急転!!サムソン凱旋門賞に行く! 急転、渡仏決行へ!17日に馬インフルエンザ感染が判明したメイショウサムソン(牡4=高橋成)が仏G1凱旋門賞(10月7日、
ロンシャン競馬場)に向けて調整することが18日決まった。この日午前に遠征断念を発表しながら、午後になって方向転換。馬インフルエンザの症状が表れず元気に調教を積んでおり、日程的にも出走が可能なことから陣営は渡仏へ傾いた。
メイショウサムソンは美浦トレセンの輸出検疫厩舎に滞在し乗り運動を続けている。獣医によると「
ウイルスは何も治療を施さなくても10日から2週間で消える」ことから、8月末までには自然治癒する可能性がある。予定していた22日の出国日程がずれ込むのは避けられないが、国際検疫協定によりレースの8日前までに渡仏すれば出走は可能。凱旋門賞に出走するには9月29日まで、同8日までにフランス入りすれば前哨戦のフォワ賞(同16日)にも出走できる。
仏遠征時の騎乗依頼を受けた武豊も「海外に遠征する場合、世界的には1週間前くらいに入国するのが当たり前。サムソンは念には念を入れて早めのスケジュールを組んでいた。こんな時だからこそ、日本の競馬の救世主になれるのと違うかな」と遠征へ前向きな姿勢を示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070819-00000050-spn-spo
なぜかこの記事、スポニチにしか載ってません。昨日午後の発表なら他のスポーツ紙にも載るだろうに?日曜だから掲載が遅れた???
行くんなら、十分な準備をして行って貰いたいもんですね。中途半端な状態で行って惨敗でもした日にゃ。。。馬も可哀想ですしねぇ。。。メイショウサムソン(英語表記:Meisho Samson、香港表記:名將森遜)は日本の現役競走馬。2006年の皐月賞と東京優駿、2007年の天皇賞(春)に優勝した。
デビュー前
生まれたのが家族経営の零細牧場で、血統も父がオペラハウス、母は未勝利馬ということから地味なイメージで、なおかつ母の父もダンシングブレーヴと、最近のスピード重視の競馬の中にあっては、スタミナ型の重厚と言える血統のためかあまり注目されず、目立たない馬であった。
とある調教師がこの仔馬に素質を感じ、馬主に購入するよう推薦したが、地味な血統ゆえに断られたというエピソードもある。なかなか買い手がつかなかったが、調教師である瀬戸口勉の勧めにより「メイショウ」の冠名で有名な松本好雄が700万円で購入した。松本は後にこの仔馬に「メイショウサムソン」という馬名をつけた。「メイショウ」は明石市生まれである馬主の「明石の松本」に由来する冠名で、「名将」ともかけている。また「サムソン」は旧約聖書士師記に登場する怪力の持ち主として知られる士師(カリスマ的
指導者)に由来する。直木賞作家の新橋遊吉が「こんな名前どうか」と、オーナーの松本に書き送った中の一つにこの名前が含まれていた。
2歳となり瀬戸口勉厩舎に入厩。瀬戸口はメイショウサムソンのデビュー時に武豊と福永祐一に騎乗を依頼したが、それぞれ先約があったため断られた。代わりにベテラン格の騎手である石橋守にその手綱を委ねることになる。そして、デビュー戦から全レースで石橋守が騎乗している。
2歳・3歳時(2005年・2006年)
2歳夏の小倉競馬場でデビューするが、新馬戦はアタマ差2着に惜敗。次の未勝利戦も3着で、3戦目で初勝利を挙げる。続く阪神競馬場で行われた野路菊ステークスでも、出走馬中最速の上がり3ハロン(35秒0)で勝利する。その後は萩ステークスにも出走するが、2歳王者になるフサイチリシャールの4着に敗れる。さらに東京スポーツ杯2歳ステークスでも、フサイチリシャールの2着に敗れる。その後、中京2歳ステークスを1分47秒5のレコードで快勝して2歳時を終えた。2歳時の通算成績は7戦3勝。この時点では翌2006年のクラシック路線の一翼を担うことは期待されるも、決してその中心的な存在とは言えなかった。
年が明けて3歳になり、きさらぎ賞から始動するが、芝の状態が良いと石橋が考えた大外へコースを取り、結果ドリームパスポートの2着に敗れる。レース後、勝ち馬に乗っていた安藤勝己は「どこを通ってもいっしょだった」とコメントしており、石橋は「勝ち馬に併せる競馬をするべきだった、馬体を併せれば・・・」とサムソンの持ち味を引き出すことが出来なかったことを認めている。続いて出走したのは皐月賞
トライアルのスプリングステークス。ここでは既に後塵を拝していたフサイチリシャール、ドリームパスポートが1、2番人気に支持され、メイショウサムソンは4番人気にとどまる。しかし、直線では一足早く抜け出すと、相次いで追い込んできた2頭をぐっと頭を伸ばして抑えこみ、重賞初制覇を飾った。スプリングステークスの後にフサイチリシャールに騎乗していた福永祐一が「メイショウサムソンが思った以上に強くなっていた」と雑誌のコラムに書いている。
これで皐月賞の優先出走権を獲得して勇躍本番に挑むが、多くの競馬ファンや予想家は前走の勝利をレース展開に恵まれたフロックと考えており、単勝馬券は6番人気の穴馬扱いであった。しかし、そのレースでは、落ち着きを見せて5番手で折り合いをつけると、第4コーナーでは3番手に上がり、他の人気馬よりも再び早く抜け出す。今度は直線で前走ほどの接戦にはならず、内ラチ沿いを猛追してきたドリームパスポートを抑えこみ、クラシックの栄冠を手に入れた。石橋にとっては騎手生活22年目でのGI初制覇であり、瀬戸口にとってはネオユニヴァースに続く2回目の皐月賞制覇、そして定年を翌年に控えてのクラシック制覇となった。
1番人気で迎えた東京優駿は、稍重の馬場の中、道中は先行集団につけ、直線で逃げ粘るアドマイヤメインをクビ差で差しきり、2分27秒9のタイムで優勝した。前年の
ディープインパクトに続き、この時点における二冠馬となった。なお、小倉競馬場デビュー馬の東京優駿制覇は、これが史上初のことである。
夏は放牧に出されず厩舎で過ごした。これはメイショウサムソンの気合乗りの遅い性格を考えてのことだったのだが、これが原因かどうかは別として、結果的にはこの後、悪い方向へとことが進んでいく。夏を厩舎で過ごしたメイショウサムソンは、秋の初戦に菊花賞に向けての緒戦として神戸新聞杯に出走した。最後の直線では類稀なる勝負根性を見せ、並んでいた2頭を交わし先頭に立ったものの、最後には大外から一気に追い込んできたドリームパスポートに交わされ2着となった。菊花賞では三冠を期待され1番人気に推されたが、逃げるアドマイヤメインを猛追するも届かず、ドリームパスポート、伏兵ソングオブウインドにも差され4着となり、三冠制覇はならなかった。レコードタイムが連発する速い馬場に対応できなかったという見方もあった。続いてのジャパンカップでは小雨が降る中、瞬発力が必要となる競馬となり6着に敗れ、第51回有馬記念では接触する不利もあり、5着に敗れた。秋は春頃に見せた、早めに抜け出して前で粘るという競馬ができなくなっていて、先着争いに加わることすらできなくなっていた。有馬記念後は放牧に出された。
4歳時(2007年)
2007年2月をもって瀬戸口が定年退職となり、高橋成忠厩舎へ転厩した。放牧を終えて、転厩初戦として臨んだのは大阪杯であった。単勝1.9倍に推されると、レースでは以前のようなかかり癖を見せずに、粘るシャドウゲイトをねじ伏せ、東京優駿(日本ダービー)以来の勝利を挙げた。休み明けが弱いとされていた同馬だけに、「放牧で心身ともに成長した」と鞍上の石橋は語った。
次走の天皇賞(春)では、昨年の菊花賞で4着に敗れていることから、高速馬場への適性や長距離適性が疑問視され、阪神大賞典を優勝したアイポッパーに次ぐ2番人気での出走となった。しかし、レースでは第4コーナーで先頭に立つと持ち前の勝負根性で後方から詰め寄って来たエリモエクスパイアとの叩き合いを制し、GI3勝目を挙げた。レース当日は、
時計の出やすいかなりの高速馬場で、メイショウサムソンにとって不利になるという見方がマスコミなどの間でされていたが、3:14.1という好時計で勝利を収め、その不安を払拭した。なおこの勝ち時計は、歴代の天皇賞(春)の優勝馬の中で(当時)2番目に速いものだった。しかも、レコードを記録した前年よりも3000mの通過タイムが速い(前年は途中でペースが落ち着いたが、このレースでは途中からペースが上がっている)ため、かなり早仕掛けであったにもかかわらず、最後まで粘り切るという非常にタフなレースであった。あまりの激しいレースに、ゴール後ほとんどの馬がコーナーまで走らなかった。ちなみに、大阪杯の優勝馬が天皇賞(春)を制したのは、スーパークリーク以来17年ぶりのことであり、三冠を達成できなかった春のクラシック二冠馬(皐月賞・東京優駿)が春の天皇賞を制したのは史上初のことであった。
続いての第48回宝塚記念ではファン投票で1位に選出されながら2番人気で出走。レースではじっくり中盤で控え、直線半ばでカワカミプリンセスをかわして先頭に立つものの、最後にメイショウサムソンをマークしていたアドマイヤムーンとの叩き合いの末交わされ2着に敗れた。なお、この2頭の叩き合いで3着には2馬身の着差をつけていることから、負けてなお強しという結果となった。
6月28日、凱旋門賞への挑戦が正式に決まった。当馬はその血統(後述)から凱旋門賞挑戦が検討されていた。鞍上は武豊に乗りかわる予定となっており、7月31日に高橋成忠調教師、武豊騎手がシャンティー調教場を下見し、8月4日にリチャード・ギブソン厩舎への滞在が決まった。しかし、8月7日に同じく凱旋門賞へ出走予定だったウオッカが怪我のため遠征を中止することが発表され、帯同馬を同行させることが発表された。帯同馬となるのは、同じく高橋成忠厩舎所属の松本オーナーの所有馬で、以前から調教
パートナーを務めていたメイショウレッドが選ばれた。8月15日に出国検疫の為に美浦トレーニングセンターに入厩し、8月22日午前8時15分発のJL6461便で成田空港から渡仏し、その後同調教場で調教を行い、前哨戦となるフォワ賞への出走も視野に入れていた。しかし、8月17日に当馬が馬インフルエンザに感染していたことが明らかになり、フランスギャロの対応次第で出走ができなくなったが、当初陣営出走に前向きな姿勢だった。だが、翌8月18日に遠征を断念することが協議の結果明らかになった。その為今後のローテーションは未定となった。
特徴
叩き良化タイプでもありオペラハウス産駒らしく堅牢な馬である。道悪を苦にしないパワー、持続力勝負や接戦に強さをみせる一方で、馬体を合わせないと伸び切れないため競馬の幅が狭い。かつてレコード勝ちを収めているものの、一線級の相手との高速馬場や瞬発力での勝負だとあっけなく負けてしまっているため不得手だと言われている(ただし、3歳時の秋は放牧に出されずに
疲労がたまっていたのであっさり負けてしまったとの見方もある)。しかしその欠点も、古馬になってからは、まくりぎみに仕掛けて早めに先団に取り付き、粘りきる戦法を用いて、叩き合いに持ち込まずともそれなりには伸びてこれるようになった。よって克服の兆しが見えていると言える。実際、2007年の天皇賞(春)では3200mの長丁場であるにもか関わらず、まくりあげて直線入り口で先頭に立つと、そこから後続馬の追撃をしのいで勝つという非常にタフな競馬をしている(レコードを記録した2006年のレースよりも3000mの通過タイムが速いにもかかわらずである。つまり非常に早い仕掛けであった)。2007年の大阪杯では大型馬らしく59kgの斤量も問題なくこなした。このようなパワー、持続力という個性、血統的背景からは日本の馬場よりもむしろ欧州の馬場への適性が高いとされており、凱旋門賞への挑戦はファンも大いに期待している。
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