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2007年08月19日

小島よしお 熱湯CM捏造露呈 動画だけ




この動画が、すぐに削除されるようなら熱湯コマーシャルは捏造。このまま残っているようなら、24時間テレビの仕込み。

小島よしおがこれからも日テレに出るようなら24時間テレビの仕込み。オミットされるようなら熱湯コマーシャルは捏造???

どっちにしてもそれほど面白い芸人とも思えず、消えてよろしいが


昔から、いくらスタジオが暑いとは言え、湯気が全然立たないのは不思議だったんですが。。。


上記の動画は削除されたので、他のを上げてみる







削除された場合面倒なので、押さえにもう1本上げておく







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posted by zara at 23:07| Comment(0) | TrackBack(1) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

重文の拝殿に3度放火した男

国重文の拝殿に放火=52歳無職男を逮捕−静岡

 静岡市葵区宮ケ崎町の静岡浅間神社の境内にある国の重要文化財、麓山神社拝殿に放火したとして、静岡中央署は19日、非現住建造物等放火の疑いで住所不定、無職鍋田伊佐夫容疑者(52)を逮捕した。
 調べでは、鍋田容疑者は18日午後11時10分ごろ、麓山神社拝殿にガソリンをまいてライターで火を付け、建物裏手の引き戸や廊下部分など約10平方メートルを焼いた疑い。同署員が火災発生後、現場に戻ってきた同容疑者に職務質問したところ容疑を認めた。「放火すれば、刑務所に行けるから」などと供述しているという。
 鍋田容疑者は1988年と93年にも同じ麓山神社拝殿に放火したとして逮捕、起訴され、実刑判決を受けている。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070819-00000047-jij-soci



「刑務所に入りたい」52歳が重文の神社に放火…静岡

 静岡浅間神社(静岡市葵区宮ヶ崎町)内にある国指定重要文化財の麓山(はやま)神社拝殿に火を付けたとして、静岡中央署は19日、同区出身で住所不定、無職鍋田伊佐夫容疑者(52)を非現住建造物等放火の疑いで緊急逮捕した。

 鍋田容疑者の同神社への放火は3回目。

 調べによると、鍋田容疑者は18日午後11時10分ごろ、同神社拝殿の外側にある回廊上で、角材や週刊誌にガソリンをまいて放火し、拝殿の引き戸1枚(約2平方メートル)を焼き、壁や回廊の床を焦がした疑い。不審者防止用センサーの感知で社務所職員が119番通報し、火は約10分後に消火された。けが人はなかった。

 鍋田容疑者は約2時間後、裏山から拝殿近くに現れたところを逮捕され、動機について「路上生活が嫌になり、刑務所に入りたかった」と供述している。

 鍋田容疑者は1988年と93年に同じ回廊で放火、いずれも実刑判決を受け服役した。過去2回とも「刑務所に入りたい」と供述していた。

 静岡浅間神社境内には麓山神社など複数の社殿があり、江戸後期の社殿群24棟が71年に重文指定された。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070819i311.htm


刑務所に入りたがる人がいる。もちろん褒められることではありませんよ。でもね、それだけなら仕方がない?話で終わり。
でも、こんなところに放火するなよ。
歴史と言うのはお金では贖えない物なんですよ。。。何千万、何億出しても焼失したものは蘇らない。そっくりに造り替えても、歴史は復元できないんですよ。
個人的には、コイツ死刑です。




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posted by zara at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自殺したくなる歌 動画あり

観客450人に夏木マリが歌った“自殺ソング”

女優で歌手の夏木マリ(55)が18日、東京・築地の東劇で行われたホラー映画「伝染歌」(原田眞人監督)の初日舞台あいさつにゲスト出演。司会者に勧められるまま、“呪いの歌”を口ずさんでしまった。
 歌ったのは、歌うと死ぬ歌を描いた同作のもとになった曲で、実際に1933年にハンガリーで発表され、関わった人々が次々と不可解な自殺を遂げたとされる「暗い日曜日」。だが、実はこの曲、歌っている本人だけでなく、聴いた人の方も死にたくなってしまうといわれている、映画版よりさらにパワーアップした “自殺ソング”なのだ。
 それだけに会場の約450人の観客は、朗読を交えながら、すごみのある声で同曲を口ずさむ夏木の歌声にドキドキ。取材する報道陣まで、聴いてるうちに何だか暗〜い気分になったよう。
 主演の松田龍平(24)は「すごくパワーがあって、声に引きつけられました」と感想。アイドルユニット、AKB48のメンバーも聴き入ってしまっていたが…。
 歌い終わった夏木は「緊張しました。怖かったけど」と“伝染”を成功させてニンマリ。
 映画は、大ヒット作「着信アリ」シリーズの生みの親である作詞家、秋元康氏(51)が原作を担当した。今作のシリーズ化も期待されているが、今回、映画に出演できなかった夏木は「今度は出してくださいよ」と監督に猛アピール。今度は“聴くと死ぬ歌”をテーマに、続編の主人公の座を狙っていた。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/77963


夏木マリにも、この映画にも興味はございませんが、やはりこの曲のことは気になる。どんな歌なのか。。。


暗い日曜日

(くらいにちようび、zomoru vasarnap, Gloomy Sunday, Sombre Dimanche)は、1933年にハンガリーで発表されたヤーヴォル・ラースロー作詞、シェレッシュ・レジェー作曲による歌の作品である。

また、それを題材にした映画については「暗い日曜日 (映画)」を参照。

概要

曲調、歌詞ともに陰鬱さを醸し出した本作は「自殺ソング」として知られており、内容は暗い日曜日に自殺を決意するというもの。ハンガリーではこの曲を聴いて数多くの人が自殺したとされている。実際に自殺した人の記録は残っていないため都市伝説ではないかとも言われている。しかし、多数の自殺者が偶然にも生前にこの曲を聴いていたことなどから、ヨーロッパ各国で放送禁止にされたことは事実である。ただ、当時は自殺者が出てもおかしくない不況にあり、自殺を歌ったこの曲が引き金になった可能性は考えられなくもない。

ちなみに、この曲がヒットした後に作曲者の恋人は自殺しており、本人も自殺している。理由は定かではないが、この曲に対する世間の非難などの苦悩が少なくとも影響していると思われる。

現在でも多くのアーティストによって唄われ、特に1936年のフランスで発表されたフランス語によるダミアの録音で広く世界的に知られるようになった。故にシャンソンの作品であると誤解されることが多い。

日本におけるカバー

淡谷のり子を筆頭に越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利、夏木マリなどシャンソンを専門分野とする歌手がカヴァーに挑んでいる。岩谷時子による訳詩で唄われることが多いが、1978年発表の浅川マキによる日本語詩、および歌唱が原作の持つ世界に忠実である。

なお、浦沢直樹による漫画作品『パイナップルARMY』にも『暗い日曜日』のエピソードが出ている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E3%81%84%E6%
97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5


では動画でどうぞ。。。





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posted by zara at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メイショウサムソン凱旋門賞に行く!

急転!!サムソン凱旋門賞に行く!

 急転、渡仏決行へ!17日に馬インフルエンザ感染が判明したメイショウサムソン(牡4=高橋成)が仏G1凱旋門賞(10月7日、ロンシャン競馬場)に向けて調整することが18日決まった。この日午前に遠征断念を発表しながら、午後になって方向転換。馬インフルエンザの症状が表れず元気に調教を積んでおり、日程的にも出走が可能なことから陣営は渡仏へ傾いた。

 メイショウサムソンは美浦トレセンの輸出検疫厩舎に滞在し乗り運動を続けている。獣医によると「ウイルスは何も治療を施さなくても10日から2週間で消える」ことから、8月末までには自然治癒する可能性がある。予定していた22日の出国日程がずれ込むのは避けられないが、国際検疫協定によりレースの8日前までに渡仏すれば出走は可能。凱旋門賞に出走するには9月29日まで、同8日までにフランス入りすれば前哨戦のフォワ賞(同16日)にも出走できる。

 仏遠征時の騎乗依頼を受けた武豊も「海外に遠征する場合、世界的には1週間前くらいに入国するのが当たり前。サムソンは念には念を入れて早めのスケジュールを組んでいた。こんな時だからこそ、日本の競馬の救世主になれるのと違うかな」と遠征へ前向きな姿勢を示した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070819-00000050-spn-spo


hgsnsg.jpg


なぜかこの記事、スポニチにしか載ってません。昨日午後の発表なら他のスポーツ紙にも載るだろうに?日曜だから掲載が遅れた???

行くんなら、十分な準備をして行って貰いたいもんですね。中途半端な状態で行って惨敗でもした日にゃ。。。馬も可哀想ですしねぇ。。。



メイショウサムソン

(英語表記:Meisho Samson、香港表記:名將森遜)は日本の現役競走馬。2006年の皐月賞と東京優駿、2007年の天皇賞(春)に優勝した。

デビュー前

生まれたのが家族経営の零細牧場で、血統も父がオペラハウス、母は未勝利馬ということから地味なイメージで、なおかつ母の父もダンシングブレーヴと、最近のスピード重視の競馬の中にあっては、スタミナ型の重厚と言える血統のためかあまり注目されず、目立たない馬であった。

とある調教師がこの仔馬に素質を感じ、馬主に購入するよう推薦したが、地味な血統ゆえに断られたというエピソードもある。なかなか買い手がつかなかったが、調教師である瀬戸口勉の勧めにより「メイショウ」の冠名で有名な松本好雄が700万円で購入した。松本は後にこの仔馬に「メイショウサムソン」という馬名をつけた。「メイショウ」は明石市生まれである馬主の「明石の松本」に由来する冠名で、「名将」ともかけている。また「サムソン」は旧約聖書士師記に登場する怪力の持ち主として知られる士師(カリスマ的指導者)に由来する。直木賞作家の新橋遊吉が「こんな名前どうか」と、オーナーの松本に書き送った中の一つにこの名前が含まれていた。

2歳となり瀬戸口勉厩舎に入厩。瀬戸口はメイショウサムソンのデビュー時に武豊と福永祐一に騎乗を依頼したが、それぞれ先約があったため断られた。代わりにベテラン格の騎手である石橋守にその手綱を委ねることになる。そして、デビュー戦から全レースで石橋守が騎乗している。

2歳・3歳時(2005年・2006年)

2歳夏の小倉競馬場でデビューするが、新馬戦はアタマ差2着に惜敗。次の未勝利戦も3着で、3戦目で初勝利を挙げる。続く阪神競馬場で行われた野路菊ステークスでも、出走馬中最速の上がり3ハロン(35秒0)で勝利する。その後は萩ステークスにも出走するが、2歳王者になるフサイチリシャールの4着に敗れる。さらに東京スポーツ杯2歳ステークスでも、フサイチリシャールの2着に敗れる。その後、中京2歳ステークスを1分47秒5のレコードで快勝して2歳時を終えた。2歳時の通算成績は7戦3勝。この時点では翌2006年のクラシック路線の一翼を担うことは期待されるも、決してその中心的な存在とは言えなかった。

年が明けて3歳になり、きさらぎ賞から始動するが、芝の状態が良いと石橋が考えた大外へコースを取り、結果ドリームパスポートの2着に敗れる。レース後、勝ち馬に乗っていた安藤勝己は「どこを通ってもいっしょだった」とコメントしており、石橋は「勝ち馬に併せる競馬をするべきだった、馬体を併せれば・・・」とサムソンの持ち味を引き出すことが出来なかったことを認めている。続いて出走したのは皐月賞トライアルのスプリングステークス。ここでは既に後塵を拝していたフサイチリシャール、ドリームパスポートが1、2番人気に支持され、メイショウサムソンは4番人気にとどまる。しかし、直線では一足早く抜け出すと、相次いで追い込んできた2頭をぐっと頭を伸ばして抑えこみ、重賞初制覇を飾った。スプリングステークスの後にフサイチリシャールに騎乗していた福永祐一が「メイショウサムソンが思った以上に強くなっていた」と雑誌のコラムに書いている。

これで皐月賞の優先出走権を獲得して勇躍本番に挑むが、多くの競馬ファンや予想家は前走の勝利をレース展開に恵まれたフロックと考えており、単勝馬券は6番人気の穴馬扱いであった。しかし、そのレースでは、落ち着きを見せて5番手で折り合いをつけると、第4コーナーでは3番手に上がり、他の人気馬よりも再び早く抜け出す。今度は直線で前走ほどの接戦にはならず、内ラチ沿いを猛追してきたドリームパスポートを抑えこみ、クラシックの栄冠を手に入れた。石橋にとっては騎手生活22年目でのGI初制覇であり、瀬戸口にとってはネオユニヴァースに続く2回目の皐月賞制覇、そして定年を翌年に控えてのクラシック制覇となった。

1番人気で迎えた東京優駿は、稍重の馬場の中、道中は先行集団につけ、直線で逃げ粘るアドマイヤメインをクビ差で差しきり、2分27秒9のタイムで優勝した。前年のディープインパクトに続き、この時点における二冠馬となった。なお、小倉競馬場デビュー馬の東京優駿制覇は、これが史上初のことである。

夏は放牧に出されず厩舎で過ごした。これはメイショウサムソンの気合乗りの遅い性格を考えてのことだったのだが、これが原因かどうかは別として、結果的にはこの後、悪い方向へとことが進んでいく。夏を厩舎で過ごしたメイショウサムソンは、秋の初戦に菊花賞に向けての緒戦として神戸新聞杯に出走した。最後の直線では類稀なる勝負根性を見せ、並んでいた2頭を交わし先頭に立ったものの、最後には大外から一気に追い込んできたドリームパスポートに交わされ2着となった。菊花賞では三冠を期待され1番人気に推されたが、逃げるアドマイヤメインを猛追するも届かず、ドリームパスポート、伏兵ソングオブウインドにも差され4着となり、三冠制覇はならなかった。レコードタイムが連発する速い馬場に対応できなかったという見方もあった。続いてのジャパンカップでは小雨が降る中、瞬発力が必要となる競馬となり6着に敗れ、第51回有馬記念では接触する不利もあり、5着に敗れた。秋は春頃に見せた、早めに抜け出して前で粘るという競馬ができなくなっていて、先着争いに加わることすらできなくなっていた。有馬記念後は放牧に出された。

4歳時(2007年)

2007年2月をもって瀬戸口が定年退職となり、高橋成忠厩舎へ転厩した。放牧を終えて、転厩初戦として臨んだのは大阪杯であった。単勝1.9倍に推されると、レースでは以前のようなかかり癖を見せずに、粘るシャドウゲイトをねじ伏せ、東京優駿(日本ダービー)以来の勝利を挙げた。休み明けが弱いとされていた同馬だけに、「放牧で心身ともに成長した」と鞍上の石橋は語った。

次走の天皇賞(春)では、昨年の菊花賞で4着に敗れていることから、高速馬場への適性や長距離適性が疑問視され、阪神大賞典を優勝したアイポッパーに次ぐ2番人気での出走となった。しかし、レースでは第4コーナーで先頭に立つと持ち前の勝負根性で後方から詰め寄って来たエリモエクスパイアとの叩き合いを制し、GI3勝目を挙げた。レース当日は、時計の出やすいかなりの高速馬場で、メイショウサムソンにとって不利になるという見方がマスコミなどの間でされていたが、3:14.1という好時計で勝利を収め、その不安を払拭した。なおこの勝ち時計は、歴代の天皇賞(春)の優勝馬の中で(当時)2番目に速いものだった。しかも、レコードを記録した前年よりも3000mの通過タイムが速い(前年は途中でペースが落ち着いたが、このレースでは途中からペースが上がっている)ため、かなり早仕掛けであったにもかかわらず、最後まで粘り切るという非常にタフなレースであった。あまりの激しいレースに、ゴール後ほとんどの馬がコーナーまで走らなかった。ちなみに、大阪杯の優勝馬が天皇賞(春)を制したのは、スーパークリーク以来17年ぶりのことであり、三冠を達成できなかった春のクラシック二冠馬(皐月賞・東京優駿)が春の天皇賞を制したのは史上初のことであった。

続いての第48回宝塚記念ではファン投票で1位に選出されながら2番人気で出走。レースではじっくり中盤で控え、直線半ばでカワカミプリンセスをかわして先頭に立つものの、最後にメイショウサムソンをマークしていたアドマイヤムーンとの叩き合いの末交わされ2着に敗れた。なお、この2頭の叩き合いで3着には2馬身の着差をつけていることから、負けてなお強しという結果となった。

6月28日、凱旋門賞への挑戦が正式に決まった。当馬はその血統(後述)から凱旋門賞挑戦が検討されていた。鞍上は武豊に乗りかわる予定となっており、7月31日に高橋成忠調教師、武豊騎手がシャンティー調教場を下見し、8月4日にリチャード・ギブソン厩舎への滞在が決まった。しかし、8月7日に同じく凱旋門賞へ出走予定だったウオッカが怪我のため遠征を中止することが発表され、帯同馬を同行させることが発表された。帯同馬となるのは、同じく高橋成忠厩舎所属の松本オーナーの所有馬で、以前から調教パートナーを務めていたメイショウレッドが選ばれた。8月15日に出国検疫の為に美浦トレーニングセンターに入厩し、8月22日午前8時15分発のJL6461便で成田空港から渡仏し、その後同調教場で調教を行い、前哨戦となるフォワ賞への出走も視野に入れていた。しかし、8月17日に当馬が馬インフルエンザに感染していたことが明らかになり、フランスギャロの対応次第で出走ができなくなったが、当初陣営出走に前向きな姿勢だった。だが、翌8月18日に遠征を断念することが協議の結果明らかになった。その為今後のローテーションは未定となった。

特徴

叩き良化タイプでもありオペラハウス産駒らしく堅牢な馬である。道悪を苦にしないパワー、持続力勝負や接戦に強さをみせる一方で、馬体を合わせないと伸び切れないため競馬の幅が狭い。かつてレコード勝ちを収めているものの、一線級の相手との高速馬場や瞬発力での勝負だとあっけなく負けてしまっているため不得手だと言われている(ただし、3歳時の秋は放牧に出されずに疲労がたまっていたのであっさり負けてしまったとの見方もある)。しかしその欠点も、古馬になってからは、まくりぎみに仕掛けて早めに先団に取り付き、粘りきる戦法を用いて、叩き合いに持ち込まずともそれなりには伸びてこれるようになった。よって克服の兆しが見えていると言える。実際、2007年の天皇賞(春)では3200mの長丁場であるにもか関わらず、まくりあげて直線入り口で先頭に立つと、そこから後続馬の追撃をしのいで勝つという非常にタフな競馬をしている(レコードを記録した2006年のレースよりも3000mの通過タイムが速いにもかかわらずである。つまり非常に早い仕掛けであった)。2007年の大阪杯では大型馬らしく59kgの斤量も問題なくこなした。このようなパワー、持続力という個性、血統的背景からは日本の馬場よりもむしろ欧州の馬場への適性が高いとされており、凱旋門賞への挑戦はファンも大いに期待している。


wikipedia.org




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posted by zara at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇多田超え おしりかじり虫 動画あり

宇多田超えた!「おしりかじり虫」

 NHKの歌番組「みんなのうた」で放送中の曲「おしりかじり虫」が、大ヒットの予感を見せている。軽快なメロディーと曲に合わせて踊る奇妙なキャラクターがチビっ子のハートをキャッチ。2カ月の放送延長が決まり、ダウンロード件数も過去最高になった。「だんご3兄弟」以来の子供向けソングのブームとなるか注目だ。

 ♪おしりかじり虫〜おしりかじり虫〜。

 番組には今年6月に初登場。一度聴いたら忘れない歌詞とメロディー、曲に合わせて踊るキャラクターが受け、チビっ子の間に浸透した。

 同局では、通常なら2カ月で曲を代えるところを、8月も続け、さらに9月までの延長を決定。同番組の曲を対象に、05年12月に始まったダウンロード配信では、これまでの平均の6倍以上にあたる約6000件を記録。宇多田ヒカル(24)が同番組で歌った「ぼくはくま」を超え、配信サービス開始以来、最多記録を更新し続けている。

 先月27日にはCD、DVDが発売。発売元アミューズソフトエンタテインメントによると、売り切れ店が続出し、問い合わせが殺到。キャラクターも人気で、今月24日には絵本が発売され、ぬいぐるみなどの商品化も決まっている。

 歌は夫婦デュオ「うるまでるび」。作詞、作曲も手掛け、アニメデザインも担当した。フジテレビの子供向け番組「ウゴウゴルーガ」のコンピューターグラフィックスを務めたことがあり、子供心をくすぐるキャラ作りのノウハウが生かされたようだ。

 NHKによると、「おしりかじり虫」は人のお尻を見るとかじってしまう性格で、かじられた人はうれしくなる設定。人との積極的な触れあいを嫌う現代人へのメッセージが込められているという。♪都会のおしりは苦かった…という歌詞など大人の心に響く要素も含まれている。

 同局関係者は「放送開始直後から、ここまで反響が大きいのは初めて」と驚き、その人気の秘密を「分かりやすいメロディーと歌詞、きもかわいいキャラクターが受けた」と分析している。

http://news.livedoor.com/article/detail/3270016/


大人にも子供にも人気 おしりかじられ「チョーいい感じ」

NHKの歌番組「みんなのうた」で放送されている「おしりかじり虫」が、大人気になっている。07年7月27日に発売されたCDやDVDが品切れに。NHKサイトからの有料ダウンロード数は2万を超え、歴代の「みんなのうた」の中でも断然トップ。ミクシィ(mixi)にコミュが作られていて、「だんご3兄弟」(公称出荷枚数約380万枚)を抜くのではないか、とまで言われている。
「おしりとおしりでお知り合い」

「おしりかじり虫」は、顔が体の数倍大きいアリのような奇妙な妖精(虫)が主人公。軽快なメロディーに乗って人間のおしりに噛み付く。
「おしりとおしりでお知り合い」「かじられちゃってチョーいい感じ」「かじってナンボの商売だ〜」などのコミカルな歌詞やセリフが登場する。他人との「距離」「遠慮」で漠然とした疎外感のある現代社会に現れ、妖精が「おせっかい」して人間の尻に噛み付く。妖精に噛み付かれると元気になり、踊り出し、みんなが仲良くなる、というわけだ。

NHK広報によると、当初は奇妙な妖精が尻に噛み付くのを幼児に見せるのは、「お行儀が悪いのではないか」という苦情も来たのだという。しかし、

「ストーリーを説明するとみなさんに納得していただけた」

とJ-CASTニュースに話す。放送開始は07年6月で、初めは幼児に人気だったが、母親、父親もハマってしまい、現在では「みんなのうた」を見る機会の無い層まで広がっているそうだ。放送は07年7月で終了する予定だったが、07年9月まで延長された。
一度聴いてしまったら病み付き

「mixi」には07年6月2日にコミュが作られ、07年8月16日までに1500人を越えるメンバーが集まっている。メンバーたちは「おしりかじり虫」の魅力について、

「3歳の娘がおしりかじり虫大好きです。それにつられて家族全員ハマりました。歌といい、キャラクターといい最高です」
「あれは一度聴いてしまったが最後!! 病み付きになる☆☆」
「おしりかじり虫を初めて聞いたときはおかしくて仕事中なのに笑いを堪えられませんでした」

などの感想が書かれている。また、同コミュには「あなたはおしりをかじる派?かじらない派?」というアンケートがあって、「かじる」が39%、「かじらない」が2%、「いつかはかじろうと思っている」が17%という結果になっている。

メンバーの中には07年7月で放送が終わったと勘違いしている人がいるが、07年9月まで延長が決まり、それでも人気が衰えない場合、NHKは再延長も検討している。

http://www.j-cast.com/2007/08/17010414.html





宇多田越えどころか、だんご3兄弟も越える?
歌を聴いても、そんなに凄いとは思えないんですが。。。










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posted by zara at 11:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

道仁会会長射殺される

福岡市の路上で拳銃発砲、2人組が暴力団会長射殺し逃走

 18日午後6時25分ごろ、福岡市中央区黒門の路上で、乗用車から降りた九州最大規模の指定暴力団道仁会(本部・福岡県久留米市、約770人)の松尾義久会長(56)が拳銃で撃たれた。

 松尾会長は病院に搬送されたが死亡。銃撃したとみられる男ら2人が現場から車で逃走した。県警は殺人事件として中央署に捜査本部を設置。現場近辺で犯行に使われたとみられる車を押収し、男らの特定を急いでいる。

 道仁会を巡っては、昨年5月の松尾会長就任に反発して、傘下最大組織の村上一家(福岡県大牟田市、当時約200人)などが脱退し、「九州誠道会」(大牟田市)を発足。道仁会本部事務所や松尾会長に近い道仁会系組事務所などが銃撃される事件が相次いでいた。福岡県警は抗争事件の可能性が高いとみている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070818-00000213-yom-soci


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道仁会

(どうじんかい)は、福岡県久留米市通東町に本拠を置く日本の指定暴力団。活動地域は主に九州北部。構成員は2004年12月現在で約910人(準構成員を含めると時期不明で1500人)に達し、福岡、佐賀、熊本、長崎、山形 の5県に勢力を有している。

幹事長補佐の下に「抗争となると自ら拳銃を持って先陣を切って走り回る」といわれる親分衆、直系組長が20数名いるといわれる。古賀磯次が一代で築き上げた戦闘意欲が高い組織で、極めて反権力、反警察の色彩が強い。1965年に前身である古賀一家(こがいっか)から始まり、1971年に「道仁会」と名を変えた。1981年には大牟田の馬場一家と「第1次馬場一家抗争」、1982年には久留米市内の向山一家と10回近い発砲事件を起こし、1983年には「第2次馬場一家抗争」と呼ばれる20数回にわたる銃撃戦を繰り返し各地域の団体を傘下に収めてきた。道仁会の名が全国に轟いたのは1986年7月から翌87年2月まで繰り広げられた「山道抗争」である。この抗争では77件の事件で死者9人を出した。

1992年1月に幹事長・松尾誠次郎が2代目を継承し、更に組織力を強化、磐石の体制を構えた。1992年12月14日、福岡県公安委員会から指定暴力団に指定された。

松尾誠次郎は2006年5月に突如引退を発表。後継会長の人事を巡り、最大傘下組織の3代目村上一家(本部・福岡県大牟田市、約200人)、永石組、鶴丸組、高柳組が反発し、2006年5月21日には抗争に発展した。本部事務所(久留米市通東町)が旧ソ連の自動小銃で銃撃され、市内の系列事務所では手投げ弾が爆発、暴力団と関係ない商店が破壊された。 その後、2006年6月11日に村上一家、永石組、鶴丸組、高柳組は道仁会を離脱し、2006年7月19日に脱退したそれらの組で、福岡県大牟田市において九州誠道会を発足させた。

松尾誠次郎の後を請け、3代目に大中(松尾)義久が就任したが、2007年8月18日福岡市中央区黒門の路上にて襲撃を受け射殺された。

歴代会長

* 初代:古賀磯次
* 2代目:松尾誠次郎
* 3代目:大中(松尾)義久(元・二代目松尾組組長)


最高幹部

* 会長:大中義久(元・二代目松尾組々長)2007年8月18日逝去
* 直若:前田義光(古賀一家三代目総長)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E4%BB%81%E4%BC%9A




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