ジーコ前監督はオシム監督とは別のターミナルから出発した。大勢のサポーターによる見送りはなく、日本代表フィジカルコーチの里内猛氏、J1鹿島の鈴木満強化部長らが労をねぎらうように空港まで付き添った。ジーコ氏は「日本と別れるつもりはない。一時的に離れるが、気持ちはずっとみんなと一緒」と話し、静かな笑顔を浮かべて出国した。
http://www.sanspo.com/sokuho/0629sokuho013.html
オシム監督が来日、所属のジェフ千葉と話し合いへ
サッカー日本代表の監督への就任を要請されているJリーグ1部(J1)千葉のオシム監督が29日、成田空港着の航空機で来日した。27日にオーストリアで日本協会側と直接交渉したものの「簡単に結論は出せない」と結論を保留している。千葉のクラブハウスへ移動し、今季の契約が残るクラブ側と話し合う。
★残留希望のファン集まる−成田空港
成田空港ではオシム監督の残留を求める千葉のファンが早朝にもかかわらず数十人、チームのユニホームやマフラーを身に着けて集まった。ドイツ語で「ジェフで僕たちとチャンピオンになろう」と書いた横断幕を掲げた男性は「日本サッカー協会のやり方はおかしい」と抗議した。
オシム監督の引き抜きともとれる日本協会のやり方に不満は高まっている様子。「W杯敗退の総括すらまともにできない日本サッカー協会におれたちのオシムは渡せない」とのメッセージを掲げる男性もいた。
http://www.sanspo.com/sokuho/0629sokuho006.html
人生の観察眼
オシム監督の言葉とは
サッカー日本代表の監督就任を要請されている、J1千葉のイビチャ・オシム監督(65)は来日四年目、Jリーグの下位常連だったチームをいきなり優勝を争うまでに変えた。何よりも、豊富な経験から導き出されるひと言が、選手やファンの心をとらえる。「私にとってサッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない」と語るオシム監督の言葉とは。
二十七日、オーストリア・グラーツ。オシム邸前で待つ約五十人の記者団の前に老練の士は姿を見せた。白髪、ギョロリとした目、一九一センチの巨体は威厳を感じさせるが、表情は話すうち柔らかくなった。
「まず、クラブと話をしなければならない。私は日本に行った時は有名ではなかった。よくしてくれた千葉のお陰(かげ)だ」
契約が残っている千葉との話し合いを経て、日本代表監督についての結論を出す考えを報道陣に伝えた。「妻の意見はどうかって? 妻はいつも一緒だ。私を批判する人間が必ず一人は居るようにとね」
オシム監督は、指導を受ける千葉の選手らが「なんで、ここに居るのか分からない」と話すほど、欧州で名前が通った存在だ。二〇〇三年から指揮するJリーグでは、チームの快走と合わせて、難解な比喩(ひゆ)や機知に富んだ話しぶりの評判が高まり、まず会見に記者が殺到した。本紙のサッカー担当記者は「会見場に早く行かないと入れない」こともあったと説明する。
ファンの期待に応えてチームは公式ホームページ(www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/)内に「オシム監督語録」をつくった。
「ライオンに襲われそうになったウサギが逃げる時に、肉離れをしますか?(けがをするのは)要は準備が足りないのです」
「家でゆっくり眠れていない選手がいる。だから、その代わりにグラウンドで寝ている。その代償は大きい」
「(ロシアの革命家)レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」
千葉の躍進を支えるのは、ダッシュや持久走など練習での徹底的な走り込みだ。通常の二倍に当たる四十五分×四本の練習試合も平気で取り入れた。当初、選手らも「『マジかよ?』と思った」(MF羽生直剛選手)と、未知の練習の質と量に戸惑った。疲れ切ると不満が漏れた。広いピッチを使った少人数のミニゲームでは攻守の瞬時の切り替えや、味方のサポートを要求し、頭を使わせる。
「走るだけなら陸上選手に任せる。重要なのは考えることだ」
妥協を許さない指導と、人を引きつけるユーモアの持ち主に、かつてはレアルマドリードを含め欧州の強豪クラブが監督就任の声をかけた。しかし、オシム氏が選ぶのは大きなお金が動き、采配(さいはい)もしばられる強豪ではなく、いつも選手の成長が見てとれるような小さなクラブだった。
心臓を患って監督業から引退した後、なぜ来日したのかを「何よりも決め手になったのは、祖母井(うばがい)(秀隆・千葉GM)が何度もオーストリアまで訪ねてきてくれたことだ」と話す。
オシム氏は一九四一年五月、旧ユーゴスラビア、サラエボで生まれた。ドイツ軍のユーゴ侵攻から一カ月後のことだ。戦後、再建される多民族国家の旧ユーゴ出身であることが、サッカー人生にも影響する。
現役時代は、ユーゴ代表の主にFWで活躍、指導者としては同代表監督(八六−九二年)やオーストリアのクラブで多くの実績を残してきた。
九〇年のワールドカップ・イタリア大会ではストイコビッチ、サビチェビッチら才能豊かな選手がそろうユーゴを率いて8強入り。初戦は、「各民族代表」やプレーの華麗さを求めるメディアやファンの注文通りの選手起用でわざと負け、次戦から外野の声を封印してみせた采配が語りぐさだ。
準々決勝のアルゼンチン戦では退場者を出しながら、最後までマラドーナ選手を封じ込み、引き分け(PK戦負け)に持ち込んだ。
■『それでも人生は続く』
「オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える」の著書があるジャーナリスト木村元(ゆき)彦氏は、オシム氏から取材した<歴史的にあの地域の人間はアイデアを持ち合わせていないと生きていけない。目の前の困難にどう対処していくのか。どう強大な敵のウラをかくのか、それが民衆の課題だ>との話を引き合いにこう分析する。
「彼は意図的に狙った言葉を言っているわけではない。ふだんからサッカーだけでなく、人生全般について鋭い観察眼を用いながら考えて行動する。それを言葉で表現していると思う」
■多民族国家旧ユーゴ出身 戦火に生きる
九〇年代に入っての一連のユーゴスラビア紛争でも、オシム氏は戦火のサラエボに妻が閉じこめられ、再会を果たすまで二年半の苦難を強いられている。
東京大の柴宣弘教授(バルカン近現代史)は、多民族の社会主義国家という非常に複雑な背景を背負った旧ユーゴでは、ストレートにモノを言うことには制約があり、ユーモアを交えて独特な話しぶりをする人が少なくないと解説する。
「旧ユーゴ出身者でもセルビア人は陽気すぎるぐらい陽気で、ボスニア人は頭が固いという評判だった。オシムにはユーモアと共に原理原則は変えない部分も感じる。ボスニア生まれと社会主義の双方の影響かな。日本人は新鮮な印象を受けるだろう」
■明確な練習 伸びる若手
選手の目線から、オシム氏を語るのは元日本代表、元名古屋グランパスのFWで、旧ユーゴのスロベニアリーグでも活躍した森山泰行選手(FC岐阜)だ。
「向こうのサッカーは体格も大きく、日本より激しい。同時に、欧州のブラジルと呼ばれ、ストイコビッチのようなテクニシャンも生んだ。オシム監督は世界を知るうえ、練習も狙いがはっきり分かるので評判がいい。千葉で若手を育てた功績があり、日本代表監督になっても期待できる」
ドイツでW杯取材中のサッカージャーナリスト、大住良之氏は「各国の記者から『次はオシムなんだって?』と声を掛けられる。代表やクラブでの実績と同時に、権威に屈せず、自分の考えを貫く人間性もよく知られている。これが常識だから、というような考え方をしない人だ」と話す。
オシム監督について「日本人は体が小さく、パワーもないが、すばしっこく、持久力がある。千葉の指導では、それをすぐに見抜いて力を引き出そうとした。考えに柔軟性もあるので代表に当てはめるのかは分からない。日本代表には事業やスポンサーとの関係など制約があるから監督がしたくてもできないことがある。大事なのは、日本サッカー協会が監督と考えをすり合わせ、いい形に調整できるかどうかだ」とみる。
前出の木村氏がオシム監督の発言でもっとも印象的だと挙げるのは、「それでも人生は続く」というシンプルな言葉だ。
「開き直り、というわけじゃないと思う。窮地に陥った状況でそれを打開していくときに自戒を込めて言っているのではないか。この言葉にはいつも励まされる」
<デスクメモ> 世界のエリート層は同じ言葉をしゃべる。ところがサッカーは庶民のスポーツなので、戦い方に国民性や気候の違いまでが色濃く表れるのだと聞いた。さらに監督の個性も加わるから面白い。日本は紋切り型(トルシエ)をやめ、散文的(ジーコ)にW杯に挑んだ。次期監督には、ぜひ詩的で機知ある表現者を。
http://www.tokyo-np.co.jp/
00/tokuho/20060629/mng_____tokuho__000.shtml
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