トリノ冬季五輪第16日の25日、アルペンスキー男子回転を行い、1回目3位の皆川賢太郎(アルビレックス新潟)は合計1分44秒18の4位に入り、湯浅直樹(北海道東海大)も1分44秒57で7位と大健闘、半世紀ぶりの入賞を遂げた。
佐々木明(ガーラ湯沢)は1回目8位につけたが、2回目で途中棄権した。生田康宏(東京美装)は47位だった。
大回転優勝のベンヤミン・ライヒが1分43秒14が優勝するなど、オーストリア勢が3位までを占めた。(共同)
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わずか0秒03差でメダルに手が届かなかった。3回目の五輪となったアルペンスキー男子回転の皆川賢太郎選手(28)。大けが、成績低迷、後輩の台頭…。この4年間に味わった苦難と屈辱を乗り越え、大舞台で果敢な滑走を見せた。
2002年のソルトレークシティー五輪後、ひざの前十字靱帯(じんたい)を断裂。選手生命の危機に見舞われた。体にメスを入れると筋肉をゼロからつくり直さないといけない。手術後の成績は低迷した。
「賢太郎の時代は終わったとみんな思っていた」と振り返るのは、生まれ育った新潟県で少年時代にスキーを教えた札幌五輪代表の柏木正義さん(57)。「成績が出なくてもモチベーションを下げないで3年待て。3年目に勝負できるから」と励ました。
実際に昨年のワールドカップから好成績を出し復活を遂げる。
逆境にめげない精神力は幼少のころに培われた。「おまえ何がやりたいの。オリンピックに出て勝負したいんだろ」。柏木さんはスキーの技術だけでなく、気構えをたたき込んだ。父の日課に倣い、毎朝欠かさずに走った。雨の日も吹雪の日もスキー場へ通った。
五輪には苦い思い出しかない。大学生で初出場した長野は途中棄権。メダル獲得を公言したソルトレークは旗門不通過で失格に終わった。
「借りを返したい」との思いを胸に、どん底からはい上がって挑んだ3回目の五輪。強気の発言は影を潜めて「自然体で臨みたい」と語った。北海道・北照高校の後輩、佐々木明選手(24)に注目が集まる中、「僕は2番手」とさらりと言えた。
「けがから復活して、今の賢太郎が1番強い」。柏木さんがそう言って送り出したトリノ。北照高スキー部の工藤裕監督(56)も「ふた皮むけた。物事を冷静に見られるようになった」と心身両面の成長を評価していた。
http://www.sankei.co.jp/news/060226/spo004.htm
惜しい!
でも、これは大賞賛に値する!
何しろ、猪谷千春以来50年ぶりの入賞。
4位皆川と3位の差は0.03秒。
1回目の中盤急斜面の小さなミスがなければ。。。
期待された佐々木は残念でした。スラロームでは良くあるミスなんですが。。。
湯浅直樹はオリンピック初出場で7位。「次はメダルを狙います!」って言葉が心強い!
ちなみに、メダルのプレゼンターは前述猪谷千春氏だったとか。
氏も「日本人にメダルを渡したかったが、よく頑張った」とコメントしたそうです。
渡されたかった。。。
皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )
新潟県湯沢町出身。チームアルビレックス新潟所属。父は元競輪選手。
1998年、長野オリンピック代表、2002年、ソルトレークシティオリンピック代表。2006年、トリノオリンピック代表。
2000年2月、ワールドカップ・回転、オーストリア・キッツビューエル大会で、ゼッケン60番から6位に入賞し、世界のトップスラローマーの仲間入りを果たした。同年3月、韓国・ヨンピョン大会でも6位に入賞している。
2001年、6位、8位、10位、10位と、立て続けに好成績を残し、第1シード入りを果たす。日本人としては4人目の第一シード選手となった。
2001年、11月に足首を捻挫、その怪我をおして出場したワールドカップ・スラローム、オーストリア・シュラドミング大会の2本目にベストタイムを獲得。日本人としては3人目のベストタイム獲得者となったものの、同じシーズンの翌2002年3月、長野県・野沢温泉の大会中に左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う。
以降、2年間は低迷していたものの、2005年、スロベニア・クラニスカゴラ大会で7位に入り、再び上昇の兆しを見せていた。
2006年、第5戦スイス・ウェンゲン大会で自己最高の4位をマーク。オーストリア・シュラドミング大会でも6位に入り、輝きを取り戻した。
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