百舌鳥・古市古墳群には、世界最大級の墳墓「仁徳天皇陵」(堺市堺区)を含め宮内庁管理の墳墓が多く、文化財保護法の適用になっていない。
堺市によると、仁徳天皇陵など市内に43基ある「百舌鳥古墳群」のうち同法による国の史跡は7基。これまで史跡でない文化財が選ばれた例はないという。
堺市歴史文化都市推進室の藤木博則室長は「文化財保護法の適用がなくても、暫定リスト入りが可能になったと理解しており、これは画期的なことだ。陵墓が宮内庁法と皇室典範に基づき、しっかり守られているのが大きい」と受け止める。
ただし、正式決定までに、文化庁から「適切な保存管理をどのような形で『担保』するかの考えを整理する」「都市化が進んでいることから、緩衝地帯の範囲、規制について明確な方向性を示す」などの条件が示された。
堺市では、これら条件について共同提案する大阪府、羽曳野、藤井寺市と協議したうえ、文化、宮内庁とも調整を図りながら、早期にクリアしたい考えだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080927-00000505-san-soci

仁徳陵古墳(大仙(山)古墳)
大仙町にある日本最大の前方後円墳です。
北側の反正陵古墳(田出井山古墳)・南側の履中陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は、全長約486m、後円部径約249m、高さ約35m、前方部幅約305m、高さ約33mの規模で、3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり、埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、犬、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で、造出しから須恵器の甕が出土しました。古墳が造られた年代を知る資料として、話題になっています。明治5年(1872)には前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。この時の出土品は再び埋め戻されたと言われていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。アメリカのボストン美術館には本古墳出土と伝えられる細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されています。日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中陵古墳(石津ヶ丘古墳)よりも、あとで築造されたことが、わかっています。全周2.8kmの周遊路として整備されています。
http://www.city.sakai.osaka.jp/kofun/
database/nintoku.html
ひょっとして宮内庁の治定が間違っているかもしれない大王陵
百舌鳥古墳群の盟主は、我が国最大の墳丘規模を誇る前方後円墳の大仙古墳である(大山古墳とも書く)。『延喜式』はこの古墳を百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と命名している。そのため、現在は宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓に治定して管理しているため、立ち入りは禁止いされている。
とにかくでかい。全長486m、後円部径240m、高さ35m、前方部幅305m、高さ35mを測る古墳は、どこから見ても三重の周濠に囲まれ、樹木が生い茂るにまかせた巨大な丘にしか見えない。墳丘は3段で築成され、左右のくびれ部に造出しが築かれている。
この古墳は、丘陵の先端を利用して築かれた墓ではない。何もない大地を掘削し、盛土して長い年月をかけて築き上げたものである。日本考古学の基礎を築いた梅原末治(1893 - 1983)は、かって築造に要した時間を試算したことがある。1000人の人間を動員できたとしても、4年の歳月が必要だったという。大林組プロジェクトチームが1985年に行なった別の試算では、古代の工法そのままで現在実施すれば、1日あたりピーク時に2000人を動員したとして、延べ6、807,000人、工期は15年8ヶ月、総工事費796億円になるという。
築造時には墳丘全体が葺石で覆われ、2万個以上の円筒埴輪が墳丘上に三重・四重に巡らされていたと推定されている。まさに巨大な人工の丘であり人工の建造物である。その大きさを実感するには、とにかく周囲を歩いてみるがよい。1時間はかかるという。「近つ飛鳥博物館」のメインホールには、築造時の1/150の模型が置かれている。
『日本書紀』によれば、仁徳天皇は癸酉の年に即位したことになっており、治世67年目の冬10月5日に、河内の石津原(現在の堺市石津町から中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地をさだめたという。そして、その月の18日から工事が開始されたが、工事期間中に、野原から鹿が走り出てきて、工事人たちの前で倒れて死んだ。人々が怪しんで調べてみると、その耳から百舌鳥が飛び去った。それで、この地を百舌鳥耳原と名付けたという地名起源説も併せて記されている。
仁徳天皇は、それから20年後の治世87年目の1月16日に崩御し、その年の10月7妃に百舌鳥野に埋葬したという。その崩御年は西暦399年とされている。しかし、『古事記』は丁卯の年の8月15日に崩御したとし、年齢を83歳としている。干支年の丁卯は西暦427年であり、一般には、『古事記』の記述を採用し、5世紀前半死亡と見なしている。それゆえ、大仙古墳の築造年が5世紀前半と推定されてきたが、その推定を覆すような発見があった。
昭和50年(1975)、この古墳の西南隅の三重目の濠の外側と接した部分で、大阪府教育委員会が発掘作業中に円筒埴輪の破片がいくつか出土した。その埴輪片は、明らかに5世紀後半、場合によっては6世紀初め頃までずれ込む特徴を示していた。もし埴輪の編年が正しければ、円筒埴輪と仁徳天皇の没年とは半世紀から1世紀近いズレがあることになり、古墳の被葬者は仁徳天皇ではないことになる。
柏木政矩が描いた長持形石棺
別の証拠もある。明治5年(1872)9月、大仙古墳の前方部正面が台風で土砂が崩れ、竪穴式石室が露呈した。そのとき、柏木政矩(かしわぎまさのり)という画家が石室に入り、内部の様子をスケッチ風に作図した。その図面が、大阪城天守閣にある大阪市立博物館に保存されている。
柏木政矩が描いた長持形石棺は、蓋の前後左右に各々2個ずつ縄掛け突起が造り出されているが、この突起がほかの古墳のものに比べてかなり大きい。さらに、蓋が厚く断面が家形石棺に似ていて、長持形石棺のもっとも新しい段階、すなわち6世紀初めころの特徴があるという。
石室内に残されていた短甲は、鉄に金メッキした銅板を張り付けたものらしく、柏木は総体銅鍍金と注釈をつけている。また2枚の金属板を止め合わせるのに革ヒモではなく鋲(びょう)が用いられていて、古墳時代後期に近い特徴を備えているという。
だが、前方部の竪穴式石室に埋葬されていたのは、この古墳の主ではない。前方後円墳では被葬者は後円部の中心に葬られ、その他の場所は親族や関係者、あるいは副葬品だけをまとめて埋めることが多い。上空から確認したところによると、この古墳の後円部の墳頂には小さな土まんじゅうがあり、その周りを江戸時代に設けられた石柵が楕円形に取り囲んでいるという。
大仙古墳は陵墓として宮内庁の管轄下にあるため、学術調査すら一切禁止されている。そのため、古墳の主を埋葬する後円部中央の石室の様子などわかっていないはずだ。だが、古文献の調査で意外なことがすでに判明している。江戸前期までに石室は盗掘によってすでに掘り尽くされ、石棺の蓋もとっくに持ち去れているというのだ。貞享2年(1685)の時点で、すでに石室の天井石が露出していたので、堺奉行が修理し、その13年後の元禄11年(1698)には、江戸幕府が石室の周囲の竹垣を巡らし保護したことが記録れている。
宝暦7年(1757)に編纂された『全堺詳志(ぜんかいしょうし)』によって、石棺の大きさは長さ1丈5寸(3.18m)、幅5尺5寸(1.65m)、厚さおよそ8寸(0.24m)だったことが分かっている。だが中には何も残っていなかったそうだ。新井白石も、そうした事実を認識していて、「御陵はあばかれて、石棺の蓋の石、堺の政所の庭の踏み石となれりという」と記している。
在野の考古学者・中井正弘氏は、この古墳を暴いたのは豊臣秀吉であるとする面白い仮説を立てておられるそうだ。堺政所の庭石とされた石棺のふたは2.5トンの重量がある。これを運び出すには、三重の濠を埋めるなど大規模な土木工事が必要である。代表的な自由都市の堺を支配下においたとき、秀吉は陣頭に立っていくつかの古墳を破壊し、その土砂で濠を埋めた前科があり、秀吉ならやりそうなことだ、というのがその根拠だ。
海外に流出した大仙古墳からの出土遺物
アメリカのボストン博物館には、仁徳陵出土品として獣帯鏡、三環鈴、馬鐸、環頭太刀の柄頭(つかがしら)の4点が所蔵されている。環鈴の形状や環頭太刀の柄頭の形状から類推して、これらの出土品は5世紀後葉から6世紀初めのものと考えられている。本当にこれらの品々が仁徳陵古墳からの出土品であれば、『日本書紀』や『古事記』が語る仁徳天皇の年代観と大きく異なり、仁徳天皇の陵墓に充当できなくなる。しかし、ボストン美術館に所蔵されるまでの経緯を調べたところでは、仁徳陵古墳から出土したことを直接裏付ける証拠はないらしい。
http://www.bell.jp/pancho/travel/furuiti-mozu%20
kofungun/daisen-kofun.htm
誰の墓なのかわからないのに、世界遺産なんかに認定されようか?
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