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2008年02月26日

NYフィルが平壌で初公演

ニューヨーク・フィルが平壌で初の公演

北朝鮮の招待で訪朝した米国のニューヨーク・フィルハーモニックは26日、平壌の東平壌大劇場で公演を行った。金正日総書記は現れなかったが史上初の米朝文化交流は世界15カ国に生中継され、公演では北朝鮮国歌「愛国歌」、次いで米国国歌「星条旗」が演奏された。米国の求める核計画申告を拒否、6カ国協議が膠着(こうちゃく)している中、北朝鮮主導の「歴史的公演」の狙いは、国際社会に向け雪解けムードを演出することにあるようだ。

 演壇の左右には北朝鮮国旗と星条旗が立てられた。北朝鮮側の観客はすべて招待客で音楽・文化関係者で、国歌演奏では楽団員だけでなく約1500人の観衆が全員起立した。名匠ロリン・マゼール音楽監督の指揮で、ドボルザークの「新世界より」やガーシュインの「パリのアメリカ人」などに加え、アンコールで朝鮮民謡の「アリラン」も演奏された。

 平壌公演は昨年7月、米朝ベルリン会談で北朝鮮の金桂寛外務次官がクリストファー・ヒル米国務次官補に提案した。北朝鮮は8月に正式な招待状をNYフィルに送り、10月にNYフィルのメータ会長が訪朝。最終的には昨年12月、ヒル次官補が訪朝し、米国国歌演奏などの条件で合意した。

 ヒル次官補は合意にあたり「公演は北朝鮮の米国に対する見方の変化を象徴している。核問題を進展させるうえでも役立つ」などと述べた。このため、米中国交正常化のきっかけとなった「ピンポン外交」になぞらえ、「バイオリン外交」(AP通信)と評価するメディアも。24日に北京で記者会見したNYフィルのザリン・メータ会長は「平壌の反米スローガンがすべて撤去された」と語った。

 だが、北朝鮮側で今公演の準備を担当したのは金桂寛外務次官はじめ核問題と対米政策担当者で、米国、韓国の北朝鮮専門家からは、今回の公演は北朝鮮「政治宣伝」に利用されたとの懸念も出ている。米国は毎年4月下旬にテロ支援国家指定を発表しており、この時期を視野に入れているのではとの観測もある。

 NYフィルは27日、北朝鮮の朝鮮国立交響楽団と共演する予定。 

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/
080226/kor0802262004003-n2.htm


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<NYフィル>北朝鮮で初公演 金総書記は姿見せず

米国の名門オーケストラ「ニューヨーク・フィルハーモニック」が26日夜、北朝鮮の東平壌大劇場で公演した。米交響楽団が同国で演奏するのは初めて。米朝両国は、本格的文化交流により関係改善ムードを演出したい考えだが、核計画の完全申告をめぐり足踏み状態が続く6カ国協議の進展につながるかどうかは不透明だ。

 韓国MBCテレビの実況中継によると、最高指導者の金正日(キムジョンイル)総書記が会場に姿を現したとの情報はなかった。

 北朝鮮の政府関係者や韓国の南北事業関係者などを含め約1500人が見守る中、現地時間午後6時に開演した。ステージの左右には米朝両国の国旗が掲げられた。ロリン・マゼール氏の指揮で、北朝鮮の国歌とともに米国国歌が北朝鮮で初めて演奏された。

 演奏曲目はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」やガーシュウィンの「パリのアメリカ人」など。フィナーレには朝鮮半島の民謡「アリラン」が奏でられた。

 公演は李明博(イミョンバク)韓国大統領の就任式(25日)の翌日に開かれた。北朝鮮側には、韓国に対抗し、米朝関係改善をアピールする狙いがあった可能性が指摘されている。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20080226-00000121-mai-int



ニューヨーク・フィルハーモニック

(New York Philharmonic)はアメリカのニューヨークを本拠に活動しているアメリカでもっとも伝統あるオーケストラである。アメリカビッグ5[1]と言われるオーケストラのひとつ。英語表記のNew York Philharmonicの頭文字をとってNYPと表記される事がある。その長い歴史の中で必ずしも常に最高の演奏水準を保ってきたわけではないが、伝統的にとくに管楽器に名手を多く擁し、幅広いレパートリーに対応できる柔軟性を誇っている。ニューヨーク・フィル自身の自主制作CD "The Historical Broadcasts 1923 to 1987" のブックレットには、ニューヨーク・フィルの特徴を「どの指揮者にも合わせることのできる『カメレオンのような』柔軟性」と記されている(p.23)。他のアメリカの主要オーケストラ(たとえば、オーマンディとフィラデルフィア、セルとクリーヴランド、ショルティとシカゴ、クーセヴィツキーや小澤征爾とボストン)に比べると、特定の指揮者との長期間の結び付きは、ニューヨーク・フィルにはない。そのことが逆に、ニューヨークという巨大な無国籍都市のオーケストラにふさわしい現代性と機動性を醸し出しているといえるだろう。

ニューヨーク・フィルの歴史

草創期のニューヨーク・フィル

創立はウィーン・フィルと同じ1842年、この年の4月に「ザ・フィルハーモニー・シンフォニー・ソサエティ・オヴ・ニューヨーク」(The Philharmonie Symphony Society of New York)が設立され、同年12月7日にウレリ・コレッリ・ヒルの指揮のもとで初めてのコンサートが開かれた。演目は、カリヴォダの序曲、ベートーヴェンの交響曲第5番など。

1877年から1891年までフィルハーモニーは後にシカゴ交響楽団の創設者となるセオドア・トーマスを常任指揮者に迎えた。トーマス在任中の1878年に現在のニューヨーク・フィルの前身のひとつであり、その当時はニューヨーク・フィルの強力な好敵手だったニューヨーク交響楽団がレオポルド・ダムロッシュの手で創設される。その7年後にダムロッシュが逝去すると、後任には彼の息子であるウォルター・ダムロッシュがニューヨーク響の常任におさまることになる。

ニューヨーク・フィルのかつてのホームグラウンドだったカーネギー・ホールのオープンは1891年の5月5日のことである。1893年には、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の世界初演を行った。

ニューヨーク・フィルは1909年にグスタフ・マーラーを常任に迎え 演奏レヴェルの向上につとめ、楽団員をフルタイムの団員とした。第一次世界大戦中の1917年10月にはレコード録音も始まっている。

第1次大戦後-ニューヨーク・フィルの拡大

ニューヨーク・フィルは1921年にナショナル交響楽団を、1923年にはニューヨーク・シティ交響楽団を吸収し、両オーケストラの吸収に伴いジョセフ・ストランスキーとヴィレム・メンゲルベルクのふたりが常任の地位を分け合う双頭体制がスタートした。1924年には、教育者としても名高い作曲家のアーネスト・シェリングによって、青少年のためのコンサート (Young People's Concert) が開始されている。

1925年からの2年間、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがフィルハーモニーへ集中的に客演している。ストラヴィンスキー「春の祭典」のアメリカ初演は、フルトヴェングラー指揮のニューヨーク・フィルである。1927年からアルトゥーロ・トスカニーニとウィレム・メンゲルベルクの双頭体制に代わり、1928年3月20日には最大のライバル、ニューヨーク交響楽団を吸収した。これによって名称は「ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団」となった。この吸収合併の際、オーディションを担当したのは、メンゲルベルクである。また、トスカニーニの時代には木管楽器(とくにファゴット)にドイツ式システムを採用することで機動性が格段に増し、弦楽器にはユダヤ系奏者が多数在籍して表情豊かな演奏を聞かせた。トスカニーニの厳格なトレーニングとも相まって、正確なアンサンブルが高く賞賛された。1930年のヨーロッパ演奏旅行では、まだまだアメリカのオーケストラを低く見る風潮が強かった当時のヨーロッパ楽界に、大きな衝撃をもたらした。今でも、1930年代がニューヨーク・フィルの最盛期であったと評価する向きもある。ユダヤ系奏者が多かった( 1933年のナチス・ドイツ成立によって迫害され、ドイツから逃れてきたユダヤ系奏者が多かった)ことから、「ジューヨーク・フィル」と呼ばれることもあった。

1936年にトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任を退き、その後任にはフルトヴェングラー、フリッツ・ブッシュの名前が挙がったものの実現せず、当時まだ30代だったジョン・バルビローリが引き継いだ。バルビローリは清新な気風を吹き込んだが、いかんせん大カリスマの後では経験不足は否めず、オーケストラは低迷期に入る。翌年の1937年には同じニューヨークを本拠とし、前常任指揮者のトスカニーニを冠に戴いたNBC交響楽団が設立された。1942年から1943年にかけての創立100周年を記念するシーズン中常任を置かず、客演指揮者の出演が続いた。

1943年から1947年にかけてはアルトゥーロ・ロジンスキーが常任のポストについている。彼のために「音楽監督」の称号が新設された。1943年11月14日には当時ニューヨーク・フィルの副指揮者だったレナード・バーンスタインが、ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルに伝説的なデビューを飾った。曲目はリヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」、シューマンの「マンフレッド序曲」、ミクロス・ロージャの「主題と変奏と終曲」、アンコールにワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲が演奏されている。

戦後-音楽顧問ワルターとミトロプーロスの時代

ロジンスキーは厳格なトレーニングでニューヨーク・フィルを立て直しつつあったが、あまりにも厳格な姿勢が楽員から疎まれ、また、現代曲を積極的に取り上げたプログラム・ビルディングは理事会からも反発をくらった。彼はズボンの尻ポケットにピストルを入れてオーケストラとの練習に臨んでいたという。 1947年から1949年にかけてまたもや音楽監督を置かず、ワルターが音楽顧問という形でニューヨーク・フィルの中心的存在となっていた。1949年から50年は、レオポルド・ストコフスキーとギリシャ出身のディミトリ・ミトロプーロスが、同じ立場を継いだ。1951年、ミトロプーロスが音楽監督となった。彼はリハーサルからすべてを暗譜でおこなうという驚異的な記憶力の持ち主で、切れ味鋭い解釈と集中力の高い演奏は、高く評価されていた。残された録音を聞いても、彼の個性が色濃く反映された名演が多い。レパートリーも広く、とくに現代曲を多く取り上げたが、これがまた楽員や保守的な聴衆から反感をかった。1940年代から70年代までの長きにわたって首席オーボエ奏者をつとめた伝説的な名手ハロルド・ゴンバーグは、ミトロプーロス反対運動の中心人物でもあった。オーケストラは求心力を取り戻せないまま低迷が続き、ニューヨークの音楽界やマスメディアには、フィルハーモニックの救世主を待望する論調が見られるようになってきた。

栄光のバーンスタイン時代

1957年、音楽監督ミトロプーロスは「首席指揮者」という肩書きに変わり、同じ地位を若きアメリカ人指揮者、レナード・バーンスタインと分け合う体制となった。翌1958年、低迷する名門を救うべしという世論に応えるように、バーンスタインがアメリカ人で初めてニューヨーク・フィルの音楽監督となった。彼はコンサートの回数を増やし、楽員の雇用形態も安定させ、レコーディングも積極的におこなった。

バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は、この誇り高き扱いにくいオーケストラの楽員たちを、またたくまに手なずけた。彼のスター性と相まって、バーンスタインとニューヨーク・フィルとのコンビによるレコーディングやテレビ放送にも注目が集まり、ニューヨーク・フィルの黄金時代が到来した。1958年から1973年までバーンスタインが担当した "Young People's Concert" は、テーマの選定だけでなく楽曲の選定と構成、台本執筆ともバーンスタイン自身がおこなっている。充実した内容と斬新なテーマ設定は、啓蒙家バーンスタインの面目躍如たるシリーズである。1961年には本拠地をリンカーン・センター内のエイヴリー・フィッシャー・ホール(開場当時の名称はフィルハーモニー・ホール)に移転、楽団の名称が「ニューヨーク・フィルハーモニック」に簡略化されたのもバーンスタイン時代のことである。この時代のオーケストラ奏者には、フルートのジュリアス・ベイカー(在籍1965-83)、オーボエのハロルド・ゴンバーグ(同1943-77)、クラリネットのスタンリー・ドラッカー(同1948-現在)、ホルンのジェームズ・チェンバーズ(同1946-69)、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ(同1935-73)、打楽器奏者のソール・グッドマン(同1926-72)、ウォルター・ローゼンバーガー(同1950-85)らが名手として名高い。コンサート・マスターは、ジョン・コリリアーノ(1943-66;作曲家ジョン・コリリアーノの父親)、デイヴィッド・ネイディアン(1966-70)であった。バーンスタインは音楽監督を退いた後も、桂冠指揮者としてこのオーケストラと密接な関係を保ち、最晩年まで演奏会での共演やレコーディングを重ねた。1960年代に完成させたマーラーの交響曲全集(一部別のオケ)は、世界最初の偉業である。その他、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスの交響曲全集と、モーツァルト、ハイドン、メンデルスゾーン、シューベルト、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチの主要交響曲を録音し、管弦楽作品と協奏曲もバロックや古典から現代曲まで、膨大な数のレコーディングを残した。自身の作品も含め、コープランドやエリオット・カーター、ルーカス・フォス、ウィリアム・シューマンなど、現代アメリカの音楽を積極的に演奏したのも彼の功績に数えられよう。アイヴズの第2交響曲を世界初演(1951年)したのも、バーンスタイン指揮によるニューヨーク・フィルである。

バーンスタイン以後

1969年にバーンスタインが音楽監督を辞任した後、人選は難航したが、ジョージ・セルが音楽顧問としてつなぎ、1971年から作曲家としても名高いピエール・ブーレーズが常任指揮者となった。ブーレーズは徹底してオーケストラを鍛え直し、合奏精度を著しく高めた。ブーレーズとの70年代の録音には、バーンスタイン時代と同じとは思えないほど透明度の高い音色を聞かせるものが多い。それが、ラヴェルやバルトーク、ストラヴィンスキーなど、ブーレーズの中心的レパートリーである20世紀の音楽には良くマッチしているが、一方で、演奏が伸びやかさを欠いているものも少なくない。

その後、1977年からズービン・メータが音楽監督に就任した。ロスアンジェルス・フィルを躍進させた手腕に期待が集まったが、もうひとつその期待に応えきれなかった感は残る。メータ時代には管楽器の世代交代も進み、ジョゼフ・ロビンソン(オーボエ、在籍1978-2005年)、ジュディス・ルクレアー(ファゴット、同1981年- )、フィリップ・スミス(トランペット、同1978年- )、フィリップ・マイヤーズ(ホルン、同1980年- )、ジョゼフ・アレッシ(トロンボーン、同1985年- )など、現在も活躍中の多くの名手が採用されている。1991年からはクルト・マズアが音楽監督となり、馥郁としたしなやかさと香りをオーケストラに与えた。とくに弦楽器のアンサンブルが向上している。2002年の9月からはバーンスタイン以来2人目のアメリカ人指揮者としてロリン・マゼールが音楽監督を務めている。

本拠地が豊かな残響のカーネギー・ホールから、音響の悪いエイヴリー・フィッシャー・ホールに移ったせいもあり、バーンスタインが音楽監督を退いてからは彼の時代ほどの名声を勝ち得ていないのが現状である。2004年には本拠地をカーネギー・ホールへ戻そうという動きが具体化していたが、スポンサーの関係で移転は不可能となった。

しかしながら、マゼールの音楽監督時代になってからは、前任者マズアがアンサンブルを鍛え直した成果もあって、すっきりした細身のアンサンブルながらかつての輝かしい音色を取り戻しつつあり、評価は再び高まりつつある。とくに、首席トランペット奏者フィリップ・スミスと首席トロンボーン奏者ジョゼフ・アレッシのコンビは、世界でも1、2争う名手の組み合わせである。木管セクションも世代交代をほぼ終えて音色が若返り、コンサートマスターには 1980年以来、名手グレン・ディクテロウが座っている。安定した技術と合奏精度を聞かせるオーケストラに脱皮したといってよいだろう。世界的なCD不況の影響で録音が少なかったが、2005-06年のシーズンから、ドイツ・グラモフォンと提携してライヴ録音のインターネット配信(iTunes)を開始した。オーケストラによる新しい音楽媒体の利用法として、注目される。

2007年7月、アラン・ギルバートが2009年秋より音楽監督に就任すると発表された[2]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3
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この公演を資金援助したのは、永江洋子という日本人だそうだ。


NYフィル、来月平壌公演 日本人富豪が資金提供

 米国と北朝鮮の初の本格的な文化交流となる2月のニューヨーク・フィルハーモニック平壌公演は、イタリア在住の日本人富豪チェスキーナ・永江洋子さん(75)が資金を提供している。公演実現に向け交渉が進んでいた昨秋、同フィルの依頼を引き受けた。世界各地のオーケストラや有望な音楽家への支援で知られるチェスキーナさんだが、米朝の政治的な思惑も絡む今回のような公演での個人支援は異例だ。

 資金提供は先月の公演決定の際、同フィルが記者会見で明らかにした。チャーター便を韓国のアシアナ航空が提供。MBC放送(韓国)も支援するが、2月26日のコンサート本体はチェスキーナさんの資金が支える。額は明らかになっていない。

 チェスキーナさんは熊本出身の元ハープ奏者。ベネチア留学中に出会った夫のレンツォ・チェスキーナさんが82年に亡くなり、その遺産をもとにロシア・サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場指揮者ワレリー・ゲルギエフさんらなど自らが評価する数々の音楽家への支援を続けている。

 平壌公演への資金提供は昨年9月ごろ打診された。同フィルにとって平壌公演は、米ソ雪解けを背景にした59年のソ連公演に匹敵する「音楽使節」としての活動。「公演の性格上ビジネス色を排除しようと、個人で支援する私に白羽の矢が立ったのでは」と話す。

 米朝関係が改善する中、拉致問題の置き去りを懸念する日本国内の感情が気になったが、「関係を友好の方向に持っていき、そこから問題を話し合うという方法もあるのでは」とも考えた。

 公演では自らも平壌入りする。「私は『音楽が好き』の一心。音楽を聴いて楽しい。それが何かの糸口になってくれれば」と話している。

http://www.asahi.com/culture/music/TKY200801110295.html

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2ちゃんねるあたりで、売国奴としてケチョンケチョンではある。。。







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