第89回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)は第15日の22日、阪神甲子園球場で決勝があり、再試合を含め6試合を勝ち抜いてきた佐賀北(佐賀)が、5―4で広陵(広島)を下し、初優勝を決めた。試合は、40年ぶり決勝進出の広陵ペースで進んだが、8回に逆転満塁本塁打で形勢を一気にひっくり返した。
佐賀北は左腕馬場が先発。広陵はエースの右腕野村が先発した。

馬場は初回、打者3人で終え、無難な立ち上がり。一方、野村は佐賀北の2、3番に連続四球を与え、1死一、二塁のピンチを迎えたが、後続を三ゴロと三振にとった。
2回表、広陵は先頭打者・山下からの3連打で無死満塁とし、二ゴロの間に先取点。スクイズ失敗、連続四死球で2死満塁とし、櫟浦の左前安打で2点目を挙げた。ここで佐賀北は馬場をあきらめ久保に投手交代、後続を断った。
佐賀北は3回裏、2死から井手がチーム初安打を放ったが、後続を三振にとられ無得点。
4回表、広陵は岡田淳の右中間二塁打に犠打、死球を絡め2死一、三塁の好機をつくったが、追加点はならなかった。
5回表、久保は2安打と四球で2死満塁のピンチを招いたが、後続を三振にとり、追加点を許さなかった。6回にも、安打、四球などで1死二、三塁のピンチを堅守で切り抜けた。
追加点が欲しい広陵は7回表、内野安打と死球で1死一、二塁とし、野村の左中間を抜く二塁打で2点を加え、リードを広げた。久保は甲子園に来て初の失点。
佐賀北打線は、野村の速球にスライダー、カーブなどを織り交ぜた投球に的を絞りきれず、7回まで1安打、10三振に抑えられてきたが、8回裏、馬場、代打新川の連打に続き、辻、井手の連続四球でまず押し出しの1点。なおも1死満塁の好機に、副島が左越え本塁打を放ち一挙4点を加え、逆転した。

9回表、広陵は先頭の林が左前安打で出塁したが、犠打で一気に三塁を突こうとしてタッチアウト。後続も三振に倒れ、試合終了となった。
http://www.asahi.com/sports/update/
0822/TKY200708220175.html
7回表の追加点で広陵の勝ちかと思いましたが。。。やはり高校野球で4点は安全圏ではありませんでした。副島のホームランお見事でした。
このくそ暑い中、選手達は本当にご苦労様でした。
佐賀県立佐賀北高等学校
(さがけんりつさがきたこうとうがっこう)は佐賀県佐賀市にある佐賀県立高等学校。
概要
佐賀市および周辺の学区内では一般に北高の通称で呼ばれ、文書などで表記上佐北の略称を用いる場合がある。新聞やテレビでのスポーツ報道における呼称は佐賀北。全日制のほか、佐賀県内で唯一の通信制教育を行っている。九州では数少ない芸術コースを持つほか、佐賀県で初めて単位制教育を始めた。佐賀市内では、佐賀県立佐賀西高等学校、佐賀県立致遠館高等学校に次ぐ進学校。
1963年に佐賀県立佐賀高等学校が3校に分離(佐高分離)して発足した本校は、設立当時はまだ住宅が少ない佐賀市西部の郊外にあり、市中心部の城内地区で佐賀高校の伝統を色濃く受け継いだ同じ分離校の佐賀県立佐賀西高等学校に比べ、あまり格式や学歴信仰にとらわれることなく佐賀県内では比較的自由な校風を醸成した。(佐賀高校から受け継ぐ伝統は制服や、秋に開かれる北高祭の前夜祭であるファイヤーストームなどがある)
しかしこうした自由な校風は一方では真面目さやひたむきさを軽んじる風潮ももたらし、1970年代以降「北高は学業、スポーツとも中途半端」という評価ができてしまった。1980年代半ば、勉学においては本来高いポテンシャルを持つと言われながら進学状況が芳しくなく「入学時は県内で佐賀西、唐津東に続く3番手グループなのに、卒業時は半分以下」などと嘆かれることがあった。
佐高分離後の学業面における序列でみると、佐賀市内の県立高校では佐賀西高等学校に次ぐ2番手だった。1988年に新設された致遠館高等学校に後れをとり3番手となったが、以後はむしろ、芸術コースや単位制の導入といった独自色を打ち出しつつ進学率や進学先の内容が向上している。また、スポーツ競技でも全国を舞台に活躍する事例が増えるなど、かつてに比べて文武両面で勢いがある。
1990年代からは、同窓会館館長だった糸山芳則がスポーツ大会などに学生服姿で応援に駆けつけ「粘れ、気張れ、頑張れ」と唱える三バレ精神が有名となり、生徒の精神的支柱となっていたが、2006年に健康面の理由で館長職を退いた。
全日制の生徒数は佐高分離後も県内最多が続き、おおむね1学年13クラス600人前後、致遠館高等学校の開校以後は10ないし9クラス。少子化の影響で2004年度以降入学は8クラスとなった。1学年の定員ベースでは佐賀西高等学校、佐賀東高等学校と同じ320人で現在も県内最多である。
卒業後は佐賀県内にとどまったり、県外に進学後社会人になって帰郷する人が多く、佐賀県庁、県教職、県警、地元金融機関やマスコミにOBが多数存在する。
沿革
経緯
旧制佐賀中学校の流れを汲んで戦後発足した男女共学の佐賀県立佐賀高等学校が60クラス3000人と国内最大のマンモス校になり、1961年に佐賀県教育委員会が佐賀高校の分離を表明した。旧制佐中以来の伝統を重んじる佐賀高OBをはじめ、佐賀高等女学校、成美高の各関連高校同窓会、婦人会などは、男女別学や女子校新設などによる分離を要望。佐賀県高等学校教職員組合は別学に反対したほか、学校の格差拡大が懸念される県教委案の自由志願制ではなく総合選抜による均質分離を求めるなど議論が続いた。翌62年、佐賀県教委は男女共学と自由志願での分離を決め、63年に佐賀北高等学校、佐賀西高等学校、佐賀東高等学校の3校がスタートした。
年表
佐賀県立佐賀高等学校
1949年 佐賀第一高等学校(旧佐賀中学校)、佐賀第二高等学校(旧佐賀高等女学校)、成美高等学校(旧成美高等女学校)が統合し佐賀県立佐賀高等学校が発足。
1956年 佐賀市上多布施町中折(現在の佐賀市天祐)に佐賀高等学校北校舎が完成。鉄筋3階建て普通教室36教室(4574平方メートル)
1957年 新築北校舎本館に第1学年生徒1000人収容。
1958年 北校舎に特別教室第1棟と渡り廊下(1693平方メートル)、特別教室第2棟と渡り廊下(1587平方メートル)完工。
1960年 北校舎に管理棟(1531平方メートル)完工。
1961年 佐賀県教育委員会が佐賀高校分離を表明。男女別学の試案をまとめる。
1962年 北校舎に体育館(1356平方メートル)竣工。弓道場養神館北校舎敷地に移築。佐高分離問題で議論が白熱。佐賀県教育委員会は佐賀高等学校の北校舎と西校舎(佐賀市城内)にそれぞれ佐賀北高等学校、佐賀西高等学校を設置し、佐賀市北川副町に新設する佐賀東高等学校とともに男女共学、自由志願とすることを決定。
佐賀県立佐賀北高等学校
1963年 佐賀県立佐賀高等学校より佐賀北、佐賀西、佐賀東が分離発足。 佐賀北高等学校第1回生645人が入学。佐賀高等学校は2年生の男子全員と女子の一部、3年生の女子の大半が校舎を共用。佐賀高等学校通信制は廃止され、佐賀北高通信制と併合。
1964年 入学生689人。佐賀高等学校は3年生女子11クラスが校舎を共用。格技体育館「雄心館」竣工。校旗制定。
1965年 入学生689人。佐賀北高等学校の第1、2、3学年がそろい、佐賀高等学校は歴史を閉じる。50メートルプール、音楽教室完工。
1966年 校歌(高田保馬作詞、豊増昇作曲)制定。
1967年 食堂兼同窓会館「青雲館」完工。
1970年 指導別館完工。学校所在地表示変更により佐賀市上多布施町中折三本黒木1310番地から佐賀市天祐2丁目6番1号となる。
1973年 北高創立10周年記念式典挙行。
1979年 北高会館竣工(3階建て781.58平方メートル)。
1981年 特別教室棟改築竣工(4階建て3357平方メートル)。体育部室改築竣工(160平方メートル)。
1982年 テニスコート(3面)竣工。北高創立20周年記念式典挙行。
1985年 推薦入試を開始。
1988年 普通科内に芸術コースを新設。 青雲館解体。
1989年 新音楽棟(592平方メートル)完工。旧音楽教室取り壊し。普通教室棟西側を大規模改修。全校舎が土足から上履きに変わる。
1990年 普通教室棟東側を大規模改修。
1992年 米グレンズフォールズ高校と姉妹校締結。北高創立30周年記念式典挙行。校訓制定。
1996年 旧体育館北側に新体育館竣工。全日制・通信制とも、1996年度新入生より単位制となる。
1997年 芸術コース10周年記念式典挙行。
2006年 北高会館食堂を改装。
2007年 野球部が第89回全国高等学校野球選手権大会で初優勝。
教育方針
自主・自立を重んじ、知性を高め人格の完成をめざす。
心身ともにバランスのとれた能力の伸長を図り、個性を磨く。
自由と責任を両立させて、明るく、思いやりのある学校生活を作る。
社会の変化に対応できる柔軟性、創造性、国際性を身につける。
校章
楠の若葉に2つの実をデザイン。形は縦に細長く萌黄色を当てており、若々しくはつらつとしたさまをイメージしている。高柳種行作。楠の緑はスクールカラーにもなっている。
校歌
高田保馬作詞、豊増昇作曲で全4番。校名は1番のラスト1カ所のみ出てくる。卒業式など節目節目に歌われるが、秋に開かれる北高祭の前夜祭であるファイヤーストームでも3番までしか歌わない。このため、平和への願いをこめた歌詞が秀逸と一部で評価の高い4番を歌える現役生徒、OBはほとんどいない。校歌とは別に北高賛歌(富永みさを作詞、小出芳憲作曲・全3番)と佐賀北高逍遥歌(富永みさを作詞、立石直之作曲・全3番)があり、男子はストームで必須の歌となっている。
著名な関係者
出身者
古田求(脚本家、1966年卒=1回生) - 西遊記シリーズ(日本テレビ・1978年−)、忠臣蔵(テレビ朝日・2004年)、映画「バルトの楽園」(2006年)など担当。
富吉賢太郎(ジャーナリスト・コラムニスト、1968年卒=3回生) - 佐賀新聞社論説委員長。佐賀新聞1面コラム「有明抄」の(賢)氏。
岸川勝也(元プロ野球選手、1984年卒=19回生) - 現役時代は南海ホークス(のちに福岡ダイエーホークス)−読売ジャイアンツ−横浜ベイスターズで主砲、代打の切り札として活躍。現在は読売ジャイアンツ2軍打撃コーチ。
八谷和彦(メディアアーティスト、1985年卒=20回生) - メールソフト「ポストペット」の開発者。ペットワークス代表。
村岡格(アナウンサー、1993年卒=28回生) - STSサガテレビ報道制作部主任。
夏秋佳代子(女優、1994年卒=29回生) - テレビ、映画、CM、舞台などで活動中。
田中拡邦(ミュージシャン、1998年卒=33回生) - MAMALAID RAGのギター&ボーカル。
中越典子(女優、1998年卒=33回生) - 2003年NHK連続テレビ小説「こころ」で主演。他「おとなの夏休み」(日本テレビ・2005年)など出演。
中野洋司(プロサッカー選手、2002年卒=37回生) - Jリーグ1部アルビレックス新潟のDF。高校時代の2001年にU-18日本代表に選ばれたことがある。
エピソード・伝説など
野球部で屈指の強打者として後にプロ入りした岸川勝也は、在校中に校内練習で打球を頻繁に校外に飛ばし、道向かいのマンションや商店をたびたび直撃していたため、学校グラウンドに高さ10メートルの外野ネットが設置された。生徒や教職員の間では設置当初から岸川ネットと呼ばれ、ネットが6メートル高くなった今もその名を残す。[2]
教職員
溝邉ゆかり(新体操部監督・シドニー五輪日本代表、2004年から教諭) - 2000年シドニーオリンピック新体操全日本チームの主将。佐賀女子高等学校出身。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80%E5%8C
%97%E9%AB%98%E6%A0%A1
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