4日投票の米大統領選で地滑り的勝利を収めた民主党のバラク・オバマ上院議員(47)は4日深夜、地元シカゴ中心部の公園で詰め掛けた支持者を前に勝利演説を行い、「米国に変革が到来した」と宣言、2期8年に及ぶ「ブッシュ政治」からの脱却を約束した。
オバマ氏は、「われわれは共和党の州と民主党の州の寄せ集めではない」と述べ、国民の団結の必要性を力説。米国は分裂を克服しながら問題解決に当たっていくとのメッセージを世界に訴えた。
オバマ氏はまた、課題が山積しているとの認識を示した上で、「前途は長く、登るべき坂は険しい」と指摘。しかし、「目標の地点に必ず到達する」と宣言し、国民を鼓舞した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20081105-00000078-jij-int

米大統領にオバマ氏 民主、8年ぶり政権奪回
米大統領選は四日、開票が行われ、民主党のバラク・オバマ上院議員(47)が勝利に必要な選挙人二百七十人を大幅に上回る三百三十八人を獲得、共和党のジョン・マケイン上院議員(72)に地滑り的大勝を果たし初当選を決めた。人種偏見が根強く残る米国で、黒人が大統領に選ばれたのは初めて。金融危機に端を発した経済悪化に歯止めがかからない中、オバマ氏が掲げた「変革」に人種、世代を超えた幅広い支持が集まり、建国以来の歴史を塗り替えた。
オバマ氏はシカゴで勝利宣言し、人種などを超えた米国の結束を呼び掛けた。マケイン氏は地元のアリゾナ州フェニックスで支持者を前に、オバマ氏の当選を祝福、敗北宣言した。
民主党はクリントン前大統領以来、八年ぶりに共和党から政権を奪回。同時に行われた議会選でも、上下両院で現有議席を上積み、過半数を大幅に上回った。オバマ新政権は行政府(ホワイトハウス)、立法府(議会)ともに民主党が支配する「安定政権」となり、景気対策などで思い切った政策を打ち出す環境が整った。
イラク戦争や金融危機で失墜した世界のリーダーとしての信頼回復が新政権の急務となる。
オバマ氏は第四十四代大統領として、来年一月二十日にワシントンで就任式を行う。任期は二〇一三年一月までの四年。副大統領にはジョゼフ・バイデン上院議員(65)が就く。
投票率は60%超の高水準になる見込み。過去の選挙で投票に行かなかった黒人、若年層が多数、オバマ氏に投票したとみられる。オバマ氏は、前回共和党が獲得したフロリダ州、オハイオ州や、共和党の強固な地盤のバージニア州でも勝利を収め、マケイン氏に大差を付けた。
ハワイ州生まれでイリノイ州選出の上院議員一期目のオバマ氏は、人種や党派対立を超えた「米国の結束」を呼び掛けて出馬。ブッシュ共和党政権との決別を宣言し、イラク戦争の早期終結や中低所得層に手厚い景気対策を訴えた。
経験不足を指摘されたが、カリスマ的な演説を武器に「オバマ旋風」を巻き起こした。金融危機が深刻化した九月中旬以降、経済立て直しへの期待も追い風となり、海軍出身のベテラン政治家、マケイン氏を振り切った。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200811050301.html

バラック・フセイン・オバマ・ジュニア
(Barack Hussein Obama, Jr.[1], 1961年8月4日 - )はアメリカ合衆国の政治家。44代大統領当選者。現在イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員である。政党は民主党。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれたアメリカ史上3人目のアフリカ系上院議員である。ただし母親は白人であるため、混血とも分類される[2]。
経歴
生い立ち
ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニアはニャンゴマ・コゲロ([[Nyang’oma Kogelo[3]]])生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身の白人である。イスラム教の戒律では(少なくとも建前の上では)ムスリムの子はムスリムであらねばならないとされているが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)である。これについてオバマは自伝で「父はムスリム(イスラム教徒)だったが殆ど無宗教に近かった」と説明している。実際には、ハワイにおいて白人である母親と母親の両親によって育てられたという出自である[4]。6歳から10歳まで、母親と、再婚相手のインドネシア人の義父とともに、インドネシアに在住していた経験もある。
コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。
政界に
イリノイ州議会議員
卒業後シカゴに戻り、有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師(lecturer)として合衆国憲法を講じていた。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた。
合衆国上院議員
2004年には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選した。2004年のアメリカ大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。
大統領候補
大統領予備選
2004年以降、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の候補として推す声が地元の上院議員や新聞などを中心に高まっていった。本人は当初出馬を否定していたが、2006年10月、NBCテレビのインタビューに出馬を検討すると発言。翌2007年1月、大統領選出馬へ向けた準備委員会設立届を連邦選挙委員会に提出、事実上の出馬表明となった。そして2007年2月、イリノイ州スプリングフィールドにて正式な立候補宣言を行った。有権者に対し、建国当初のフロンティア精神へ回帰することを呼びかけ支持を集めている。
出馬の演説で彼は「ここ6年間の政府決定や放置されてきた諸問題は、われわれの国を不安定な状態にしている」と述べ、医療保険制度や年金制度、大学授業料、石油への依存度を、取り組みが必要な問題として挙げた。グローバル資本主義に懐疑的であり、大量の失業者を生んだ新自由主義経済政策のNAFTAに反対し国内労働者の保護を訴えるなど、ヒラリー・クリントンよりもリベラルな政治姿勢で知られている。
大統領予備選の第1弾が行われるアイオワ州の地元紙(電子版)により、予備選直前の2007年12月に行われた世論調査では、支持率がヒラリー・クリントンを下してトップであった。その後の2008年1月3日に行われた大統領予備選のアイオワ州党員集会では、保守傾向にある下位候補の支持者や20代の若者などの幅広い層からの支持を集めて、ジョン・エドワーズやヒラリー・クリントンら他の候補者を10ポイント近い大差で破りオバマが勝利した。
同年1月8日に行われたニューハンプシャー州党員集会ではヒラリー・クリントンに僅差で敗北。しかし本人は「私はまだまだやりますよ」と今後の選挙戦勝利に意欲をのぞかせた。同月26日に行われたサウスカロライナ州予備選で、アフリカ系層や若い白人層などから圧倒的な支持を受けてヒラリー・クリントンに圧勝。CNNでは投票締め切りと同時に「オバマ勝利」と報じるほど他候補を圧倒した。
この頃、ジョン・F・ケネディ元大統領の娘のカロラインがニューヨーク・タイムズ紙で支持を表明したが、スーパー・チューズデーではヒラリー・クリントンとの決定的差はなかった。しかしスーパー・チューズデー後は予備選で9連勝し、一気に指名争いをリードした。その後も優位が揺るぐことはなく、5月には特別代議員数でもヒラリー・クリントンを逆転し指名を確実にした。
2008年6月3日に全予備選が終了し、全代議員数の過半数を集めたオバマはヒラリー・クリントンを下し、候補者指名を確定させた。なお予備選の最中に、2006年に次いでグラミー賞朗読部門賞を受賞している。
外交政策に関しては一貫してイラク戦争に反対しているが、一方で治安が悪化しているアフガニスタンやパキスタンなどにアメリカ軍の派遣を「増強すべき」と主張、左派だけ無く保守派への浸透も図っている。また、「私が大統領に選出されれば国際的な核兵器禁止を目指す」とも発言しており、「ロシアと協力し、双方の弾道ミサイルを一触即発の状況から取り去る方針だ。まずは、兵器製造に転用可能な核分裂性物質の生産を世界的に禁止することから始める。そして、米ロ間の中距離ミサイル禁止を国際的に拡大することを目指す」と具体的な内容にも言及している。
大統領選挙本選へ
長い予備選の戦いの末、民主党の大統領候補者の地位を確定的にしたオバマは、2008年8月、副大統領候補として、上院外交委員長を務めるジョゼフ・バイデン議員を指名した。
民主党大会最終日の8月28日、オバマはデンバーにて、彼の支持者の前で指名を受諾する演説を行った。オバマは「次の4年を過去8年と同じにしてはならない」「未来に向けて行進しよう」と呼びかけ、党内の結束を呼びかけた。外交問題については、「粘り強い直接外交を復活させる」とし、「明確な使命が無い限り、戦地に軍を派遣することは無い」と表明した。イラク戦争については、「責任を持って終結させる」とした。
共和党のジョン・マケインを、「ブッシュ大統領を90%支持してきた。残り10%に期待するわけにはいかない」と批判した。オバマは、1963年のこの日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが演説した時に語った「夢」についても話しており、キングが人種差別撤廃への夢について語った話を踏まえて、「われわれの夢は1つになることができる」と述べた。
2008年11月4日、大統領選挙本選(選挙人獲得選挙)において、オバマは圧倒的な大差でマケインを破り、第44代アメリカ合衆国大統領に当選した。
2009年1月20日の大統領就任式で、オバマが正式に大統領に就任すると、建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領となる
知名度
かつては知名度の差でクリントン候補に差をつけられていたが、人を惹きつけるカリスマ的魅力があり、遊説を続けるごとに支持者を獲得している。政策は具体性に欠け抽象的・理念的な話が多いという評価がある一方、演説の説得力はJFKの再来とも形容される。演説の巧みさには定評があり、「We」、「You」を多用した短いフレーズを重ねていく手法を採用している。
また、大統領選挙期間中の資金集めも企業や団体系の献金組織「政治行動委員会」(PAC)から受け取らず、インターネットを通じた個人献金を重視。200ドル以下の小口献金が全体の45%を占め、企業団体献金などを重視したクリントン候補を予備選挙の後半戦で引き離した。
懸念材料
オバマは当選を果たし、「アメリカ史上初の黒人大統領」となる(ただし黒人の父と白人の母親の間に生まれた混血である)。公民権法が施行されてから40年以上が経過するにもかかわらず、未だに深刻な人種差別問題を引きずるアメリカにとって、「黒人大統領」の誕生が与えるイメージ変化は計り知れず、そうした面から当選を願う声も多かった。しかし、「人種差別主義者の過激派(KKKなど)が暗殺を企てるのではないか」という指摘が再三にわたってなされており、選挙戦序盤から厳重な警護がなされている。
また予備選においては、意識的に自らの人種を強調しない戦略をとったにもかかわらず、オバマ一家と関係の深いジェレミア・ライト牧師が白人を敵視するかのような発言を繰り返すなど、選挙戦でも人種問題と無関係ではいられない状況にあった。
なお、20世紀以降に大統領となった人物の多くが知事か副大統領としての行政経験を持ち、若さを売りにしたケネディでさえも、上下院あわせて10年以上の連邦議員経験がある。州議会議員の他は上院議員1期のみというオバマの政治経歴は例外的に短い。このことは「既成の体制から自由である」という清新なイメージを与える点で大きな強みとなる一方、大統領として国家を運営していけるかという根強い懸念を生んでおり、対抗馬による攻撃対象の一つとなっていた。
オバマに対する批判
イリノイ州参議院議員現役時代より、オバマに対して多くの疑惑が報道された。それらを大きく分類すると、腐敗関連問題や極端左翼活動家(テロ前歴者を含む)及び人種間の衝突を扇動する個人・団体との関係が挙げられる。
* 別件で政治関連の贈賄罪等で有罪判決が確定されたトニー・レズコの妻は、オバマ夫妻が一戸建ての自宅を購入する際、隣接の土地を購入し、後にその一部をオバマ夫妻に転売することにより、実質上の不正寄付を行ったと批判されている。[5][6]
* 2008年3月より、オバマ一家が二十年に亘って所属していたトリニティー・ユナイテッド教会(三位一体連合教会)との決裂が広く宣伝された。同教会のジェレマイア・ライト牧師の白人社会に対する過激な発言がABCニュースに報道されたのが原因とされている。[7] [8] 報道直後、オバマをライト牧師がシカゴにおける黒人社会に対する貢献を挙げて弁護しようとしたが、後にライトとの縁を切った。[9] [10] その一環として「もっと完璧な連邦(A More Perfect Union)」と題するオバマの演説が人種問題に言及したのは一時話題となった。[11] [12][13][14]
* 2008年8月21日、ペンシルバニア州の元検事補、フィリップ・J・バーグ弁護士が、オバマその他の被告に対しての確定訴訟を提起した。同訴訟は、オバマの出生地は米国領土であるハワイ州ではなくケニアである故、オバマが当時の法律によって、出生時では米国国籍を有せず、そのため米国憲法上の大統領となる資格を有しないとし、連邦裁判所に於いて禁止命令等の救済を求めたものである。一方オバマ側は、オバマの元の出生証明書を公表しないまま、 2006年発行の出生証明書の一部の記載事項の抄書のみの発表をもって代えており、その点が疑問の根拠とされている。[15]又、2008年10月9日、スティーブン・マークイス氏が、ワシントン州の選挙管理官を相手取り、同州の裁判所に於いて同様の根拠に基づいての訴訟を提起した。[16]
名前
名前を「オサマ」と呼び間違えられることがある。過去にCNNやテッド・ケネディ上院議員、2007年10月にはミット・ロムニー前マサチューセッツ知事がアメリカ同時多発テロの首謀者のオサマ・ビンラディンを説明中にうっかり言いまちがえている[17]。主に共和党などの政敵から[要出典]は、ミドルネームのフセインとサダム・フセインをかけて「フセイン氏」の蔑称で呼ばれている。
これに対して、2008年6月頃から主に若者のオバマ支持者の間で、メールアドレス、Facebookなど一部のSNSや会員制サイトのハンドルネーム、また買い物の会員カードなど、その他名前を登録するあらゆる機会においてミドルネームにフセインと入れる、いわゆる「フセイニアック現象」が起こっている。元々イスラム教に由来するこの名前は、今ではイスラム教徒に限らずあらゆる人種や家系や宗教の若者の間でオバマへの支持を表明する手段となっている。[18]
福井県小浜市では市名にちなみ、観光協会のメンバーを中心として「オバマ氏を勝手に応援する会」を発足させ、親書と市名産の「めおと箸」を送るなどしている。[19][20]。 また、長崎県雲仙市小浜町の小浜温泉でも同様に勝手連が発足し、応援活動を行っている。[21][22]
家族
シカゴ生まれのミシェル(旧氏名ミシェル・ラヴォーン・ロビンソン)と結婚しており、2人の娘を持つ。ディック・チェイニーとは8親等にあたる縁戚である事が夫人のリン・チェイニーから明かされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%8
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