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2008年10月10日

ノーベル平和賞はマルッティ・アハティサーリ氏

アハティサーリ氏ノーベル平和賞=旧ユーゴやアチェで和平調停−「傑出した仲介者」

ノルウェー・ノーベル賞委員会は10日、2008年のノーベル平和賞を、旧ユーゴスラビアやインドネシア・アチェなどで和平の調停役を務めたマルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領(71)に授与すると発表した。同委員会は、アハティサーリ氏が「国際紛争の解決に尽力し、アルフレド・ノーベルの(平和賞創設の)精神である世界平和の向上と『国家間の友愛』を強めることに貢献した」と評価した。
 同委員会は、同氏が30年以上にわたり、国際紛争の仲介で「重要な役割」を果たし続けてきたと指摘。不屈の努力により優れた成果をもたらした功績は、国際紛争で調停が果たし得る役割の模範を示したとして、同氏を「傑出した国際紛争の仲介者」と称賛した。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20081010-00000127-jij-int


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今年6月の産経の記事。。。

アハティサーリ・前フィンランド大統領の原点とは

 マルッティ・アハティサーリ前フィンランド大統領(70)。インドネシア・アチェ和平合意やコソボ独立問題をはじめ数多くの和平交渉を仲介し、ノーベル平和賞の候補にもあがるなど、その名はつとに知られている。国際社会がアハティサーリ氏を必要とするのは、困難な交渉を結実させる彼の手腕ゆえだが、北欧のフィンランドという国家の生き方とも無縁ではない。このほど訪日した同氏へのインタビューを通じ、原点を探った。

  (田北真樹子)

 経歴には、手がけた和平交渉が並ぶ。その端緒は1973年、彼が36歳のときにさかのぼる。駐タンザニア大使として赴任するや、ナミビアの独立に動く南西アフリカ人民機構(SWAPO)や、周辺諸国との関係を構築していく。当時、ナミビアは南アフリカに不法占拠されていた。

 アハティサーリ氏の行動は国連の目にとまる。在ナミビア国連事務総長特別代表に指名され、交渉をまとめあげた。「時間をかけて国連組織の中からいい人材を集めた」と振り返るが、それ以上に大使時代に築いたSWAPOなどとの人脈がモノをいったのは間違いない。「国連が成功を収めた活動の一つ」と自ら胸を張るこの事例は、「アハティサーリ」の名を一躍有名にした。

 約30年間に1万5000人以上が犠牲になったアチェ紛争をめぐる和平交渉は、皮肉なことに、多くの犠牲者を出した2004年のインド洋大津波に後押しされた。アチェも被災し「平和がなければ復興支援で寄せられた支援金などを使うこともできない、と皆が気づいた」と振り返る。インドネシア政府と独立派武装組織「自由アチェ運動」(GAM)は一転して和平に前向きとなり、翌年、合意に至った。アハティサーリ氏が調停に従事してからわずか7カ月ほど。その早さは「例外的だった」。

 昨年、セルビアからの独立を目指すコソボの地位をめぐる仲介案をまとめた。だが、ロシアなどの反対に遭い、交渉は決裂した。結果的にコソボは今年2月に独立したが、「仲介は失敗だったのではないか」と聞くと、「ノー。これは成功話だ。誰も独立を奪うことはできない」と反論した。

 仲介交渉は一筋縄ではいかず、時間との戦いでもある。

 「交渉を当事者だけに任せていても結果は出ない。仲介者は当事者たちの狙いを知った上で、結果をある程度見通さなければいけない。そしてテーマを選別し、選別されたテーマだけを協議することだ」

 アハティサーリ氏の交渉スタイルの原点がここにある。「人は時として率直にならなくてはいけない」「難しいことを、相手を不快にさせずに言う方法は何か」という彼の言葉からは、交渉術の一端がうかがえる。「成功は決して一個人の力によるものではない」と、チームワークの重要性も強調する。

    ■ ■

 アハティサーリ氏の活動の源は、その生い立ちとも無関係ではない。

 現在ロシア領のカレリア地方(旧フィンランド・ビープリ)で生まれた。39年のソ連・フィンランド戦争の勃発(ぼつぱつ)で、父を前線に取られ、母と国内で戦火を逃れた。「私自身が国内避難民だった。もうあの土地には戻れないから“永遠の避難民”だ。自分の将来を考え始めたとき、同じような境遇の人たちを助けてあげたいと思った」と語る。

 旧ソ連と国境を接するフィンランドは、隣国のスウェーデンと同様に伝統的に中立政策をとり、現在も北大西洋条約機構(NATO)に加盟せず軍事的な非同盟政策を維持している。こうした土壌が、フィンランドを国連平和維持活動(PKO)や和平交渉の仲介へと向かわせ、国際的な地位の向上に結びついている。アハティサーリ氏の活動も、同じ文脈でとらえることができるだろう。

 2000年の大統領退任と同時に、和平仲介を担う非政府組織(NGO)「危機管理イニシアチブ」をヘルシンキに設立し、和平交渉の場に舞い戻った。最近は、イラク国内の宗教・部族対立の仲介交渉を手がける。当事者をヘルシンキ郊外のマンションに集めて交渉している。

 「政府が私たちのようなNGOを利用するのはいいことだ。成功すれば名誉は共有する。だが、失敗すれば責任を取るのはこちらでいいんだ」

    ◇

マルッティ・アハティサーリ氏 1965年にフィンランド外務省に入省。78年から90年まで在ナミビア国連事務総長特別代表としてナミビア独立(90年)に尽力した。94年から2000年までフィンランド大統領。その後、英領北アイルランドのカトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)の武器査察官、イラク派遣の国連職員の安全保障に関する独立委員会委員長、インドネシア・アチェの和平調停に従事。セルビア南部コソボ自治州の最終的地位をめぐる交渉では、国連事務総長特使(05〜08年)として調停にあたった。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/
080606/crm0806061852035-n1.htm





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