英ベテランロックバンド「ローリング・ストーンズ」のミック・ジャガーさんが、約40年前に米国のバイクチーム「ヘルズ・エンジェルス」によって暗殺を企てられていたが、暗殺者らを乗せたボートが嵐によって転覆したおかげで命拾いしていたことが分かった。
英BBCラジオが3日に放送を予定しているドキュメンタリー番組の中で、米連邦捜査局(FBI)の捜査官が同暗殺計画の詳細を明らかにした。
同番組のトム・マンゴールド氏がサンデー・テレグラフ紙に語ったところでは、ジャガーさんとヘルズ・エンジェルスは、1969年のオルタモントでの無料コンサートでエンジェルスのメンバーがローリング・ストーンズのファンを殺害したのを受け、関係が険悪になっていた。
その後、ヘルズ・エンジェルスはジャガーさんの邸宅に海側から侵入する暗殺計画を立てたが、嵐のせいでボートが転覆して失敗に終わったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080303-00000056-reu-ent
暗殺と聞いて、政治的なものを想像しましたが。。。オルタモントの悲劇に絡んでの事ですか。ストーンズと政治はやはり関係ありませんでしたね。。。
政治関係と言えば、先日こんなニュースが出てました。
異色の仏ファーストレディー ミック・ジャガーとも浮名
フランスのエリゼ宮(大統領府)は2日声明を出し、サルコジ大統領(53)が再婚したことを確認した。新妻カーラ・ブルーニさん(40)は元スーパーモデルで人気歌手。派手な恋愛遍歴でも知られる。伝統的価値観から外れた女性をファーストレディーに選んだのは、人気が落ち目の大統領にとって「一種の賭けだ」と仏評論家は指摘している。
「愛は長続きしても、燃えるような情熱を抱くのは2、3週間だけ」―。カーラさんはこんな発言をしたことがある。
浮名を流した相手は歌手ミック・ジャガー氏、実業家ドナルド・トランプ氏、ファビウス元仏首相ら数多い。6歳になる男児をもうけた哲学者と一緒に暮らす前には、その哲学者の父親の愛人だったという。最近も英紙などにヌード写真が掲載されたばかり。
今後も歌手活動を続けるとみられ、大統領と擦れ違いの生活になるのではと心配する声がある。政治的にも、右派の大統領とは逆の左派支持者だ。
http://www.asahi.com/international/update/
0203/JJT200802030001.html
これもあまり政治とは関係ありませんでした。。。

ヘルズ・エンジェルス
(Hells Angels)は、アメリカ合衆国のオートバイ・クラブ。1948年にカリフォルニア州フォンタナで結成された。現在でもカリフォルニアの地方支部は活発な活動を続けている。クラブ名の「Hells Angels」はハワード・ヒューズが監督したイギリス陸軍航空隊を描いた映画『地獄の天使 Hell's Angels』から取られたものである。同クラブは世界中の22カ国に189の支部を持ち、およそ2,000人のメンバーが所属している。バイクに乗ったアメリカの日本で言うヤクザである。
歴史
ヘルズ・エンジェルスは1960年代の非合法・反体制活動の象徴として語られることが多い。彼らは売春や麻薬の密売といった非合法活動から多くの資金を得たと見なされるが、彼らは組織的に非合法活動を行ったのではなくクラブの個々人がそのような活動に個人的に深く関わっていたと主張している。アメリカ国内の辺境部、特に南部および南西部では、ヘルズ・エンジェルスがメタンフェタミン(覚醒剤)の生産および密売に深く関わっていたとの主張がある。
ヘルズ・エンジェルス・オートバイ・クラブ(Hells Angels Motorcycle Club, HAMC)は、「単なる」オートバイ・クラブであると公言している。
クラブは「アウトロー・バイカー」の組織であると見なされるようになる。彼らが関係した多くの活動は不法なものと見なされ、いくつかの国ではクラブ自体を不法なものとした。彼らは自らを「1%クラブ」と呼び(アメリカン・モーターサイクリスト・アソシエーションが「99%のバイク乗りは遵法的である」と主張したことによる。)、メディア・センセーショナリズムの犠牲者であるとし、メンバーのほとんどは遵法的な市民であると主張している。
ヘルズ・エンジェルスの最初の支部であるオークランド支部は特に悪名高く、その悪名はラルフ「ソニー」バーガーとの関係によるものであった。ソニー・バーガーは自叙伝『Hell's Angel: The Life and Times of Sonny Barger and the Hells Angels Motorcycle Club』を執筆し、同書は国際的なベストセラーとなった。バーガーは刑務所で十年以上服役し、釈放後はオートバイ小説を執筆した。彼は結局自社ブランドのビールを創立することとなった。
HAMCはさらに世界中で多くの支部を組織している。
オルタモントの悲劇
恐らくヘルズ・エンジェルス史上最悪の出来事は1969年のオルタモント事件であると思われる。同事件の一部は1970年の映画『ギミー・シェルター』[1]に記録される。カリフォルニア州オルタモント・スピードウェイで行われたローリング・ストーンズ主催による、ジェファーソン・エアプレインらが出演したフリー・コンサートで、エンジェルスは群衆整理として500ドル相当のビールを報酬として雇われた。ストーンズが「アンダー・マイ・サム」を演奏しているとき(しばしば「悪魔を哀れむ歌」演奏中の出来事とされるが誤りである。)、エンジェルスのメンバー、アラン・パサーロによって黒人青年のメレディス・ハンターが殺害された。パサーロはその後正当防衛として釈放された。
エンジェルスはコンサート後、メディアの注目を集めることとなる。自身の活動を正当化し、事件におけるHAMCの立場を説明するためソニー・バーガーはカリフォルニアの地方ラジオ局に出演した。彼は群衆がヘルズ・エンジェルスのオートバイを破壊した後は単に暴力がスタートするだけだと主張した。
ベトナム戦争の時代ともいえる1960年代、エンジェルスは海外で紛争中のアメリカ軍に対して「奉仕」を申し入れた。アメリカ軍はエンジェルスの申し入れを取り上げなかったが、カウンター・カルチャーの理想として彼らを認めていた大衆はこの申し入れを裏切り行為として見なすようになった。バークレーで行われたベトナム・デイ・コミッティー行進のデモ参加者をヘルズ・エンジェルスが攻撃すると、彼らと対立する反戦文化グループとの反目はより具体的な暴力事件として明らかになった。反戦団体「ジョン・ブラウン・ブレザレン」の6人のメンバーはカリフォルニア州サンフランシスコでエンジェルスを攻撃し、4名を殺害した。
自伝の中で、ソニーバージャーのバイクが盗まれて、全メンバーに連絡を取りバイクを探させたと言う話がある。そのバイクのタンクにはスイート・コカインと書いてあった。そのバイクはFounderと誰もが知っていたのだが盗んだ者はそれを知らず、しばらくして売ろうとしたところで見つかって半殺しの目に遭ったらしい。
カナダ
対ディズニー訴訟
2006年3月、ヘルズ・エンジェルスは商標権侵害でウォルト・ディズニーを訴えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%
82%BA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%
B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B9
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