直木賞作家で、東京都知事や参院議員を務めた青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが20日午前9時半、江東区内の病院で死去した。死因は血液がんの一種である骨髄異形成症候群。74歳だった。
1932年、東京・日本橋の仕出し弁当屋の次男に生まれた。早大大学院在学中に漫才の台本を書き始め、20歳代で放送作家としてデビュー。「シャボン玉ホリデー」を手がけるなど草創期のテレビ界で活躍した。テレビドラマ「意地悪ばあさん」では主演を務め、お茶の間の人気を集めた。大ヒットした「スーダラ節」の作詞を手がけ、初めての小説「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」では直木賞を受賞するなど、文化人として多彩な才能を発揮した。
政界でも活躍した。35歳だった68年、参院の全国区に初めて立候補し、120万票を集めて初当選するなどタレント議員のパイオニア。故市川房枝参院議員の遺志をついで「二院クラブ」の代表を務め、「選挙に金をかけるから後で回収しようとして政治腐敗が起きる」との考えから、以後は街頭演説など選挙運動らしいことをしないスタイルを確立した。
参院5期目の95年には東京都知事選に立候補。自民、社会、公明など主要政党が相乗りした官僚出身候補に約50万票差をつけて圧勝した。
都知事就任後、公約通り世界都市博覧会は中止したが、その後は都官僚と協調路線を取ることも多くなり、選挙時に支持した市民団体からは「ミスター公約違反」と批判を浴び、1期4年で知事を退いた。
01、04年の参院選にも立候補したが落選し、04年に政界からの引退を表明した。
http://www.asahi.com/national/update/1220/TKY200612200258.html
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年7月17日 - 2006年12月20日)
東京都中央区日本橋出身の作家、作詞家、タレント、放送作家、映画監督。その他、元参議院議員、元東京都知事などの政治家としても活躍。多彩な経歴を持つ。
政治家としては都知事就任以前はカリスマ的人気を誇り、選挙期間中は選挙運動を一切しないのに高得票で当選した。しかしながら、都知事時代はめぼしい業績を残さなかったことや都市博中止以外の公約を反故にした行政をしたことにより、そのカリスマ性も薄れ、以後、選挙に出馬するも落選する。
経歴
1932年日本橋堀留町の仕出し弁当店・弁菊の次男として生まれる。
1955年4月に同大学院商学研究科修士課程商学専攻に進学し、療養生活を送る。1956年6月に中退した。
1966年、映画『鐘』を製作、主演・製作・脚本・監督を担当した。同作はカンヌ映画祭の国際批評家週間に入選した。
1981年、『人間万事塞翁が丙午』で同年上半期の直木賞を受賞。
政歴
1968年、参議院議員選挙に全国区から立候補し2位で初当選。タレント議員のパイオニア的存在となる。無所属議員による院内会派第二院クラブに所属。或る日佐藤栄作が「自分は参院選の応援の為に日本全国を回った」と得意気に話すので、「自分はテレビでの知名度が有って当選できた。選挙の立候補者も放送を通じて政見を述べれば良い」と答える。そして青島の提案に拠り、政見放送が実施される。
1971年予算委員会の代表質問において、与党自民党に対する財界からの政治献金の莫大さを批判、首相の佐藤(自民党総裁)を「総理は財界の男妾」と一刀両断、大いに物議を醸した。
1974年の2期目の参院選より、候補者の青島自らが街頭演説などの選挙運動を一切しないという独自の選挙活動を行なう。これは青島が超有名人気タレントだから可能な戦法であった。
1989年4期目途中で消費税法案の強行採決に抗議して議員を辞職するが、直後に予定されていた参院選に立候補するものの落選した。この行動は、中途辞職による比例代表名簿下位登載者の繰り上げ当選と、自身の当選によって所属会派の議席増をもたらすため、「比例代表制度を恣意的に利用するものである」と批判された。
1989年、韓国の盧泰愚大統領宛に『在日韓国人政治犯の釈放に関する要望』という署名を133名の国会議員と連名で提出し、日本人拉致実行犯辛光洙ら29名の無罪放免を訴えた。
1992年の参議院選挙で、国会議員に返り咲く。
1995年の東京都知事選挙に初当選。
2001年、二院クラブ代表に復帰。参院選に比例区から出馬するが落選。
2004年の参議院選挙に東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬したが落選。
2006年12月20日午前9時30分ごろ、骨髄異形成症候群による合併症のため永眠。享年74。
人物像
東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)に入学するが学制改革に遭い、数ヶ月で新制早稲田大学高等学院に転校。早稲田大学第一商学部に進学(旧制高等学校と新制高等学校の入れ替え時期と重なり、特例にて無試験入学)。卒業間際に結核を患ったので就職を断念。
療養中に銀座でバー「カランタス」を経営。そのとき書いた漫才台本がNHKのコンクールで採用されたことをきっかけに放送作家としての活動を開始。『おとなの漫画』(フジテレビ)、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)等の構成をし、放送作家本人が画面に登場する「青島だァ!」のギャグで一躍有名になる。
コミックソングの作詞家としても才能を発揮し、番組で関わったハナ肇とクレージーキャッツや坂本九らの作詞をする。特に作曲家萩原哲晶とのコンビでの作品で数多くのヒットがある。代表曲として『スーダラ節』、『黙って俺についてこい』、『ハイ、それまでよ』(クレイジーキャッツ、植木等)、『明日があるさ』(坂本九)がある。
金丸信と東京佐川急便の癒着疑惑につき、検察庁が罰金のみの略式起訴で幕引きを図ったときには抗議のハンガーストライキを行い、多くの国民の支持を集める。
1995年の東京都知事選挙は、当初、与野党相乗り候補で内閣官房副長官を長年務めた石原信雄の当選が有力視されていた。しかし、青島は開発中の臨海副都心地区で開催が予定されていた世界都市博覧会を中止するとの公約を掲げ、東京都知事選に無所属で立候補し、大方の予想を裏切り1,700,933票を獲得して、自民、社会、公明、新党さきがけ相乗り推薦の石原信雄を破って初当選する。「国民の政党に対する不信感の表れ」と評された。都市博中止決定への異議に対し、「中止補償は金で購いが付く。青島は約束を守れる男かそうでないのか、信義の問題なんだ!」と一喝した。しかし、都市博中止以外に特に目立った施策はなく、その上、都市博中止でもっとも迷惑を被った零細企業・町工場に対する保証は不十分であった。以後は二信組救済の税金投入せず等他の公約を守る事も無く官僚・役人任せの行政に終始した。1期を務め1999年に任期満了で退任、後継指名した鳩山邦夫は次点。
青島幸男の当選について、功績を残さず、また公約を破り都民の期待を裏切ったという点で批判が多く、自民党支持者など石原信雄の当選を望んでいた人からは行政実績のある石原のほうがよかったと主張する向きもある。また野党支持者からも、官僚任せにせず青島の公約を支持する野党や市民運動などと協力しながら政治を行なうべきだったとの批判がある。これに対して、青島の当選は鈴木都政の継承、与野党相乗り候補、官僚畑である石原信雄候補に対する反発という形で表われたものであり、その点、政党の側にも都民の顔を向いた都政を行おうとしなかったことに対する反省が必要だとの意見があり、評価は分かれている。野坂昭如が青島を批判したところ青島が「てめえなんかホームレス以下だ」と発言し批判される一面もあった。スーダラ都政と週刊誌に皮肉られた事もある。
2004年の参議院選挙に東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬。ポスターには「選挙にも行かないでがたがた抜かすんじゃねぇこの野郎!! 青島だぁ文句有るか?!」の極めて挑発的な言葉を書き、自分が嘗て作詞した歌『どんと節』の選挙版の替え歌(自己パロディ)を陽気に3回も熱唱し歌の合間に政見を少し話すと言う極めて異色な政見放送を行なった([1])。596,272票を獲得したが、次点で落選した。自らの後継として、娘の青島美幸を立てるなど、それまで批判してきた世襲政治をも踏襲し、政治家としての評価は地に落ちた。
その他
俳優として、テレビドラマ『意地悪ばあさん』(長谷川町子原作 / レギュラー放映:1967年〜1969年、1970年〜1971年、1981年〜1982年)に主演の意地悪ばあさん(波多野たつ)の役で出演。自身で作詞した主題歌『意地悪ばあさんのうた』も歌った。
ちなみに、日本のテレビで最初にエイプリルフールネタを披露したのは彼であるといわれている。おとなの漫画内でギザギザの線が書かれた紙を上下に動かしテレビの故障を思わせる演出だったが、当時そういったことが一般的ではなかったために当然ながら苦情が殺到した。
また、テレビ司会者としても1968年より11年間に渡り「お昼のワイドショー」(日本テレビ)、高見知佳との名コンビで広く支持された「追跡」(日本テレビ)、議員初当選以前には「TBS歌のグランプリ」(TBS)など、数多くの番組で活躍した。
なお1998年には絵画「循環」で二科展入選を果たしたこともある。
また高度経済成長期に「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」(ハナ肇とクレージーキャッツ『どんと節』)と作詞して<ニッポン無責任時代>を演出した立役者でもあるが、青島自身にサラリーマン経験は皆無。「うちのお父さんはサラリーマンですが、ちっとも気楽じゃありません。あんな歌はやめてください」という苦情の手紙を受け取ったことがある。青島は「卒業、就職の時期に結核を患い、やむなく大学院に籍を置いて、療養生活を余儀なくされ、身の保証の何一つないヤクザな稼業に追いやられた私としては、『サラリーマンがナンボのもんじゃい』とうらみがましく思っていた」(『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』)と語っている。
あまり知られていない仕事としてドラマのストリーテラーというのがある。1969年〜1970年にかけて円谷プロダクションが製作した大人向けの特撮ドラマ恐怖劇場アンバランスで青島はストリーテラーとして全13回すべてに出演していたのである。これは製作元の円谷プロがアメリカの怪奇ドラマミステリー・ゾーンに倣いストリーテラーが案内してドラマが始まるという筋立てで製作して倣った作品のロッド・サーリングに相当する人物として抜擢したわけである。しかしフジテレビがスポンサーがつかないとの理由で3年間店晒しにしたためこの功績はまったく知られずにとなってしまったのである。
影響
漫画『天才バカボン』のバカボンのパパは知らないルールがあると「国会で青島幸男が決めたのか?」、また自分で勝手にルールを作ったときには「国会で青島幸男が決めたのだ!」と問うのが決まり文句だった。
ドラマ『踊る大捜査線』では主人公の青島俊作が「都知事と同じ青島です」と自己紹介していた。
音楽作品
歌唱
ヤシの木陰のクリスマス(作詞・作曲:青島幸男、編曲:牧野信博、2000年11月29日発売)
作詞
演じた俳優
萩原流行 - 『シャボン玉の消えた日』(日本テレビ)
石黒賢 - 『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語』(フジテレビ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/
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上記の政見放送
74歳、まだまだ若いのに。。。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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