大阪「船場吉兆」、プリンやケーキの消費期限改ざん販売 料亭「船場吉兆」(本社・大阪市、湯木正徳社長)が
福岡市中央区天神の
百貨店「岩田屋」に出店する「吉兆天神フードパーク」で、プリンやケーキなどの消費期限や賞味期限を改ざんし、販売していたことが、28日、わかった。
福岡市は食品衛生法違反があったとして、同日、菓子や総菜類の販売自粛などを求める勧告書を「船場吉兆」に交付した。九州農政局も日本農林規格(JAS)法違反の疑いで調べている。同フードパークは菓子類のほか、弁当や総菜などを販売しているが、27日から営業を休止している。今のところ被害の報告はない。
同市が9月11日、匿名の通報を受けて立ち入り調査した。その結果、今年4月以降、「黒豆プリン」「桜ゼリー」「抹茶ゼリー」「タルト」「ほうじ茶ケーキ」の5種類、計119個で消費期限や賞味期限の改ざん、販売が判明した。市によると、1人の従業員が、売れ残り品を含むすべての商品について、販売日の日付を消費期限、賞味期限と表示していた。その日に売れなかった場合、シールを張り替えて、さらに1日ずつずらしていた。店長はこうした実態を知らなかったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20071028-00000315-yom-soci「吉兆」菓子、偽装表示 福岡天神店 消費期限切れ販売 高級料亭「吉兆(きっちょう)」を展開するグループ会社の一つ「船場(せんば)吉兆」(大阪市)が福岡市中央区の百貨店で、ラベルを張り替える偽装を繰り返して消費期限切れの菓子を販売していたことがわかった。匿名の通報を受けて調べていた同市は28日、食品衛生法に基づき、同社に適正表示などを勧告した。日本農林規格(JAS)法違反(不正表示)の疑いもあるとみて農林水産省九州農政局と合同で調査している。
同市などによると、船場吉兆は同市中央区の百貨店・岩田屋の7階に「吉兆天神店」を構え、地下食料品売り場の「吉兆天神フードパーク」で吉兆ブランドの総菜やデザートを販売している。
消費期限の偽装が判明したのは、同フードパークのみで販売していた「黒豆プリン」「桜ゼリー」「抹茶ゼリー(抹茶涼み)」「タルト」「ほうじ茶ケーキ」の5種類の菓子。消費期限は製造日から4〜5日間だが、4月以降の帳簿を調べたところ、売れ残った商品のラベルを毎日張り直して消費期限表示を1日ずつ延ばしたうえ、おおむね製造日の古い順に販売していた。
本来の消費期限を何日も過ぎてから販売されたケースも確認されただけで約100個あり、期限を2週間以上すぎていたものもあった。
市は通報を受けた9月11日に調査を開始。船場吉兆は翌12日からフードパークでの菓子販売を自粛し、今月27日から全商品の販売を取りやめている。吉兆側は市に対し、「ラベルを張り直す習慣は以前からあった」と説明しているという。
朝日新聞の取材に対し、船場吉兆天神店の店員は28日夕、「店長の判断で、現段階では取材に一切応じられない」と話した。
吉兆は大阪発祥の料亭。
ホームページなどによると、知的所有権を管理する株式会社吉兆のもとにグループ10社があり、このうち本吉兆、神戸吉兆、船場吉兆、京都吉兆、東京吉兆の各社が計約20店の料理店を運営している。船場吉兆は大阪、福岡両市内で計4店を持つ。
http://www.asahi.com/national/update/
1029/TKY200710280152.html吉兆(きっちょう)
大阪市に本店がある日本料理の料亭。本項で述べる。
略歴
東京の新喜楽、金田中と並ぶ、日本三大料亭の一つであるが、歴史は浅く創業は昭和5年(1930年)である。開店の日、何と客は0人だったという逸話がある。そこから現在までの地位を築いた背景は、創業者である湯木貞一の才能にあったと言っても過言ではない。 その後2回店舗を移転、戦後に現在の高麗橋本店となる旧家を購入する。関西財界を中心として名声を高めていき、1979年、1986年、1993年の東京サミットで他の歴史ある有名料亭を押しのけて日本料理担当に選ばれたことで、世界的に有名な店となった。
特徴
日本料理には宮廷料理の系統である有職料理、大名の宴会料理である本膳料理、江戸時代に町人の宴会料理として確立した会席料理などがあるが、吉兆の料理は献立やしつらいに至るまで茶懐石の影響を強く受けている。これは創始者の湯木貞一が茶道に造詣が深かったことに理由があり、貞一は後に自らの茶道具
コレクションを基に「湯木美術館」を設立している。
吉兆の特徴として、この手の高級料亭には珍しい多店舗展開がある。実際はほぼ各地域毎に各支店を統括する株式会社を設置するという事業本部制に近い体制を取っている。特に大阪市の高麗橋本店や京都市の嵐山店などは政財界有力者、外国要人の接待で利用されることが多い。
店名の由来
湯木貞一と縁故のあった画家により縁起を担いでつけられた物だが、当初ルビには「きっきょう」とふられていた。しかし、客が皆「きっちょう」と読んだために、現在は「きっちょう」と読むようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%85%86湯木貞一(ゆき ていいち、1901年-1997年4月7日)は、日本料理の名料亭「吉兆」の創業者。日本文化に対する高い見識を料理に取り入れ、日本料理界の地位向上に貢献し、料理業者として史上初めて文化功労者となった。
略歴
1901年、神戸市花隈(現中央区花隈)の料亭「中現長」(現存せず)の跡取り息子として誕生、16歳から跡を嗣ぐべく父の下で板前の修行を始める。24歳の時、松平不昧著『茶会記』を読み、茶道に目覚め、茶懐石を料理に取り入れ、料理の品格を高めたいという志を立てる。しかし、貞一の目指す料理と実家の料理とは路線に異なりがあったことなどから次第に確執が深まり、30歳の時に家出同然で独立、大阪市新町(現西区新町)にカウンターのみの割烹料理屋「御鯛茶処 吉兆」を開いた。これが吉兆の始まりである。ただ、開店当日、客は0人だったという今では信じられない逸話が残っている。その後、クチコミで評判が広まり、固定客もついて経営は安定する。
36歳で念願だった茶道を本格的に習い始める。これが縁となって財界の重鎮である小林一三、松永安左衛門、畠山一清らと知己となり、ますます日本料理の地位向上と茶道に傾倒していくようになる。このころから茶道具のコレクションも始めるようになるが、その集め方は思いきった物で、以前から探していたある道具が法外な値段で売りに出ていたときには、自分のコレクショントラック一台分と物々交換して購入したこともあったという。
戦後は自分の子供達を分家させるような形式を取り、「吉兆」の全国展開を進める。一方で料理に対する執念は衰えず、辻静雄と共にヨーロッパのレストラン見学を計画、関西電力会長の芦原義重に「万が一飛行機が墜落したら、日本最高の至宝が消滅してしまう」と引き留められると言うこともあった(この頃の飛行機の事故率は非常に高かったため)。しかし、結局ヨーロッパ周遊を決行し、その当時トップクラスといわれたタイユヴァンやトゥール・ダルジャンなどを見学している。
1981年、長年の日本料理の向上への貢献が評価され紫綬褒章受賞、1988年、文化功労者となる。料理界からの受賞は史上初であった。同年、旧平野店があった場所に自らのコレクションを公開する「湯木美術館」を設立。
晩年になっても健啖家ぶりは衰えず、88歳の時に出演した「料理天国」では「フランス料理のフルコースが好き」と公言していた。1997年、96歳の天寿を全うし死去。
松花堂弁当の発明者としても有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%9C%A8%
E8%B2%9E%E4%B8%80こんなところでも改竄が行われてたとは。。。そのお菓子類ってどのくらいの値段なんだろう?相当高いものなんだろうねぇ。
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