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2007年04月16日

専大北上高、野球部を解散

専大北上高、野球部を解散 県高野連に申し出 金銭問題

 プロ野球からアマ選手への金銭提供問題などにからみ、西武から金銭をもらっていた早大選手(3月15日付で退部)が在籍していた専大北上高校(岩手県北上市)は硬式野球部の解散を決め、16日、県高校野球連盟に申し出た。同校について日本高野連は、プロアマ規定違反だけでなく、日本学生野球憲章が禁じるスポーツ特待生制度での入学の存在が明らかになったとして、「連盟からの除名相当である」との見解を示していた。

 日本高野連は12日に、同校校長ら関係者から聞き取り調査を行った。この席で、中学時代の野球の成績などをもとに生徒の入学を認め、学費などの免除をする「特待生制度」を実施していたことも発覚。これは日本学生野球憲章13条に違反している。

 同校では1学年10人程度の野球部員が、スポーツ特待生制度で現在も在籍しているという。

 日本高野連では、部員がプロから金銭を受けていたことを前コーチが黙認していたことに加え、憲章違反が重なり、学校側に管理能力が欠如していると判断。「極めて重い違反行為。除名相当だ」とした。処分は18日の日本高野連審議委員会を経て、27日にある日本学生野球協会の審査で正式に決まることになっていた。

http://www.asahi.com/national/update/
0416/TKY200704160138.html



日本学生野球憲章第13条

 野球を目的に金品等を受け取ることを禁止した条文で「選手、部員はいかなる名義であっても選手、部員であることを理由に学費、生活費その他の金品を受けることができない」としている。  専大北上高は中学時代の野球の実績に応じて選手をA、B、Cにランク分けし、授業料を免除するなどの奨学制度を行っており、憲章に違反する。

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/4827/

勉強の出来る子に奨学金が与えられるのはOKで、スポーツが優秀な子には駄目。。。


専大北上、解散しても処分対象=学生野球協会


 日本学生野球協会の内藤雅之事務局長は16日、専大北上高野球部について「解散はしても、学生野球の処分対象にはなる」との見解を示した。解散自体については「コメントしない」とした。
 同事務局長は、同校の処分検討が18日の日本高野連の審議委員会決定で学生協会に上申された場合とした上で「野球部がなくなっても指導者らの責任は問われるだろう」と話し、27日の同協会審査室会議で議題に上がる可能性を示した。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070416-00000089-jij-spo



潔いと言えばそうなのだが。。。83人いると言う現役部員たちが少々かわいそうな気もするな。その中には将来プロも?なんて選手はいなかったのかな?

しかし、ほかにもビクビクしてる学校があるんだろうね。



追記です。部は解散しても、同好会としての活動は続けるとのこと。また一部の声として「処分逃れでは?」とも。。。




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posted by zara at 19:17| Comment(0) | TrackBack(26) | スポーツ全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黒川紀章の代表建築、取り壊しへ

黒川氏の代表建築、取り壊しへ 銀座のカプセルタワービル

 東京都知事選で落選した建築家、黒川紀章氏(73)の代表作の1つで、東京・銀座の集合住宅「中銀カプセルタワービル」が、老朽化やアスベスト(石綿)の使用を理由に、取り壊して建て替えられることが15日、決まった。戦後の実験的建築として世界の建築界で知られ、日本建築学会などが所有者に保存を求めていた。

 11階建てと13階建ての2棟が一体となった同ビルは、昭和47年に完成。四角い箱(カプセル)を積み重ねたような個性的外観のワンルームマンションで、黒川氏らの当時の建築運動「メタボリズム(代謝)」を具現化した先鋭的な建築として評判を呼んだ。

 近年、老朽化やアスベストの使用が問題化し、建て替えか大規模改修かを所有者が議論していた。同日、管理組合の臨時総会で区分所有法に基づくマンションの建て替え決議が行われ、賛成が法定数を上回った。

 組合の山下清兵衛理事長は「建物を残せるなら残したいが、所有者の誰も、保存のための犠牲にはなりたくない。経済面を考えれば建て替えざるを得ない」と話した。1区分当たり6割の増床が見込める地上14階建てビルへの建て替えが計画されている。

http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/
070415/wdi070415001.htm


nkjs.jpg

中銀カプセルタワービル

(なかぎんかぷせるたわーびる)黒川紀章が設計した世界で初めて実用化されたカプセル型の(それぞれの部屋の独立性が著しく高く、技術的には部屋=カプセルごとに交換が可能な)建築(マンション)。東京の銀座にあり、1972年竣工。

黒川の初期の代表作であるとともに、メタボリズムにとっても代表的な作品である。

鳥の巣を積み重ねたようなその特異な外見は、ユニット性のカプセル住宅(マンションであるが、事務所としても利用可能)としての機能をダイレクトに表現したもので、その評価は高い。

竣工後30年が経過し,老朽化が問題になっている。黒川はカプセルの交換によって利用し続けることを求めている。一部の報道機関は2006年9月に開催された区分所有者の総会により建て替えが決まったと流したが、実際には過半数の所有者が賛成したに過ぎず、区分所有法で定められている議決権および区分所有者の80%以上の賛成を得ていないため建て替えるか否か決まっていない。その後2007年4月15日に管理組合の臨時総会で区分所有法に基づくマンションの建て替え決議が行われ、法定数以上に達したため立て替えが正式に決定した[1]。地上14階建てのビルに建て替えられるという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%8A%80
%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB%
E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%93%E3
%83%AB



Nakagin Capsule Tower

所在地:東京都中央区銀座 

設計/竣工:1970年‐1972年

建築面積:429.51m²

延床面積:3,091.23m²

鉄骨鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造

地下1階 地上11階および13階


世界で初めて実用化されたカプセル建築。1960年代前後に、イギリスのアーキグラムグループや、フランスのポールメモン、ヨナフリードマン等、建築を脱構築して、その部屋をカプセルとして自立させたり、メガストラクチャーにカプセル建築をとりつける構想と同時代性をもっている。

ここでは、プレハブ(量産)でありながら多様性という新しい質を表現できるかどうかという新しい課題の対する挑戦と、自我の自立という個人主義を経ることなく近代化してしまった日本への批判として、自立する個の空間を目指している。

技術的には二本の高張力ボルトのみでコンクリートコアシャフトに取付けられたカプセルは、実際に取りはずして新しいカプセルと交換されるよう、技術開発がなされている。カプセル建築は、単身者用の宿泊、デン(書斎)として想定されたが、家族用としては、数個を扉でつなぐことによって可能となるよう計画された。カプセルの内装は、電化製品や家具、オーディオ、TV、電話まで工場でセットされ、現地でクレーン車によって吊上げれらてシャフトに固定された。

新陳代謝、取換え、リサイクルを実現したサスティナブル建築の原型でもある。

中銀カプセルタワーは、1996年Docomomo Internationalの国際委員会により、世界遺産にノミネートされた。

http://www.kisho.co.jp/page.php/106

nkml.jpg

nkgka.jpg


黒川氏は取り壊しにもちろん反対のようだ。「作品」としての価値は認めても、残しておける規模のものではないだけに。。。カプセルの1つをどこかの美術館にでも置いてもらうとか。

しかし、現在の入居者はベッド等を取り除きオフィスとして利用してるのがほとんどとか。35年前の最先端も現在は。。。






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posted by zara at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

能登、三重、次は?

地震連発は何かの前兆!? 能登に続いて今度は三重…

関西は注意が必要


 能登半島地震の恐怖も覚めやらぬなか、三重県の中心を強い地震が襲った。地震列島日本の中でも特に多くの活断層が集中するという関西地方。専門家は大地震の危険性を指摘する。

 15日正午過ぎ、中部地方から近畿、北陸などの広い範囲を三重県中部を震源とする強い地震が襲った。午後6時34分ごろには震度4の余震も発生し、住民は恐怖と不安の一夜を過ごした。

 気象庁によると、震源の深さは約16キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は5.4。震源地は布引山地東縁断層帯の付近で、北東と南西方向から圧力がかかって起きた逆断層型の地震とみられる。

 気象庁は3週間前の石川県能登半島地震との関連を否定しているが、専門家はどう見たか。

 地質学・地震学の権威で森本良平東京大学名誉教授は、寺田寅彦氏の言葉を引いて地震の起こり方を「椿の花が落ちるがごとし」と表現。連鎖・波状的に広がっていく地震の特徴を示したうえで、関西地方で地震が頻発する可能性を次のように解説する。

 「地震は連鎖的に発生する傾向がある。今後、同規模の地震が発生する傾向があるが、関西地方は活断層が集中する地域で、体感しない地震は恒常的に発生している」

 森本名誉教授によると、地震は日本に限って言えば、深度100キロ以上ではほとんど体感しないため、問題となるのは「深度」だという。

 「私が危惧(きぐ)するのは、最近大規模な地震が深度の浅い場所で発生する傾向が出てきていること。関西地方は特に深度の浅い地震が発生する傾向にあり、注意が必要だ」と話す。

 関西地方では、いまだに阪神大震災と同規模の地震が発生する危険性もはらんでいるのだ。

http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007041601.html


「能登の地震との関連は特にない」と気象庁

 石川県の能登半島地震(マグニチュード6.9)から3週間。西日本を再び強い揺れが襲った。気象庁の宇平幸一・地震津波監視課長は「能登とは距離も離れており、二つの地震の関連は特にない」としている。

 中央防災会議は、東南海・南海地震などプレート境界のM8級の巨大地震の前には、M7級の内陸型の地震が増えるとみている。専門家からは、95年の阪神大震災以降、西日本の地震活動は活動期に入ったとの見方も出ている。

 同庁によると、西日本でデータが残る1923年以降、M6.0以上の地震は116回。年1〜2回程度で推移しているという。宇平課長は「大きな地震の回数を見ても特段の変化は認められない」と、活発化については否定した。


http://www.asahi.com/national/update/
0415/NGY200704150013.html


気象庁も上記のような発表だし、素人考えでも能登と三重では距離的にも相当離れてるし。。。と考えますが、日本が地震の活動期に入っているのは間違いないわけで。。。

これは能登地震後の記事ですが。。。



国内の広範囲地震活動期に 神戸大・石橋教授

 神戸大の石橋克彦教授(地震学)は、今回の地震について「列島の日本海側や内陸の広い範囲が地震活動期に入っていることを、あらためて示した」と話す。

 石橋教授は、北海道・東北の日本海側から中部・近畿、九州に至るまでの地域が、ユーラシアプレートから分離した小さなプレートの境界地帯に属すると提唱。この小プレートが東方向へ少しずつ動き、北海道のオホーツク海側から東北の太平洋側、関東に至る別のプレートに衝突していると推測する。今回の地震も、兵庫県南部地震や新潟県中越地震も、その境界地帯での東西方向の圧縮力で起こったとみる。

 その上で「境界地帯のどこかで大地震が起これば、その部分の圧迫が弱まる代わりに、ほかの部分の東西圧縮は強まる。結果として大地震が連鎖的に起こり、最終的に南海地震などの巨大地震に至る」と指摘。「やや長期的には、こうした広い範囲での大地震発生に注意すべきだ」とする。

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000281539.shtml





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posted by zara at 16:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

元林家こぶ平 1億2千万円申告漏れ

<所得隠し>林家正蔵さん申告漏れ1億2千万円

 人気落語家の林家正蔵さん(44)=本名、海老名泰孝=が東京国税局の税務調査を受け、襲名披露時の祝儀約2200万円を申告していなかったことが分かった。この所得隠しを含め、申告漏れの総額は05年までの3年間で約1億2000万円に上り、追徴税額は重加算税を含め約4500万円とみられる。
 関係者によると、正蔵さんは05年3月、林家こぶ平から現在の名前を襲名したが、その際に後援者などから受け取った祝儀袋が自宅の地下から見つかり、所得隠しが発覚した。
 こぶ平時代にはテレビのバラエティー番組などで活躍していたが、正蔵襲名後は古典落語にも積極的に取り組み、最近の落語ブームをけん引。襲名時に行われた東京・上野から浅草までのパレードには約14万5000人が詰め掛け、襲名披露公演は全国約60カ所で行われたという。父は故・林家三平さん。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070416-00000032-mai-soci



林家正蔵さん、所得隠し指摘 襲名祝儀2200万円除外

 落語家の林家正蔵さん(44)が東京国税局の税務調査を受け、05年までの3年間で約2200万円の所得隠しを指摘されていたことが分かった。05年3月に9代目林家正蔵を襲名した際の祝儀の一部を収入から除外していたという。経理ミスを含めた申告漏れ総額は約1億2000万円で、重加算税を含め約4500万円を追徴課税された模様だ。

 林家さんの事務所は「意図的に隠したわけではないが、指摘に従って修正申告した」と話している。

 林家さんの元の芸名は「林家こぶ平」で、テレビのバラエティー番組などで活躍している。

http://www.asahi.com/
national/update/0416/TKY200704160149.html



林家正蔵を襲名して、古典も一生懸命勉強し、「NHKみんなの手話」のレギュラーにもなり、手話落語も高座でやるようになるなど、最近ホントにイメージがアップしてただけに。。。


林家正蔵、この件についてコメントを発表



「今後はきちんとしたい」=申告漏れで林家正蔵さん

 東京国税局から多額の申告漏れを指摘された落語家の林家正蔵さん(44)=本名、海老名泰孝=は16日夜、東京都渋谷区内で取材に応じ、「大きな襲名を少ないスタッフで行ったため、しまってあった祝儀袋のことはうっかり忘れていた」と釈明した。
 正蔵さんは2年前の襲名興行の際に受け取った祝儀の一部約2200万円を含め、2005年までの3年間に1億2000万円余りの申告漏れを同国税局から指摘され、修正申告した。正蔵さんは「昔ながらの芸人体質で、きちんと所得を把握してこなかった。今後はきちんとしたシステムを作りたい」と話した。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070416-00000132-jij-soci


おいおい、大量のご祝儀袋はお前の部屋から発見されたらしいじゃないか!

まあいい、精進しろよ。



hyssc.jpg





追記。。。こぶ平はやはりこぶ平だった。。。



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posted by zara at 15:19| Comment(1) | TrackBack(9) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グリーンピアと二階俊博の関係

「グリーンピア南紀」跡地開発、再生の事業計画が頓挫

巨額の年金資金が投入された大型保養施設「グリーンピア南紀」(和歌山県)の跡地開発で、中国の請負業者によるリゾート計画が予定通りに進まず、中核となるホテル事業の再開が見送られることがわかった。小泉改革で払い下げられた全国13カ所のグリーンピア跡地で、再生の事業計画が頓挫するのは初めて。南紀の跡地を所有する地元自治体に業者を紹介したのは、地元(和歌山3区)選出の前経産相、二階俊博・衆院議員(自民)だった。跡地は賃貸後の2015年に無償で業者へ譲渡されるという異例の契約だったこともあり、地元で批判が高まっている。

 紀伊半島の南端、那智勝浦町と太地町に広がるグリーンピア南紀(360ヘクタール)は公的年金122億円がつぎ込まれ、経営難で03年に閉鎖された。最盛期には年間4万人超が訪れた5階建ての白いホテル(58室)が中核施設だった。

 再生事業は05年12月、中国・香港の「ブルー・オーシャン・アジアン・オリエンテーション・リミテッド」(香港ボアオ)が、跡地の8割を約8300万円で買い受けた那智勝浦町から請け負った。同社のオーナーは、中国出身で東京在住の蒋暁松氏(55)。

 蒋氏側が提出した事業計画書などでは、跡地に総事業費57億円で「健康と癒やしの里」が整備される構想だった。06年4月にホテルをリニューアルオープンさせ、同年6月に温泉の掘削に着手。今年1月から「超高級宿泊施設」10棟の建設を始め、開業3年で200人の雇用を生み出す、としていた。

 だが、これらの計画はまったく実行されていない。地元関係者には最近になって、蒋氏から「この規模では採算が見込めない」と、ホテル再開を見送る意向が伝えられた。朝日新聞が今月3日に取材した際も、蒋氏は再開見送りを認めたうえで「いずれ一流ホテルをつくるが、実現には時間がかかる」と説明した。

 蒋氏は、二階議員の「友人」として、町長や年金資金運用基金(06年3月解散)の最高幹部らと面会し、再生事業の請負先に選ばれた。グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。二階議員は蒋氏を関係者に紹介し、契約書への署名の場にも同席した。

 グリーンピアの跡地には、公共利用と10年間の「転売禁止」が課せられている。南紀の契約では、賃貸借期間が10年に設定され、その後に土地・建物を蒋氏側に無償譲渡する「特約」も盛り込まれた。10年間の賃貸料は計1億6千万円。初年度分の1億3千万円と2年目分の300万円は町に支払われた。

 蒋氏について、町側は当初、「中国・海南島のリゾート開発などに実績がある実業家で信頼できると判断した」と説明してきた。しかし、蒋氏がオーナーの香港ボアオは営業実態のない「ペーパーカンパニー」であることが昨年6月の町議会で表面化した。また民間信用調査機関によると、蒋氏が別に経営する海南島のリゾート開発会社は昨年度の収入がゼロの赤字企業で、負債は約5億2千万元(約80億円)にのぼっている。

 蒋氏との契約を批判してきた町議の一人は「国とパイプがある二階議員の権力は絶大で、町は言いなりになってしまった。町民の財産の無償譲渡を決め、地元には雇用や経済効果ももたらされない。一番の被害者は町民だ」と憤る。

 朝日新聞の取材に対し、那智勝浦町の中村詔二郎(しょうじろう)町長は「事業の遅れは遺憾だが、ホテルは予定通りやってもらえるものと理解している。(契約撤回は)考えていない」と話す。二階議員は業者を紹介した経緯や理由には答えず、「町が厳正な審査を行った結果、(業者に)決定されたと聞いている」とのコメントを出した。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704150003.html


グリーンピア南紀、再生頓挫 業者は構想示し放置

 巨額の年金資金が投入された大型保養施設「グリーンピア南紀」(和歌山県)の跡地開発で、中国の請負業者によるリゾート計画が予定通りに進まず、中核となるホテル事業の再開が見送られることがわかった。小泉改革で払い下げられた全国13カ所のグリーンピア跡地で、再生の事業計画が頓挫するのは初めて。南紀の跡地を所有する地元自治体に業者を紹介したのは、地元(和歌山3区)選出の前経産相、二階俊博・衆院議員(自民)だった。跡地は賃貸後の2015年に無償で業者へ譲渡されるという異例の契約だったこともあり、地元で批判が高まっている。

 紀伊半島の南端、那智勝浦町と太地町に広がるグリーンピア南紀(360ヘクタール)は公的年金122億円がつぎ込まれ、経営難で03年に閉鎖された。最盛期には年間4万人超が訪れた5階建ての白いホテル(58室)が中核施設だった。

 再生事業は05年12月、中国・香港の「ブルー・オーシャン・アジアン・オリエンテーション・リミテッド」(香港ボアオ)が、跡地の8割を約8300万円で買い受けた那智勝浦町から請け負った。同社のオーナーは、中国出身で東京在住の蒋暁松氏(55)。

 蒋氏側が提出した事業計画書などでは、跡地に総事業費57億円で「健康と癒やしの里」が整備される構想だった。06年4月にホテルをリニューアルオープンさせ、同年6月に温泉の掘削に着手。今年1月から「超高級宿泊施設」10棟の建設を始め、開業3年で200人の雇用を生み出す、としていた。

 だが、これらの計画はまったく実行されていない。地元関係者には最近になって、蒋氏から「この規模では採算が見込めない」と、ホテル再開を見送る意向が伝えられた。朝日新聞が今月3日に取材した際も、蒋氏は再開見送りを認めたうえで「いずれ一流ホテルをつくるが、実現には時間がかかる」と説明した。

 蒋氏は、二階議員の「友人」として、町長や年金資金運用基金(06年3月解散)の最高幹部らと面会し、再生事業の請負先に選ばれた。グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。二階議員は蒋氏を関係者に紹介し、契約書への署名の場にも同席した。

 グリーンピアの跡地には、公共利用と10年間の「転売禁止」が課せられている。南紀の契約では、賃貸借期間が10年に設定され、その後に土地・建物を蒋氏側に無償譲渡する「特約」も盛り込まれた。10年間の賃貸料は計1億6000万円。初年度分の1億3000万円と2年目分の300万円は町に支払われた。

 蒋氏について、町側は当初、「中国・海南島のリゾート開発などに実績がある実業家で信頼できると判断した」と説明してきた。しかし、蒋氏がオーナーの香港ボアオは営業実態のない「ペーパーカンパニー」であることが昨年6月の町議会で表面化した。また民間信用調査機関によると、蒋氏が別に経営する海南島のリゾート開発会社は昨年度の収入がゼロの赤字企業で、負債は約5億2000万元(約80億円)にのぼっている。

 蒋氏との契約を批判してきた町議の一人は「国とパイプがある二階議員の権力は絶大で、町は言いなりになってしまった。町民の財産の無償譲渡を決め、地元には雇用や経済効果ももたらされない。一番の被害者は町民だ」と憤る。

 朝日新聞の取材に対し、那智勝浦町の中村詔二郎(しょうじろう)町長は「事業の遅れは遺憾だが、ホテルは予定通りやってもらえるものと理解している。(契約撤回は)考えていない」と話す。二階議員は業者を紹介した経緯や理由には答えず、「町が厳正な審査を行った結果、(業者に)決定されたと聞いている」とのコメントを出した。

     ◇

 〈キーワード:グリーンピア〉 公的年金1953億円を投じ、80〜88年に大沼(北海道)、田老(たろう)(岩手)、岩沼(宮城)、二本松(福島)、津南(新潟)、恵那(岐阜)、三木(兵庫)、南紀(和歌山)、安浦(広島)、土佐横浪(高知)、八女(福岡)、南阿蘇(熊本)、指宿(いぶすき)(鹿児島)の13施設がつくられた。経営不振による閉鎖が相次ぎ、05年中に全廃された。運営主体の旧年金資金運用基金は、土佐横浪と指宿の2施設を民間に直接売却し、残りを所在地の自治体へ払い下げた。売却総額は約48億円にとどまった。南紀と、事業計画が未定の恵那を除く9カ所で04年以降、ホテルやレジャー施設が順次営業を再開している。

http://www.asahi.com/national/update/0415/
OSK200704140061.html



誰がどう考えても、二階俊博氏と蒋暁松氏が癒着してると考えるわなぁ。
>町が厳正な審査を行った結果、(業者に)決定されたと聞いている
厳正な審査を行った割には、事業は暗礁に乗り上げ、会社はペーパーカンパニーだったと。。。



二階 俊博

(にかい としひろ、1939年(昭和14年)2月17日 - )
衆議院議員(8期)。自民党国会対策委員長。運輸大臣、北海道開発庁長官、経済産業大臣、保守新党幹事長を歴任。

略歴
和歌山県御坊市出身。父の二階俊太郎は稲原村長(印南町に合併)、和歌山県議会議員を務めた。

和歌山県立日高高等学校を経て1961年(昭和36年)に中央大学法学部を卒業し、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山に戻り、1975年(昭和50年)に和歌山県議会議員に立候補し、当選し2期務めた。1983年(昭和58年)、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補、5万3611票を獲得し、2位当選(以後7期連続当選)する。

竹下派結成に当たっては、二階は、田中に対する配慮と師事していた遠藤三郎が元藤山愛一郎派に属しており、そのつながりで江崎真澄に近いことから創政会には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加する。

1990年(平成2年)、海部俊樹内閣で運輸政務次官に就任。1992年(平成4年)の竹下派分裂の際は、小沢一郎に同調し、羽田孜派(改革フォーラム21)に参加。1993年(平成5年)、宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党、小沢らと共に新生党を結成に参加した。総選挙後、発足した細川連立政権で運輸政務次官に就任する。

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の国土・交通政策担当などを務める。また、小沢側近として小沢党首選出に尽力した。1998年(平成10年)、小沢に従い自由党に参加。国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年(平成11年)の第二次小渕恵三改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として入閣する。

同年の通常国会から自自連立に公明党が加わり、10月には正式に自自公連立が成立。

2000年(平成12年)4月、自由党の政策が実現されないと連立解消を主張する小沢と袂を分かち、野田毅らと保守党を結成し、自公保連立政権を作る。小渕内閣を引き継いだ森喜朗内閣で留任。

同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年(平成13年)に保守党幹事長に就任。

2002年(平成14年)、保守新党でも幹事長に就任するが、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。復党後、旧保守新党の議員らで二階グループを結成し会長となる。2004年(平成16年)9月、自民党の総務局長に就任。

2005年(平成17年)5月、小泉首相より指名を受け、郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任。郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。その功績を買われて2005年10月に成立した第3次小泉改造内閣では経済産業大臣として入閣した。

2006年9月、小泉首相が自民党総裁任期満了に伴い、安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表である小沢一郎への対策として、自民党国会対策委員長に就任した。


政治活動

中国政策
自民党内の親中国派の有力議員の一人である。まだ保守新党が存続していた時代、地元の田辺市の新庄総合公園に江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」と言う文字と、2000年の二階も参加した日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講和を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、全国にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元の抵抗等もあって頓挫した。

また、東シナ海の日中中間線でのガス田開発問題で、麻生外務大臣が中国のガス田開発強行に断固対応する姿勢を示すと、この「日本の対応に『こそ』問題がある」「強硬に対応するなら勝手にやればいい」と述べたことなど、二階の対中政策のスタンスは一部から批判が根強い。2006年5月には、自宅に剃刀の刃を“中国に媚びるな”等となじる「自殺勧告状」と共に送りつけられた。


国対政治
自由党、保守党時代に国会対策委員長を務め、自民党でも国対委員長の現職にある。1999年の通常国会では、自民党国対委員長の古賀誠、公明党国対委員長の草川昭三としばしば懇談し、3人は当時の流行歌から「だんご3兄弟」「談合三兄弟」と称された(「自自公「三兄弟」の活躍」二階のサイトより)。二階はこれを逆手に取り、西川太一郎(当時、自由党国対副委員長)主催の形でだんごを食べながら国政を語るという「だんごの会」を計画。会期末間近の8月8日に開催され、「3兄弟」そろって参加することで結束をアピールした。自自公連立政権成立に、3人は大きな役割を果たしたと言われる。その後も3人は強いパイプを保った。

馳浩によると、「その人脈と調整力と勝負カンの鋭さと気配りは、衆目の一致するところ」であるという(「永田町通信 76 『二階マジック』」)。同じく馳の記事によると、2005年の郵政民営化法案審議では、民主党の筆頭理事であった中井洽の弱みを利用し、中井の顔を立てる形で採決には協力させた。また、2006年10月9日に北朝鮮が核実験を実施したが、二階はあらかじめ6日に「週末に北朝鮮が核実験をもしも行ったら、世界で唯一の被爆国である日本は、強い抗議声明を国民総意として世界に発信しなければならない。そのためには、与野党の国会対策責任者がその準備をしておかねばならない。土日祝日だからといって危機管理の対応が疎かになってはならん。いざという時には休日であっても集まって、本会議を開く準備をしておこう!!」と各党の国対委員長の元に出向いて頭を下げてお願いに回っていた。その結果、翌10月10日に、核実験への非難決議を、全会一致で採択させることができたという。


その他
PSE問題では、自らの責任を責任転嫁し、多くの反感を買った。この二階俊博の責任転嫁発言は、テレビ・雑誌でも数回取り上げられ、批判の対象となっていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%9A%8E
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posted by zara at 11:43| Comment(0) | TrackBack(2) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オシムジャパン キリン杯代表メンバー発表

超異例!レンタル選手が代表候補

 無名の“レンタルFW”がオシムジャパンにサプライズ招集された。日本協会は15日、16日からの合宿(千葉)に参加する日本代表候補26人を発表した。6人いた初招集組の中でFW近藤祐介(22=神戸)はFC東京からの期限付き移籍(レンタル)中。オシム監督の目に留まったノーマークFWが、史上初の“レンタル代表デビュー”を目指す。

 不遇をかこっていた男に突然、日が差した。初招集を聞いた近藤は広報を通じて「本当に驚いています。合宿ではヴィッセルの代表としてベストを尽くして頑張りたいです」と喜びを語った。

 U―20日本代表歴こそあるものの、無名も同然の存在だ。FC東京での3年間では2得点。出場機会を求め、06年に当時J2の神戸に期限付きで移籍した。「東京に帰りたい」と弱音もこぼしたが、無尽蔵のスタミナを武器に10得点を挙げ、J1昇格に貢献した。

 しかし、近藤の苦難は続いた。FC東京は昨季途中にFW平山、今季は元コスタリカ代表FWワンチョペを獲得。出番がないのは同じだった。しかも、神戸には元日本代表の大久保嘉が加入。残留したものの、厳しい状況は変わらなかった。

 それでも、大久保嘉をMFに“押しやって”今季は全試合に先発。黙々と3得点を積み上げていたが、それを見ていた人物がいた。「これまで呼ばれてきた中心グループに、間近で見てみたい興味のある選手を加えた」。オシム監督だった。

 我那覇(川崎F)、高松(大分)らを差し置いてのメンバー入り。まだ代表候補の身だが、前代未聞の偉業への期待も膨らむ。レンタル選手の代表試合出場は、03年の韓国戦に出場したFW山下芳輝(仙台=福岡からレンタル)の例があるが、レンタル中に代表デビューした選手は1人もいない。異色の経歴を持つ近藤が、史上初の“レンタル代表デビュー”への挑戦を始める。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070416-00000007-spn-spo



「W杯同様に全力で」オシム監督、キリン杯相手を丸裸に

 日本サッカー協会は13日、日本代表の07年第2・3戦目となる「キリンカップサッカー2007」2試合の概要を発表した。6月1日(静岡ス)にモンテネグロ代表と、同5日(埼玉ス)にコロンビア代表と戦うが、イビチャ・オシム監督(65)は早くも相手の研究を始める気合を表明。3連覇を狙う7月のアジア杯に向けた強化の場とするだけでなく、日本の力を世界へと発信する考えだ。




 会見中、壇上のオシム監督は数枚のメモを見続けた。その頭の中で、キリン杯2試合のイメージを膨らませていた。

 「相手選手のリストはここにあります。すでに親善試合のビデオも入手して見ています」

 今年の最大目標である7月のアジア杯(ベトナムなど)への大事な強化試合。オシム監督は対戦2カ国の研究にもう着手している。モンテネグロが2−1で勝った3月24日のハンガリー戦(ポドゴリツァ)と、コロンビアが3−1で勝った同25日のスイス戦(マイアミ)の映像をチェックしたことを明言。「アジア杯への単なるテストではなく、W杯同様全力で戦う」とまで口にした。

 異常なほどの気合表明。実は会見の冒頭、オシム監督はいきなりこんな言葉を発していた。

 「いい試合をしたい。結果を残すことで、世界の強豪と対戦できるようになればいい。今まで日本が夢見ることしかできなかったような強豪と」

 南米コロンビアは最新FIFAランク31位(日本は42位)、モンテネグロは欧州の強豪だった旧ユーゴスラビアの流れをくむ国。なかなかの実力国だが、名将は少しご不満のようだ。さらに「もし相手がブラジルやドイツなら、どんな相手ですか? なんていう質問は出ないでしょう」とも口にした。キリン杯は、日本代表監督としての初タイトルをかけた大会でもあるが、両国レベルには快勝してのVが条件。ブラジルやドイツが対戦を求めてくるような、強い日本の完成を目指す。

 「映像を見る限り、コロンビアもモンテネグロもいいチーム」と笑ったオシム監督。視線はアジア杯V3だけではなく、世界を見据えている。

■キリン杯
 1978年にジャパン杯として初開催。以前は海外代表だけでなく、海外クラブや天皇杯優勝クラブも参加した。92年に国際Aマッチに認定されてから3カ国対抗戦に姿を変えた(02、03年は日本戦のみ開催で順位なし)。日本はこの92年以降、95−97、00、01、04年と6度優勝(00年はスロバキアと同率V)。ジーコ体制の昨年はブルガリアに敗れ、スコットランドと引き分けだった。



★16日から千葉で代表合宿

 日本協会は13日、16日から18日までの3日間、日本代表候補合宿を千葉県内で行うことを正式発表した。オシム監督は14日は横浜FC−鹿島戦(日産ス)、15日は柏−浦和戦(国立)を会場で視察予定で、15日夜に招集メンバーを発表する。オシム監督は、3月24日のペルー戦から6月のキリン杯まで期間が空くため“練習合宿”の実施を要望。来月中旬にも同様の合宿が計画されている。


★欧州組は“限定招集”も

 オシム監督はキリン杯での欧州組の招集について「向こうで試合がある。そんなに間隔がないはず」と発言。確かにガラタサライMF稲本は5月27日、ルマンMF松井は同26日がシーズン最終戦で、セルティックMF中村俊輔はこの週にカップ戦があるなど、6月1日の日本での試合は日程的に厳しくなる者もいる。一方、フランクフルトFW高原は5月19日が最終戦など、余裕のある選手も。「暇なら呼んでもいい」と招集希望の意思は示したが、これまでも欧州からの長距離移動を考慮しているだけに“限定招集”の可能性もある。


■データBOX

 モンテネグロ代表…06年、セルビア・モンテネグロの分離独立に伴い代表も分裂。協会設立は2006年で07年に国際サッカー連盟(FIFA)加入。W杯出場はセルビア・モンテネグロとして06年だけ。07年2月にゾラン・フィリポビッチ監督が初めて就任。初の国際試合は3月24日のハンガリー戦で、2−1で勝利。

 コロンビア代表…協会設立は1924年で、36年に国際サッカー連盟(FIFA)加入。最新FIFAランクは31位(日本は42位)で、W杯には4度出場し、90年(イタリア)の16強が最高。01年コパ・アメリカで優勝。日本には過去1勝。ホルヘ・ルイス・ピント監督。

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200704/
st2007041400.html



GK
川口 能活 1975.8.15 180cm 77kg 磐田
西部 洋平 1980.12.1 187cm 77kg 清水
川島 永嗣 1983.3.20 185cm 80kg 川崎F
林  彰洋 1987.5.7 192cm 83kg 流通経済大

DF
中沢 佑二 1978.2.25 187cm 78kg 横浜
坪井 慶介 1979.9.16 179cm 67kg 浦和
田中マルクス闘莉王 1981.4.24 185cm 82kg 浦和
阿部 勇樹 1981.9.6 177cm 77kg 浦和
今野 泰幸 1983.1.25 178cm 73kg FC東京
内田 篤人 1988.3.27 176cm 62kg 鹿島

MF
橋本 英郎 1979.5.21 173cm 68kg G大阪
羽生 直剛 1979.12.22 167cm 63kg 千葉
遠藤 保仁 1980.1.28 178cm 75kg G大阪
森  勇介 1980.7.24 175cm 71kg 川崎F
中村 憲剛 1980.10.31 175cm 66kg 川崎F
鈴木 啓太 1981.7.8 177cm 67kg 浦和
駒野 友一 1981.7.25 172cm 76kg 広島
山岸  智 1983.5.3 181cm 77kg 千葉
太田 吉彰 1983.6.11 175cm 68kg 磐田
藤本 淳吾 1984.3.24 173cm 69kg 清水
柏木 陽介 1987.12.15 174cm 68kg 広島

FW
播戸 竜二 1979.8.2 171cm 65kg G大阪
巻 誠一郎 1980.8.7 184cm 81kg 千葉
佐藤 寿人 1982.3.12 170cm 67kg 広島
矢野 貴章 1984.4.5 185cm 74kg 新潟
近藤 祐介 1984.12.5 180cm 80kg 神戸

http://www.sponichi.co.jp/soccer/japan/
2007/a_member/index.html





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posted by zara at 09:45| Comment(0) | TrackBack(10) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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