものの平成元年秋に閉鎖。その後は独演会や一門会などで噺を聴かせ、多くの弟子を育てた。

 三遊派の正統を受け継いだ師匠・円生ゆずりの人情噺を得意とし、「芝浜」「文七元結」「中村仲蔵」などが十八番だった。

 晩年は持病の腎臓病に加え脳梗塞(こうそく)を発症、平成18年には23年にわたって司会者を務めたテレビ番組「笑点」を降板、19年2月25日、東京・国立演芸場で「芝浜」を公演した直後、高座からの引退を表明した。

 昭和52年に「藪入り」で芸術祭優秀賞、63年に「中村仲蔵」で芸術祭賞を受賞した。


http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/
091030/tnr0910301520021-n2.htm



円楽さんの弟子の楽太郎「ただただ悲しい思い」

 落語家三遊亭円楽さんの訃報を受け、来年3月に「六代目円楽」を襲名する弟子の三遊亭楽太郎さんは30日、公演先の福岡市で「ただただ悲しい思いをしております」とのコメントを発表した。

 コメントによると、楽太郎さんが円楽さんと最後に会ったのは9月3日。円楽さんの師匠、三遊亭円生さんの墓参りをした後に、1時間ほど話をしたという。

 あらためて見舞いに訪れる予定だったが、29日に自らがプロデュースする「博多・天神落語まつり」のため福岡入りしたため、師の最期には立ち会えなかった。

 楽太郎さんはコメントで「師匠の急変に間に合わなかったことが弟子として断腸の思いです」とした上で「頑張って仕事をすることを、師匠も望んでいると思います」と述べた。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/
flash/KFullFlash20091030116.html









5代目三遊亭 圓楽

(さんゆうてい えんらく、1932年12月29日(戸籍上は1933年1月3日) - 2009年10月29日)は東京市浅草区(現:東京都台東区)出身の円楽一門会総帥である。元落語家。実家は寺院(日照山不退寺易行院。通称:助六寺)。本名:吉河 寛海(よしかわ ひろうみ)。通称「馬圓楽」(面長であることから)。現役時の芸能事務所の所属は星企画→若竹カンパニー。

人物

生家である易行院はかつて浅草の清川町にあったが後に足立区伊興(現在の住所上は東伊興、最寄駅は東武伊勢崎線の竹の塚駅)に移転しており、圓楽自身も長くこの地に住んでいる。埼玉県立杉戸農業高等学校卒業。血液型はAB型。かつて演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバー・司会者を務めていた事で知られる。身長177cmと長身。

若い頃は「星の王子さま」の愛称で親しまれ、端整な顔立ちと博識振りで1960年代の演芸ブームの際脚光を浴びた。7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝没後は8代目橘家圓蔵)と共に「四天王」と呼ばれた。出囃子は『元禄花見踊り』。

素顔

* 幼い頃は病弱で腎炎、結核との闘病を経験する。腎臓の病はその後も水面下で進行し66歳の時に腎不全を発症。以後は週3回の人工透析を受けるようになる。
* 生まれ育った寺には修行僧や使用人など年上の男性と一緒に住んでいた為、自分の父親がどの人か分かったのは5歳ぐらいだった。食事時の無作法をたしなめられて初めてわかったという。
* 東京大空襲にあったが家族は一命をとりとめ、終戦後は「これからは食糧難だから農業だ」ということで父親の薦めで農業学校に入る。
* 上野鈴本演芸場で落語を見た時に「戦時中は暗い顔をした人々にこうやって笑いを起こさせる事が出来る落語は凄い」と落語家になる事を決意する。
* 6代目三遊亭圓生に入門する際に「一人前になるまで50年は食えませんよ」と言われたが、圓楽は「30歳までに真打になれなかったら辞めます」と言って入門した。実際に圓楽は30歳を迎える約3ヶ月前に真打昇進した。
* 落語家になって数年経っても「噺は上手いが圓生の真似だ」と言われ圓楽自身も悩み、ストレスで一時は体重が48kgになったり自殺未遂をしかけるほどだった。しかし母親から「お前は名人だよ」と言葉をかけられ、自分にはこんなに気遣ってくれる人がいるとなんとかスランプを脱出。
o のちにそれをネタにして若き自己のキャッチフレーズを「名人圓楽」とするが、師匠などから「二つ目の分際で名人とは生意気でげす」と怒られキャッチフレーズを「星の王子さま」に変更。
* 本人は落語家としてやっていくつもりはなく、事実上テレビ専業のタレントであった。その代りレギュラーは多くバラエティ、ドラマ何でもこなした。圓楽は「落語界・寄席でタブーとされることを全部やってやる」「寄席の価値観の逆をやる」という戦略をとり、瞬く間にスターとなった。例えば「キザ」という価値観は寄席では排除されるものだが、圓楽はあえてキザであり続けた。
o 前田憲男とプレイボーイズのLP『円楽のプレイボーイ講座 12章』がそのあらわれである。このLPは横山剣(クレイジーケンバンド)により絶賛され、2001年にCD化(2008年、紙ジャケットCDとして再発)。ジャズの調べに乗せてエスプリたっぷりに女性の口説き方を、独特のキザな語り口で聴かせている。
o 師匠圓生に諭されて本格的に落語を精進するまでは、バラエティータレントの一人として数多くのテレビ番組に出演していた。圓楽主演のテレビドラマ『笑ってヨイショ!』(東映製作・日本テレビ系)までが制作され圓楽、野末陳平としてドラマタイトルと同じ曲名の主題歌「笑ってよいしょ」を発表する。後にソニーミュージックで発売されたコミックソングを集めたコンピレーションCD・「SMILE」に収録された。そのライナーノーツによると「ソニーミュージック最古のコミックソング」と言う。また、日活の映画『ハレンチ学園』シリーズにも主要なコメディリリーフで出演していた。
o 「星の王子さま」時代のキャラについては「テレビに出たら、今まで寄席で自分がタブーとしていたことを全部やってやろうと思って」自らが意図的に演じたキャラだったと『いつみても波瀾万丈』出演時に語っていた。ちなみに圓楽がタブーとしていた事の一つは「キザになってはいけない」ことだそうである。なお、圓楽を除く圓楽一門の落語家が所属する芸能事務所『星企画』の名はこの「星の王子さま」に由来している。
o また、「星の王子様」で売り出した時期より長い間パンアメリカン航空のテレビCMに出演していた。
o プロレス団体のFMWのコミッショナーも務めていたことがある。
o 師匠の厳命により1977年に「タレント廃業宣言」をするまで落語に全力を注ぐことはなかった。タレント廃業宣言は徹底したもので、『笑点』含む全レギュラー出演から降板した(1983年に司会者として『笑点』に復帰した後もテレビのレギュラー番組は原則『笑点』以外に持たなかった。)。6代目圓生・圓楽らはその翌年落語協会分裂騒動を起こす。
* 麻雀の腕前はプロ級である。行きつけの雀荘は旧日本テレビ本社ビル近く・二番町にある「サラブレッド」。これが故で、馬面も相成って弟子の楽太郎や『笑点』で共演していた歌丸に馬扱いされる事があった(「馬刺し」→「圓楽スライス」、馬頭観音、「黒圓楽の師匠は馬圓楽」など)。
o 上記の事項ではずぶの素人が「図書券が家にあるけど、どぉ?」と誘われたら最後と玄人筋が戦々恐々するほどの「雀鬼」であり、事実自宅での賭け麻雀で負かした者は誰もなく必ずすっからかんになるとの事。本人曰く「ケツの毛まで抜かれる運命よ、ガハハハハ…」。
* 読売ジャイアンツのファンであり、ジャビットの絵が描かれた扇子を持っている。
* 血圧はかなり低く、普段でも最高血圧が80mmHgしかないという。
* 鳥取城攻防戦で有名な吉川経家の末裔を自称している。
* 圓楽本人に拠れば、衆議院議長/文部大臣を務めた灘尾弘吉自由民主党元代議士と親戚関係にあるとのこと。この件はテレビや雑誌でも本人が語っている。また三木武夫、福田赳夫といった政治家との交友もあり1986年の参議院選挙の際には出馬を打診されてもいるが、実現はしなかった。
* 1972年6月14日に起こった日本航空ニューデリー墜落事故で、客室乗務員だった実妹を亡くしている(事故直前、実家の本堂で睡眠中に誰も叩いてないはずの木魚の音に目を覚まさせられ、その直後に実妹の訃報が届いたという)。
* 本人が後に語ったところによると、1978年の落語協会分裂騒動で師匠圓生と行動を共にしたのは「師匠をおいて残れない」という理由から。圓楽は6代目圓生に「あたしが引退した後、お前が三遊派の総領として弟子を守っていくんでげすよ」と念を押されていた。圓生が引退している身であれば脱会はしなかったが(もともと、圓楽は騒動の原因となった真打昇進に関しては圓生と正反対の考え方を持っていた)当時圓生は78歳と高齢ながら現役を退いておらず師匠に逆らい自分が弟弟子と行動を共にすることなぞ出来ないと悟り、師匠と共に落語三遊協会を立ち上げたというわけである。もしあの当時圓生が引退していたならば、分裂はもちろん死後に第3の行動に出る事もなかったとされる。因みに分裂の過程では弟弟子三遊亭さん生・三遊亭好生が残留し脱落(結果破門された)。行動を共にした6代目三遊亭圓窓・三遊亭圓彌・三遊亭圓丈等の他の弟弟子は6代目圓生の死後落語協会に復帰している。
* 立川談志は「嫌い」と公言しているが、本当の意味での仲違いはしていない模様(と言うよりも、笑点開始以前から続く「悪友」関係とされる)。圓楽が本当に嫌っていたのは談志の師匠・5代目柳家小さんであったとされる(上述の分裂騒動時の落語協会会長であったため)。ただし分裂騒動時の小さんの行動について圓楽は一定の理解も示している上、小さんが会長に就任した直後に圓楽が「10年以上二つ目にとどまっている噺家達を真打に昇進させるべきだ」と小さんに進言もしている。
* 東京都江東区東陽町に自費で寄席「若竹」を設置。「噺家の純粋培養」を企て寄席に出られない圓楽一門の新たな活動場として用意したつもりであったが弟子達はその意に反して余興(上方でいう「営業」)等に精を出して肝心の「若竹」の出番を休んでいたりしたため、これを憤った圓楽は遂に「若竹」の閉鎖を決意。以降、圓楽一門は圓楽傘下の芸能社である星企画の取ってくる余興等にのみ活動の場を求めなければならなくなった。なお、不動産会社・永谷商事が東京都墨田区両国に設置した貸ホール「お江戸両国亭」では圓楽一門による定席が執り行われている。
* 二つ目の全生時代、火事場に余興に行って「『全焼』じゃシャレにならない」として断られたことがある。だが逆に、大相撲の春日山部屋を訪問した時は「全勝」で縁起がいいと歓迎された。
* 自身の証言によれば、3代目圓楽でありその名跡を持つ8代目林家正蔵は師匠圓生と最後までそりが合わなかったとされるが一方で圓楽は気に入られていたため、5代目圓楽を襲名させたとされる。なお8代目正蔵の自伝では「圓生が名前をくれというので襲名させた。『くれ』と言われりゃやらない訳にもいかない」といった表現になっている。
* 2008年には弟子の楽太郎に「弟子も誰も来ないのか…5代目圓楽の墓」とネタにされたことがある(元は歌丸死去ネタを遮られたため、師匠に置き換えたというだけである)が、既に十数年前に自身の墓を生前建立している(従って、弟子が墓参りに来なくとも不思議ではない)。いわゆる「寿陵」と呼ばれ生前に自身の墓を建立することは縁起のいいこととされるが自他共に認めるせっかちな性格もあり、他人の作った墓に入るよりは自身で早く作ってしまおうと考えたため自分の墓を建立したとのこと。楽太郎に6代目圓楽を継がせることについても、死んでから誰か解らないものに襲名させるよりは自分が健在であるうちに決めてしまおうというと言う意向から林家木久扇が子息に2代目木久蔵を襲名させたのに続く生前贈与になったとのこと。因縁めいているかもしれないが、上述のように木久扇の師匠・彦六は3代目圓楽を襲名していた時期がある。
o その他、木久扇つながりとしてかつて笑点で「親子大喜利」が行われたことがあり、当時のメンバーの子女とともに出演したがこの際、木久蔵(当時)の長女(40周年記念本では「さっこちゃん」と呼ばれていた)が圓楽の顔を見て怖くなって泣き出した事があった。

経歴

* 1955年(昭和30年)2月 - 6代目三遊亭圓生に入門、「三遊亭全生」(ぜんしょう)と名乗る。
* 1958年(昭和33年)3月 - 二つ目昇進。
* 1962年(昭和37年)10月 - 真打昇進し「5代目 三遊亭圓楽」襲名。
* 1966年(昭和41年)5月15日 - 『笑点』放送開始。第1回から出演。
* 1968年(昭和43年)- 日本テレビ系で主役のドラマ「笑ってよいしょ」放送開始。
* 1969年(昭和44年)3月30日 - 『笑点』降板。
* 1970年(昭和45年)6月21日 - 『笑点』復帰(復帰の際、弟弟子6代目圓窓を連れて来ていた)。
* 1977年(昭和52年)3月27日 - 『笑点』卒業(8月21日には弟弟子6代目圓窓も卒業している)。
* 1978年(昭和53年)6月1日 - 落語協会真打乱造事件で師匠圓生一門と共に落語協会脱退し、「落語三遊協会」創設。
* 1979年(昭和54年)9月3日 - 師匠圓生死去。
* 1980年(昭和55年)2月1日 - 圓楽一門以外の弟弟子達は全員落語協会復帰。「大日本落語すみれ会」に名称変更。
* 1983年(昭和58年)1月9日 - 4代目司会者として『笑点』復帰。 
* 1985年(昭和60年)
o 「大日本落語すみれ会」を「落語円楽党」、「落語ベアーズ」と次々と改称し「円楽一門会」に落ち着く。
o 3月 - 私財を投げ打って東京都江東区東陽に寄席「若竹」開館。
* 1989年(平成元年)11月25日- 経営難のため若竹閉館。
* 2005年(平成17年)
o 5月31日 - 六人の会が主催した「余一会」で27年ぶりに新宿末廣亭出演。
o 10月23日 - 人工透析のため通院していた病院で脳梗塞の症状が現れたため入院。
* 2006年(平成18年)5月14日 - 『笑点』勇退。高座復帰として9月に好楽の会で小咄、10月に鶴瓶の会で落語(『紺屋高尾』)をそれぞれ披露。
* 2007年(平成19年)
o 2月4日 - 「第23回浅草芸能大賞」大賞。授賞式で『芝浜』を口演、本格復帰表明。
o 2月25日 - 国立演芸場での「国立名人会」で復帰と同じ『芝浜』を口演後、現役引退表明。
o 4月1日 - 日本テレビ系列放送の『いつみても波瀾万丈』をもってテレビ出演引退。
o 7月15日 - 東京・銀座の中央会館で行われた「大銀座落語祭」のトークショーを、風邪による体調不良の為欠席した。圓楽の5ヶ月ぶり登場を待ち望んでいたファンも多かっただけに同祭を主催する「六人の会」の春風亭小朝、笑福亭鶴瓶、春風亭昇太、9代目林家正蔵、「笑点」で共演していた林家木久蔵(現:林家木久扇、電話で急遽呼びつけられたと高座での本人談)ら豪華メンバーが代演に駆け付けた。鶴瓶は「対談と思って着物を持ってこなかった」と浴衣姿で大先輩の穴を埋めた。結果、観客からの不満は漏れなかったという。
o 11月3日 - 旭日小綬章叙勲受章。
o 11月19日 - 胃癌発病による手術のため、慶應義塾大学病院入院。
o 12月16日 - 叙勲を祝う会に出演。
* 2008年(平成20年)
o 3月9日 - 円楽一門会新真打披露口上のため、『笑点』に出演。
o 4月 - 肺癌発病による手術を行う。
* 2009年(平成21年)10月29日 - 肺癌により東京都中野区の自宅で逝去。

『笑点』4代目司会者として

歌丸やこん平ともに第1回放送からのメンバーである。1977年3月27日に落語に専念するため番組を卒業したが、1982年12月8日に当時の司会であった三波伸介の急死に伴い1983年1月9日から司会者として番組に復帰した。しかし当人は、2回限りの臨時司会のつもりで引き受けたという(このためか司会就任後しばらくは様々な紋付を着ており、徐々に紺の色紋付に定着する)。

就任して暫くは答えの合間にその博識を生かした都々逸をよく披露していたり40分時代の初期には落語に専念していた時代に学んだ知識を生かし「よろずガイダンス」というコーナーで落語に纏わる話を披露していたが、徐々に出題、指名、座布団の差配など最小限の仕事に絞られていく。これは放送時間の短縮に加え、三波が司会をしていた頃の司会者の強烈なキャラクターを柱とした番組からスピーディーにやり取りする中からメンバーのキャラクターをクローズアップすることで司会者だけでなくメンバー全員を主役とする新しいスタイルに移行した結果である。司会就任後しばらくは視聴率面で苦戦を続けたものの、こうした番組作りの変化が功を奏し次第にかつてのような人気番組の地位を取り戻していった。

大喜利メンバー全員で一つのファミリーを形成しているとの考えを持ち、番組の空気やリズムになじむのに時間がかかるということでメンバーの入れ替えはほとんどやらなかった。23年間司会を務めながらその間に新加入した大喜利メンバーは三遊亭小遊三と林家たい平の2人だけ。1988年に弟子の三遊亭好楽が復帰してからはたい平が加入するまで16年間メンバーチェンジなしで通した。

歴代司会者としては最も長く務めていたが、2001年2月11日の放送で本来3問行われる大喜利を2問で終わらせようとしてしまった(ちなみにこの7年後に後任司会者の歌丸も同様の失敗を2回やってしまい、2008年2月10日放送の時は楽太郎に「あれをね、うちの師匠がやった後ああなったんですよ」とネタにされた。またさらに同年11月16日の放送でも同様の失敗をしている)。その後2005年10月13日に脳梗塞の症状が現われ入院し、10月16日分の放送を最後に番組を休養する事となった。2006年1月1日放送の新春14時間特番『大笑点』の終盤で久々のテレビ出演こそ果たしたものの、万全の体調ではなく無理を押しての出演であった。同年3月18日から笑点の収録に復帰したもののやはり体調が万全でなく、冒頭の案内部分のみで大喜利司会には復帰できなかった。5月14日放送分(4月22日収録)の放送開始40周年特番を最後に勇退し、歌丸に司会の座を正式に譲った。

『徹子の部屋』(テレビ朝日、2006年6月5日放送)にて落語家として引退はせず、後輩の指導にあたると発言した。また同年7月20日放送の『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ)では、林家木久蔵(現:林家木久扇)の応援としてVTR出演した。

2007年1月1日に放送の『大笑点』では、降板後では初めてゲスト出演。翌2008年3月9日には高座・テレビ引退後久々に弟子の真打昇進披露口上のため『笑点』出演となったが、体調を考慮して三本締めの音頭は惣領弟子三遊亭鳳楽が行った。

大喜利でのキャラクター

後任司会者の歌丸曰く「圓楽さんに逆らえる人間は落語界にはいない」とまで言われ、好楽・楽太郎ら弟子はもちろん他の落語家からも尊敬されているが「司会がうまい」などと揶揄されることもある。蛇足だが落語家に向かって「司会がうまい」と言うのは純粋な褒め言葉ではなく、裏に「落語は司会ほどうまくない」という含みがある。

* 大喜利メンバー時代初期は挨拶の際「湯上がりの顔です」と言い、一旦降板直前頃には「星の王子さま」と言っていた。復帰後は「落語の宣教師」「正義の味方」「ラベンダーマン」「ベルサイユのばら」「バンビちゃん」などもあった。
* メンバー時代に座布団10枚獲得した経験があるが、その内容は「イギリスに行って本場のダービーが見られるが、旅費は自腹(結局キャンセル)」「メンバーから胴上げされる(落とされて足をくじいた)」などのろくでもないものばかりだったという。
* 媚に弱く、大喜利メンバーが圓楽を称えるヨイショをすると「山田君、座布団持ってくるのが遅いんだよ!」や「山田君、こういう時はすぐに座布団を持ってくるもんだよ!」などと言う。
* 「ガハハ!」という豪快な笑い声が特徴で、木久蔵(現・木久扇)が与太郎(=バカ)ネタを披露すると決まって大笑いした後「バカだねぇ〜」とあきれる。また、歌丸が木久蔵の与太郎(=バカ)ネタを披露されたのを嘆き「ね、ね。換えようよぉ〜バカがうつるよぉ〜」と訴えられると「我慢しなさい。木久ちゃんはあれが持ち味なんです」とたしなめる。その一方で木久蔵が自らの落語や落語会の自虐ネタをやると「木久蔵さんの落語で笑わない奴はいない」とフォローを入れることもあった(圓楽が引退した後のインタビューで木久扇を「馬鹿を言ってスターになった。あのキャラクターを確立したのは大したものだ」と評価しているように、落語家としての木久扇の実力を認めているからこその発言である)。
o この笑い声は、座布団10枚の賞品になったことがある(2008年12月14日放送の「耳をすませば」)。獲得したのは、春風亭昇太。
* 外来語の発音を、「チーム(team)」でなく「ティーム」と発音するなど意識している。対して語りではタメのある江戸言葉を交え、『笑点』でも山田が座布団を運ぶ折に「座布団を“あげつかあさい”」(”つかあさい”→江戸言葉で「〜してください」)などと軽妙に話した。
* メンバーを指名する際は基本的に全員「さん」付けで呼んでいたが、答えのフォローの時などは長幼の序や自分との関係を重視してか歌丸には「歌さん」こん平には「こんちゃん」木久蔵には「木久ちゃん」と呼んでいた(3人ともメンバー時代の圓楽と大喜利で共演している)が他のメンバーには亭号抜きの「**さん」と呼んでいた。特に弟子の好楽・楽太郎には顕著である(司会担当当初、楽太郎は呼び捨てにしていた)。なお逆にメンバーが圓楽を呼ぶ場合、歌丸・こん平・木久蔵は「圓楽さん」、他のメンバーは「圓楽師匠」と呼んでいた。
* お下劣系(下ネタ・不潔ネタなど)を好まず小遊三のエロネタやこん平の肥溜めネタには「下品だよ〜」とあきれ、ひどい場合には「○枚(あるいは全部)持っていきなさい」と言っていた。
* 山田罵倒ネタが出た際は「山田君、任せます」と山田に委ねる事が多い。また「○○さんの一枚とって、(その座布団を)○○さんにあげなさい」というパターンもあった。
* 指名してから名前が出るまでに(明らかに名前が出て来ない)間が空く事や新メンバー(当時はこん平の代理)のたい平に「誰だっけ?」と名前を忘却したことなどが大喜利のネタとされた(なお後任の歌丸も誤ってたい平を「こん平さん」と呼んだり改名後の木久扇に対して「木久蔵さん」と呼ぶなどしてネタにされている)。
* 他にも司会奪還、居眠りや若竹などがネタとなる(特に歌丸や楽太郎、降板した現在でも使用している)。
* オープニングで憲法改正やサマータイム導入を訴えるなど、保守派・右派的視点からの時局的発言も度々見られた。

現役引退

2007年2月25日に落語会「国立名人会」の後の記者会見で現役引退を表明した。圓楽はこの高座に自分の進退をかけ本番の半年前から稽古をして臨んだが口演後、その出来に納得がいかずに引退を決意した。弟弟子の6代目圓窓が「まだやれるじゃないの。高座に上がらない圓楽兄さんなんて考えられない」などと説得をしたものの決意は固かった。引退記念の高座が予定されていない事から、この日演じた『芝浜』が最後の高座となった。

また2007年4月1日放送「いつみても波瀾万丈」の出演を以って、テレビ出演の引退も表明した(2008年3月9日放送『笑点』には弟子の真打昇進披露口上のため出演した)。なお、日本香堂のCMは1967年から2009年まで出演を継続していた。生前の圓楽の言によれば「ギャラ貰ってるからね」という理由でCMのみの出演を続けていたとのことであった。

2008年8月、愛弟子の楽太郎に6代目圓楽の名跡を襲名させることが明らかとなった(木久扇による、子息の2代目木久蔵襲名以来となる生前贈与)。当代圓楽は「私はもう落語家を引退した身ですから」として楽太郎の6代目圓楽襲名後は落語界から完全に引退し、隠居することを表明していた。名前については三遊亭を名乗らずに本名の「吉河寛海」に戻す事を明らかにしたが、「師匠が落語家でなくなってしまうのは嫌だ」という楽太郎の反対により「5代目圓楽」「6代目圓楽」とを並立させる予定であった。だが2010年春に予定されていた楽太郎の圓楽襲名前に亡くなった為、2代の圓楽揃い踏みは叶わぬ夢に終わった。

弟子

(香盤順)

* 三遊亭鳳楽
* 三遊亭好楽(元は林家彦六の弟子だが、師匠彦六死去後に圓楽一門に移籍)
* 6代目三遊亭圓橘(元は3代目三遊亭小圓朝の弟子だが、師匠小圓朝死去に伴い圓楽一門に移籍)
* 三遊亭楽太郎 - 2010年2月に6代目圓楽襲名予定。
* 三遊亭楽之介
* 三遊亭貴楽
* 三遊亭小圓楽
* 三遊亭喜八楽
* 三遊亭五九楽
* 三遊亭楽麻呂
* 三遊亭圓左衛門
* 三遊亭道楽
* 三遊亭栄楽
* 三遊亭とん楽
* 三遊亭楽春
* 三遊亭洋楽
* 三遊亭真楽
* 三遊亭竜楽
* 三遊亭良楽
* 三遊亭愛楽
* 三遊亭京楽
* 三遊亭全楽
* 三遊亭神楽
* 三遊亭上楽
* 三遊亭圓福(福楽改め)
* 三遊亭大楽
* 三遊亭王楽(三遊亭好楽の息子、圓楽の引退に伴い最後の弟子になる)

1. 現在門下のみ。孫弟子は円楽一門会を参照。
2. 7代目三遊亭圓好は当初は圓楽門下に入門して三遊亭甘楽と名乗っていた。しかし、後に大師匠である6代目圓生に前座がいなかったため圓生門下に移籍している。その後も圓楽の弟子として復帰することなく、6代目圓生の直弟子として振る舞った(6代目圓生死後、圓楽以外の他の弟子とともに落語協会に復帰)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E
9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E6%A5%BD_
(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)





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2009年10月26日

しゃぶP初公判 動画あり

酒井被告に懲役1年6月求刑…判決は11月9日

 覚せい剤取締法違反の罪に問われた女優で歌手、酒井法子被告(38)の初公判で、検察側は26日、懲役1年6月を求刑した。公判はこの日で結審し、判決は11月9日午前11時に言い渡されることが決まった。

 この日午後1時半から東京地裁(村山浩昭裁判官)で開かれた公判で、酒井被告は罪状認否に「間違いありません」と起訴事実を全面的に認めた。

 公判で検察側は、酒井被告が4年前に夫から勧められて覚せい剤に手を出し、月に1、2度の割合で使用していたことを明らかにした。酒井被告はこれを認め、今後の更生のために「夫(高相祐一被告)と話し合い、私としては離婚し」と語り、離婚する考えを涙ながらに訴えた。また今後の生活のため、介護の勉強をしていくとも述べた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091026-00000508-sanspo-ent



酒井法子被告「介護学びたい」「離婚して更生」

 覚せい剤取締法違反(所持、使用)に問われた元女優の酒井法子(本名・高相法子)被告(38)の初公判が26日午後、東京地裁(村山浩昭裁判官)で開かれた。

 酒井被告は、罪状認否で「間違いありませんか」と聞かれ、「ありません」と述べて起訴事実を認めた。検察側は「数年にわたり多数回覚せい剤を使用しており、厳罰に処すべきだ」と述べ、懲役1年6月を求刑した。公判は結審し、判決は11月9日。

 酒井被告は黒の上着、スカートという姿で出廷。村山裁判官から職業を尋ねられると、「無職です」と答えた。

 続く冒頭陳述で検察側は、酒井被告が4年前頃から夫に勧められて覚せい剤の使用を始め、昨年夏頃から継続的に使うようになったと主張。起訴された鹿児島県・奄美大島での使用については、夫から「あるから吸っていいよ」と勧められ、ホテルのバスルームで覚せい剤をあぶって吸ったとした。

 証人尋問には、酒井被告が所属していたサンミュージックの相沢正久副社長(60)が出廷。弁護人から出廷した理由を問われ、「被告が14歳の頃から一緒にやってきて、四半世紀にわたり父親代わりだった。契約を解除しても情を断ち切るのは難しい」と話すと、酒井被告のほおを涙が伝った。

 酒井被告は被告人質問で弁護人から、今後の生活について問われ、「まずは覚せい剤を確実にやめることが大切。介護を学び、仕事で生かしていきたい」。夫の高相祐一被告(41)(公判中)との関係については「離婚をしてお互いに更生する努力が必要だと思います」と述べた。

 酒井被告は最終意見陳述で、「私の軽率な行いで、多くの方に迷惑をかけ、申し訳ありません。2度と使用することがないよう、信頼を取り戻せるよう頑張ります」と言葉をかみしめるように語った。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/
20091026-OYT1T00809.htm



酒井法子被告:懲役1年6月求刑 判決は11月9日

 覚せい剤取締法違反(使用・所持)に問われた女優、酒井法子(本名・高相(たかそう)法子)被告(38)に対する26日の東京地裁(村山浩昭裁判官)の初公判で、検察側は懲役1年6月を求刑した。弁護側は執行猶予付き判決を求め、公判は即日結審した。判決は11月9日。

 検察側は論告で「著名な芸能人としての社会的立場を顧みず、強い非難に値する」と指摘した。

 酒井被告は、この日の初公判で「(間違いは)ありません」と起訴内容を全面的に認めた。起訴状によると、酒井被告は7月30日ごろ、鹿児島県奄美大島のホテル客室で覚せい剤若干量を火であぶって吸引し、8月3日に東京都港区の自宅マンションで覚せい剤約0.008グラムを所持していたとされる。

http://mainichi.jp/select/today
/news/20091026k0000e040084000c.html?link_id=RTH02















男は弱く、女は強い。高相祐一は弱いが、法子は強い。
離婚しなければ、高相祐一も更生する可能性もあるだろうが、夫婦揃って再犯の可能性もある。離婚すれば酒井法子は更生できるだろうが、高相祐一は野垂れ死に。

ま、どっちにしても数年後には芸能界復帰を狙ってるんだろう。星の金貨の頃より、演技力は格段に上がってるし。
復帰をホントに考えていないなら、すっぴんで裁判所に現れても良いだろう。




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2009年10月21日

南田洋子さん死去 動画あり

女優の南田洋子さんが死去 「太陽の季節」おしどり夫婦

 くも膜下出血で東京都内の病院で入院中だった女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名・加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日、死去した。76歳。東京都出身。通夜や告別式の日取りは未定。夫は俳優、長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫=かとう・あきお)氏。

 昭和27年、映画「美女と盗賊」でデビュー。翌28年、同期の若尾文子さんと共演した「十代の性典」のヒットで「性典女優」として人気を集めた。

 30年に日活に移籍。31年、石原慎太郎原作の「太陽の季節」のヒロイン役で一躍、看板スターとなる。この映画で初共演した長門さんと、36年に結婚した。

 38年、「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞を受賞。映画ではほかに「近松物語」「幕末太陽伝」「わが町」など。

 39年に夫の長門さんとともに「人間プロダクション」を設立して、後進の育成とドラマ制作に乗り出す。テレビドラマにも意欲的に出演し、40年、NHK「紀ノ川」で日本放送作家協会賞最優秀女優賞を受賞。舞台でも活躍した。

 「おしどり夫婦」として知られる長門さんとペアでフジテレビ「ミュージックフェア」の司会を16年間担当。アットホームな雰囲気が人気を集めた。交通遺児奨学金のチャリティー活動も長年続けたほか、平成10年には義父の介護体験をつづった「介護のあのとき」を出版。講演なども行っていたが、平成18年に引退。「認知症の兆候がある」と診断され、自宅で長門さんの献身的な介護を受けていた。20年11月には夫妻に密着したテレビのドキュメンタリー番組が放送され、大きな反響を呼んだ。

 今月17日に自宅で倒れて病院に搬送され、手術を受けていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20091021-00000583-san-soci



訃報:南田洋子さん76歳=女優、「太陽の季節」主演

 「太陽の季節」など数多くの映画やテレビドラマで活躍し、俳優の長門裕之さん(75)との“おしどり夫婦”で知られた女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名・加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日午前10時56分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。76歳。葬儀の日取りなどは未定。

 東京出身。1951年、大映にニューフェースとして入り、映画「美女と盗賊」(52年)でデビュー。同期の若尾文子さんと共演した映画「十代の性典」(53年)で、売春する女子高校生を演じて注目された。

 55年、日活へ移籍。腸の病気で入院していたとき、石原慎太郎さんの小説を読んで感動し、日活幹部に映画化を進言した。この「太陽の季節」(56年)で長門さんと主役の男女を演じ、作品は大ヒット。初めて共演した2人は看板スターとなり、61年に結婚した。映画「サムライの子」(63年)ではブルーリボン助演女優賞を受賞。

 64年、長門さんと「人間プロダクション」を設立。その後はテレビへの出演が多くなった。NHKドラマ「紀の川」で日本放送作家協会賞・最優秀女優賞。また、65年から81年まで夫婦でフジテレビ系の音楽番組「ミュージックフェア」の司会を務めた。

 98年、長門さんの父で俳優の沢村国太郎さんを介護した経験をまとめた著書「介護のあのとき」を出版した。2005年ごろから認知症の症状が出始め、06年に芸能活動を休止。長門さんの献身的な介護が話題を集めたが、10月17日にくも膜下出血のため入院し、人工呼吸器を付けた状態になっていた。
 ◇優しい人だった

 ▽俳優の宍戸錠さんの話 私が日活にニューフェースで入社した翌年、洋子ちゃんが移籍してきた。かわいくて健康で丈夫そうだった。その時すでにスターだったが、共演した俳優やスタッフに豪華なものを差し入れたり、ずいぶん気を使っていた。その後も「優しい人」という印象は変わらなかった。日活で女優として開花し、計算された演技をきちんとして成功した人だと思う。

http://mainichi.jp/enta/geinou
/news/20091021k0000e040084000c.html








南田 洋子

(みなみだ ようこ、本名:加藤 洋子、旧姓:北田、1933年3月1日 - 2009年10月21日)は東京市芝区(現・東京都港区)三田出身の元女優である。茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)卒業。夫は長門裕之。義弟は津川雅彦、義妹は朝丘雪路。夫の姪は真由子、従兄弟の娘は山田よう子。血液型A型、身長155cm。

人物・略歴

東京市芝区三田に米穀商の娘として生れる。母親は日本舞踊の師匠をしていた。終戦後、茨城県土浦市に移り1951年、茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)を卒業後、単身上京する。伯父の家に下宿して知人の紹介で水谷八重子に弟子入りする。その後大映にニューフェイスとして入社。同期に若尾文子がいた。同年の『美女と盗賊』で映画デビュー。1953年、若尾と共演した『十代の性典』が大ヒットし、注目される。その後シリーズ化され、「性典スター」として人気を博する。1955年、大映から日活に移籍。若尾の進言により、芥川賞を受賞した話題作『太陽の季節』が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。1963年、『サムライの子』でブルーリボン助演女優賞を受賞。

1964年、長門とともに「人間プロダクション」を設立。太田博之、島かおりなどを育てると同時にドラマ制作にも乗り出す。この時期よりテレビドラマへの出演も多くなり、NHKの『紀ノ川』(1965年)で「日本放送作家協会賞女性演技賞」を受賞。

また、俳優としての活動以外にも長門と2人で『ミュージックフェア』の司会を1965年から約16年間担当した。他にも京都放送の交通遺児募金キャンペーン『かたつむり大作戦』のメインパーソナリティーを、20年以上担当するなど多彩な活動をしていた。

さらに1978年10月から1979年9月までの約1年間、病気で降板したうつみ宮土理の後を継いで『クイズダービー』の4代目2枠レギュラー解答者としても出演する。しかし洋子の正答率は2割1分7厘(平均2勝7敗ペース)とあまり高くなく、過去の2枠レギュラーの中ではワースト2位だった(ワースト1位は井森美幸の2割0分8厘)。当時の2枠レギュラーはベテラン女優が入っていたが、彼女のみ1枠の篠沢秀夫より1つ年上と当時のレギュラーメンバーの中では最年長であった(篠沢は同年6月生まれと1学年下。大抵は篠沢が最年長)。洋子のレギュラー降板後は、同じくベテラン女優の長山藍子が務める事となる。

建築家の一面も持ち、十数年毎の自宅建て替えの際は洋子が自ら図面を引いていた。建て替えの度に、建設費用の高額さと建て替えまでの期間の短さがワイドショーで取り上げられている。長門は「まだ住めるのに」とインタビューで不満を漏らすことがあったが、「洋子の趣味だから仕方ない」と許容する度量を見せている。

1998年には、舅・沢村國太郎の介護の経験を中心に綴った『介護のあのとき』を出版し評判となる。2004年頃から認知症の症状が出現し始め、2006年に芸能活動を引退。専門医によりアルツハイマー病との診断が下された。その後『報道発 ドキュメンタリ宣言』で長門との2人の闘病模様が放映された。

2009年4月1日、意識混濁状態となり救急車で都内の病院に緊急入院(同月18日に退院)。長門は記者会見で「混濁した中でも、僕を一瞬認めて笑った気がします」と涙を浮かべながらも気丈に、洋子の状況についてコメントした。しかし同年10月17日、クモ膜下出血と診断され都内の病院に再入院、危篤状況が続いていたが10月21日に意識が戻らず亡くなった。76歳没。

主な出演

テレビドラマ

NHK

* 横堀川(1966年) - 多加 役
* 虹(1970年) - 三谷かな子 役
* 風の隼人(1979〜1980年) - 由羅 役
* よーいドン(1982〜1983年) - 時田せい 役
* 宮本武蔵(1984〜1985年) - さわ 役
* ドリーム〜90日で1億円〜(2004年) - 大河内しのぶ 役
* わかば(2004〜2005年) - 村上のぶ 役

TBS

* 赤い衝撃(1976〜1977年) - 新田文子 役
* ひまわりの歌(1981年)
* スチュワーデス物語(1983年) - 村沢冬子 役
* 織田信長(1989年) - お市の侍女 役
* 天までとどけ(1991〜1999年) - 是枝マキ 役
* 水戸黄門
o 第25部 第33話「姑ふたりの嫁いびり・角館」(1997年)
o 第34部 第15話「姑から逃げた嫁の秘密・新庄」(2005年)
* 月曜ミステリー劇場
o 「外科医零子」(2001年) - 水色加奈子 役
o 「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記 ゴミは殺しを知っている」(2003年) - 小野寺雪子 役

日本テレビ

* 花咲け花子(1983年)
* セーラー服反逆同盟(1986年)
* 白虎隊(1986年) - 間瀬まつ 役
* 風林火山(1992年) - お福 役
* ナースマン(2004年) - 進藤きよ 役
* おとなの夏休み(2005年) - 蔵田ふね 役
* ごくせん(2005年) - 松原 役
* 戦国自衛隊(2006年) - おせつ 役
* 火曜サスペンス劇場
o 「情状鑑定人」(1988年9月)
o 1989年6月の花嫁シリーズ3「ウエディングベルが聞こえる」(1989年6月17日放送)
o 「小京都ミステリー」(1995年) - 富田ハナ 役
o 「ひとことの罪」(1999年) - 八代ノブ 役
o 「弁護士・朝日岳之助」(2004年) - 新山絹代 役
o 「北ホテル2」(2004年) - ※夫・長門裕之と共演

よみうりテレビ

* いのち草(1990年)
* 失楽園(1997年) - 江藤邦子 役

フジテレビ

* 若者たち(1966年)
* 銭形平次(1980年) - お篠 役
* 妻たちの劇場・泣きっ面に姑II(1991年6月 - 7月)
* 金曜エンタテイメント
o 「お局探偵亜木子&みどりの旅情事件帳」(1977年) - 小池朝子 役
o 「着物デザイナー 黛涼子の推理紀行」(2002年)
o 「浅見光彦シリーズ」(2003年) - 結城綾乃 役

関西テレビ

* 大奥(1968年) - お琴 役
* 徳川おんな絵巻(1971年) - 中野竹子 役

東海テレビ

* 乱れる(1965〜1966年)
* 乱れそめにし(1970年)
* その時がきた(1972年)
* テネシーワルツ(1974年)
* 嵐の庭(1976年)
* 砂の城(1997年) - 磐城彩 役

テレビ朝日(旧NET)

* 続・氷点(1971〜1972年) - 辻口夏枝 役
* 野菊の墓(1977年) - 斉藤ふき 役
* 家族ゲーム(1982年・1984年)
* 若大将天下ご免! 第33話「人斬り小太郎封印破り」(1987年) - お万 役
* ニュータウン仮分署(1988年)
* はぐれ刑事純情派 第4シリーズ 第17話「湯煙り北陸路安浦刑事の婚前旅行!?」(1991年)
* セールスレディは何を見た(1993年) - 松井晴江 役
* 新・京都迷宮案内(2005年) - 木村ひさ乃 役
* 土曜ワイド劇場
o 「家政婦は見た!」(1989年) - 種村サダ 役
o 「タクシードライバーの推理日誌」(1994年) - 若宮承子 役
o 「温泉若おかみの殺人推理」(1994〜1995年) - 女将 役
o 「探偵事務所」(1996年) - 勝山華子 役
o 「警視庁女性捜査班」(1999〜2003年) - 坂本公子 役
o 「家政婦は見た!21」(2003年) - 中島春子 役
o 「ラーメン刑事「龍」の殺人推理」(2005年)

ABCテレビ

* 助け人走る 第35話「危機大依頼」(1974年)
* 暗闇仕留人 第13話「自滅して候」(1974年) - ちづ 役

テレビ東京

* 月曜・女のサスペンス「笛吹けば人が死ぬ」(1989年4月) - 絵奈 役
* 付き馬屋おえん事件帳 第1シリーズ 第12話「過去から来た女」(1990年) - 丁子屋の女将 役
* 北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる(2003年) - 蓮池ハツイ 役
* 上を向いて歩こう〜坂本九物語〜(2005年) - 大島せい 役

WOWOW

* 祖国 (テレビドラマ)(2005年) - 守谷セキ 役

映画

* 近松物語(1954年) - お玉 役
* 薔薇いくたびか(1955年) - 松島光子 役
* 太陽の季節(1956年) - 武田英子 役
* 幕末太陽傳(1957年) - こはる(女郎) 役
* 拳銃無頼帖シリーズ(1960年) - スミ 役
* 豚と軍艦(1961年) - 勝代 役
* 伊豆の踊子(1963年) - お咲 役
* 青い山脈(1963年) - 梅太郎 役
* 次郎長三国志(1963〜1965年) - お園 役
* 続・拝啓天皇陛下様(1964年) - 美理 役
* 智恵子抄 Portrait of Chieko(第40回アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品、1967年) - 椿和子 役
* 樺太1945年夏 氷雪の門(1974年) - 安川房枝 役
* ハウス(1977年) - おばちゃま(オシャレの伯母) 役
* 零戦燃ゆ(1984年) - 浜田イネ 役
* 星の牧場(1987年)
* 雪のコンチェルト(1991年)
* 極道の妻たち(1996年) - 杉岡武子 役
* 理由(2004年) - 石田キヌ江 役
* 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年) - 団地のおばさん 役
* ひいろ(2007年) - ※現役最後の作品

バラエティー番組

* 東芝ファミリーホール特ダネ登場!?(1970〜1979年)
* ミュージックフェア(1965〜1981年) - 司会
* クイズダービー(1978〜1979年) - 4代目2枠レギュラー
* かたつむり大作戦(1976〜2005年) - 主催
* 徹子の部屋
* スタジオパークからこんにちは
* 笑っていいとも! テレフォンショッキング・ゲスト
* ライオンのごきげんよう
* いつみても波瀾万丈

CM

* サンスター ソルトサンスター(現在は絶版) - 夫の長門と共演
* 服部家具 - 中京広域圏ローカルCM(現在は自己破産


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%
8D%97%E7%94%B0%E6%B4%8B%E5%AD%90



一人の年老いた女優の死と、単純には捕らえられない出来事です。長門裕之さんも若いころ散々苦労を掛けた罪滅ぼしみたいなことを言ってました。うちも苦労掛けてるからなぁ。。。
でもそんな庶民的な気持ちとは裏腹に、この高齢化社会の中での老々介護の実態。身につまされます。




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