三浦和義容疑者(60)と親交のある出版プロデューサー、高須基仁氏は28日午後、ニッポン放送『テリー伊藤 のってけラジオ』に生出演し、1981年の一美さん銃撃事件について「(三浦元社長が)真犯人は3人いる、として事件の検証番組の制作をテレビ局プロデューサーに売り込んでいた。私はその名前を知っている」と発言した。
高須氏は、テリー氏に対し、「昨年9月から、彼(三浦元社長)は日本テレビ、テレビ朝日に声をかけ、真犯人捜しにロスに行こうと仕掛けていた」と説明。その後、「(三浦元社長は)昨年11月にロスを訪れ、帰国した」と高須氏に報告したという。
“真犯人”の名前について、高須氏は「公共の電波では言えない」と言及しなかった。
テリー氏が、サイパンで三浦元社長が逮捕されたことを「肉を切らせて骨を断つ作戦か」と水を向けると、高須氏は「そう。彼にとっては真犯人を特定するしか戦う道はない。人生をかけてやるには、アメリカでやるしかないと思っていたのではないか。昨日、(サイパンで)彼は笑っていたが、相当に自信を持っていると思う」と三浦元社長の心境を代弁した。
放送後、高須氏は夕刊フジの取材に対して、「三浦元社長が周辺に話している“真犯人”は日本人です。彼は、(有罪となった)一美さん殴打事件の再審請求と銃撃事件の真犯人の特定をしたかったのだろう。3人の名前は、やはりいえない」と話した。
三浦元社長の弁護人だった弘中惇一郎弁護士が、同容疑者の渡米そのものを否定していることには、「私には『ロスに行ってくる』『帰ってきた』と話しているし、彼の所属事務所社長にも、同じことを言っている。実際にパスポートをチェックしたわけではないが、彼がそう言っていたことは事実だ」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080228-00000000-ykf-ent
その真犯人3人の中に、三浦和義は含まれてるのかえ?
大体、その証言をしてる高須基仁というのも、わけがわからん存在ではある。
高須 基仁
(たかす もとじ、1949年12月9日 - )は静岡県掛川市出身の出版プロデューサーで、モッツ出版株式会社の代表取締役。静岡県立掛川西高等学校、中央大学経済学部卒業。息子は編集者・格闘技ライターの高須基一朗。
人物
中央大学在学中は学生運動に熱中。卒業後は玩具メーカーのトミーに入社し、「UNO」「黒ひげ危機一発」「プラレール」など多数のヒット商品を生み出す。その後、芸能事務所、制作プロダクションの経営を経て、ヘアヌード写真集をプロデュースする「毛の商人」となった。
マネーの虎
マネーの虎では、数回の出演のみであったが、視聴者に強烈な印象を残した。男の志願者に対しては非常に厳しく罵り、女の志願者にはニタニタしながらもお金を出さなかったり、滅茶苦茶なことを勢いだけで押し通すという突っ込まれどころ満載な部分もまた印象を残した理由の一つと言える。
無国籍パスタ屋を開店したいという志願者が、あざみ野辺りに店をオープンしたいと言っていたが、別の社長(小林敬)に「大阪に少し手直ししたら使える物件があるからそこでやらないか?」と言われ、「是非、小林さんの下で頑張りたい」と答えたことに対して憤った。また、その時に志願者に対して「ここにきて一回持ってみろ!」と現金1600万円を持たせたが、大半の視聴者には持たせる意味が理解できなかった。そして、終始「旗」という言葉を口にし、「旗を立てたら動くな!」「旗ってのを忘れちゃダメよ!」などと唸り散らした。マネーの虎収録後、それらの逸脱ぶりを吉田栄作は「まさに総会屋を思わせる一幕でした」と表現した。
それらの突っ込みどころに反応する人間には逆に受けが非常によく、基仁がマネーの虎に出なくなった[1]際には日本テレビに「高須基仁をマネーの虎に復活させて下さい」というメールを何十通も出す人間が出た程である。
著書
* 危機突破の「駆け引き」術
* 美神(ヴィーナス)たちの裸心
* 散骨
* 号外!口害!高須新聞
* 毛(ヘア)の商人
* 毒舌対談
* 美女のつぶやき
* エロス・ジャンキ−究極対談
* 美女が脱ぐ瞬間(とき)
* 私は貝になりたい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%A0%8
8%E5%9F%BA%E4%BB%81
もう1人の登場人物、矢沢美智子については。。。
実行犯の元ポルノ女優は今…服役終え「雇われママ」に
もうひとつの「ロス事件」
ロス事件のひとつ「一美さん殴打事件」で実行犯として逮捕され、栃木刑務所に服役した元女優(47)。三浦和義容疑者(60)の愛人だったこの元女優が行った犯行告白が逮捕のきっかけとなった。数奇な運命に翻弄(ほんろう)された元女優は今、どうしているのか。
「これでやっと、報われたんじゃないですかね…」。都内で飲食店を経営する女性(64)は「三浦容疑者逮捕」を聞き、感慨深げにこう話した。
女性は栃木刑務所に激励に訪れるなど、入所中も塀の外から元女優を支え続けた。2人の付き合いが始まったのは約20年前。当時経営していた東京・六本木のジャズバーに、事件後、元女優が客として訪れたのがきっかけだった。
「店に通ううちに色々相談に乗るようになって、事件のことも打ち明けてきました」
元女優の郷里は福島県只見町。地元の高校を卒業後、21歳で女優を目指し上京した。だが、三浦元社長との出会いで運命は空転する。三浦元社長は1981年6月中旬、報酬1500万円と結婚を条件に妻の一美さん=当時(28)=の殺害を依頼。渋々求めに応じた元女優は同年8月、ロサンゼルス市内の『ザ・ニューオータニホテル・アンド・ザ・ガーデン』で一美さんをハンマー状の凶器で殴打、負傷させた。
被害届が出なかったため、罪にも問われずそのまま帰国するが、一美さん死亡の報を受け、良心の呵責(かしやく)に苦しむようになる。
「純粋な子だったから、自首すべきか何回も相談されました」
84年、サンケイ新聞(当時)で犯行を告白したことが契機で、翌年9月に殺人未遂容疑で逮捕された。2年6カ月の実刑判決が下され、刑期を1年余残した1年5カ月で仮出所する。
「出所後は、旅行代理店の会社員と結婚してスペインに移住しました。でも、うまくいかなくて帰国しました」
帰国後、知り合いの紹介で六本木でホステスとして働き始めた。その後、売れっ子となり銀座に移籍した。しばらく疎遠が続いたある日、数年ぶりに顔を見せる。
「小学生の娘を連れて、『子供できました』って。とても嬉しそうでした」
しばらく家族ぐるみの付き合いを続けたが、店の移転も伴い、3年ほど前から音信が途絶えた。
「事件後は温泉に連れて行ったり、彼女の心の傷を癒やすため色々やりました。事件はもう完全に過去のもの。今となってはいい思い出です」
元ポルノ女優という経歴も世間の好奇の目を集めた。当時を知るフリーライターの本橋信宏氏(51)は「初めて見たのは82年の夏。日活の『にっかつ新人女優コンテスト』出演の時でした。最終審査で堂々とブラをはずしたのが印象的。その時すでに、事件を起こした後だったんですね」と振り返る。
「年に1000人以上の女優が注目されることもなく消えた。彼女もその中のひとり」(日活関係者)だったが、本名で出した作品が「ロス疑惑事件番外編」として売り出されるなど、事件の影に翻弄(ほんろう)され続けた。
2年前まで経営していた都内のクラブを閉じ、今は都心の繁華街で雇われママをしているという。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_02/g2008022821_all.html

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こういうゴシップ事件に、関心を示す人ってかなり惨めな生い立ちをしょっているとか・・・
もちろん、本人の意識しない幼少時のことだそうですが