年金記録 首相発言、答弁書と食い違い 5000万件照合 システム開発
基礎年金番号に未統合の5000万件と受給者・加入者の記録との照合に必要なシステム開発のスケジュールについて17日、安倍晋三首相の発言と政府答弁書との矛盾が発覚した。民主党は「首相はできもしないことを約束したことになる」と反発している。
政府は17日、システム開発時期について、「詳細を検討しており、現時点で回答するのは困難」との答弁書を閣議決定した。民主党議員の質問主意書への回答。しかし、安倍首相は5日の記者会見では、「専門家に精査させた結果、前倒し可能なことが明らかになった」として、今年12月から照合作業に着手できると発表しており、明らかに食い違っている。
この矛盾について、安倍首相は17日、記者団に対し「方針にまったく変わりはない」と強調した。これに対して、民主党の山井和則衆院議員は同日の記者会見で「正式にシステム開発のめどが立っていないのに、選挙向けに『12月までにできる』と言っているのではないか」と批判した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000098-san-pol
「1年以内の年金記録統合不可能」 民主議員が自民HP批判
民主党の山井和則衆院議員は十七日、党本部で記者会見し、未統合の年金記録五千万件を「一年以内にしっかり統合していく」とした自民党のホームページ(HP)の映像を「うその内容がある」と批判した。
HPの映像は、「一年以内の統合」について「安倍晋三首相が明言し、政府、与党一体になってこの作業を進めている」と言及。山井氏はこのHPの内容を問いただす質問主意書を政府に提出し、政府は十七日の閣議で「首相は指摘のような発言をした事実はない」との答弁書を決定した。
山井氏は「一年間で行うのは年金記録の突合・名寄せで、基礎年金番号の統合や全額支払いは不可能だ」と指摘した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/38454.html
ほうら、もうボロが出た。出来るわけないんだよね。安倍晋三がMr.マリックみたいな手品でもするんだろうか???
何しろ御用新聞の産経が書くんだから間違いない。
そして更に。。。
年金記録「名なし」も 件数不明 政府が認める
年金記録不備問題に関連して、社会保険庁がコンピューターで管理する年金記録の中に、氏名の記載のないものが存在することが十七日、分かった。氏名なしの記録の件数は不明で、政府は「今後、基礎年金番号への統合作業を行う中で把握する」としている。
政府はこれまで、基礎年金番号に統合できず誰のものか分からない年金記録五千万件の中に生年月日が不明のものが三十万件あることを明らかにしていたが、氏名が欠落した記録の存在を明確に認めたのは初めて。
社保庁がコンピューター入力しオンラインシステム上で管理する年金記録には、氏名、生年月日、性別など、厚生年金・国民年金それぞれ八項目のデータが収録されている。該当者不明の記録五千万件と、受給者・加入者の記録との照合は原則として、氏名、生年月日、性別の三情報をつき合わせることで同一人物の記録かどうか判断する。
長妻昭衆院議員(民主)らは先の通常国会で、生年月日以外の各項目についても欠落している件数はそれぞれ何件になるか追及。政府側は「仮に欠けていても他の項目で手がかりを得て、統合の努力をする。各項目ごとに満足でないものが、それぞれ何件あるかは把握していない」(柳沢伯夫厚生労働相)などとして明確な答弁を避けていた。
政府が「名前なし」の年金記録を認めたのは、十七日に閣議決定した長妻氏の質問主意書に対する答弁書。その中で「氏名が収録されていない記録が存在することは承知している」とした。答弁書はこうした記録についても、一部は「本人の生年月日や職歴などを確認することなどで基礎年金番号に統合することができた」としている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/38452.html
名前さえわからない記録をどう付き合わせるつもりだい?
どうせ退陣目前の安倍晋三にはどうでもいい話題か???
先日発表された政府の年金対応策については
安倍首相 年金対応策(ハッタリ)を発表
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2007年07月18日
丸川珠代3年間選挙権なしだった
丸川珠代氏、選挙権なし…NYから帰国後3年、転入届未提出
元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代氏(36)=自民・東京選挙区=が16日、期日前投票を門前払いされた。丸川氏は約3年前に海外勤務から帰国しているのに、今年4月まで転入届を未提出。投票権が消滅した状態だった。同氏は「忙しくて(転入手続きを)忘れてしまって」と釈明したが、ここ3年選挙に行っていないのではという疑惑も浮上。とりあえず貴重な1票は確実に失ってしまった。
この日午後、期日前投票のため笑顔で新宿区役所に入った丸川氏。しかし30分たっても出てこない。そして陣営スタッフが沈痛な表情で現れた。
「仕事でニューヨークに住んでいて、帰国した際に転入届を出し忘れていて投票ができませんでした」と関係者は説明した。丸川氏は03年6月から約1年、テレ朝のニューヨーク支局に勤務。04年6月に帰国した。だが転入手続きを忘れ今年の4月下旬になって急きょ行ったという。丸川氏は新宿区在住だが転入届を出してから3か月が経過しないと区の選挙人名簿に登録されない。そのため選挙権が“消滅”していた。
区役所から出てきた丸川氏は「投票ができないことが分かりました。ニューヨークから戻ってきて、すぐに転入の手続きしなければいけないのに忙しくて忘れてしまって…。すいませんでした。ごめんなさい」と頭を下げた。
今年4月に転入届を出したのであれば帰国以来、投票に一度も行っていないことになる。事実であれば、05年9月の衆院選も今年4月の都知事選も棄権。石原ファミリーの全面支援を受けながら、慎太郎知事に1票を投じることもなかったのか。元報道キャスターとしては何とも痛い失態。関係者は「忙しくて恐らく(選挙には)行っていないでしょう。(同じマスコミの)みなさんもそうでしょ?」と話す。
さらに転入手続きが済んでいなければ、帰国してから今年4月まで、どこに住民税を払っていたのかも疑問となる。この点について丸川氏は帰宅後に源泉徴収票を発見したという。事務所も「04〜06年まで住民税を払っていたことを確認しました」としたが、どこに払っていたかについては依然として「分かりません」とのこと。「(もし不備があれば)法的な手続きは早急に行いたいが…」と関係者は力なく話した。
◆届け出は公示前3か月以上必要、立候補はOK
丸川氏はなぜこんな事態に陥ったのか。選挙権の行使(投票)には各市町村の選管が管理する選挙人名簿に登録されていることが必要だ。通常は各市町村の住民票などの住民基本台帳に基づき登録される。選挙区内で投票するには、各選挙の公示(告示)の3か月以上前までに住民票の届け出が済んでいなければならない。
海外に転居した場合は、各市町村に転出届を提出後4か月以上がたつと選挙人名簿から抹消される。だが、各国の日本大使館などに「在外選挙人名簿」の登録を申請すれば海外での投票が可能となる。
しかし帰国した際に転入届の提出を怠ると、選挙の公示日まで3か月を切っている場合は日本国内での選挙人名簿に登録されず、投票ができない状態となる。
なお被選挙権については、日本国籍を保有していれば公選法上、海外在住でも立候補は可能。チリに軟禁中のフジモリ元ペルー大統領が今回の参院選に出馬している。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/
20070717-OHT1T00015.htm

ま、日本の政治には興味はないが、議員の椅子には興味があると。
住民基本台帳法 第四章 届出 の項目には。。。
第二十二条 転入(新たに市町村の区域内に住所を定めることをいい、出生による場合を除く。以下この条において同じ。)をした者は、転入をした日から十四日以内に、次に掲げる事項(いずれの市町村においても住民基本台帳に記録されたことがない者にあつては、第一号から第五号まで及び第七号に掲げる事項)を市町村長に届け出なければならない。
一 氏名
二 住所
三 転入をした年月日
四 従前の住所
五 世帯主についてはその旨、世帯主でない者については世帯主の氏名及び世帯主との続柄
六 転入前の住民票コード(転入をした者につき直近に住民票の記載をした市町村長が、当該住民票に直近に記載した住民票コードをいう。)
七 国外から転入をした者その他政令で定める者については、前各号に掲げる事項のほか政令で定める事項
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S42/S42HO081.html
この人法律を犯してるよ。。。
またまた露呈した安倍政権の脇の臭さ、じゃなくて甘さ。
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元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代氏(36)=自民・東京選挙区=が16日、期日前投票を門前払いされた。丸川氏は約3年前に海外勤務から帰国しているのに、今年4月まで転入届を未提出。投票権が消滅した状態だった。同氏は「忙しくて(転入手続きを)忘れてしまって」と釈明したが、ここ3年選挙に行っていないのではという疑惑も浮上。とりあえず貴重な1票は確実に失ってしまった。
この日午後、期日前投票のため笑顔で新宿区役所に入った丸川氏。しかし30分たっても出てこない。そして陣営スタッフが沈痛な表情で現れた。
「仕事でニューヨークに住んでいて、帰国した際に転入届を出し忘れていて投票ができませんでした」と関係者は説明した。丸川氏は03年6月から約1年、テレ朝のニューヨーク支局に勤務。04年6月に帰国した。だが転入手続きを忘れ今年の4月下旬になって急きょ行ったという。丸川氏は新宿区在住だが転入届を出してから3か月が経過しないと区の選挙人名簿に登録されない。そのため選挙権が“消滅”していた。
区役所から出てきた丸川氏は「投票ができないことが分かりました。ニューヨークから戻ってきて、すぐに転入の手続きしなければいけないのに忙しくて忘れてしまって…。すいませんでした。ごめんなさい」と頭を下げた。
今年4月に転入届を出したのであれば帰国以来、投票に一度も行っていないことになる。事実であれば、05年9月の衆院選も今年4月の都知事選も棄権。石原ファミリーの全面支援を受けながら、慎太郎知事に1票を投じることもなかったのか。元報道キャスターとしては何とも痛い失態。関係者は「忙しくて恐らく(選挙には)行っていないでしょう。(同じマスコミの)みなさんもそうでしょ?」と話す。
さらに転入手続きが済んでいなければ、帰国してから今年4月まで、どこに住民税を払っていたのかも疑問となる。この点について丸川氏は帰宅後に源泉徴収票を発見したという。事務所も「04〜06年まで住民税を払っていたことを確認しました」としたが、どこに払っていたかについては依然として「分かりません」とのこと。「(もし不備があれば)法的な手続きは早急に行いたいが…」と関係者は力なく話した。
◆届け出は公示前3か月以上必要、立候補はOK
丸川氏はなぜこんな事態に陥ったのか。選挙権の行使(投票)には各市町村の選管が管理する選挙人名簿に登録されていることが必要だ。通常は各市町村の住民票などの住民基本台帳に基づき登録される。選挙区内で投票するには、各選挙の公示(告示)の3か月以上前までに住民票の届け出が済んでいなければならない。
海外に転居した場合は、各市町村に転出届を提出後4か月以上がたつと選挙人名簿から抹消される。だが、各国の日本大使館などに「在外選挙人名簿」の登録を申請すれば海外での投票が可能となる。
しかし帰国した際に転入届の提出を怠ると、選挙の公示日まで3か月を切っている場合は日本国内での選挙人名簿に登録されず、投票ができない状態となる。
なお被選挙権については、日本国籍を保有していれば公選法上、海外在住でも立候補は可能。チリに軟禁中のフジモリ元ペルー大統領が今回の参院選に出馬している。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/
20070717-OHT1T00015.htm

ま、日本の政治には興味はないが、議員の椅子には興味があると。
住民基本台帳法 第四章 届出 の項目には。。。
第二十二条 転入(新たに市町村の区域内に住所を定めることをいい、出生による場合を除く。以下この条において同じ。)をした者は、転入をした日から十四日以内に、次に掲げる事項(いずれの市町村においても住民基本台帳に記録されたことがない者にあつては、第一号から第五号まで及び第七号に掲げる事項)を市町村長に届け出なければならない。
一 氏名
二 住所
三 転入をした年月日
四 従前の住所
五 世帯主についてはその旨、世帯主でない者については世帯主の氏名及び世帯主との続柄
六 転入前の住民票コード(転入をした者につき直近に住民票の記載をした市町村長が、当該住民票に直近に記載した住民票コードをいう。)
七 国外から転入をした者その他政令で定める者については、前各号に掲げる事項のほか政令で定める事項
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参院選の行方は?
与党過半数割れも、民主第1党の勢い…参院選・読売調査
読売新聞社は、29日投開票の第21回参院選を前に、全国世論調査を実施し、総支局の取材結果も加えて選挙情勢を探った。
自民党は、1人区など選挙区選で苦戦し、比例選でも勢いに欠ける。公明党も伸び悩んでおり、与党は参院で過半数ラインの122議席を維持できない可能性が強い。年金記録漏れ問題などで有権者の反発が高まっているためと見られる。民主党は選挙区選、比例選ともに躍進し、非改選の議席を合わせ参院での第1党をうかがう勢いだ。ただ、選挙区選で約5割、比例選で約3割の有権者が、投票する候補者や政党を決めておらず、投票日までに情勢が変化する可能性もある。
参院選は、改選定数121(選挙区選73、比例選48)に対し、選挙区選に218人、比例選に159人が立候補している。与党の非改選議席は、与党系無所属を含めて58あることから、過半数を維持するには64議席以上が必要となる。
自民党は選挙区選では、焦点となっている29の1人区のうち、群馬と山口で優位に戦いを進めている。だが、東北や四国、九州の全域など、これまで固い支持基盤を誇っていた地域で、民主党に競り負けるか、激しく追い上げられている。14勝13敗だった3年前の参院選よりも苦しい展開だ。
2人区、3人区では、それぞれ1議席を確保する情勢だ。5人区の東京では2議席目を無所属候補や共産党候補と競り合っている。
比例選でも自民党は伸び悩んでいる。逆風に加え、選挙区選で公明党から選挙協力を得るため、「比例選は公明党へ」などと支持者に呼びかける自民党候補が増えたことが一因と見られる。自民党は過去最低だった98年の14議席を下回ることもあり得る。
このまま自民党が逆風をはね返せなければ、選挙区選と比例選の合計で40台前半となる可能性が高い。
これに対し、民主党は1人区の岩手、三重で優勢なほか、山形、山梨、滋賀、奈良、徳島で先行している。このほか10近くの選挙区で当選をうかがう。複数区の千葉や愛知でも2議席獲得の可能性がある。
比例選では、04年参院選で獲得した過去最多の19議席に上積みし、20議席の大台に乗せる勢いだ。
民主党は現時点の勢いを維持出来れば、50台後半に届くことが予想される。
公明党は大阪で優位に選挙戦を進めているほか、他の選挙区でも当選圏内をうかがっている。比例選では01年、04年の参院選で獲得した8議席を確保できるかどうか微妙な情勢だ。年金問題などで守勢に立たされているのが響いている。
共産、社民両党は、それぞれ改選議席確保に向け、厳しい戦いを強いられている。初めて比例選に候補を擁立した国民新党、新党日本は1議席を獲得できる可能性がある。
調査は7月14〜16日の3日間、全国の有権者を対象に電話で実施。有権者がいる世帯6万6873件のうち、4万1735人から回答を得た(回答率62・4%)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000001-yom-pol
予想通りの自民逆風。今週に入っても安倍晋三の支持率は下がり続けてます。巨大与党にストップが掛けられる参院が、やっと誕生しそうで嬉しい限りなんですが。。。やはり油断は禁物。
勝ちが見えてきた選挙ほど怖いものはないです。。。
報道も野党有利とか、あんまり書いてほしくないものです。
代表はその辺、承知しているようで
参院選:小沢氏、メールで活「緩めば負ける。必死で戦え」
民主党の小沢一郎代表は17日、「緩めば負ける。必死で戦え」と題したメールを参院選の党公認候補者の陣営に送付した。各種世論調査などで、民主党に投票するとの回答が自民党を上回るなど優勢が伝えられているため、「負ければ政界引退」を宣言した小沢氏が引き締めをはかったとみられる。
メールは「油断して隙(すき)を見せると風はすぐに変わる。気が緩んだまま投票日を迎えれば、下馬評とは逆に我々は敗北する」と厳しく警告。新潟県中越沖地震についても「安倍自民党は迅速対応をアピールして支持率回復につなげようとしている」と注意を促している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/
20070718k0000m010160000c.html
安倍晋三は7月20日に拉致被害者を帰国させる、なんて噂も出てます。(でも、ここまで噂になってるとあざと過ぎて、もう出来ないか?)
兎に角、まだ選挙戦は中盤、一昨日の地震のように予期せぬことが起こるんです。まだまだ。。。
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読売新聞社は、29日投開票の第21回参院選を前に、全国世論調査を実施し、総支局の取材結果も加えて選挙情勢を探った。
自民党は、1人区など選挙区選で苦戦し、比例選でも勢いに欠ける。公明党も伸び悩んでおり、与党は参院で過半数ラインの122議席を維持できない可能性が強い。年金記録漏れ問題などで有権者の反発が高まっているためと見られる。民主党は選挙区選、比例選ともに躍進し、非改選の議席を合わせ参院での第1党をうかがう勢いだ。ただ、選挙区選で約5割、比例選で約3割の有権者が、投票する候補者や政党を決めておらず、投票日までに情勢が変化する可能性もある。
参院選は、改選定数121(選挙区選73、比例選48)に対し、選挙区選に218人、比例選に159人が立候補している。与党の非改選議席は、与党系無所属を含めて58あることから、過半数を維持するには64議席以上が必要となる。
自民党は選挙区選では、焦点となっている29の1人区のうち、群馬と山口で優位に戦いを進めている。だが、東北や四国、九州の全域など、これまで固い支持基盤を誇っていた地域で、民主党に競り負けるか、激しく追い上げられている。14勝13敗だった3年前の参院選よりも苦しい展開だ。
2人区、3人区では、それぞれ1議席を確保する情勢だ。5人区の東京では2議席目を無所属候補や共産党候補と競り合っている。
比例選でも自民党は伸び悩んでいる。逆風に加え、選挙区選で公明党から選挙協力を得るため、「比例選は公明党へ」などと支持者に呼びかける自民党候補が増えたことが一因と見られる。自民党は過去最低だった98年の14議席を下回ることもあり得る。
このまま自民党が逆風をはね返せなければ、選挙区選と比例選の合計で40台前半となる可能性が高い。
これに対し、民主党は1人区の岩手、三重で優勢なほか、山形、山梨、滋賀、奈良、徳島で先行している。このほか10近くの選挙区で当選をうかがう。複数区の千葉や愛知でも2議席獲得の可能性がある。
比例選では、04年参院選で獲得した過去最多の19議席に上積みし、20議席の大台に乗せる勢いだ。
民主党は現時点の勢いを維持出来れば、50台後半に届くことが予想される。
公明党は大阪で優位に選挙戦を進めているほか、他の選挙区でも当選圏内をうかがっている。比例選では01年、04年の参院選で獲得した8議席を確保できるかどうか微妙な情勢だ。年金問題などで守勢に立たされているのが響いている。
共産、社民両党は、それぞれ改選議席確保に向け、厳しい戦いを強いられている。初めて比例選に候補を擁立した国民新党、新党日本は1議席を獲得できる可能性がある。
調査は7月14〜16日の3日間、全国の有権者を対象に電話で実施。有権者がいる世帯6万6873件のうち、4万1735人から回答を得た(回答率62・4%)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000001-yom-pol
予想通りの自民逆風。今週に入っても安倍晋三の支持率は下がり続けてます。巨大与党にストップが掛けられる参院が、やっと誕生しそうで嬉しい限りなんですが。。。やはり油断は禁物。
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参院選:小沢氏、メールで活「緩めば負ける。必死で戦え」
民主党の小沢一郎代表は17日、「緩めば負ける。必死で戦え」と題したメールを参院選の党公認候補者の陣営に送付した。各種世論調査などで、民主党に投票するとの回答が自民党を上回るなど優勢が伝えられているため、「負ければ政界引退」を宣言した小沢氏が引き締めをはかったとみられる。
メールは「油断して隙(すき)を見せると風はすぐに変わる。気が緩んだまま投票日を迎えれば、下馬評とは逆に我々は敗北する」と厳しく警告。新潟県中越沖地震についても「安倍自民党は迅速対応をアピールして支持率回復につなげようとしている」と注意を促している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/
20070718k0000m010160000c.html
安倍晋三は7月20日に拉致被害者を帰国させる、なんて噂も出てます。(でも、ここまで噂になってるとあざと過ぎて、もう出来ないか?)
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東電 放射能量を訂正&緊急停止命令
放出放射能量を訂正=担当者が転記ミス−柏崎刈羽原発6号機・東電
東京電力は18日、新潟県中越沖地震の影響で柏崎刈羽原発6号機から海に放出された放射能量の推定値について、これまでの約6万ベクレルから約9万ベクレルに訂正し、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。法令の限度は下回っている。担当者のデータ転記ミスが原因とみられ、保安院は同社に厳重注意した。
保安院と東電によると、放出された放射能量は、排水タンクにあった水の放射能濃度から計算して推定するが、同原発の担当者が16日、測定器から打ち出された数字を誤って転記し、一部の放射性元素の濃度が計算に含まれていなかった。
東電が17日夜に再点検したところ、18日になって誤りが確認されたという。同社は訂正後の放出量も、法令限度の約10分の1程度で、外部環境への影響はないとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000097-jij-soci
柏崎市長、柏崎刈羽原発に緊急使用停止命令
新潟県中越沖地震で火災発生などのトラブルが多発した東京電力柏崎刈羽原子力発電所(柏崎市、刈羽村)について、会田洋・柏崎市長は18日、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した。稼働再開に向けた安全性が確認できないと判断した。1―7号機のすべてが対象で、同日午前同社の勝俣恒久社長を市役所に呼び、伝えた。
同原発を巡っては、甘利明経済産業相が17日、安全が再確認されるまで運転を見合わせるよう異例の指示を出した。自治体による停止命令は異例で、運転再開に影響を与えるのは必至だ。
同市の消防などによると、17日に同原発構内を検査したところ、消防体制の不備や、地盤の傷みが判明。「火災が発生した変圧器以外の施設にも損傷の可能性があり、現状では安全性が確認できない」(同市長)として、全号機のタービン建屋内の貯蔵タンクや屋外タンク貯蔵所など、危険物を扱う施設を対象に使用停止を命じる。
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt3/
20070718AS1G1801018072007.html

原発史上、最大の揺れを記録したとは言え、少々杜撰な感じしますね。東電は能登半島地震後の地元説明会で「柏崎刈羽原発の近くには、危険な断層などない」と堂々と説明していたようです。まあ、知らなかったことと思いますが、それでもねぇ。
ただ、こんな事態も予想されるようで。。。
柏崎刈羽原発停止、夏場の電力供給不安が現実に
東京電力の柏崎刈羽原子力発電所に対し、柏崎市が使用を停止する命令を出したことで、東電の夏場の電力供給に対する不安は現実のものになりそうだ。
東電は、最大電力を前年実績比で5.2%高い6110万キロワットと予想。予想外の猛暑となる場合に備え、予備力を7%弱加えた6527万キロワット分の発電ができる態勢を整えていた。
柏崎刈羽原発はこのうち、9月中旬まで定期検査で止まる予定の1号機を除く6基(計711.2万キロワット)がもっとも暑くなる8月にフル稼働状態に入っておく予定だった。これが使えないと、首都圏を含む東京電力管内の電力供給はかなりやりくりが難しい事態となる。
東電はまず、運転コストがかかることから休止している旧型の火力発電所を再立ち上げしたり、他電力から電力を融通してもらったりするなど、供給力確保に努める見通し。
さらに、電力需要は冷房需要が爆発的に伸びる暑い日の日中にピークとなるため、工場など大口の電力需要先にこの時間帯の操業をひかえてもらったり、消費者に節電を呼びかけたりする予定。
http://www.asahi.com/national/update/
0718/TKY200707180273.html
市町村が原発を止める。驚きです。
消防法と言う前代未聞の方法で原発を止めてしまいました。
会田洋市長、原発反対を訴えて当選したそうです。
杜撰な管理体制にストップをかけたのは市民の賢明な1票からなんですね。
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東京電力は18日、新潟県中越沖地震の影響で柏崎刈羽原発6号機から海に放出された放射能量の推定値について、これまでの約6万ベクレルから約9万ベクレルに訂正し、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。法令の限度は下回っている。担当者のデータ転記ミスが原因とみられ、保安院は同社に厳重注意した。
保安院と東電によると、放出された放射能量は、排水タンクにあった水の放射能濃度から計算して推定するが、同原発の担当者が16日、測定器から打ち出された数字を誤って転記し、一部の放射性元素の濃度が計算に含まれていなかった。
東電が17日夜に再点検したところ、18日になって誤りが確認されたという。同社は訂正後の放出量も、法令限度の約10分の1程度で、外部環境への影響はないとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000097-jij-soci
柏崎市長、柏崎刈羽原発に緊急使用停止命令
新潟県中越沖地震で火災発生などのトラブルが多発した東京電力柏崎刈羽原子力発電所(柏崎市、刈羽村)について、会田洋・柏崎市長は18日、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した。稼働再開に向けた安全性が確認できないと判断した。1―7号機のすべてが対象で、同日午前同社の勝俣恒久社長を市役所に呼び、伝えた。
同原発を巡っては、甘利明経済産業相が17日、安全が再確認されるまで運転を見合わせるよう異例の指示を出した。自治体による停止命令は異例で、運転再開に影響を与えるのは必至だ。
同市の消防などによると、17日に同原発構内を検査したところ、消防体制の不備や、地盤の傷みが判明。「火災が発生した変圧器以外の施設にも損傷の可能性があり、現状では安全性が確認できない」(同市長)として、全号機のタービン建屋内の貯蔵タンクや屋外タンク貯蔵所など、危険物を扱う施設を対象に使用停止を命じる。
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt3/
20070718AS1G1801018072007.html

原発史上、最大の揺れを記録したとは言え、少々杜撰な感じしますね。東電は能登半島地震後の地元説明会で「柏崎刈羽原発の近くには、危険な断層などない」と堂々と説明していたようです。まあ、知らなかったことと思いますが、それでもねぇ。
ただ、こんな事態も予想されるようで。。。
柏崎刈羽原発停止、夏場の電力供給不安が現実に
東京電力の柏崎刈羽原子力発電所に対し、柏崎市が使用を停止する命令を出したことで、東電の夏場の電力供給に対する不安は現実のものになりそうだ。
東電は、最大電力を前年実績比で5.2%高い6110万キロワットと予想。予想外の猛暑となる場合に備え、予備力を7%弱加えた6527万キロワット分の発電ができる態勢を整えていた。
柏崎刈羽原発はこのうち、9月中旬まで定期検査で止まる予定の1号機を除く6基(計711.2万キロワット)がもっとも暑くなる8月にフル稼働状態に入っておく予定だった。これが使えないと、首都圏を含む東京電力管内の電力供給はかなりやりくりが難しい事態となる。
東電はまず、運転コストがかかることから休止している旧型の火力発電所を再立ち上げしたり、他電力から電力を融通してもらったりするなど、供給力確保に努める見通し。
さらに、電力需要は冷房需要が爆発的に伸びる暑い日の日中にピークとなるため、工場など大口の電力需要先にこの時間帯の操業をひかえてもらったり、消費者に節電を呼びかけたりする予定。
http://www.asahi.com/national/update/
0718/TKY200707180273.html
市町村が原発を止める。驚きです。
消防法と言う前代未聞の方法で原発を止めてしまいました。
会田洋市長、原発反対を訴えて当選したそうです。
杜撰な管理体制にストップをかけたのは市民の賢明な1票からなんですね。
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宮本顕治氏死去
<訃報>日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去、98歳
日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。
1958年に書記長に就任し党の実権を掌握。(1)国会で多数派を形成し政権を目指す平和革命(2)外国の共産党の影響を受けない自主独立路線――に代表される「宮本路線」(綱領路線)を推し進め、現在の共産党の基礎を築いた。1997年を境に党の活動の一線から退いた。その後、党指導部は綱領見直しなど柔軟路線を進める一方で、宮本氏が敷いた基本路線を維持している。戦前、戦後を通して日本の左翼運動の一翼を担ったカリスマだった。
宮本氏は08年、山口県光井村(現在の光市)の肥料米穀商の長男として生まれ、旧制松山高校から東大経済学部に進んだ。東大在学中の29年に芥川龍之介を批判した「敗北の文学」で雑誌「改造」の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった。
共産党入党は31年。翌年、党員文学者の故宮本(旧姓中条)百合子さんと結婚、間もなく地下に潜った。33年に中央委員となったが、同年暮れにいわゆる「スパイ査問事件」で逮捕され、治安維持法違反などで終戦直後の45年10月まで、網走刑務所などで12年近い獄中生活を送った。この間、非転向を貫いた。
戦後45年12月の第4回党大会で、再び中央委員に。徳田球一書記長(当時)らと対立し一時反主流派に身を置いたが、党再建を図る58年の第7回党大会で書記長に選出され、70年に幹部会委員長、82年に議長に就任。この間不破氏らを要職につけ、最高実力者の地位を確立した。77年から、参院議員を2期。94年6月に一過性脳虚血発作で入院してから体力の衰えが目立ち、97年9月の第21回党大会で名誉議長となり、一線を退いた。同大会直後の10月の常任幹部会に出席した後、公の場に姿を見せておらず、2000年11月の第22回党大会ではほかの名誉職と横並びの「名誉役員」となった。
対外的には旧ソ連、中国の両共産党と距離を置く「自主独立」路線を確立。特に中国共産党とは66年、ベトナム侵略に反対する国際的な統一行動にソ連を入れるべきでないと主張する毛沢東主席(当時)に対し、訪中した宮本氏が強く反発して会談が決裂。その後、関係断絶に至ったが、不破氏が98年7月に訪中、江沢民総書記と首脳会談を行い、32年ぶりに関係を正常化した。
国内的には、議会重視の平和革命路線をとり、民主主義に対立する「プロレタリアート独裁」の用語を党綱領から削除、「マルクス・レーニン主義」も「科学的社会主義」に置き換えた。ソ連・東欧の共産主義政権崩壊の際は「ソ連型社会主義の敗北で、日本共産党は違う」と強調、党員の動揺を抑えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070718-00000062-mai-pol

宮本 顕治
(みやもと けんじ、1908年10月17日 - 2007年7月18日)は、山口県光市上島田出身の日本の文芸評論家、政治家、元参議院議員。日本共産党の元中央委員会議長で、2000年11月からは名誉役員。 2007年7月18日、逝去。
経歴
学生時代〜入党
旧制徳山中学校から松山高等学校に進学、社会科学研究会を創立し、文芸誌『白亜紀』を発行するなどの活動をおこなった。
東大在学中の1929年8月、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、文壇にデビュー。1931年3月、東京帝国大学経済学部卒業。
1931年5月、日本共産党に入党し、日本プロレタリア作家同盟に加盟。 その後、党の中央アジテーション・プロパガンダ部員に就任。 1932年2月、作家・中條百合子と結婚。 1932年3月から4月にかけてのプロレタリア文学運動への弾圧をきっかけに、いわゆる地下活動にはいる。その中で1933年1月、中央アジ・プロ部長に就任。 4月、中央委員候補になり、5月、野呂栄太郎の最高指導者就任に伴い中央委員に昇格。また、野沢徹などの変名をつかって、プロレタリア文学運動の理論問題の論文を発表した。
「スパイ」事件と被収監
1933年12月26日、街頭連絡中に逮捕されるが、警察・予審の取調べには黙秘を貫いたとされる。その間に、警察が逮捕されたほかの人間の取調べから突き止めたアジトを捜索し、床下より小畑達夫の死体を発見した。検察は「1933年12月23日〜24日に東京 幡ヶ谷の隠れ家で、袴田里見、逸見重雄、秋笹正之輔、木島隆明の4人と共に、大泉兼蔵と小畑の両中央委員をスパイ容疑で査問。大泉にスパイであることを自白させたが、小畑は認めなかったため、その際暴行を加え、斧で頭を打ったり、股間を露出させて硫酸を垂らしたり、馬乗りになったり、針金で縛るなどの暴行を加え続け、ついに小畑を死亡させた」として、治安維持法違反、殺人、不法監禁、死体遺棄などの罪で起訴した。(共産党は、小畑の死因は「特異体質による内因性の急性ショック死」であり、査問時に暴力をふるったことはなく、事件はでっち上げと主張している。一方、同事件で共に有罪となった袴田里見は、共産党除名後の1978年に、週刊新潮誌上において小畑に暴行を加えて死亡させたと主張した。なお、小畑達夫はスパイではなかったことが後に判明している)。
1934年12月、市ヶ谷刑務所未決監に移監。 同月、百合子との結婚を届け出た。これは、事実婚では面会などに制限が加えられていたので、それを避けるという意味合いもあった。
宮本の病気のため裁判の開始が遅れ、1940年に公判が始まり、1944年12月5日、東京地裁は殺意は否定したものの小畑の死因はリンチによる外傷性ショック死であるとして、傷害致死、死体遺棄、治安維持法違反などにより無期懲役の有罪とした。1945年5月に大審院で上告棄却され無期懲役の判決確定(戦時特例により控訴審は無し)。6月、網走刑務所に収監されたが、すぐに終戦となる。
復権
1945年10月4日、GHQの指令「政治的市民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」が出され、これを受けて10月5日に司法省は政治犯の釈放を命じる。 政治犯釈放を翌日に控えた10月9日に出獄(これを見た仙台に収監されていた袴田も出獄を要求し19日に出獄)。 10月17日、勅令第580号勅令第580号(減刑令)により懲役20年に減刑。 1947年、刑の執行停止状態に気づいた東京検事局が出頭を要求してきたため、抗議して5月29日付で昭和20年勅令第730号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)に基づく復権証明書を発行させた。共産党側は、この復権により一般刑法犯の有罪判決も治安維持法違反の一環としてなされた不当判決であり、無実であることが証明されたとしている。
しかし、宮本が釈放され、復権証明書が発行されたことに対して、上記GHQ指令とそれを受けた司法省の政治犯釈放命令および復権は、純粋な政治犯に適用されるものであって、治安維持法違反とともに傷害致死罪など一般刑法犯でも有罪とされた宮本は本来は対象外のはずであるとの指摘があり、いわゆる復権問題(法的に刑期が残っているとすれば公民権は回復されていないことになる)として、スパイリンチ査問事件の存否とともに、1975年末に『文藝春秋』誌上で連載が開始された立花隆の『日本共産党の研究』で指摘があり、1976年には当時の民社党の春日一幸によって国会で取り上げられた(春日違憲質問)。(後述)
国際派リーダー〜幹部会委員長へ
1951年1月21日、百合子が死去(51歳)。没後岩崎書店から刊行された『宮本百合子全集』の解説を書き、それをその後、単行本『宮本百合子の世界』にまとめた。この本は、現在でも百合子研究史上重要な位置を占めるものとされている。また、獄中にいたころの百合子との往復書簡を『十二年の手紙』として刊行した。後に作家の渡辺淳一が、この書簡集を、愛の記録として高く評価している。1954年には、『新日本文学』誌上で大西巨人と、野間宏の作品『真空地帯』の評価や新日本文学会の組織問題をめぐって論争するなど、1950年代前半は文芸評論家としての活躍が目立っていた。
1950年コミンフォルムによる日本共産党への批判に対する態度をめぐって、党が所感派と国際派とに分裂、宮本は国際派のリーダー的存在となる。数の上では所感派が圧倒的多数であったが、その所感派の武装闘争方針が国民の支持を失わせる端緒となり、衆議院での議席消滅につながる。1955年3月、中央指導部員に就任。 7月、六全協第1回中央委員会総会で中央機関紙編集委員に任命。 8月、常任幹部会で責任者に就任。 1958年8月、第7回大会1中総で、書記長に選出された。この国際派の勝利により、党史の上では、所感派が分派となる。 1970年7月、第11回大会1中総で中央委員会幹部会委員長に選出。
参議院議員に当選
1974年6月26日、民社党の春日一幸委員長は『毎日新聞』の参議院選挙取材で、スパイ査問事件を取り上げ、宮本は小畑をリンチで殺したと主張。選挙の共産党批判に使った。共産党は「小畑は特異体質により死亡したもの」と抗議した。1975年12月10日発売の『文藝春秋』1976年1月号で、立花隆もまた、小畑はリンチで殺されたと主張した。1976年、春日はこれを国会で取り上げ、再び両党の争いとなった。1月30日、民社党の塚本三郎の質問に対し、稻葉修法相はリンチ殺人を認めた。『文藝春秋』はさらに3月号で、鬼頭史郎判事補により違法コピーされた「刑執行停止上申書」と「診断書」を掲載した。浜田幸一は「日本をダメにした9人の政治家」の中で、裁判記録や関係者の調書をひいて、
「死んだ小畑という人がスパイでなかったことは、その後の調査によっても確実になっている。彼は最後まで、自分がスパイであることを認めなかった。しかし、宮本氏らは、初めからスパイと決め付けており、相手の言い分を聞こうともせず、一方的に痛めつけた。こんなのは、査問とは言わない。明らかなリンチである。」
と記している。一方、共産党側も、新日本出版社から『宮本顕治公判記録』(ISBN 4-406-00408-4)を出版し、裁判の実態を明らかにした。
自由民主党は民社党と共同でリンチ殺人事件を追及した。しかし、他の野党は、春日が治安維持法を自明の存在として宮本を非難したことから、春日がこの事件にかこつけて言論弾圧を推進していると警戒した。そのため、野党もマスコミも宮本に同情的であった。
1977年7月、第11回参議院議員通常選挙で全国区から初当選し、1989年まで務める。 1982年7月-8月、第16回大会1中総で中央委員会議長に選出。
欠席のまま議長を引退
1997年9月、第21回大会で欠席のまま引退し、名誉議長に退いた。2000年11月、第22回大会で名誉役員に選ばれる。
晩年
晩年は東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘の私邸で隠遁生活を送り、日本共産党職員や家政婦が世話をしていた。 2007年7月18日、老衰のため死去した。98歳であった。
盗聴事件
1970年、自宅の電話回線が創価学会の学生部幹部数名により盗聴されるという事件の被害にあった。この事件は後に創価学会を同事件を根拠に恐喝し実刑判決を受けた元顧問弁護士山崎正友が主導した。山崎自らが、盗聴事件の実行犯は自らを含めた複数の創価学会幹部であることを週刊誌にて告白した1980年に、宮本は、特定の個人は不明としながらも、宗教法人としての創価学会に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。1988年、東京高等裁判所での控訴審の判決後、学会側が最高裁判所への上告を取り下げたことにより、創価学会側の敗訴が確定している。
その他
現在の日本共産党幹部会委員長志位和夫は宮本家の家庭教師であった。その教え子は現在北海道大学大学院教授で民主党の宮本太郎である。
政治以外の話題としては「ポルノ番組批判」をしたことが挙げられる。1975年、「11PM」(日本テレビ系列)「独占!男の時間」(東京12チャンネル)に代表される女性の裸体を売りにした番組が多いという現状に憤り「今の商業テレビ界には女性を軽視した番組、ポルノ番組が満ち溢れている」と批判した。この発言をきっかけに「ポルノ番組追放キャンペーン」が展開された。
引退劇の詳細については、離党した筆坂秀世が、著書で自身の見解を明らかにしている。
昭和62年の衆議院予算委員会で浜田幸一委員長は宮本を宮沢賢治と呼び間違えた挙句、人殺し呼ばわりして物議を醸した。
女子高生コンクリート詰め殺人事件では、直々の命令で遺族に対する脅迫、恫喝といった人権侵害を行なったという説もある。[要出典]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1
%95%E6%B2%BB
これはwikiからの引用ですが、これだけ読んでると大罪人みたいです。。。一応公平を期すためにはてなも載せてみる。
宮本顕治 みやもとけんじ
1908/10/17〜2007/07/18 政治家、評論家。日本共産党元委員長。略称ミヤケン。小説家、宮本百合子は妻。
山口県出身。
31年東大経済学部卒。在学中に芥川龍之介を論じた『「敗北」の文学』が雑誌の懸賞論文に入選して名を知られた。卒業直後に共産党入党。プロレタリア作家同盟で活動、32年中条百合子と結婚。33年党中央委員。同年末、治安維持法などで検挙され*1、終身刑の判決をうけた。45年に釈放。12年間の非転向をつらぬいた。
党政治局員、統制委議長、理論誌『前衛』主幹などをつとめたが、徳田球一らの主流派からは疎外された。50年のコミンフォルムの日本共産党批判による党分裂のさいは、徳田らの所感派にたいし国際派と呼ばれた。
55年の6全協で指導部に復帰、58年の大会で極左冒険主義の51年綱領を廃棄、書記長に就任し、以降、30年余にわたる宮本指導体制を確立した。82年、委員長を不破哲三に譲り、党議長。
2000年11月、共産党中央委員会名誉議長から名誉役員となり、形としてもほぼ引退することとなった。
著書は「人民の文学」「民主革命の諸問題」「革命の展望」など。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%DC%CB%DC%B8%B2%BC%A3
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日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。
1958年に書記長に就任し党の実権を掌握。(1)国会で多数派を形成し政権を目指す平和革命(2)外国の共産党の影響を受けない自主独立路線――に代表される「宮本路線」(綱領路線)を推し進め、現在の共産党の基礎を築いた。1997年を境に党の活動の一線から退いた。その後、党指導部は綱領見直しなど柔軟路線を進める一方で、宮本氏が敷いた基本路線を維持している。戦前、戦後を通して日本の左翼運動の一翼を担ったカリスマだった。
宮本氏は08年、山口県光井村(現在の光市)の肥料米穀商の長男として生まれ、旧制松山高校から東大経済学部に進んだ。東大在学中の29年に芥川龍之介を批判した「敗北の文学」で雑誌「改造」の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった。
共産党入党は31年。翌年、党員文学者の故宮本(旧姓中条)百合子さんと結婚、間もなく地下に潜った。33年に中央委員となったが、同年暮れにいわゆる「スパイ査問事件」で逮捕され、治安維持法違反などで終戦直後の45年10月まで、網走刑務所などで12年近い獄中生活を送った。この間、非転向を貫いた。
戦後45年12月の第4回党大会で、再び中央委員に。徳田球一書記長(当時)らと対立し一時反主流派に身を置いたが、党再建を図る58年の第7回党大会で書記長に選出され、70年に幹部会委員長、82年に議長に就任。この間不破氏らを要職につけ、最高実力者の地位を確立した。77年から、参院議員を2期。94年6月に一過性脳虚血発作で入院してから体力の衰えが目立ち、97年9月の第21回党大会で名誉議長となり、一線を退いた。同大会直後の10月の常任幹部会に出席した後、公の場に姿を見せておらず、2000年11月の第22回党大会ではほかの名誉職と横並びの「名誉役員」となった。
対外的には旧ソ連、中国の両共産党と距離を置く「自主独立」路線を確立。特に中国共産党とは66年、ベトナム侵略に反対する国際的な統一行動にソ連を入れるべきでないと主張する毛沢東主席(当時)に対し、訪中した宮本氏が強く反発して会談が決裂。その後、関係断絶に至ったが、不破氏が98年7月に訪中、江沢民総書記と首脳会談を行い、32年ぶりに関係を正常化した。
国内的には、議会重視の平和革命路線をとり、民主主義に対立する「プロレタリアート独裁」の用語を党綱領から削除、「マルクス・レーニン主義」も「科学的社会主義」に置き換えた。ソ連・東欧の共産主義政権崩壊の際は「ソ連型社会主義の敗北で、日本共産党は違う」と強調、党員の動揺を抑えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
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宮本 顕治
(みやもと けんじ、1908年10月17日 - 2007年7月18日)は、山口県光市上島田出身の日本の文芸評論家、政治家、元参議院議員。日本共産党の元中央委員会議長で、2000年11月からは名誉役員。 2007年7月18日、逝去。
経歴
学生時代〜入党
旧制徳山中学校から松山高等学校に進学、社会科学研究会を創立し、文芸誌『白亜紀』を発行するなどの活動をおこなった。
東大在学中の1929年8月、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、文壇にデビュー。1931年3月、東京帝国大学経済学部卒業。
1931年5月、日本共産党に入党し、日本プロレタリア作家同盟に加盟。 その後、党の中央アジテーション・プロパガンダ部員に就任。 1932年2月、作家・中條百合子と結婚。 1932年3月から4月にかけてのプロレタリア文学運動への弾圧をきっかけに、いわゆる地下活動にはいる。その中で1933年1月、中央アジ・プロ部長に就任。 4月、中央委員候補になり、5月、野呂栄太郎の最高指導者就任に伴い中央委員に昇格。また、野沢徹などの変名をつかって、プロレタリア文学運動の理論問題の論文を発表した。
「スパイ」事件と被収監
1933年12月26日、街頭連絡中に逮捕されるが、警察・予審の取調べには黙秘を貫いたとされる。その間に、警察が逮捕されたほかの人間の取調べから突き止めたアジトを捜索し、床下より小畑達夫の死体を発見した。検察は「1933年12月23日〜24日に東京 幡ヶ谷の隠れ家で、袴田里見、逸見重雄、秋笹正之輔、木島隆明の4人と共に、大泉兼蔵と小畑の両中央委員をスパイ容疑で査問。大泉にスパイであることを自白させたが、小畑は認めなかったため、その際暴行を加え、斧で頭を打ったり、股間を露出させて硫酸を垂らしたり、馬乗りになったり、針金で縛るなどの暴行を加え続け、ついに小畑を死亡させた」として、治安維持法違反、殺人、不法監禁、死体遺棄などの罪で起訴した。(共産党は、小畑の死因は「特異体質による内因性の急性ショック死」であり、査問時に暴力をふるったことはなく、事件はでっち上げと主張している。一方、同事件で共に有罪となった袴田里見は、共産党除名後の1978年に、週刊新潮誌上において小畑に暴行を加えて死亡させたと主張した。なお、小畑達夫はスパイではなかったことが後に判明している)。
1934年12月、市ヶ谷刑務所未決監に移監。 同月、百合子との結婚を届け出た。これは、事実婚では面会などに制限が加えられていたので、それを避けるという意味合いもあった。
宮本の病気のため裁判の開始が遅れ、1940年に公判が始まり、1944年12月5日、東京地裁は殺意は否定したものの小畑の死因はリンチによる外傷性ショック死であるとして、傷害致死、死体遺棄、治安維持法違反などにより無期懲役の有罪とした。1945年5月に大審院で上告棄却され無期懲役の判決確定(戦時特例により控訴審は無し)。6月、網走刑務所に収監されたが、すぐに終戦となる。
復権
1945年10月4日、GHQの指令「政治的市民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」が出され、これを受けて10月5日に司法省は政治犯の釈放を命じる。 政治犯釈放を翌日に控えた10月9日に出獄(これを見た仙台に収監されていた袴田も出獄を要求し19日に出獄)。 10月17日、勅令第580号勅令第580号(減刑令)により懲役20年に減刑。 1947年、刑の執行停止状態に気づいた東京検事局が出頭を要求してきたため、抗議して5月29日付で昭和20年勅令第730号(政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件)に基づく復権証明書を発行させた。共産党側は、この復権により一般刑法犯の有罪判決も治安維持法違反の一環としてなされた不当判決であり、無実であることが証明されたとしている。
しかし、宮本が釈放され、復権証明書が発行されたことに対して、上記GHQ指令とそれを受けた司法省の政治犯釈放命令および復権は、純粋な政治犯に適用されるものであって、治安維持法違反とともに傷害致死罪など一般刑法犯でも有罪とされた宮本は本来は対象外のはずであるとの指摘があり、いわゆる復権問題(法的に刑期が残っているとすれば公民権は回復されていないことになる)として、スパイリンチ査問事件の存否とともに、1975年末に『文藝春秋』誌上で連載が開始された立花隆の『日本共産党の研究』で指摘があり、1976年には当時の民社党の春日一幸によって国会で取り上げられた(春日違憲質問)。(後述)
国際派リーダー〜幹部会委員長へ
1951年1月21日、百合子が死去(51歳)。没後岩崎書店から刊行された『宮本百合子全集』の解説を書き、それをその後、単行本『宮本百合子の世界』にまとめた。この本は、現在でも百合子研究史上重要な位置を占めるものとされている。また、獄中にいたころの百合子との往復書簡を『十二年の手紙』として刊行した。後に作家の渡辺淳一が、この書簡集を、愛の記録として高く評価している。1954年には、『新日本文学』誌上で大西巨人と、野間宏の作品『真空地帯』の評価や新日本文学会の組織問題をめぐって論争するなど、1950年代前半は文芸評論家としての活躍が目立っていた。
1950年コミンフォルムによる日本共産党への批判に対する態度をめぐって、党が所感派と国際派とに分裂、宮本は国際派のリーダー的存在となる。数の上では所感派が圧倒的多数であったが、その所感派の武装闘争方針が国民の支持を失わせる端緒となり、衆議院での議席消滅につながる。1955年3月、中央指導部員に就任。 7月、六全協第1回中央委員会総会で中央機関紙編集委員に任命。 8月、常任幹部会で責任者に就任。 1958年8月、第7回大会1中総で、書記長に選出された。この国際派の勝利により、党史の上では、所感派が分派となる。 1970年7月、第11回大会1中総で中央委員会幹部会委員長に選出。
参議院議員に当選
1974年6月26日、民社党の春日一幸委員長は『毎日新聞』の参議院選挙取材で、スパイ査問事件を取り上げ、宮本は小畑をリンチで殺したと主張。選挙の共産党批判に使った。共産党は「小畑は特異体質により死亡したもの」と抗議した。1975年12月10日発売の『文藝春秋』1976年1月号で、立花隆もまた、小畑はリンチで殺されたと主張した。1976年、春日はこれを国会で取り上げ、再び両党の争いとなった。1月30日、民社党の塚本三郎の質問に対し、稻葉修法相はリンチ殺人を認めた。『文藝春秋』はさらに3月号で、鬼頭史郎判事補により違法コピーされた「刑執行停止上申書」と「診断書」を掲載した。浜田幸一は「日本をダメにした9人の政治家」の中で、裁判記録や関係者の調書をひいて、
「死んだ小畑という人がスパイでなかったことは、その後の調査によっても確実になっている。彼は最後まで、自分がスパイであることを認めなかった。しかし、宮本氏らは、初めからスパイと決め付けており、相手の言い分を聞こうともせず、一方的に痛めつけた。こんなのは、査問とは言わない。明らかなリンチである。」
と記している。一方、共産党側も、新日本出版社から『宮本顕治公判記録』(ISBN 4-406-00408-4)を出版し、裁判の実態を明らかにした。
自由民主党は民社党と共同でリンチ殺人事件を追及した。しかし、他の野党は、春日が治安維持法を自明の存在として宮本を非難したことから、春日がこの事件にかこつけて言論弾圧を推進していると警戒した。そのため、野党もマスコミも宮本に同情的であった。
1977年7月、第11回参議院議員通常選挙で全国区から初当選し、1989年まで務める。 1982年7月-8月、第16回大会1中総で中央委員会議長に選出。
欠席のまま議長を引退
1997年9月、第21回大会で欠席のまま引退し、名誉議長に退いた。2000年11月、第22回大会で名誉役員に選ばれる。
晩年
晩年は東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘の私邸で隠遁生活を送り、日本共産党職員や家政婦が世話をしていた。 2007年7月18日、老衰のため死去した。98歳であった。
盗聴事件
1970年、自宅の電話回線が創価学会の学生部幹部数名により盗聴されるという事件の被害にあった。この事件は後に創価学会を同事件を根拠に恐喝し実刑判決を受けた元顧問弁護士山崎正友が主導した。山崎自らが、盗聴事件の実行犯は自らを含めた複数の創価学会幹部であることを週刊誌にて告白した1980年に、宮本は、特定の個人は不明としながらも、宗教法人としての創価学会に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。1988年、東京高等裁判所での控訴審の判決後、学会側が最高裁判所への上告を取り下げたことにより、創価学会側の敗訴が確定している。
その他
現在の日本共産党幹部会委員長志位和夫は宮本家の家庭教師であった。その教え子は現在北海道大学大学院教授で民主党の宮本太郎である。
政治以外の話題としては「ポルノ番組批判」をしたことが挙げられる。1975年、「11PM」(日本テレビ系列)「独占!男の時間」(東京12チャンネル)に代表される女性の裸体を売りにした番組が多いという現状に憤り「今の商業テレビ界には女性を軽視した番組、ポルノ番組が満ち溢れている」と批判した。この発言をきっかけに「ポルノ番組追放キャンペーン」が展開された。
引退劇の詳細については、離党した筆坂秀世が、著書で自身の見解を明らかにしている。
昭和62年の衆議院予算委員会で浜田幸一委員長は宮本を宮沢賢治と呼び間違えた挙句、人殺し呼ばわりして物議を醸した。
女子高生コンクリート詰め殺人事件では、直々の命令で遺族に対する脅迫、恫喝といった人権侵害を行なったという説もある。[要出典]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1
%95%E6%B2%BB
これはwikiからの引用ですが、これだけ読んでると大罪人みたいです。。。一応公平を期すためにはてなも載せてみる。
宮本顕治 みやもとけんじ
1908/10/17〜2007/07/18 政治家、評論家。日本共産党元委員長。略称ミヤケン。小説家、宮本百合子は妻。
山口県出身。
31年東大経済学部卒。在学中に芥川龍之介を論じた『「敗北」の文学』が雑誌の懸賞論文に入選して名を知られた。卒業直後に共産党入党。プロレタリア作家同盟で活動、32年中条百合子と結婚。33年党中央委員。同年末、治安維持法などで検挙され*1、終身刑の判決をうけた。45年に釈放。12年間の非転向をつらぬいた。
党政治局員、統制委議長、理論誌『前衛』主幹などをつとめたが、徳田球一らの主流派からは疎外された。50年のコミンフォルムの日本共産党批判による党分裂のさいは、徳田らの所感派にたいし国際派と呼ばれた。
55年の6全協で指導部に復帰、58年の大会で極左冒険主義の51年綱領を廃棄、書記長に就任し、以降、30年余にわたる宮本指導体制を確立した。82年、委員長を不破哲三に譲り、党議長。
2000年11月、共産党中央委員会名誉議長から名誉役員となり、形としてもほぼ引退することとなった。
著書は「人民の文学」「民主革命の諸問題」「革命の展望」など。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%DC%CB%DC%B8%B2%BC%A3
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