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2008年10月11日

GM クライスラーを買収か?

GM、クライスラーの買収交渉か 経営難からの脱却目指し

米紙ウォールストリート・ジャーナルなど米メディアは11日、経営が悪化する米自動車大手、ゼネラル・モーターズ(GM)が同業大手クライスラーの買収に向けて予備交渉に入ったと報じた。交渉の経緯に詳しい消息筋の情報として伝えた。米大手3社はいずれも厳しい経営局面にあり、大型再編で危機を乗り越える戦略ともみられる。

クライスラー親会社の米投資ファンドのサーベラスが、GMに対しクライスラーの買収を持ち掛け、GMの関連金融会社GMACの保有株をサーベラスへ売却することを条件にしたという。サーベラスはGMACの株式51%を保持している。

ただ、最近の国際金融危機を受け、買収交渉はとん挫しているとも伝えた。危機が収まり次第、再開の見込みだという。

米紙ニューヨーク・タイムズによると、買収交渉は1カ月前以上に開始。同紙は、買収が成立する可能性は「半々」としている。GMの報道担当は、他の自動車メーカーとは相互に関心のある問題を常に話し合っているとだけ語った。

買収が仮に実現すれば、米大手3社のうちの2社による巨大合併となり、世界最大級の自動車会社の誕生となる。両社とも北米市場での新車販売台数が今年9月までの累計で前年同期比で激減している。

クライスラーは1998年、独自動車大手ダイムラー・ベンツと合併してダイムラークライスラーとなった。業績不振を受け、ダイムラーがクライスラー部門の売却を決め、2007年にサーベラスが買収した。

http://www.cnn.co.jp/business/CNN200810110011.html

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ビッグ3が2に? GMとクライスラーが合併交渉 米紙

11日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、米自動車最大手のゼネラル・モーターズ(GM)と大手クライスラーが合併に向けて協議を続けていると報じた。金融危機と景気低迷の影響で販売不振と資金繰り難に悩むGMが、合併によって生き残りを目指すもので、実現すれば、フォード・モーターと合わせて「ビッグスリー」と呼ばれる米自動車3大メーカーが2社に集約され、市場の勢力図を大きく変えることになる。

 同紙によると、協議は予備的段階のもので、GMとクライスラーの親会社の投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントとの間で、1カ月前から開始した。上級役員を含めた協議が数回開かれ、結果が出るまでに数週間かかる見通しで、交渉に近い筋は同紙に対し、実現の確率は「5分5分」と語った。

 サーベラスはGMと並行して、日産自動車・仏ルノーとも協議を続けているという。

 GMとクライスラーは、主力であるSUV(スポーツ用多目的車)や小型トラックの販売がガソリン高や景気低迷の影響で急落。特にGMは株価急落や格付けの格下げが続くうえに、拡大する金融危機の影響で、資金繰りが急速に悪化。市場では「破産法適用申請」の観測が流れ、同社が否定のコメントを発表するなど経営不安が広がっている。

 クライスラーとの合併が実現すれば、米市場で約35%のシェアとなり、2位のトヨタ自動車を引き離すことになる。ただし、共通の経営課題を抱える両社の合併には「巨大なリスク」(同紙)も指摘され、協議の行方は流動的とみられる。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/
081011/amr0810111307011-n1.htm


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2008年10月10日

ノーベル平和賞はマルッティ・アハティサーリ氏

アハティサーリ氏ノーベル平和賞=旧ユーゴやアチェで和平調停−「傑出した仲介者」

ノルウェー・ノーベル賞委員会は10日、2008年のノーベル平和賞を、旧ユーゴスラビアやインドネシア・アチェなどで和平の調停役を務めたマルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領(71)に授与すると発表した。同委員会は、アハティサーリ氏が「国際紛争の解決に尽力し、アルフレド・ノーベルの(平和賞創設の)精神である世界平和の向上と『国家間の友愛』を強めることに貢献した」と評価した。
 同委員会は、同氏が30年以上にわたり、国際紛争の仲介で「重要な役割」を果たし続けてきたと指摘。不屈の努力により優れた成果をもたらした功績は、国際紛争で調停が果たし得る役割の模範を示したとして、同氏を「傑出した国際紛争の仲介者」と称賛した。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20081010-00000127-jij-int


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今年6月の産経の記事。。。

アハティサーリ・前フィンランド大統領の原点とは

 マルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領(70)。インドネシア・アチェ和平合意やコソボ独立問題をはじめ数多くの和平交渉を仲介し、ノーベル平和賞の候補にもあがるなど、その名はつとに知られている。国際社会がアハティサーリ氏を必要とするのは、困難な交渉を結実させる彼の手腕ゆえだが、北欧のフィンランドという国家の生き方とも無縁ではない。このほど訪日した同氏へのインタビューを通じ、原点を探った。

  (田北真樹子)

 経歴には、手がけた和平交渉が並ぶ。その端緒は1973年、彼が36歳のときにさかのぼる。駐タンザニア大使として赴任するや、ナミビアの独立に動く南西アフリカ人民機構(SWAPO)や、周辺諸国との関係を構築していく。当時、ナミビアは南アフリカに不法占拠されていた。

 アハティサーリ氏の行動は国連の目にとまる。在ナミビア国連事務総長特別代表に指名され、交渉をまとめあげた。「時間をかけて国連組織の中からいい人材を集めた」と振り返るが、それ以上に大使時代に築いたSWAPOなどとの人脈がモノをいったのは間違いない。「国連が成功を収めた活動の一つ」と自ら胸を張るこの事例は、「アハティサーリ」の名を一躍有名にした。

 約30年間に1万5000人以上が犠牲になったアチェ紛争をめぐる和平交渉は、皮肉なことに、多くの犠牲者を出した2004年のインド洋大津波に後押しされた。アチェも被災し「平和がなければ復興支援で寄せられた支援金などを使うこともできない、と皆が気づいた」と振り返る。インドネシア政府と独立派武装組織「自由アチェ運動」(GAM)は一転して和平に前向きとなり、翌年、合意に至った。アハティサーリ氏が調停に従事してからわずか7カ月ほど。その早さは「例外的だった」。

 昨年、セルビアからの独立を目指すコソボの地位をめぐる仲介案をまとめた。だが、ロシアなどの反対に遭い、交渉は決裂した。結果的にコソボは今年2月に独立したが、「仲介は失敗だったのではないか」と聞くと、「ノー。これは成功話だ。誰も独立を奪うことはできない」と反論した。

 仲介交渉は一筋縄ではいかず、時間との戦いでもある。

 「交渉を当事者だけに任せていても結果は出ない。仲介者は当事者たちの狙いを知った上で、結果をある程度見通さなければいけない。そしてテーマを選別し、選別されたテーマだけを協議することだ」

 アハティサーリ氏の交渉スタイルの原点がここにある。「人は時として率直にならなくてはいけない」「難しいことを、相手を不快にさせずに言う方法は何か」という彼の言葉からは、交渉術の一端がうかがえる。「成功は決して一個人の力によるものではない」と、チームワークの重要性も強調する。

    ■ ■

 アハティサーリ氏の活動の源は、その生い立ちとも無関係ではない。

 現在ロシア領のカレリア地方(旧フィンランド・ビープリ)で生まれた。39年のソ連・フィンランド戦争の勃発(ぼつぱつ)で、父を前線に取られ、母と国内で戦火を逃れた。「私自身が国内避難民だった。もうあの土地には戻れないから“永遠の避難民”だ。自分の将来を考え始めたとき、同じような境遇の人たちを助けてあげたいと思った」と語る。

 旧ソ連と国境を接するフィンランドは、隣国のスウェーデンと同様に伝統的に中立政策をとり、現在も北大西洋条約機構(NATO)に加盟せず軍事的な非同盟政策を維持している。こうした土壌が、フィンランドを国連平和維持活動(PKO)や和平交渉の仲介へと向かわせ、国際的な地位の向上に結びついている。アハティサーリ氏の活動も、同じ文脈でとらえることができるだろう。

 2000年の大統領退任と同時に、和平仲介を担う非政府組織(NGO)「危機管理イニシアチブ」をヘルシンキに設立し、和平交渉の場に舞い戻った。最近は、イラク国内の宗教・部族対立の仲介交渉を手がける。当事者をヘルシンキ郊外のマンションに集めて交渉している。

 「政府が私たちのようなNGOを利用するのはいいことだ。成功すれば名誉は共有する。だが、失敗すれば責任を取るのはこちらでいいんだ」

    ◇

マルッティ・アハティサーリ氏 1965年にフィンランド外務省に入省。78年から90年まで在ナミビア国連事務総長特別代表としてナミビア独立(90年)に尽力した。94年から2000年までフィンランド大統領。その後、英領北アイルランドのカトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)の武器査察官、イラク派遣の国連職員の安全保障に関する独立委員会委員長、インドネシア・アチェの和平調停に従事。セルビア南部コソボ自治州の最終的地位をめぐる交渉では、国連事務総長特使(05〜08年)として調停にあたった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/
080606/crm0806061852035-n1.htm





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posted by zara at 22:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米国 北朝鮮テロ指定を10日にも解除

米、北の「テロ指定」を10日にも解除の方針

米政府は9日、ワシントンで次官級協議を開き、米朝協議でまとめた核検証の妥協案を基に、北朝鮮に対するテロ支援国指定の解除に踏み切る方針を固めた。米政府高官が本紙に明らかにした。

 日本など関係国と調整後、ブッシュ大統領が最終決定するが、早ければ10日中にも発表され、即日解除される見通し。日本などは慎重な対応を求めているため、発表がずれ込む可能性もある。

 高官によると、妥協案は、核計画申告の検証の対象を北朝鮮が6月に提出した核申告で触れている寧辺(ヨンビョン)の核施設に当面絞るもので、当初求めていた未申告の核兵器や高濃縮ウラン計画、シリアへの核協力の実態解明は事実上先送りされる。

 協議は9日朝、ホワイトハウスで開かれ、国務省や国防総省、情報部門の次官級が出席した模様。高官は「10日にも発表されるだろう」と述べた。ライス国務長官は9日、「現状を検討し、議論している。今後、数日間、推移を見守る」と述べた。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081010-
OYT1T00432.htm?from=navr



北朝鮮、核実験の兆候…米メディアが報道

米ABCテレビ(電子版)は9日、複数の米政府当局者の話として、北朝鮮が2006年10月以来となる核実験を準備している兆候を米情報当局が把握したと報じた。

 過去2週間に撮影した人工衛星の画像で、核実験場と疑われる施設にトンネルの掘削や大型ケーブルの移動が映っているという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20081010-00000027-yom-int



これは北の揺さぶりか?


外相「北朝鮮へのテロ支援国家指定解除、米側から連絡ない」

 中曽根弘文外相は10日の閣議後の記者会見で、米国による北朝鮮へのテロ支援国家指定解除について「米国が最終判断する前に我が国に話があるだろう」と述べ、米側から解除の連絡がまだ来ていないことを明らかにした。河村建夫官房長官も記者会見で「現時点で米国側から10月中に解除するとの公式な連絡は来ていない」と表明した。

 北朝鮮の核計画検証に関する今月初めの米朝協議の内容に関し、中曽根外相は9日に面会したシーファー駐日米大使に「まだ確認すべき点が残っていると伝えた」という。河村長官も「いま米国内部で検証がなされているのではないか」と指摘した。

 中曽根外相は日本人拉致問題で進展がないままにテロ指定が解除される可能性に関して「核問題の解決に満足できるものであれば、それはそれで私はよろしいのではないか」と語った。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji
/20081010AT3S1000T10102008.html



日本の外務省は何にも知らないのねぇ。。。それとも知らない振りなのかしら???

でも、何でこんな時に。。。ブッシュの最後っ屁?




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posted by zara at 19:54| Comment(0) | TrackBack(8) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

アフガン軍増強費 嘘を言ってるのは誰?

アフガン軍増強費日本にも

アメリカ国防総省が、治安情勢が著しく悪化しているアフガニスタンの軍の増強にかかる費用を、今後5年間で少なくとも170億ドル、日本円にしておよそ1兆7000億円と見積もり、日本を含む同盟国に対して、その費用の一部を負担するよう、非公式に要請していることが明らかになりました。

これは、アメリカ国防総省のモレル報道官がNHKの取材に対し明らかにしたものです。この中で、モレル報道官は、アフガニスタンの治安情勢を安定させるには、できるだけ早くアフガニスタン軍の兵力の規模を拡大し、治安維持の能力を向上させる必要があるとしています。具体的には、今後5年間で軍の規模を現在の2倍の13万4000人まで増やす必要があるとしており、そのためにかかる費用を170億ドルから200億ドル、日本円にしておよそ1兆7000億円から2兆円と見積もっていることを明らかにしました。そして、モレル報道官は、アメリカの同盟国の中でも、アフガニスタンに戦闘部隊を派遣していない国には財政的な貢献を行ってほしいとして、日本を含む幾つかの同盟国に対して、こうした費用の一部を負担するよう、非公式に要請していることを明らかにしました。モレル報道官は、この要請は過去数か月の間に行われたとしていますが、日米両政府の間で具体的にどのようなやり取りが行われているかなどは明らかにできないとしています。河村官房長官は、午前の記者会見で「アメリカが日本政府に対し財政的な負担を要求したという事実は承知していない。ただ、アメリカを含む国際社会から日本に対し、アフガニスタンへの支援を強化してほしいという期待が存在しているのは事実だ。政府としては、治安テロ対策と人道復興支援を車の両輪として、引き続きできるかぎりの支援を行っていく方針に変わりはない」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10014626741000.html#


【官房長官会見(2)】アフガン国軍育成170億ドル支援要請「日本への要求、承知していない」(9日午前)

【アフガニスタン支援】

 −−アフガンに関連してアメリカの国防総省がアフガニスタンの軍の増強に今後5年間で170億ドル程度費用がかかると見積もっており、アフガンに戦闘部隊を送っていない同盟国に財政負担を求めるという話があるようだが、こういう話はきているのか。それに対する対応は

「あのー、170億ドルの負担をですね、日本側に要求したというような事実は私どものほうでは承知をしておりません。しておりません。しておりませんが、7月の後半に大統領特使としてウィルクス国防次官補代理が来日をされまして、アフガニスタン情勢等に関し、政府関係者で意見交換した事実がございます。その個別的なやりとりについてお答えするのは差し控えたいと思います。いずれにいたしましても、アメリカを含むですね、国際社会の国々から日本に対してアフガニスタンへの支援を強化してほしいという期待が存在することは、事実であるというふうに認識をしております。日本といたしましては、治安、テロ対策、それから人道復興支援、これを車の両輪としてですね、引き続きできる限りの支援を行っていく。この方針には変わりはございません。アメリカ側も日本がいかに実質的な支援を行うか。これについては日本が決定をする立場にあることは十分に承知をしておるというふうに思って、われわれ、そういう相互理解のもとに立っていると、こういうことでございまして、冒頭申し上げましたように、170億ドルの負担を日本側に、日本政府に対して要求があったということは承知をしていないということでございます」

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081009
/plc0810091309007-n1.htm



NHKが嘘報道をするのは想定外なので、米国防総省モレル報道官が嘘を言ったのか、河村官房長官が嘘を言ってるかのどちらか?
もしかしたら、河村建夫が閣内で蚊帳の外かも???

2兆円か。。。特別会計でも切り崩して払うんだろうか?それなら誰にもわからないもんね。どうせ出すなら円高のうちに払ってね。




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posted by zara at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3日連続ならず ノーベル文学賞はル・クレジオ氏

ノーベル文学賞に仏作家 日本人の受賞ならず

 スウェーデンアカデミーは9日、2008年のノーベル文学賞をフランスの作家、ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ氏(68)に授与すると発表した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20081009-00000589-san-int


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J・M・G・ル・クレジオ

(Jean-Marie Gustave Le Clézio,1940年4月13日 - )はフランス・ニース生まれの60年代以後のフランス文学を代表する小説家。2008年ノーベル文学賞受賞。

作品の全体像

絶えずリミット、ボーダー、あるいは既存の境界線を越えようとして移動する人々、特に、若者や、少年少女を描いた作品が多い(例:『海を見たことがなかった少年』のモンド、『オニチャ』のオーヤ、『さまよえる星』のエレーヌ、エステル、『黄金の魚』ネジュマ、『偶然』のナシマ、など)。乞食、移民、外国人、女性などに対する共感の度合いが、その筆の運び、分量からもうかがえる(日本人研究者・堀容子は、ル・クレジオ的な人物達のこうした偏りを、「類型性」という語彙を使用しつつ、指摘している)。彼ら「アウトサイダー」は、しばしば、弱者かつ賢者として、描かれる。

また太陽への複雑な思いが、初期作品から持続的に書き付けられている。ル・クレジオにあって、丸く、放射状の光を放つ形態物は、しばしば太陽に関係付けられる。特に初期作品にあって、その光は世界を見つめる眼差(regard)にほかならず(豊崎光一の指摘)、太陽(視線、意識、知性の象徴)との闘争こそ、初期ル・クレジオの闘った主要な闘いであるという言い方さえ可能と思われるほど、「光」は様々な意味合いを帯びて随所に刻印されている。

一般的には、「近代西欧のただ中にあることの居心地の悪さ、朽ち果てた郊外へのアンチテーゼに裏打ちされた、エグゾティックな第三世界を描いた作品群」という評価が下されることが、少なくない[1]。

こうした舞台設定上の闘争のみならず、指摘しておかなければならないのは、ル・クレジオの作品群が、水のような優しさ、透明さを湛えている、と同時に、血のような残酷さ、苦さ、赤黒さをも備えているという点だろう。ある種の読者が、心を鷲掴みにされるのは、この、甘やかでありかつ酸いという両義性ゆえでもあろう。[要出典]

こうした両義性は、若きル・クレジオの研究対象であった夭逝の、あの『マルドロールの歌』の詩人ロートレアモンから受け継いだものでもある[2]。

ロートレアモンのほかに、主要な参照点として挙げられるのは詩人、アンリ・ミショー(ル・クレジオはミショー論で学士号の資格を授受している)であり、またアントナン・アルトー(メキシコ滞在に際してル・クレジオが最初に読んだのがアルトーだった)、その他、アンドレ・ブルトンを中心とするシュルレアリスムに参加した作家たちのうちの幾人かである[3]。

なお、両義性ということに関してだが、ル・クレジオは2006年の来日時に、「幸福」を巡って、若者から受けた「ル・クレジオさんは、両義性と言いますが、純粋なものへの志向についてはどうお考えですか?」という質問に対する返答の言において、「私がここで言う両義性(ambivalence)は、曖昧さ(ambiguite)とはちがいます」、「私のモデルは、ドストエフスキーであり、私が言わんとするのは、彼の作品におけるような両義性なのです」と語っている。なんらかの仕方で世界を作品に写そうとするとき、沈黙と暴力が同居するのは、ごく自然な成り行きであると考えたほうがいいだろう。

ル・クレジオはヌーヴォー・ロマンが前景化しはじめた頃に現れた[4]ため、また、バロウズ的なカット・アップにも似た斬新な手法を用いてもいたために、この潮流を担う作家の一人と見なされたり、ヌーヴォー・ヌーヴォー・ロマンという呼称を与えられたこともあったが、文体的な新しさ、形式的な新しさの追究に、ル・クレジオが並々ならぬ関心を抱いていた、というわけではまったくない。60年代後半のル・クレジオは、ロブ=グリエやビュトールよりも、むしろシモンやサロートに、思想的な新しさ、面白みを感じている[5]。

彼の第一の関心は、言語それ自体よりもむしろ、「人間」にあり、生きること、現実の生にあり、肉体的かつ思弁的であるような「冒険」を遂行しつづけることにあったし、いまもまた、そうでありつづけている[6]。

複数のルーツ

ル・クレジオは1940年4月13日に、フランス南部、地中海岸の都市ニースにおいて生を授かっている。彼の家系を少々遡ると、その家系図の特殊性が、見えてくる。ル・クレジオの祖先はフランス革命期にブルターニュからモーリシャス島に渡った人々であるのだが、インド洋に浮かぶこの小島・モーリシャスは、混交度の極めて高い文化的風土を持つ。長きに渡る植民地主義の時期を通じて、その領有権ないしは帰属は、オランダ、フランス、イギリスの間で揺れ動く。

英国軍医としてアフリカで働いていたジャン=マリの父の国籍は英国籍であり、ジャン=マリ自身は、二重国籍を保持していた[7]。

ちなみにジャン=マリは、若い頃、英語で書くか仏語で書くか、迷ったすえ、後者を選んだという[8]。

2006年初頭の来日時には、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』への反意を明確に示し、グローバリズムへの疑義を呈した。

同じ機会にル・クレジオは「『噛み付く』(mordre)こと」とも言っている(もちろん、何にでも噛みつけということではない)。その時通訳だった鵜飼哲は、ジャン・ジュネに言及しつつ、反応した。

デビュー

デビュー作『調書』は大きな反響を呼び、フランスの主要な文学賞の一つであるルノード賞を受賞した。同書は、ゴンクール賞の候補にも上り、アルマン・ラヌーの『潮の引くとき』と審査員の票を真っ二つに分かったが、審査委員長の採決票によって、結局、辛くも、同賞を逃した[9]。

この若き才能の登場に際しては、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、ウィリアム・ブレイクなどの名前が引き合いに出され[9]、60年代初頭のフランス文学界を賑わすこととなった。長身、碧眼、美貌の、若き新星のきららかな登場を巡って、文藝ジャーナリズムのみならず、種々のメディアが騒ぎ立てたのである。

時あたかも、構造主義の隆盛期、戦後長きに渡って持続したサルトルの「専制」から、実存主義のある種の狭隘さから、逃れようとする潮流が形成されつつあった頃である。ル・クレジオ自身が構造主義的な思潮をもろに被っているかどうかはともかく、そうした文脈でも読まれただろうことは、想像に難くない。例えば、日本のル・クレジオ研究者、鈴木雅夫の論文Sous le poid de la conscienceにはこうした視点から書かれた条りがある。

これに関連して、ル・クレジオが、1966年、構造主義が全盛を迎えようとする頃、サルトルを擁護する文章(「範とすべき人間」)を、L'Arc誌(ベルナール・パンゴー編、邦題『構造主義とは何か』所収)に書き送っている。若きル・クレジオはそこで、サルトルの「精神的冒険」(aventure spirituelle)を称揚し、とりわけ『嘔吐』を評価している。

サルトルのみならず、処女作の出版当時、言及された上記の作家、シネアストの固有名が、ル・クレジオと深い関係を持っているように考えられるのは自然なことだが(たとえば、60年代にル・クレジオはゴダールと対談しているし、望月芳郎によるインタビューでも、ゴダールの作風と自分の作風を引き比べて見せている)、とはいえ、いまだきちんと論証されたものとは言い難い。

テーマ

あまり強調されないが、その初期の著作において「西欧的、キリスト教的な文明世界における無神論の問題を、いかにして乗り越えるか」は大きなテーマの一つとなっている。

また「家族」的な繋がり、性的な合一ではなく、「愛」による結合を志向する願望が、初期から近年の作品にいたるまで、作品のいたるところに、溢れかえっている(上述のサルトル論「範とすべき人間」においてもまた、有神論でも、エロティシズムでもなく、人間に賭けたサルトルに対する賛意が書き付けられている)。

[編集] 文体

初期のエッセー『物質的恍惚』の簡潔で、凝集的な書きぶりに象徴されるように、硬質かつ澄明で無駄のない文章が持ち味となっている。幻覚の描写やコラージュもまた得意とするところであり、その点で同時代の作家のなかで異彩を放ちつづけていた。

初期作品においてはアンチ・ロマン的な作風を示しながらも、ソレルス、バルト、クリステヴァらのテル・ケルのように、小説言語、形式の追究へと向かうことなく(註:テル・ケルにおける探求の主題が小説言語、形式の追及だったというのは単純化しすぎた言い方ではあるが)、また首都パリから距離をとり、特定の文学上のグループに属することなく書き続け(編集者の誘いを断って、ニースに留まった)、その後、ミリタリー・サーヴィスの枠内における、タイ、メキシコ滞在などを経て、70年代後半から、次第に、クラシックな佇まいをした小説へと向かっていった。

基本的に集団、全体化を好まない性質であることは、望月芳郎によるインタビューを見ても明らかだし、またサルトル特集における「サルトル的なもの」葬り去りの試みに、疑義を呈しつつ、個人としてのサルトルを「フランス文学にこれほど意義深い冒険は存在しなかったと、私は思う」と言って、称揚したことからも、うかがえる。

諸外国での評価

日本

「調書」を大江健三郎が『真に新しい本物の才能の登場。』と絶賛、それを伝え聞いた石原慎太郎は『クレジオなんてのは自転車のミラーやサドルの形をちょっといじった程度のものだ。』と罵倒した。

これは1966年に、新潮社から、豊崎光一による翻訳が出た時の二人の作家の反応であるが、大江を読み、石原を読み、初期ル・クレジオを読むものならば、頷ける反応であるだろう。どちらも、それなりに正しい。というのも、初期ル・クレジオには、すでにして極めて文学的な「否定」の意志が横溢していると同時に、自我の閉塞に囚われすぎていることもまた真だからである。

これに関連して、たとえば『焼身』で読売文学賞を受賞した作家の宮内勝典は、『調書』に関しては「知性主義」的に過ぎると「すばる」特集号に寄せた文章において書いている、ということを紹介しておいてもいいだろう。

さて、ル・クレジオは、日本においても、1960年代から70年代にかけて非常に読まれた、というか団塊の世代を中心とする若年層に、ある種のアイコンとして言及された作家であったようだが、その後も読み続けた忠実な読者がどれだけいたのか、やや訝しく思われるところがある。

望月芳郎、豊崎光一、村野美優、中地義和、菅野昭正、高山鉄男によって、翻訳紹介がなされつづけてきたが、非常によく読まれている状況、とは言い難いだろう。

主体的な生き方、を読みながら「共に考える」にはうってつけの作家であるだけに、惜しいと嘆く読者は少なくないだろう。

しかしながら、2006年には再来日を果たした際には、『現代詩手帖』(思潮社)および『すばる』(集英社)によって、極めて良質な特集が組まれもしており、読解の環境を整備しようと努力する一定の人々が存在することは確かである。

来日時、対話役を務めたものの一人であった今福龍太は、ル・クレジオの知己であるといってよかろうが、二人の唐突な、しかし急速に距離を縮めた出会いについては、『荒野のロマネスク』(岩波現代文庫)の末尾に、やや詳しい記述がある。ちなみに、今福龍太は、ル・クレジオ来日時、奄美旅行に同行、案内したが、この旅のスケッチが、上述の「現代詩手帖」「すばる」に描かれている。

関連人物

(アルファベット順、姓による)

* ルイ・アラゴン
* アントナン・アルトー
* ジョルジュ・バタイユ
* ウィリアム・ブレイク
* レイ・ブラッドベリ
* アンドレ・ブルトン
* ブッダ
* アルベール・カミュ
* トルーマン・カポーティ
* ルイ=フェルディナン・セリーヌ
* ジル・ドゥルーズ
* ウィリアム・フォークナー
* ジャン=リュック・ゴダール
* ヴェルナー・ハイゼンベルク
* マックス・ジャコブ
* J・D・サリンジャー
* ジャン=ポール・サルトル

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

著作

* 『調書』Procès-verbal (Prix Renaudot 1963) (The Deposition)
* 『発熱』La Fièvre (Fever)
* 『大洪水』Déluge (The Flood) (1966)
* 『物質的恍惚』L'Extase matérielle (Material Ecstasy) (1967)
* 『愛する大地』Terra Amata (novel) (Beloved Earth) (1967)
* 『逃亡の書』Le Livre des fuites (The Book of Escapes)
* 『戦争』La Guerre (War)
* 『悪魔祓い』Haï (1971)
* Mydriase (1973)
* 『巨人たち』Les Géants (The Giants) (1973)
* 『向こう側への旅』Voyages de l'autre côté (Journeys Beyond) (1975)
* 『チラム・バラムの書』Les Prophéties du Chilam Balam (Chilam Balam Prophecies) (1976)
* Vers les icebergs (Essai sur Henri Michaux) (To the Icebergs; an essay on Henri Michaux)(1978)
* 『海を見たことのなかった少年』Mondo et autres histoires (Mondo and other stories) (1978)
* 『地上の見知らぬ人』L'Inconnu sur la Terre (The Stranger on the Earth) (1978)
* Trois villes saintes (Three Holy Cities)
* 『砂漠』Désert (novel) (1980) (Desert)
* 『ロンドその他の三面記事』La Ronde et autres faits divers The Round and other cold hard facts
* 『ミチョアカン報告書』Relation de Michoacan
* 『黄金探索者』Le Chercheur d'Or (The Prospector)
* 『ディエゴとフリーダ』Diego et Frida (Diego Rivera and Frida Kahlo)
* 『ロドリゲス島への旅』Voyage à Rodrigues (Journey to Rodrigues)
* 『メキシコの夢』Le Rêve mexicain ou la pensée interrompue (The Mexican Dream or Broken Thought)
* 『春その他の季節』Printemps et autres saisons (Spring and other Seasons)
* 『オニチャ』Onitsha (novel) (a reference to the African city of Onitsha)
* 『さまよえる星』Étoile errante (Wandering Star)
* 『パワナ』Pawana
* La Quarantaine (Quarantine)
* 『黄金の魚』Poisson d'or (The Golden Fish)
* 『雲の人々』Gens des nuages (with Jémia Le Clézio) (The Cloud People)
* 『歌の祭り』La Fête chantée (Sung Celebration)
* 『偶然』Hasard (suivi d'Angoli Mala) (Serendipity)
* Cœur Brûle et autres romances (Burnt Heart and other romances)
* 『はじまりの時』Révolutions
* 『アフリカのひと』L'Africain (2004) (The African)
* Ourania (2006)
* Raga(2006)
* Ballaciner(2007)

wikipedia.


村上春樹は今年もなしか。。。みんなが騒がなくなった頃、受賞するんだろうな。








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2008年09月28日

ポール・ニューマン死去 動画あり

<訃報>ポール・ニューマンさん死去「明日に向って撃て!」

AP通信によると、映画「明日に向って撃て!」や「スティング」などで知られる米映画界を代表する俳優の一人、ポール・ニューマンさんが26日、がんのため死去した。83歳だった。

 オハイオ州でスポーツ用品店を営む裕福な家庭に生まれ、母親の勧めで児童演劇団に入団した。第二次世界大戦中には海軍に入隊し、除隊後、大学を経て俳優養成所で演技を学んだ。1953年にブロードウェーの舞台でデビューし、55年の「銀の盃(さかずき)」で映画デビュー。一時テレビに活動の場を移すが、実在のボクサーを演じた56年の「傷だらけの栄光」の迫真の演技で注目された。男らしくセクシーな正統派の二枚目であると同時に、反抗心を秘めた危険な香りも漂わせ、複雑な感情を巧みに表現する演技派としても重用された。

 「ハスラー」(61年)、「明日に向って撃て!」(69年)、「スティング」(73年)、「タワーリング・インフェルノ」(74年)など次々と話題作に出演しスターの地位を固めた。68年には「レーチェル・レーチェル」を監督し、アカデミー賞候補になった。「スクープ・悪意の不在」(81年)、「評決」(82年)など社会派作品でも重厚な演技を見せた。何度もアカデミー賞候補になりながら受賞には縁がなかったが、86年「ハスラー2」で主演男優賞を受賞した。

 一方で、ベトナム戦争反対や反核運動に参加するなど、社会的活動にも積極的に取り組んだ。自動車のレーサーとしても活躍し、79年のル・マン24時間耐久レースで2位に入賞。82年には食品販売会社を設立し、ドレッシングなどを発売して成功を収めた。私生活では2度目の結婚で、女優のジョアン・ウッドワードさんとおしどり夫婦として知られた。長男のスコットさんも俳優だったが、78年、麻薬中毒で死去したことから麻薬反対活動に資金を提供。事業の利益を寄付するなど、慈善活動にも熱心だった。日本の障害児のためにと毎日新聞社会事業団を通じ、93、94、97年に寄付したことがある。

 最近では脇役で渋い存在感を見せ、05年にテレビドラマ「追憶の街エンパイア・フォールズ」でエミー賞とゴールデン・グローブ賞を受賞。晩年まで活躍したが、07年5月、「満足できるレベルの役者でいられなくなった」と俳優引退を表明した。今年6月、がんで闘病中と報じられていた。

 ★ニューマンさんの主な出演作

55年 銀の盃(デビュー作)

56年 傷だらけの栄光

58年 左ききの拳銃

61年 ハスラー

62年 ハッド

69年 明日に向って撃て!

73年 スティング

74年 タワーリング・インフェルノ

82年 評決

86年 ハスラー2

(アカデミー主演男優賞)

94年 ノーバディーズ・フール 

 ◇精神が自由で柔軟

 映画評論家、佐藤忠男さんの話 直情径行型の青年役から出発したが、上手に年輪を重ね、食えない中年男を演じられる柄の大きさを身につけた。精神が自由で柔軟だったのだろう。反戦・反核など社会活動にも熱心だったといい、その幅の広さ、底の深さは、いかにもアメリカ的だったと言える。得難い俳優を失った。

 ◇陰ある演技見せた

 評論家、川本三郎さんの話 ゲーリー・クーパーやクラーク・ゲーブルら戦前からの男優が強く明るい英雄を演じたのに対して、戦後に現れたニューマンさんらの世代は「負け犬」的なヒーロー像を体現した。中でも「ハッド」で見せた彼の陰影ある演技は忘れがたい。彼の存在が60年代後半のニューシネマの方向を示した。理想的な俳優人生を送ったと思う。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080927-00000112-mai-soci














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2008年03月21日

中国への静かなる抗議広がる か?

「チベット国旗掲げよう」 ネット発「中国抗議行動」活発化

チベット自治区で起きた大規模な騒乱で、中国政府に国際的な非難が高まっているなか、日本国内のインターネット上でも中国を批判する動きが出てきた。ミクシィに「チベットの独立」を呼びかけるコミュニティができたほか、「チベット国旗」をプリントアウトして、中国胡錦濤主席が来日した際に掲げて抗議しよう、というサイトも登場するなど、ネットが「起爆剤」的な働きをしている。

「インターネットのおかげで参加者が相当多く集まった」

インターネットが起爆剤となって、中国への抗議運動が日本でも活発化している。

チベットを支援する組織TSNJ(チベット・サポートネットワークジャパン)は2008年3月22日に中国大使館前で抗議活動をするほか、周辺でデモ行進を行うが、HP上で「チベット国旗」をダウンロードしてプリントアウトできるようにしている。デモなどには「少なくとも300人、多くて600人」が参加する見込み。同組織はJ-CASTニュースに対し

「インターネットのおかげで参加者が相当多く集まった。こちらとしては10年近くチベットの現状を訴えてきたが、事件を契機に皆さんが関心を持っていただいてよかった」

と話している。

この運動とは別に、「胡錦濤来日時に日本中をチベット旗だらけにするOFF」と題されたサイトも登場。ネットユーザーが実際に集う「オフ会(OFF)」を念頭に、

「とにかく世界中で日本だけが虐殺国家を歓迎してるなんて思われないようにしないといかん。抗議活動したことない人でも参加できる、チベットの人々への応援OFF。OFF参加できなくても今日から日本中をチベット国旗でいっぱいにしよう」

と呼びかけている。
胡錦涛国家主席来日の際、「チベット国旗」を持って「歓迎」

このサイトでは、08年5月に予定されている中国の胡錦涛国家主席が来日する際に、沿道で「チベット国旗」を持って「歓迎」することを計画しているほか、各人のブログに「チベット国旗」の画像を貼ることや、車に国旗のステッカーを貼り付けるよう呼びかけている。ここでも、「国旗」などをダウンロードしてプリントアウトできるようにしてある。

また、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi(ミクシィ)」でも「チベットの独立」を呼びかけるコミュニティが次々と作られ、参加者が6000人を超えるものがある。

チベット自治区の区都ラサで、中国政府のチベット政策に抗議する僧侶らの大規模デモが続き、2008年3月14日から治安当局と衝突した問題でチベット亡命政府は中国の治安当局により、80人が死亡したと主張している。

また、ダライ・ラマ法王日本代表事務所は2008年3月19日、HP上で、

「チベット人は、中国による植民地統治のもとで、現在に至るまで想像を絶する苦しみを強いられてきました。いくら中国側が、『チベットは発展し、チベット人は幸せになった』と述べたところで、今回の事件は、中国の統治下におかれたチベット人は、全く幸福でない、というチベット人の明確なメッセージなのです」

と主張している。

http://www.j-cast.com/2008/03/21018120.html


2chの「胡錦濤来日時に日本中をチベット旗だらけにするOFF」には

このOFFのコンセプト(概要)は

* 日本中を雪山獅子旗(チベットの旗)だらけにする
* 出迎え時などは無言
* デモ行進の類ではない ←ここ重要

です。

其の為、以下のことは 絶対に 辞めて下さい。

* 投石,投トマト,投餃子など
* 冷凍餃子問題を絡めない
* 五星紅旗(中国の国旗)を破ること(刑法第92条・外国国章損壊等)
* 暴れること

これが出来なければ仲間ではない、特に無言でじっと旗を持つことは忘れずに


このコンセプトなら大賛成ですわ。
ダライ・ラマの主張って、本人も述べてる通りガンジーに近いわけでしょ。非暴力・不服従。無言で何も言わない。手に Free Tibet、Do Not Kill Our Friends のカードだけ持つ。素晴らしいじゃないですか。

オリンピックに関してもこんな提案が



メダル獲得の可能性の高いとされる、ポーランドの棒高跳びのトップ選手、モニカ・ピレクさんは北京五輪の開会式のボイコットを呼び掛けた。

ピレクさんは「スポーツイベントではない“開会式”のボイコットが最も良い解決案。それで、団結の示威行為となる」「人権団体が要求しているように、中国における数々の人権蹂躙を指して五輪から完全に引き揚げるのは意味がない。五輪そのもののボイコットはハードな練習を積み重ねて来た選手達を傷つけるだけだ」と述べた。

(以上、2ch記者ネットナンパ師が下記英文ソースより抜粋意訳。指摘を頂き一部訳を修正)

http://www.polskieradio.pl/thenews/sport/?id=78350

Poland’s top pole vaulter, Monika Pyrek, has called for a oycott of the opening ceremony of the summer Olympic Games in Beijing.

“The best solution is to boycott the opening ceremony as this isn’t a sport event.
This would be a manifestation of solidarity,” Pyrek said.

In an interview for the Rzeczpospolita daily Pyrek said that there is no sense in pulling out of the Olympics completely. as some human rights organisations demand, pointing to numerous instances of human rights violation in China.

Pyrek, who has good chances of winning a medal during the Olympics, believes that boycotting the Games would only punish the sportsmen who worked hard to prepare for the event.

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1205930882/


これも素晴らしい提案だと思います。実は以前からこれが一番いいと思ってました。
北京五輪ボイコットの気持ちもわかりますが、やはり選手たちが可愛そう。
彼らはこのオリンピックに向けて努力してきたんです。それを今更、オリンピックに参加するなじゃ。。。
しかし、中国の傲慢で非道な遣り口に何もしないのは、これまた愚か。

で、開会式のボイコット。いいと思います。




TIBET SUPPORT NETWORK JAPAN

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所







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2008年03月20日

ダライ・ラマからのメッセージ

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ

 2008年3月19日 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

ご存知の通り、今チベットは重大な危機に直面しています。平和的デモの参加者が、銃や戦車で残虐に弾圧されています。中国当局は、大量のチベット人を逮捕拘束し続けています。今チベット全土は極度の緊張が続いています。
中国当局は事態の沈静化を宣言しましたが、実際は事態はいまだに戒厳令下のような状況です。中国が外国メディアや外国監視団の現地立ち入りを禁止し、状況の把握を許可していないという事実自体がそのことを物語っています。

中国当局は、「ダライ・ラマに扇動されて動乱が起きた」「ダライ・ラマが北京五輪のボイコットを呼びかけている」と繰り返し述べていますが、ダライ・ラマ法王やチベット亡命政府が北京五輪の開催に反対したことは一度もありません。この点は、ここで再度はっきりと申しあげたいと思います。
オリンピックは、地上に生きるすべての人々の平和、自由、調和を象徴しています。我々は、このオリンピック精神が北京五輪で花開き、地球全体が平和に包まれるところをこの目で見たいと願っています。しかし、それを実現するには、一人一人がオリンピック精神にのっとって行動しなくてはなりません。

ラサをはじめとする各地で行なわれたデモ行動は、北京五輪とはほとんど関係がありません。これは、長年抑圧されてきたチベット人全員の中に鬱積していた憤りや不満が一気に噴出して起きたものです。チベット人は、中国による植民地統治のもとで、現在に至るまで想像を絶する苦しみを強いられてきました。いくら中国側が、「チベットは発展し、チベット人は幸せになった」と述べ立てたところで、今回の事件は、中国の統治下におかれたチベット人は、まったく幸福ではない、というチベット人の明確なメッセージなのです。

我々は、チベットの状況を深く憂慮しています。我々はこれまでも中国当局に対し、武力による解決を慎み、我々チベット亡命政府と話し合いによって双方の相違点を解決するよう要請してまいりました。
我々は、国連や各国政府が事態の調停に乗り出すよう要望しております。

私は苦しむチベット人全員を代表し、日本の皆様に手を合わせてお願いしたいと思います。どうか、中国当局が我々の誠実な気持ちを理解できるよう、また、現在のチベットの状況に国際的な基準とオリンピック精神にのっとって対応できるよう、日本の皆様のお力をお貸しください。

皆さまのご理解とご支援に、心より感謝いたします。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
代表 ラクパ・ツォコ
  
http://www.tibethouse.jp/news_release/
2008/080319_release.html




ラサ暴動で24人逮捕=国家安全危害罪で厳罰も−中国

中国チベット自治区ラサで14日に起きた暴動で、ラサ市人民検察院は19日、暴動にかかわったとして、容疑者24人を逮捕した。中国チベット・ニュースネット(人民日報とチベット日報が運営)が20日、伝えた。
 容疑は傷害、強盗、放火などの一般刑事犯罪だけでなく、死刑もあり得る国家安全危害罪も加わっている。中国当局はラサだけでなく、周辺にも飛び火した暴動に厳しい処罰で臨む方針だ。 


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080320-00000031-jij-int








高村外相、中国要人の来日時にチベット問題を提起へ

 高村外相は19日の衆院外務委員会で、中国チベット自治区の暴動に関する日本政府の対応について、「中国の首脳(胡錦濤国家主席)も来る。(楊潔チ)外相も来る。この問題に触れないということはありえない」と述べ、中国政府要人の来日時にチベット問題を提起する考えを示した。(「チ」は竹かんむりに「褫」のつくり)

 また、外相は問題の平和的解決に向けた中国への働きかけについて、「首脳レベルもあるし、事務方の最高レベルもある。何が効果的か考えたい」と述べ、検討する意向を明らかにした。

 これに関連し、外務省幹部は19日、楊外相の来日が4月中旬になるとの見通しを明らかにした。胡主席の来日は5月6日か7日とする方向で両政府間の調整が進んでいる。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/
20080319-OYT1T00402.htm?from=navr



胡錦濤に何を言うのよ?「チベットの件はマズいですよ」と揉み手でもしながら言うのかい?





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posted by zara at 18:13| Comment(0) | TrackBack(20) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月19日

「アバは戦場だった」四川省でも3人射殺 動画あり

四川省のデモで3人射殺 チベット暴動飛び火、武装警察が発砲

中国四川省甘孜チベット族自治州で18日発生した数千人規模のデモで、インドに活動拠点を置く非政府組織(NGO)「チベット人権民主化センター」は、武装警察の鎮圧で少なくとも3人が射殺され、15人がけがをしたと発表した。

 同センターはデモの目撃者の話として「(武装警察は)建物の上から無差別に発砲した」と伝えている。

 米政府系放送局「ラジオ自由アジア」も、このデモで少なくとも2人が射殺され、10人が拘束されたと伝えた。

 またラジオ自由アジアは、亡命ウイグル族グループの話として、チベット自治区ラサでの暴動を受けて、隣接する新疆ウイグル自治区南部では3人以上の集会が禁じられるなど厳しい軍事管制が敷かれているとも報じた。

 ただ中国当局は否定しているという。

http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/
CK2008031902096709.html


tbdlksiap.jpg

生活道に兵士満載トラック 『アバは戦場だった』 チベット自治州ルポ

中国のチベット政策をめぐる暴動で、多数の死傷者が出たというアバ県がある自治州に十八日、入った。抗議行動はアバ県の近隣にも拡大。人民解放軍の部隊が次々と投入され、民衆を威圧するように一帯に展開している。

 「ちょっと、車に入ってくれ」。ここは、成都から約二百キロ北西にある自治州南部の理県。アバ県から帰ってきたという運転手は、状況を尋ねる記者を車内に招き入れ、「アバは戦場だった」と小声で語る。

 「民衆は役所に投石して商店や車に火を付け、中国国旗を引き裂いた。警察の発砲でリーダーの僧侶数人が射殺され、警察官も何人か死んだ」

 アバ県では十六日、チベット仏教僧侶や民衆数千人が「チベット独立」「ダライ・ラマ十四世帰還」などと叫び、県庁舎を包囲。治安当局は催涙弾を放ったが、民衆らを解散させられず、発砲に踏み切ったようだ。自治州北部ではアバ県以外に紅原県、マールカン県など五カ所以上へ抗議行動が広がっている。

 理県から北上し、二千メートル級の山々に挟まれた川沿いの道を走る。太陽の光が清流に反射する景観は、神々しさすら感じる。しかし、走るのは軍用車両ばかり。自動小銃や盾を携えた兵士を満載したトラックと装甲車約八十台が、一般車両を停車させ、わが物顔で通り過ぎた。アバの市街地では主要道路に軍隊や装甲車が展開し、戒厳令さながらと伝えられている。

 途中の集落で会ったチベット民族衣装の女性は「暴動は共産党の腐敗に対する不満が爆発したのさ」と吐き捨てた。共産党地方幹部は、食糧補助費や教育助成金を着服し、民衆の生活を踏みにじっているという。「中央が腐敗防止のラッパを鳴らしても地方には届かない」。ラサでの暴動を携帯電話などで知り、怒りに火が付いた。

 自治州の政府庁舎があるマールカン県の手前の検問では、自動小銃を持った警察官が「交通規制のため、地元住民以外は一切進入できない」とさえぎった。記者が「なぜ交通規制で自動小銃が必要なんだ。暴動が起きているはずだ」と尋ねると、「日本の警察も自動小銃ぐらい持っているだろう。理由を言う必要はない」とぞんざいに答え、記者らを追い返した。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/
2008031990071016.html



チベットでのデモ活動は軍によって鎮静化させられたようですが、近隣に飛び火し、くすぶり続けてるようですね。





このおじさんも文句を言う。。。



英語の優位性を羨むね。日本語でこんな話をしても、世界中には伝わらん。。。英語なら伝わる。


ラサ滞在中の日本人旅行者への電話インタビューをお聞き下さい




四川省で射殺された人々とされる写真が掲載されてるページ


18 March 2008 [Photo Release]
Photographic evidence of the bloody crackdown on peaceful protesting Tibetan at Ngaba County, Sichuan Province, on 16 March 2008
WARNING: EXTREMELY DISTURBING PICTURES.


Viewer discretion is advised.

Pictures of extremely disturbing dead bodies with internal body part exposed.

For higher resolution pictures contact Mr. Tashi Phuntsok, Information Officer at: 9418055622

Eye witnesses say 15 dead bodies have been brought into Ngaba Kirti Monastery for prayer offerings after the bloody crackdown on 16 March 2008. The actual number of dead can be higher.

Click below for the related news:

Fresh Pictures of Tibetan protesters' dead bodies and crackdown by the Chinese security forces.
Eight dead bodies brought into Ngaba Kirti Monastery
At least seven shot dead in demonstration in Ngaba County
News Just in: Fresh protest by Amdo Ngaba Kirti monks

http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html

写真は敢えて掲載しません。あまりにショッキングです。
リンク先を参照してください。。。





ペマ・ギャルポの話を聞こう。。。そう言えば、以前はよくTBSとかに出てたんだけど、最近あまりTVで見なくなってた。














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posted by zara at 17:24| Comment(2) | TrackBack(8) | 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

チベット騒乱 死者500人以上?動画あり

チベットにおける中国軍や公安による虐殺を衛星写真が写し出している。チベット人抗議者
の500人以上が死亡、1万人以上が負傷している。

中国の国営通信社新華社は10人死亡しただけだと伝えている。

中国は情報統制しようとしているが、衛星写真やアングラのニュース配信社によるリポートは
拒むことが出来ない。(以上、下記英文ソースから2ch記者ネットナンパ師が抜粋意訳)

http://www.indiadaily.com/editorial/19252.asp

Satellite images show the clear atrocities carried out by the Chinese Military
and police in Tibet. More than 500 Tibetan protestors are dead and more
than 10,000 are injured.

China's official Xinhua News Agency claims only 10 people are dead. The
protests by Buddhist monks in Tibet turned violent, with shops and vehicles
set on fire and gunshots fired on the streets of the region's capital, Lhasa.

All eyes are on the Tibetan government in exile, based in the north Indian
town of Dharmsala led by Dalai Lama.

China maintains rigid control over the area. Foreigners need special travel
permits, and journalists are rarely granted access in the disputed area of
Tibet except under highly controlled circumstances.

But China cannot deny satellite images and reports from underground news agencies.


2ちゃんねるから引用してみました。
まあ、衛星画像からそこまで確認できるのか、少々疑問も残りますし、中国と反駁するインドの新聞ですから、その辺は割り引いて考えてみても。。。







選手やスポンサー企業 北京五輪参加自粛の可能性

チベット自治区で起きた大規模な騒乱で、中国政府の対応に国際的な非難が高まっている。騒乱の現場からはジャーナリストが締め出されており詳細は不明だが、衛星写真から500人以上が死亡したという情報や、ラサの市民が中国治安当局に拉致されたというなど様々な情報、憶測が飛んでいる。北京五輪を控え、選手やスポンサー企業が大会への参加を自粛する可能性もある。

スター選手が五輪不参加を考えている?

チベット自治区の区都ラサで、中国政府のチベット政策に抗議する僧侶らの大規模デモが続き、治安当局と衝突して死傷者が多数出た。2008年3月15日の国営通信・新華社は、暴動のなかでの放火で10人が死亡したと報じている。

中国当局は、チベット仏教最高指導者でインドに亡命中のダライ・ラマ14世がこの騒動に関与していると非難したが、一方のダライ・ラマ14世は3月16日に「文化的な虐殺」と中国政府を批判。ダライ・ラマ14世の亡命政府は、80人の遺体が確認されたとしている。

中国政府は、外国メディアがチベットから自由に報道することを禁じており、騒乱の詳細は不明だが、印メディアのインディアデイリーは、衛星写真から、500人以上のチベット人が死亡し、少なくとも1万人が負傷したと報じており、さらに、チベット人権民主センターは3月16日に、何百ものチベット人が3月15日から治安当局に逮捕されていると発表している。

ラサでの騒乱は混迷を深めているが、北京五輪への影響は避けられない状況になりつつある。

ドイツのIOC副会長トーマス・バッハ氏は、独紙ビルト・アム・ソンタグに対して、スター選手の何人かが大会をキャンセルすることを考えている、と明かした。

リチャード・ギアがボイコット呼びかける

また、チベット支援活動で知られる俳優リチャード・ギアさんはラジオやテレビ番組で、中国政府が誤った対応を取る場合は北京五輪をボイコットすべきだと呼びかかけている。最近では世界的歌手ビョークさんも上海で行われたコンサートで「チベット独立」を叫んでおり、今後もボイコット支持への動きが勢いづく可能性がある。

すでに欧米では、スーダンでのダルフール虐殺をめぐって中国政府の対応への批判が強まっていて、最近も世界的な映画監督・スティーブン・スピルバーグ監督が五輪の芸術顧問を辞退したばかり。

さらに、2008年3月17日のウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は、北京五輪のスポンサー企業のあいだでも、1500万〜100万ドルの投資を受けているチベット・エベレスト山脈を通過する聖火リレーの実現可能性について懸念が広まり始めたと報じており、選手やスポンサー企業が大会への参加を自粛する可能性もある。

IOCは、ボイコットに反対するとの意見を表明しているものの、動画投稿サイト「ユーチューブ(YouTube)では北京五輪に反対する動画が次々にアップされており、89年に起きた天安門事件なみの人権侵害だとする意見が欧米を中心に根強いことがわかる。

北京駐在産経新聞の福島香織記者は記者ブログの中で、「チベット暴動の悪夢再び!五輪どころじゃねぇ!」と題し、

「これは中国当局の大失態です。こんな体たらくで、本当に五輪を開催するつもりなのでしょうか。デモくらいやらせてあげればいいのです」
と中国政府を批判している。

80年のモスクワ、84年のロサンゼルスの両五輪と同じようにボイコットにつながる危険性もないわけではない。J-CASTニュースは日本オリンピック委員会(JOC)にコメントを求めたが、チベットでの騒乱の影響などについてコメントすることはないとしている。

http://www.j-cast.com/2008/03/18017934.html









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