TBSに厳重注意、テレ東に口頭注意 総務省
総務省は27日、情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」など3番組で放送法違反となる不正確な報道ややらせがあったとして、TBSに対して情報通信政策局長名の文書による厳重注意の行政指導をした。テレビ東京に対しても、バラエティー番組の過剰な演出が違法だったとして口頭による注意の行政指導をした。
TBSについては1月22日放送の「朝ズバッ」で、不二家の工場が小売店から回収した賞味期限切れのチョコレートを再利用しているなどと報じたことについて、「正確に調べていない」「公正でない表現があった」と指摘。
また、2月11日放送の「サンデージャポン」では、街頭で無作為にインタビューしているように見せかけ、実際は事前に場所と時間を伝えて呼んだ相手に話を聞いていたことはやらせにあたると判断した。2月3日の「人間!これでいいのだ」でも、高周波の音で「頭がよくなる」と断定したことが過剰な演出だった、としている。
テレ東は、1月6日の「今年こそキレイになってやる!」で、タレントがヨガをやって血流が良くなる様子を別人の手の映像で説明した点を行き過ぎな演出と判断した。
行政指導に対し、TBSは「真摯(しんし)に受け止め再発防止に努める」、テレ東は「すでに再発防止策も公表しており、信頼回復へ向けた努力を重ねる」と、それぞれ談話を出した。
http://www.asahi.com/culture/update/
0427/TKY200704270312.html
インタビューは原則実名放送に TBS社長が方針
TBSの情報番組「みのもんたの朝ズバッ!」の不二家報道で匿名女性の証言の信用性が問われたことなどを受けて、同局の井上弘社長は25日の記者会見で、インタビュー映像の放送は原則実名とする方針を明らかにした。
井上社長は「(出演者に)命の危険があるなど、どうしても匿名にせざるを得ない場合」を除き、社内の報道倫理ガイドラインに基づき、実名にしたり顔を映したりするよう指示したという。
TBSは同番組が不二家の不祥事を報道した際、顔を映さない女性の証言を基に「事実との確証がない」内容を断定的に報道したとして番組内で訂正し謝罪。バラエティー番組の街頭インタビューでも、事前に依頼した男性を匿名で「街行く人」などとして登場させ問題になった。
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/
070426/ent070426000.htm
TBSに再度、訂正要求=社長発言の撤回求める−不二家
大手菓子メーカーの不二家は27日、同社の不祥事を伝えた今年1月のTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」の放送内容について、井上弘TBS社長が25日の定例記者会見で「証言の根幹部分は信用性が高い」などと指摘したことに対し、再度訂正を求める文書を送付したことを明らかにした。
TBSは18日、問題となった放送内容を一部謝罪したため、不二家は訴訟提起を見送った経緯がある。不二家は、社長発言を重く見て、26日付で発言の撤回を求める文書を同社長あてに送った。
http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2007042701168
TBS Tプロデューサーに電凸の動画
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2007年04月27日
ロストロポーヴィチ氏 死去 動画あり
世界的チェロ奏者、ロストロポービッチ氏が死去
AP通信などによると、チェロ奏者、指揮者として世界的に有名なロシアのムスチスラフ・ロストロポービッチ氏が27日、モスクワ市内の病院で死去した。80歳。
ロストロポービッチ氏は、ソ連時代に祖国の人権状況を厳しく批判し、市民権を剥奪されたことでも知られる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000013-yom-soci
世界的チェロ奏者、ロストロポービチ氏が死去 80歳
モスクワ──20世紀を代表する世界的なチェロ奏者、ムスティスラフ・ロストロポービチ氏が、死去した。80歳。同氏の広報担当が明らかにした。27日付のロシアのタス通信によると、モスクワの病院で亡くなった模様だが、死因や日時などは不明。
1927年、旧ソ連アゼルバイジャン共和国生まれ。モスクワ音楽院でチェロと作曲を学ぶ。
1970年、社会主義を批判した反体制作家で、ノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィン氏を擁護したことから、当局から「反体制派」と見なされる。
妻と娘2人とともに74年、ソ連を出国し、フランスへ亡命。4年後、ソ連の市民権をはく奪される。
西欧諸国では自由に演奏活動を続け、米ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督ならびに常任指揮者に就任。
ゴルバチョフ政権下のペレストロイカで市民権を回復し、90年に祖国でコンサートを開いている。
ゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)の下で90年、市民権を回復、16年ぶりに故国を訪れてコンサートを開いた。
腸のがんで、今年2月初めにはパリの病院に入院していた。その後、モスクワの病院に移り、2月6日にプーチン大統領を訪問。3月末には、クレムリンで催された80歳の誕生祝賀会に出席していた。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704270031.html

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
(Мстислав Леопольдович Ростропович, Mstislav Leopol'dovich Rostropovich, 1927年3月27日 - 2007年4月27日 )はアゼルバイジャン(旧ソビエト連邦)出身のチェリスト・指揮者・ピアニスト。とくにチェリストとしては、20世紀後半を代表する巨匠として知られる。妻のガリーナ・ヴィシネフスカヤは声楽家。
略歴
* 1927年、バクー生まれ。チェリストの父、ピアニストの母から音楽の手ほどきを受ける。4歳でピアノ、7歳でチェロを始め、10歳でサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番を弾いたという。
* 1943年、モスクワ音楽院入学。チェロはセミヨン・コゾルポフに師事した。作曲の師はショスタコーヴィチだった。
* 1945年、全ソビエト音楽コンクール金賞受賞。
* 1949年、ブダペスト国際コンクール優勝
* 1950年、プラハ国際チェロ・コンクール第1位。
* 1951年、バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏でスターリン賞受賞。1953年にも同賞を受賞。
* 1955年、歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤと結婚。
* 1956年、モスクワ音楽院教授(-74年)。
* 1961年、ゴーリキーで指揮者デビュー。
* 1963年、レーニン賞受賞。
* 1966年、ソビエト連邦「人民芸術家」の称号を受ける。
* 1968年、オペラ「エウゲニー・オネーギン」の指揮で大成功を収める。
* 1970年、社会主義を批判した作家ソルジェニーツィンを擁護したことによりソビエト当局から「反体制」とみなされ、以降、国内演奏活動を停止させられ、外国での出演契約も一方的に破棄される。
* 1974年、2年間のビザを取得して出国し、そのまま亡命。
* 1977年、アメリカへ渡り、ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督兼首席常任指揮者。
* 1978年、ソビエト当局により国籍剥奪。
* 1990年、ワシントン・ナショナル交響楽団を率いてゴルバチョフ体制のソ連で16年ぶりに凱旋公演。国籍を回復。
* 2007年、3月29日、ロシア政府より勲1等祖国功労章を授与。4月27日、死去。享年80歳。
チェリストとして
チェリストとしてのロストロポーヴィチは、圧倒的な技巧と豊かな音量に裏付けられた、スケールの大きな表現性で広く知られる。レパートリーはバロック音楽から現代音楽まで幅広い。
プロコフィエフのチェロ協奏曲第2番(1952年)、ショスタコーヴィチの二つのチェロ協奏曲(第1番 1959年、第2番 1966年)、ブリテンのチェロ交響曲(1964年)、ブリスのチェロ協奏曲(1970年)をそれぞれ初演している。このほか、カバレフスキー、ハチャトゥリアン、ルトスワフスキ、ジョリヴェ、デュティユー、シュニトケ、バーンスタインら、20世紀の代表的な作曲家が競ってロストロポーヴィチのために作曲しており、ロストロポーヴィチに捧げられた現代作品は170を超すといわれる。このように、ロストロポーヴィチの存在がチェロの現代レパートリーを大きく拡大したといえる。主としてEMIクラシックスに数多くの録音がある。最近では、1995年にバッハの無伴奏チェロ組曲の録音がリリースされた。
室内楽では、ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス、アルゲリッチ、コーガン、オイストラフら世界的演奏家と共演している。
指揮者・ピアニストとして
指揮者としては、ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、ブリテンの解釈者として知られ、『エウゲニー・オネーギン』『ムツェンスクのマクベス夫人』『トスカ』などオペラの指揮や録音も多い。イギリスではロンドン交響楽団とのつながりが強く、同楽団と1991年「プロコフィエフ生誕100周年記念音楽祭」、1993年「ブリテン音楽祭」、1988年「ショスタコーヴィチ、炎の音楽」などのシリーズを催している。また、マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン)やハンナ・チャン(チェロ)など若手演奏家をソリストに迎えての協奏曲の演奏や録音も多い。合唱指揮者としては、ラフマニノフの「晩とう」などの録音がある。ピアニストとしては、妻ガリーナをはじめとした歌手の伴奏者としても評価が高い。
その他
ロストロポーヴィチは芸術や言論の自由を擁護する立場から、さまざまな活動を繰り広げている。とりわけソビエト時代に物理学者サハロフ博士を擁護したことや、ソルジェニーツィンに別荘の車庫を仕事場として提供し、4年間かくまったことが知られる。人道的活動にも情熱を注ぎ、ガリーナ夫人とともに、子供の医療改善をめざすヴィシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立している。同趣旨の活動の一環として、ユネスコ親善大使にも就任している。
これらの経歴により、世界文化賞、ドイツ勲功十字賞、イギリスの最高位勲爵士、フランスのレジョン・ドヌール・コマンドール賞、スペインのカタロニア国際賞、アメリカの自由のための大統領メダル、スウェーデン極北賞、ロイヤル・フィルハーモニー協会ゴールド・メダル、レーニン賞、人権同盟の年間賞、高松宮殿下記念世界文化賞など、30ヶ国を超える国々から130以上もの賞を授与され、音楽家としておそらく史上最も多くの勲章を受けているといわれる。このほか各国で40以上の名誉学位を持つ。
親日家としても知られ、1958年に大阪国際フェスティバルで初来日して以降、たびたび来日している。指揮者小沢征爾や九重親方(元横綱千代の富士)と親しい。すしが大好きで、来日の際には必ず東京の築地市場を訪れるという。1980年代のソビエトから国籍が剥奪されている間は、ヤマハのジュニアオリジナルコンサートの宣伝インタビューのような仕事も、好んで受けていた。皇后美智子の古希のお祝いに来日、今上天皇夫妻臨席の下でチャリティー・コンサートを開くなど、日本の皇室との親交も深い。
wikipediaより
本当に惜しい方を亡くしました。
バッハのソロをご堪能ください。
バッハならやはりこちらかな
http://www.youtube.com/watch?v=LU_QR_FTt3E
ベートーヴェンのソナタも良いです。
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AP通信などによると、チェロ奏者、指揮者として世界的に有名なロシアのムスチスラフ・ロストロポービッチ氏が27日、モスクワ市内の病院で死去した。80歳。
ロストロポービッチ氏は、ソ連時代に祖国の人権状況を厳しく批判し、市民権を剥奪されたことでも知られる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000013-yom-soci
世界的チェロ奏者、ロストロポービチ氏が死去 80歳
モスクワ──20世紀を代表する世界的なチェロ奏者、ムスティスラフ・ロストロポービチ氏が、死去した。80歳。同氏の広報担当が明らかにした。27日付のロシアのタス通信によると、モスクワの病院で亡くなった模様だが、死因や日時などは不明。
1927年、旧ソ連アゼルバイジャン共和国生まれ。モスクワ音楽院でチェロと作曲を学ぶ。
1970年、社会主義を批判した反体制作家で、ノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィン氏を擁護したことから、当局から「反体制派」と見なされる。
妻と娘2人とともに74年、ソ連を出国し、フランスへ亡命。4年後、ソ連の市民権をはく奪される。
西欧諸国では自由に演奏活動を続け、米ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督ならびに常任指揮者に就任。
ゴルバチョフ政権下のペレストロイカで市民権を回復し、90年に祖国でコンサートを開いている。
ゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)の下で90年、市民権を回復、16年ぶりに故国を訪れてコンサートを開いた。
腸のがんで、今年2月初めにはパリの病院に入院していた。その後、モスクワの病院に移り、2月6日にプーチン大統領を訪問。3月末には、クレムリンで催された80歳の誕生祝賀会に出席していた。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704270031.html

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
(Мстислав Леопольдович Ростропович, Mstislav Leopol'dovich Rostropovich, 1927年3月27日 - 2007年4月27日 )はアゼルバイジャン(旧ソビエト連邦)出身のチェリスト・指揮者・ピアニスト。とくにチェリストとしては、20世紀後半を代表する巨匠として知られる。妻のガリーナ・ヴィシネフスカヤは声楽家。
略歴
* 1927年、バクー生まれ。チェリストの父、ピアニストの母から音楽の手ほどきを受ける。4歳でピアノ、7歳でチェロを始め、10歳でサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番を弾いたという。
* 1943年、モスクワ音楽院入学。チェロはセミヨン・コゾルポフに師事した。作曲の師はショスタコーヴィチだった。
* 1945年、全ソビエト音楽コンクール金賞受賞。
* 1949年、ブダペスト国際コンクール優勝
* 1950年、プラハ国際チェロ・コンクール第1位。
* 1951年、バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏でスターリン賞受賞。1953年にも同賞を受賞。
* 1955年、歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤと結婚。
* 1956年、モスクワ音楽院教授(-74年)。
* 1961年、ゴーリキーで指揮者デビュー。
* 1963年、レーニン賞受賞。
* 1966年、ソビエト連邦「人民芸術家」の称号を受ける。
* 1968年、オペラ「エウゲニー・オネーギン」の指揮で大成功を収める。
* 1970年、社会主義を批判した作家ソルジェニーツィンを擁護したことによりソビエト当局から「反体制」とみなされ、以降、国内演奏活動を停止させられ、外国での出演契約も一方的に破棄される。
* 1974年、2年間のビザを取得して出国し、そのまま亡命。
* 1977年、アメリカへ渡り、ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督兼首席常任指揮者。
* 1978年、ソビエト当局により国籍剥奪。
* 1990年、ワシントン・ナショナル交響楽団を率いてゴルバチョフ体制のソ連で16年ぶりに凱旋公演。国籍を回復。
* 2007年、3月29日、ロシア政府より勲1等祖国功労章を授与。4月27日、死去。享年80歳。
チェリストとして
チェリストとしてのロストロポーヴィチは、圧倒的な技巧と豊かな音量に裏付けられた、スケールの大きな表現性で広く知られる。レパートリーはバロック音楽から現代音楽まで幅広い。
プロコフィエフのチェロ協奏曲第2番(1952年)、ショスタコーヴィチの二つのチェロ協奏曲(第1番 1959年、第2番 1966年)、ブリテンのチェロ交響曲(1964年)、ブリスのチェロ協奏曲(1970年)をそれぞれ初演している。このほか、カバレフスキー、ハチャトゥリアン、ルトスワフスキ、ジョリヴェ、デュティユー、シュニトケ、バーンスタインら、20世紀の代表的な作曲家が競ってロストロポーヴィチのために作曲しており、ロストロポーヴィチに捧げられた現代作品は170を超すといわれる。このように、ロストロポーヴィチの存在がチェロの現代レパートリーを大きく拡大したといえる。主としてEMIクラシックスに数多くの録音がある。最近では、1995年にバッハの無伴奏チェロ組曲の録音がリリースされた。
室内楽では、ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス、アルゲリッチ、コーガン、オイストラフら世界的演奏家と共演している。
指揮者・ピアニストとして
指揮者としては、ショスタコーヴィチやプロコフィエフ、ブリテンの解釈者として知られ、『エウゲニー・オネーギン』『ムツェンスクのマクベス夫人』『トスカ』などオペラの指揮や録音も多い。イギリスではロンドン交響楽団とのつながりが強く、同楽団と1991年「プロコフィエフ生誕100周年記念音楽祭」、1993年「ブリテン音楽祭」、1988年「ショスタコーヴィチ、炎の音楽」などのシリーズを催している。また、マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン)やハンナ・チャン(チェロ)など若手演奏家をソリストに迎えての協奏曲の演奏や録音も多い。合唱指揮者としては、ラフマニノフの「晩とう」などの録音がある。ピアニストとしては、妻ガリーナをはじめとした歌手の伴奏者としても評価が高い。
その他
ロストロポーヴィチは芸術や言論の自由を擁護する立場から、さまざまな活動を繰り広げている。とりわけソビエト時代に物理学者サハロフ博士を擁護したことや、ソルジェニーツィンに別荘の車庫を仕事場として提供し、4年間かくまったことが知られる。人道的活動にも情熱を注ぎ、ガリーナ夫人とともに、子供の医療改善をめざすヴィシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立している。同趣旨の活動の一環として、ユネスコ親善大使にも就任している。
これらの経歴により、世界文化賞、ドイツ勲功十字賞、イギリスの最高位勲爵士、フランスのレジョン・ドヌール・コマンドール賞、スペインのカタロニア国際賞、アメリカの自由のための大統領メダル、スウェーデン極北賞、ロイヤル・フィルハーモニー協会ゴールド・メダル、レーニン賞、人権同盟の年間賞、高松宮殿下記念世界文化賞など、30ヶ国を超える国々から130以上もの賞を授与され、音楽家としておそらく史上最も多くの勲章を受けているといわれる。このほか各国で40以上の名誉学位を持つ。
親日家としても知られ、1958年に大阪国際フェスティバルで初来日して以降、たびたび来日している。指揮者小沢征爾や九重親方(元横綱千代の富士)と親しい。すしが大好きで、来日の際には必ず東京の築地市場を訪れるという。1980年代のソビエトから国籍が剥奪されている間は、ヤマハのジュニアオリジナルコンサートの宣伝インタビューのような仕事も、好んで受けていた。皇后美智子の古希のお祝いに来日、今上天皇夫妻臨席の下でチャリティー・コンサートを開くなど、日本の皇室との親交も深い。
wikipediaより
本当に惜しい方を亡くしました。
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三宅島TT 断念
<三宅島>オートバイ公道レースを断念 安全確保難しく
三宅島(東京都三宅村)で00年の噴火災害の復興策として11月に予定されているオートバイレース大会で、公道開催ができない見通しとなった。石原慎太郎知事が提唱し、国内初の公道を使用したオートバイレースとして注目を集めたが、ライダーや関係者の安全確保が問題となり、今年は断念する方向となった。都営三宅島空港の滑走路を活用するなど大幅な変更が検討されている。
昨年末にまとまった基本案では、大会は11月9〜11日に開かれ、125CC以下のオートバイが島を1周する都道(延長30.4キロ)でタイムを競い合うレースが目玉だった。事業費は村が3億円、都が3億4000万円をそれぞれ負担する。
しかし、公道レースを巡っては、プロのライダーから「安全管理上、不可能」との反対意見が寄せられたほか、二輪車メーカーも「安全確保が極めて難しい」(ホンダ広報部)などと消極姿勢を示していた。都は空港でのタイムトライアルや障害物を乗り越える競技に計画を見直し、村など関係機関と調整に入っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000013-mai-soci
少々古い記事ですが、3月29日の日刊スポーツにこんな記事が。。。
石原氏発案疑問の声、三宅島レースも争点
<東京をどうする 都知事選4・8投開票>
避難指示解除から2年が経過した三宅島。観光復興の起爆剤として石原慎太郎氏がトップダウンで発案したのが、日本初の全コース公道を使用したオートバイレースだ。11月開催予定だが、コースとなる周回道路を下見した元レーサーが「開催はあり得ない」「絶対中止すべき」と危険性を指摘するなど2輪レース関係者からは疑問の声が噴出している。都知事選でも1つの争点となりそうだ。
三宅島の周回道路を使用した、日本初の全コース公道使用のバイクレースは、05年2月の避難指示解除前の会見で、石原氏が発表した。念頭にあったのは今年で100周年の歴史を持つマン島の「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)」。石原氏は昨年5月、三宅村の平野祐康村長らとマン島TTを視察。総額6億4000万円の計画は動きだした。
都は事前調査として、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)に試走を委託。MFJの依頼で複数のライダーが試走した。しかし、その1人、元WGP(ロードレース世界選手権)レーサー難波恭司氏(44)は「試走後、あり得ないという気持ちが強まった。賛同できない」と結論付けた。4回試走した元全米選手権(AMA)王者の宮城光氏(44)も「絶対に開催すべきでない。開催するにはサーキットの建設しかない」と話す。
難波氏と宮城氏が指摘するのは(1)道路が幅6〜7メートルと狭く、緩衝材を置けば、幅は5メートル程度になり、安全地帯がつくれない(2)転倒したライダーは安全地帯での減速なしに緩衝材に激突する(3)コースにはね返されたライダーと後続車との重大事故の危険、などだ。安全対策に年間数億円かけるサーキットでさえ、緩衝材に激突したライダーが死亡する事故は何度も起きている。公道ではその危険はさらに高まる。
宮城氏はMFJから「どうすれば開催できるか」と、実施前提の調査を依頼され、試走に参加した。当初は実施を目指し、安全対策を考えた。しかし、2回目以降は対策の限界を感じ、サーキット建設案を提案。4回走る間に「公道では対策を超えた危険が容易に想像できる。公道レースは無理だ」と関係者に伝えた。
しかし、MFJは都に「実施は可能」と報告。都は昨年12月、実施基本案を発表した。宮城氏は今年1月、MFJに対し「き然とした態度でダメと言えないのか」とただしたが、MFJは「都がやると言ったら、やるしかないんだよ」と話したという。難波氏も試走時、関係者に「本当にやるつもりか」と何度もただしたが「『今そんな話をしている場合ではない』と話を止められた」という。
マン島TT史上ただ1人の日本人優勝者で元スズキワークスチーム監督の伊藤光男氏(70)も「いきなり公道レースは乱暴すぎる」と開催に苦言を呈する。都にOKサインを出したMFJに対しても「なぜ都にダメと言えないのか。素人しかいないのか」と首をひねる。本田技研も、三宅島から総合病院までヘリで40分という救急救命態勢の限界などを指摘。「公道レースは望ましくない」「全国の公道での競走を助長する」と反対している。
村の商工関係者でつくる三宅島オートバイレース実行委員会は、安全対策の徹底を村と都に再確認した上で復興の起爆剤としての夢を託している。しかし、三宅村のスタッフの一部にも「知事発案で断りづらいが、危険じゃないか」との声も上がっているという。
発案者の石原氏に対し、吉田万三氏は開催反対を表明。黒川紀章氏は復興イベントには賛成の立場。浅野史郎氏はレースの是非には触れていない。
http://www.nikkansports.com/
general/p-gn-tp0-20070329-176571.html
いくら我侭慎太郎でも、これは無理でしょ。
公道レースと言えば、マン島TTが真っ先に思い出されますが、あちらは1904年から続く歴史のあるレース。公道での開催とはいえ、マシンの進化と伴に、道路も拡充してきた歴史がありますからね。
バイクのレースじゃなくて、自転車のロードレースにでもしますか?それも楽しそうですよ。ツールド三宅島。
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三宅島(東京都三宅村)で00年の噴火災害の復興策として11月に予定されているオートバイレース大会で、公道開催ができない見通しとなった。石原慎太郎知事が提唱し、国内初の公道を使用したオートバイレースとして注目を集めたが、ライダーや関係者の安全確保が問題となり、今年は断念する方向となった。都営三宅島空港の滑走路を活用するなど大幅な変更が検討されている。
昨年末にまとまった基本案では、大会は11月9〜11日に開かれ、125CC以下のオートバイが島を1周する都道(延長30.4キロ)でタイムを競い合うレースが目玉だった。事業費は村が3億円、都が3億4000万円をそれぞれ負担する。
しかし、公道レースを巡っては、プロのライダーから「安全管理上、不可能」との反対意見が寄せられたほか、二輪車メーカーも「安全確保が極めて難しい」(ホンダ広報部)などと消極姿勢を示していた。都は空港でのタイムトライアルや障害物を乗り越える競技に計画を見直し、村など関係機関と調整に入っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000013-mai-soci
少々古い記事ですが、3月29日の日刊スポーツにこんな記事が。。。
石原氏発案疑問の声、三宅島レースも争点
<東京をどうする 都知事選4・8投開票>
避難指示解除から2年が経過した三宅島。観光復興の起爆剤として石原慎太郎氏がトップダウンで発案したのが、日本初の全コース公道を使用したオートバイレースだ。11月開催予定だが、コースとなる周回道路を下見した元レーサーが「開催はあり得ない」「絶対中止すべき」と危険性を指摘するなど2輪レース関係者からは疑問の声が噴出している。都知事選でも1つの争点となりそうだ。
三宅島の周回道路を使用した、日本初の全コース公道使用のバイクレースは、05年2月の避難指示解除前の会見で、石原氏が発表した。念頭にあったのは今年で100周年の歴史を持つマン島の「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)」。石原氏は昨年5月、三宅村の平野祐康村長らとマン島TTを視察。総額6億4000万円の計画は動きだした。
都は事前調査として、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)に試走を委託。MFJの依頼で複数のライダーが試走した。しかし、その1人、元WGP(ロードレース世界選手権)レーサー難波恭司氏(44)は「試走後、あり得ないという気持ちが強まった。賛同できない」と結論付けた。4回試走した元全米選手権(AMA)王者の宮城光氏(44)も「絶対に開催すべきでない。開催するにはサーキットの建設しかない」と話す。
難波氏と宮城氏が指摘するのは(1)道路が幅6〜7メートルと狭く、緩衝材を置けば、幅は5メートル程度になり、安全地帯がつくれない(2)転倒したライダーは安全地帯での減速なしに緩衝材に激突する(3)コースにはね返されたライダーと後続車との重大事故の危険、などだ。安全対策に年間数億円かけるサーキットでさえ、緩衝材に激突したライダーが死亡する事故は何度も起きている。公道ではその危険はさらに高まる。
宮城氏はMFJから「どうすれば開催できるか」と、実施前提の調査を依頼され、試走に参加した。当初は実施を目指し、安全対策を考えた。しかし、2回目以降は対策の限界を感じ、サーキット建設案を提案。4回走る間に「公道では対策を超えた危険が容易に想像できる。公道レースは無理だ」と関係者に伝えた。
しかし、MFJは都に「実施は可能」と報告。都は昨年12月、実施基本案を発表した。宮城氏は今年1月、MFJに対し「き然とした態度でダメと言えないのか」とただしたが、MFJは「都がやると言ったら、やるしかないんだよ」と話したという。難波氏も試走時、関係者に「本当にやるつもりか」と何度もただしたが「『今そんな話をしている場合ではない』と話を止められた」という。
マン島TT史上ただ1人の日本人優勝者で元スズキワークスチーム監督の伊藤光男氏(70)も「いきなり公道レースは乱暴すぎる」と開催に苦言を呈する。都にOKサインを出したMFJに対しても「なぜ都にダメと言えないのか。素人しかいないのか」と首をひねる。本田技研も、三宅島から総合病院までヘリで40分という救急救命態勢の限界などを指摘。「公道レースは望ましくない」「全国の公道での競走を助長する」と反対している。
村の商工関係者でつくる三宅島オートバイレース実行委員会は、安全対策の徹底を村と都に再確認した上で復興の起爆剤としての夢を託している。しかし、三宅村のスタッフの一部にも「知事発案で断りづらいが、危険じゃないか」との声も上がっているという。
発案者の石原氏に対し、吉田万三氏は開催反対を表明。黒川紀章氏は復興イベントには賛成の立場。浅野史郎氏はレースの是非には触れていない。
http://www.nikkansports.com/
general/p-gn-tp0-20070329-176571.html
いくら我侭慎太郎でも、これは無理でしょ。
公道レースと言えば、マン島TTが真っ先に思い出されますが、あちらは1904年から続く歴史のあるレース。公道での開催とはいえ、マシンの進化と伴に、道路も拡充してきた歴史がありますからね。
バイクのレースじゃなくて、自転車のロードレースにでもしますか?それも楽しそうですよ。ツールド三宅島。
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台湾 聖火通過を拒否
台湾、北京五輪の聖火通過を拒否
2008年北京五輪組織委は26日、来年3月に始まる聖火リレーのルート・日程案を発表した。
前回アテネ五輪に続き五大陸すべての都市を回るが、通過が焦点となっていた台湾にはベトナム・ホーチミンから入り、その後、中国特別行政区の香港、マカオを抜けて中国本土に入るルートを採るとした。
これに対し、台湾の行政院体育委と台湾五輪委は、北京側の発表直後に、「中国は、台湾ルートを国内路線と見なし、台湾を中国の一部ととらえている」などと台湾通過を拒否する声明を発表した。
台湾から香港に入るルートを問題視した。台湾の陳水扁政権は、台湾から東南アジアなど「第三国」へ抜けるルートを求めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000017-yom-spo

北京聖火リレー、チョモランマや長野も 台湾は拒否
2008年北京五輪組織委員会は26日、聖火リレーのルートと日程を発表した。前回のアテネ五輪と同じく世界5大陸を巡回し、政治的に注目された台湾も組み込まれている。日本では、1998年冬季五輪開催地の長野が選ばれた。
台湾へは、ベトナムのホーチミンから台北に入り、台北からは香港・マカオを経て大陸に抜けるコースを取る、としている。聖火は来年3月25日にギリシャのオリンピアで採火され、いったん北京に運ばれてからリレーに出発。22カ国・地域の各都市と中国本土の113都市を通り、8月8日の開会式で聖火台に点火される。
北京では火種をトーチにとりわけ、気象状況をみながら5月に世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ)に登頂する。長野に来るのは、4月26日の予定だ。
「祥雲」(めでたい雲)をあしらったトーチのデザインも公表。北京五輪組織委員会の劉淇会長は聖火リレーについて「主題は“和諧の旅”でスローガンは“情熱をともし、夢をつなぐ”だ」と話した。
「国内扱い」受け入れず
2008年北京五輪の聖火リレーで台湾がコースに組み入れられたが、台湾で中国政策を管轄する行政院(内閣)大陸委員会の陳明通主任委員(閣僚)は26日夜、「台湾を矮小化している」として北京五輪組織委の決定を拒否する考えを示した。台湾のオリンピック委員会も同夜、台北市内で記者会見し、「中国は台湾を国内路線として宣伝している」との認識を示した。
五輪聖火の台湾通過が実現すれば、1964年の東京五輪以来の44年ぶりとなるが、リレーが台北を通る直前に次期総統選を迎える台湾では、五輪問題は中台両岸問題と絡み極めて敏感な政治問題で、受け入れ拒否は陳水扁総統自身の政治判断が働いたとみられている。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/
070427/chn070427000.htm
小さくて見辛いんですが。。。

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2008年北京五輪組織委は26日、来年3月に始まる聖火リレーのルート・日程案を発表した。
前回アテネ五輪に続き五大陸すべての都市を回るが、通過が焦点となっていた台湾にはベトナム・ホーチミンから入り、その後、中国特別行政区の香港、マカオを抜けて中国本土に入るルートを採るとした。
これに対し、台湾の行政院体育委と台湾五輪委は、北京側の発表直後に、「中国は、台湾ルートを国内路線と見なし、台湾を中国の一部ととらえている」などと台湾通過を拒否する声明を発表した。
台湾から香港に入るルートを問題視した。台湾の陳水扁政権は、台湾から東南アジアなど「第三国」へ抜けるルートを求めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000017-yom-spo

北京聖火リレー、チョモランマや長野も 台湾は拒否
2008年北京五輪組織委員会は26日、聖火リレーのルートと日程を発表した。前回のアテネ五輪と同じく世界5大陸を巡回し、政治的に注目された台湾も組み込まれている。日本では、1998年冬季五輪開催地の長野が選ばれた。
台湾へは、ベトナムのホーチミンから台北に入り、台北からは香港・マカオを経て大陸に抜けるコースを取る、としている。聖火は来年3月25日にギリシャのオリンピアで採火され、いったん北京に運ばれてからリレーに出発。22カ国・地域の各都市と中国本土の113都市を通り、8月8日の開会式で聖火台に点火される。
北京では火種をトーチにとりわけ、気象状況をみながら5月に世界最高峰のエベレスト(中国名チョモランマ)に登頂する。長野に来るのは、4月26日の予定だ。
「祥雲」(めでたい雲)をあしらったトーチのデザインも公表。北京五輪組織委員会の劉淇会長は聖火リレーについて「主題は“和諧の旅”でスローガンは“情熱をともし、夢をつなぐ”だ」と話した。
「国内扱い」受け入れず
2008年北京五輪の聖火リレーで台湾がコースに組み入れられたが、台湾で中国政策を管轄する行政院(内閣)大陸委員会の陳明通主任委員(閣僚)は26日夜、「台湾を矮小化している」として北京五輪組織委の決定を拒否する考えを示した。台湾のオリンピック委員会も同夜、台北市内で記者会見し、「中国は台湾を国内路線として宣伝している」との認識を示した。
五輪聖火の台湾通過が実現すれば、1964年の東京五輪以来の44年ぶりとなるが、リレーが台北を通る直前に次期総統選を迎える台湾では、五輪問題は中台両岸問題と絡み極めて敏感な政治問題で、受け入れ拒否は陳水扁総統自身の政治判断が働いたとみられている。
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小泉・森 民主党案に賛成
<民主案に「賛成」>森、小泉氏、ダイエット論議に熱中し
26日の衆院本会議で、自民党の森喜朗元首相と小泉純一郎前首相がダイエット論議に熱中のあまり、民主党提出法案に「賛成」してしまうハプニングがあった。民主党議員から「ありがとう」との声が飛ぶ一方、与党席には苦笑いが広がった。
両氏は隣同士で議場最後列に陣取る。「体重が100キロを切った」と森氏が今年始めから取り組んだダイエットの成果を披露したところ、小泉氏は「私は初めて60キロを超えた。森さんの肉がこっちに来た」と応じた。
2人で笑い合っていたところ、河野洋平衆院議長が採決を宣言。2人は政府案と勘違いしてあわてて起立したが、実は政府提出の雇用対策法改正案に対する民主党の対案だった。
衆院事務局によると、起立採決は事前に会派としての賛否を決めるため、記録上は自民党は民主案に全員が反対となる。民主案は否決され、その直後に可決された政府案の採決で、2人は再び起立した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000104-mai-pol
小泉氏が野党案に“賛成”
26日の衆院本会議で、民主党が提出した法案に、小泉純一郎前首相が間違えて“賛成”し、野党が喝采(かっさい)を送る一幕があった。
この日は、政府提出の雇用対策法改正案と、その対案で民主党が提出した雇用基本法案などを、賛成の議員が起立する方式で採決した。先に採決された野党案には野党各党が起立し与党議員は座ったままだったが、法案名が似ていたためか、小泉氏が起立。
自民党席の最後列で周囲が座っていることに気付いて慌てて着席、頭を何度も下げてわびたが、議場内は失笑に包まれた。民主党席からは「賛成してくれてありがとう」の声も出ていた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/
20070426-OHT1T00188.htm
失笑とか言う次元じゃないだろう。元首相と前首相がひな壇の1番上でこんなことしてたんじゃ。。。
本会議場の並び順は、1番下から当選1回の議員、当選回数が増えるにつれ、上に上がって行くそうだ。
逆にしたほうが良いんじゃないか?
歳が行って、耳も遠くなるだろうから。。。
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26日の衆院本会議で、自民党の森喜朗元首相と小泉純一郎前首相がダイエット論議に熱中のあまり、民主党提出法案に「賛成」してしまうハプニングがあった。民主党議員から「ありがとう」との声が飛ぶ一方、与党席には苦笑いが広がった。
両氏は隣同士で議場最後列に陣取る。「体重が100キロを切った」と森氏が今年始めから取り組んだダイエットの成果を披露したところ、小泉氏は「私は初めて60キロを超えた。森さんの肉がこっちに来た」と応じた。
2人で笑い合っていたところ、河野洋平衆院議長が採決を宣言。2人は政府案と勘違いしてあわてて起立したが、実は政府提出の雇用対策法改正案に対する民主党の対案だった。
衆院事務局によると、起立採決は事前に会派としての賛否を決めるため、記録上は自民党は民主案に全員が反対となる。民主案は否決され、その直後に可決された政府案の採決で、2人は再び起立した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000104-mai-pol
小泉氏が野党案に“賛成”
26日の衆院本会議で、民主党が提出した法案に、小泉純一郎前首相が間違えて“賛成”し、野党が喝采(かっさい)を送る一幕があった。
この日は、政府提出の雇用対策法改正案と、その対案で民主党が提出した雇用基本法案などを、賛成の議員が起立する方式で採決した。先に採決された野党案には野党各党が起立し与党議員は座ったままだったが、法案名が似ていたためか、小泉氏が起立。
自民党席の最後列で周囲が座っていることに気付いて慌てて着席、頭を何度も下げてわびたが、議場内は失笑に包まれた。民主党席からは「賛成してくれてありがとう」の声も出ていた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/
20070426-OHT1T00188.htm
失笑とか言う次元じゃないだろう。元首相と前首相がひな壇の1番上でこんなことしてたんじゃ。。。
本会議場の並び順は、1番下から当選1回の議員、当選回数が増えるにつれ、上に上がって行くそうだ。
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2007年04月26日
バイオガソリン初出荷 27日より販売
「バイオガソリン」初出荷、27日から首都圏で試験販売
植物原料のバイオエタノールをガソリンと混合した「バイオガソリン」が26日朝、横浜市の新日本石油精製根岸製油所から初出荷された。
27日から首都圏50のガソリンスタンドで試験販売され、2010年度までには全国のガソリンスタンドで販売される計画だ。
バイオガソリンは、バイオエタノールと石油ガスを合成した「ETBE」と呼ばれる液体燃料をガソリンに混ぜ、バイオエタノールの混合比率を3%としたものだ。性能は一般のガソリンと変わらず価格もレギュラーガソリンと同水準になるという。一般の車でそのまま使用できる。
二酸化炭素(CO2)を吸収する植物を原料としたバイオエタノールは、二酸化炭素の排出量がゼロと計算されるため、政府は2010年度までに原油換算で50万キロ・リットルのバイオ燃料を国内で使用する目標を掲げている。出荷式で石油連盟の渡文明会長(新日本石油会長)は「(バイオガソリン販売は)国民一人一人が地球環境貢献を意識できる画期的なプロジェクトだ」と意義を強調した。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/
20070426i104.htm?from=main1

誰もが感じるであろう。。。
>植物を原料としたバイオエタノールは、二酸化炭素の排出量がゼロと計算される
植物は空気中のCO2を吸収してって、空気中のCO2だけで育つ植物なんてないだろうと言う疑問。
便宜上、誰かが決めた制度に従って、便宜上バイオガソリンを使うって感じかな。。。
またバイオエタノールに関してはこんな記事も。。。
バイオガソリンの増産 食糧問題の引き金になる可能性も
バイオエタノールをガソリンに3%混ぜたバイオガソリンの試験販売が、首都圏で27日から始まる。有力な地球温暖化対策として期待される代替燃料だが、原料が穀物のため、増産は食糧問題の引き金にもなりかねない。草や木、建築廃材を原料にする研究も進められているものの商用化までの道はまだ遠く、不安材料もある。
バイオエタノールは、温暖化の主因の二酸化炭素(CO2)を取り込んで成長する植物が原料。燃焼時にCO2は出るが、地球全体のCO2を新たに増やすことにならないとして、注目されるようになった。
このため、米国では昨秋から主要原料のトウモロコシ価格が急騰。今年に入り、トウモロコシを飼料とする牛や豚、鶏の肉の価格高騰もうわさされるようになった。すでに米国産トウモロコシの2割がエタノール生産に回ったとの統計もある。
住友商事が注視するのは、米国中西部のトウモロコシ生産地帯の今後の天候だ。
トウモロコシ相場は昨夏の1ブッシェル(約35リットル)=2.5ドルが、今年2月には4.3ドルに上昇。4月に3.5ドルまで下がったが、天候が悪く作付けが不調なら再上昇し、高値で安定する恐れがある。その場合、畜産農家は家畜の飼育頭数を減らさざるを得ず、食肉価格にも跳ね返ることになる。
日本では食糧以外の草や木、廃材からエタノールをつくる方法を研究しているが、大量生産には、技術革新が必要で、経費面の課題も大きい。
http://www.asahi.com/business/update/
0426/TKY200704260300.html
先日、メキシコの主食であるトルティーアが値上がりし、庶民が悲鳴を上げていると言うニュースを見ました。トルティーアの原料であるトウモロコシが、バイオエタノール生産で高騰したためだそうです。。。
また食料自給率40%の日本では、上記のような革命的技術革新でもなければ、当分バイオエタノールも輸入に頼らなければならないらしい。
更に、バイオガソリンはレギュラーガソリンに比べ10円ほど高いらしい。そこに税金を投入し同じ価格で販売するという現実。。。
まあ、小さな小さな第1歩ではある。
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植物原料のバイオエタノールをガソリンと混合した「バイオガソリン」が26日朝、横浜市の新日本石油精製根岸製油所から初出荷された。
27日から首都圏50のガソリンスタンドで試験販売され、2010年度までには全国のガソリンスタンドで販売される計画だ。
バイオガソリンは、バイオエタノールと石油ガスを合成した「ETBE」と呼ばれる液体燃料をガソリンに混ぜ、バイオエタノールの混合比率を3%としたものだ。性能は一般のガソリンと変わらず価格もレギュラーガソリンと同水準になるという。一般の車でそのまま使用できる。
二酸化炭素(CO2)を吸収する植物を原料としたバイオエタノールは、二酸化炭素の排出量がゼロと計算されるため、政府は2010年度までに原油換算で50万キロ・リットルのバイオ燃料を国内で使用する目標を掲げている。出荷式で石油連盟の渡文明会長(新日本石油会長)は「(バイオガソリン販売は)国民一人一人が地球環境貢献を意識できる画期的なプロジェクトだ」と意義を強調した。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/
20070426i104.htm?from=main1

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>植物を原料としたバイオエタノールは、二酸化炭素の排出量がゼロと計算される
植物は空気中のCO2を吸収してって、空気中のCO2だけで育つ植物なんてないだろうと言う疑問。
便宜上、誰かが決めた制度に従って、便宜上バイオガソリンを使うって感じかな。。。
またバイオエタノールに関してはこんな記事も。。。
バイオガソリンの増産 食糧問題の引き金になる可能性も
バイオエタノールをガソリンに3%混ぜたバイオガソリンの試験販売が、首都圏で27日から始まる。有力な地球温暖化対策として期待される代替燃料だが、原料が穀物のため、増産は食糧問題の引き金にもなりかねない。草や木、建築廃材を原料にする研究も進められているものの商用化までの道はまだ遠く、不安材料もある。
バイオエタノールは、温暖化の主因の二酸化炭素(CO2)を取り込んで成長する植物が原料。燃焼時にCO2は出るが、地球全体のCO2を新たに増やすことにならないとして、注目されるようになった。
このため、米国では昨秋から主要原料のトウモロコシ価格が急騰。今年に入り、トウモロコシを飼料とする牛や豚、鶏の肉の価格高騰もうわさされるようになった。すでに米国産トウモロコシの2割がエタノール生産に回ったとの統計もある。
住友商事が注視するのは、米国中西部のトウモロコシ生産地帯の今後の天候だ。
トウモロコシ相場は昨夏の1ブッシェル(約35リットル)=2.5ドルが、今年2月には4.3ドルに上昇。4月に3.5ドルまで下がったが、天候が悪く作付けが不調なら再上昇し、高値で安定する恐れがある。その場合、畜産農家は家畜の飼育頭数を減らさざるを得ず、食肉価格にも跳ね返ることになる。
日本では食糧以外の草や木、廃材からエタノールをつくる方法を研究しているが、大量生産には、技術革新が必要で、経費面の課題も大きい。
http://www.asahi.com/business/update/
0426/TKY200704260300.html
先日、メキシコの主食であるトルティーアが値上がりし、庶民が悲鳴を上げていると言うニュースを見ました。トルティーアの原料であるトウモロコシが、バイオエタノール生産で高騰したためだそうです。。。
また食料自給率40%の日本では、上記のような革命的技術革新でもなければ、当分バイオエタノールも輸入に頼らなければならないらしい。
更に、バイオガソリンはレギュラーガソリンに比べ10円ほど高いらしい。そこに税金を投入し同じ価格で販売するという現実。。。
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阪神赤星の車椅子 ヤフオク流出
寄贈車いす、オークションに=阪神・赤星「裏切られた気分」−プロ野球
プロ野球阪神の赤星憲広外野手(31)が自分の盗塁数に応じて全国の施設に寄贈してきた車いすが、インターネットのオークションに出品されていたことが 26日、分かった。球団によると、24日にファンから連絡があり「写真を見る限り本物だと思う。善意から始まった事業なので理解してほしい」(岡本営業部長)としている。出どころなどは調べず、今後も寄贈を続けるという。
赤星は骨肉腫に苦しむファンとの出会いをきっかけに2003年からこの活動を始め、これまでに200台以上を寄贈。同選手は「裏切られた気分。普通に考えれば小中学生でも分かること。悲しいという気持ちを通り越している」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000206-jij-spo
阪神・赤星の善意の車いす、ヤフオクに“流出”
阪神タイガースの赤星憲広外野手(31)が公式戦で成功した盗塁数に応じ、全国の施設や病院に寄贈していた車いすが、ヤフーオークションに出品されていたことが26日、分かった。赤星選手の善意を踏みにじる行為に、阪神球団は「対応のしようがないが、やるせない気持ち」と不快感をあらわにしている。
ヤフオクの履歴によると、「赤星選手サイン入り車椅子『赤星号』」というタイトルで赤星選手が寄贈したとみられる車いすが出品されたのは、23日午後7時41分。開始価格は20万円だった。
コメント欄には「知人から譲り受けたもの。新品未使用で、タイヤにカバーがついています。もちろん非売品」と明記。さらに「さまざまな反響が予想されます。場合によっては早期終了や出品取りやめをせざるを得ない場合もあります」とも記されていた。
添付されていた3枚の写真には、赤星選手の背番号「53」や「阪神タイガース赤星憲広 寄贈」と書かれたプレート、直筆とみられるサインがある車いすが写っている。
翌24日、これに気が付いたファンが球団公式ホームページの掲示板に「ひどすぎます…」と訴え大騒ぎに。結局、取引は「99億9999万9999円」といった非常識な金額が付けられるなどしたため、出品者自身が取り消し、成立しなかった。
赤星選手は03年から盗塁の成功数に応じ養護学校や病院に自走式車いすを、盗塁王の年にはリクライニング機能付き車いす「赤星号」1台を寄贈。昨年度までに自走式車いす201台とリクライニング車いす3台の寄贈実績がある。今回ネットオークションに流出したのは、写真で見る限りリクライニング機能がないところからタイトルにある「赤星号」ではなく、自走式車いすの1台とみられる。
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007042617.html
<車椅子転売>阪神・赤星選手が寄贈、ネットオークションに
プロ野球の阪神は26日、赤星憲広外野手(31)がシーズン中の盗塁数に応じて福祉施設や病院に寄贈した車椅子が、ヤフーのインターネットオークションにかけられていたと明らかにした。23日夜に20万円でスタートした取引は、その後、取り下げられたという。
球団は、24日にファンからの指摘で事実関係を把握したが、寄贈先などへの追跡調査はしない方針。球団関係者は「驚いている。(オークションの)写真を見る限り本物。善意でスタートした事業なので、善意が広がるようにしたい」と話した。03年からの4年間で204台を寄贈した赤星外野手は今後も寄贈を続ける意向だが、「普通では考えられない。球団と相談して再発防止策を考えたい」と困惑していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000000-mai-soci
ヤフオクで検索を掛けたら、すぐ見つかりました。
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m43699889
しかも初犯じゃない。googleのキャッシュ
http://72.14.235.104/search?q=cache:d2D4zAb7S68J:openuser.
auctions.yahoo.co.jp/jp/user/merry11mb10+merry11mb10&hl=ja&
ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja&inlang=ja
出品した人間も気になるが、やはり入手ルートは?
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プロ野球阪神の赤星憲広外野手(31)が自分の盗塁数に応じて全国の施設に寄贈してきた車いすが、インターネットのオークションに出品されていたことが 26日、分かった。球団によると、24日にファンから連絡があり「写真を見る限り本物だと思う。善意から始まった事業なので理解してほしい」(岡本営業部長)としている。出どころなどは調べず、今後も寄贈を続けるという。
赤星は骨肉腫に苦しむファンとの出会いをきっかけに2003年からこの活動を始め、これまでに200台以上を寄贈。同選手は「裏切られた気分。普通に考えれば小中学生でも分かること。悲しいという気持ちを通り越している」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000206-jij-spo
阪神・赤星の善意の車いす、ヤフオクに“流出”
阪神タイガースの赤星憲広外野手(31)が公式戦で成功した盗塁数に応じ、全国の施設や病院に寄贈していた車いすが、ヤフーオークションに出品されていたことが26日、分かった。赤星選手の善意を踏みにじる行為に、阪神球団は「対応のしようがないが、やるせない気持ち」と不快感をあらわにしている。
ヤフオクの履歴によると、「赤星選手サイン入り車椅子『赤星号』」というタイトルで赤星選手が寄贈したとみられる車いすが出品されたのは、23日午後7時41分。開始価格は20万円だった。
コメント欄には「知人から譲り受けたもの。新品未使用で、タイヤにカバーがついています。もちろん非売品」と明記。さらに「さまざまな反響が予想されます。場合によっては早期終了や出品取りやめをせざるを得ない場合もあります」とも記されていた。
添付されていた3枚の写真には、赤星選手の背番号「53」や「阪神タイガース赤星憲広 寄贈」と書かれたプレート、直筆とみられるサインがある車いすが写っている。
翌24日、これに気が付いたファンが球団公式ホームページの掲示板に「ひどすぎます…」と訴え大騒ぎに。結局、取引は「99億9999万9999円」といった非常識な金額が付けられるなどしたため、出品者自身が取り消し、成立しなかった。
赤星選手は03年から盗塁の成功数に応じ養護学校や病院に自走式車いすを、盗塁王の年にはリクライニング機能付き車いす「赤星号」1台を寄贈。昨年度までに自走式車いす201台とリクライニング車いす3台の寄贈実績がある。今回ネットオークションに流出したのは、写真で見る限りリクライニング機能がないところからタイトルにある「赤星号」ではなく、自走式車いすの1台とみられる。
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_04/t2007042617.html
<車椅子転売>阪神・赤星選手が寄贈、ネットオークションに
プロ野球の阪神は26日、赤星憲広外野手(31)がシーズン中の盗塁数に応じて福祉施設や病院に寄贈した車椅子が、ヤフーのインターネットオークションにかけられていたと明らかにした。23日夜に20万円でスタートした取引は、その後、取り下げられたという。
球団は、24日にファンからの指摘で事実関係を把握したが、寄贈先などへの追跡調査はしない方針。球団関係者は「驚いている。(オークションの)写真を見る限り本物。善意でスタートした事業なので、善意が広がるようにしたい」と話した。03年からの4年間で204台を寄贈した赤星外野手は今後も寄贈を続ける意向だが、「普通では考えられない。球団と相談して再発防止策を考えたい」と困惑していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070427-00000000-mai-soci
ヤフオクで検索を掛けたら、すぐ見つかりました。
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m43699889
しかも初犯じゃない。googleのキャッシュ
http://72.14.235.104/search?q=cache:d2D4zAb7S68J:openuser.
auctions.yahoo.co.jp/jp/user/merry11mb10+merry11mb10&hl=ja&
ct=clnk&cd=1&gl=jp&lr=lang_ja&inlang=ja
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熊本市役所に包丁男乱入
熊本市役所に包丁男乱入=けが人の情報なし
26日午後1時半ごろ、熊本市の熊本市役所2階に包丁を持った男が乱入した。男は駆け付けた警察官に取り押さえられた。けが人の情報はない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000095-jij-soci
市役所に刃物持つ男侵入、職員が取り押さえる 熊本
26日午後1時20分ごろ、熊本市手取本町の市役所2階に刃物を持った男(82)が侵入。さすまたを持った市職員ら約10人が取り押さえ、110番通報で駆けつけた熊本北署員が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕した。けが人はいなかった。
対応した市保護第1課によると、男は異動した市職員の住民票を要求してきた。職員が対応中、男が着衣のポケットから刃物を出したため、警察に通報し、他の職員が取り押さえたという。
男は今回の事件以前にも数回、同課を訪れるなどしていた。昨年3月には、生活保護の取り扱いを巡り、刃物を持って同課カウンター内に侵入したため、通報を受けた同署員が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕していた。
http://www.asahi.com/national/update/
0426/TKY200704260245.html
Yahoo!のニュースだけ見ると、「なんだ、また馬鹿男か?」と思いますが、実は87歳の老人が生活保護を受けたくて市役所とトラブルになってると言う話でした。
Googleで検索したら、こんなニュースも出てきました。
熊本市役所で暴れる キューバ人男性に有罪判決
妻が提出した離婚届が受理されたことに腹を立て、熊本市役所で暴れたキューバ人の男に対し、3月28日、熊本地裁は懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡しました。
公務執行妨害などの罪に問われていたのは、キューバ国籍で、熊本市池田の無職バルデス・ペレス・ダオネ被告26歳です。判決などによりますと、ダオネ被告は、去年8月、熊本市役所市民課で、応対した職員の机の上にあった書類を投げつけたり、職員の腹部を蹴るなどしたものです。それまでにも数回窓口を訪れ、妻が提出した離婚届が受理されたことに不満を訴えていました。
きょうの判決公判で、熊本地裁は「自己中心的で身勝手な犯行」とし、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡しました。
http://www.kab.co.jp/db/asp/
KabNewsDetail.asp?hizuke=2007/3/28&group=4&id=1
熊本市役所って、興奮してしまう何かがある?
流石、火の国熊本???
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26日午後1時半ごろ、熊本市の熊本市役所2階に包丁を持った男が乱入した。男は駆け付けた警察官に取り押さえられた。けが人の情報はない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000095-jij-soci
市役所に刃物持つ男侵入、職員が取り押さえる 熊本
26日午後1時20分ごろ、熊本市手取本町の市役所2階に刃物を持った男(82)が侵入。さすまたを持った市職員ら約10人が取り押さえ、110番通報で駆けつけた熊本北署員が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕した。けが人はいなかった。
対応した市保護第1課によると、男は異動した市職員の住民票を要求してきた。職員が対応中、男が着衣のポケットから刃物を出したため、警察に通報し、他の職員が取り押さえたという。
男は今回の事件以前にも数回、同課を訪れるなどしていた。昨年3月には、生活保護の取り扱いを巡り、刃物を持って同課カウンター内に侵入したため、通報を受けた同署員が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕していた。
http://www.asahi.com/national/update/
0426/TKY200704260245.html
Yahoo!のニュースだけ見ると、「なんだ、また馬鹿男か?」と思いますが、実は87歳の老人が生活保護を受けたくて市役所とトラブルになってると言う話でした。
Googleで検索したら、こんなニュースも出てきました。
熊本市役所で暴れる キューバ人男性に有罪判決
妻が提出した離婚届が受理されたことに腹を立て、熊本市役所で暴れたキューバ人の男に対し、3月28日、熊本地裁は懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡しました。
公務執行妨害などの罪に問われていたのは、キューバ国籍で、熊本市池田の無職バルデス・ペレス・ダオネ被告26歳です。判決などによりますと、ダオネ被告は、去年8月、熊本市役所市民課で、応対した職員の机の上にあった書類を投げつけたり、職員の腹部を蹴るなどしたものです。それまでにも数回窓口を訪れ、妻が提出した離婚届が受理されたことに不満を訴えていました。
きょうの判決公判で、熊本地裁は「自己中心的で身勝手な犯行」とし、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡しました。
http://www.kab.co.jp/db/asp/
KabNewsDetail.asp?hizuke=2007/3/28&group=4&id=1
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アパ 名古屋でも耐震偽装
<耐震偽装>名古屋のアパマンションでも強度不足
「田村水落設計」(富山市)による耐震強度偽装問題で、国土交通省と名古屋市は26日、「アパグループ」の同市内の分譲マンションの設計に偽装があり、強度が不足していたと発表した。最弱部分の耐震強度は基準の60%。建て替えの必要はなく、アパグループは補修で対応する方針。
国交省などによると、問題のマンションは同設計が関与した名古屋市中区の「アップルパレス丸の内」(15階建て、102戸)。同市の検証で建物のねじれやすさを検証する計算に問題点が見つかったほか、マンションの自重の評価が甘いなど設計にずさんな点があった。同市は意図的な改ざんと判断したが、構造設計を担当した水落光男・元1級建築士(免許取り消し)は偽装を否定しているという。
同マンションは民間確認検査機関「日本ERI」が建築確認を行って06年3月完成し、83戸が売却された。同設計が関与した入居済みのマンションでの強度不足判明は、新潟県三条市のマンションに続き2例目。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000057-mai-soci
マンションも耐震偽装‐アパグループ 名古屋 水落建築士が構造計算
名古屋市は26日、田村水落設計(富山市)が構造計算を担当したアパグループ(東京都港区)の名古屋市中区の分譲マンションで、耐震強度の偽装が確認されたと発表した。同市の再調査で、震度6強以上の地震が発生した場合には耐震強度の基準値が「1・0以上」必要なのに「0・60」しかなかった。市はアパグループに対して是正勧告した。マンションの耐震偽装が確認されたのは東海地方で初めて。
このマンションは、同市中区丸の内の「アップルパレス丸の内」(15階建て、102戸)。昨年3月に完成し、83戸が販売済みという。
市の再調査で、田村水落設計が作成した構造計算書の中に偽装1項目と誤り3項目が見つかった。耐震強度を高く見せかけるよう数値を差し替えていた。水落光男元建築士は、市の事情聴取に対し、数値について独自の考え方を示したが、市側が採用できる内容ではなかった。
中規模程度の地震には耐えられるとみて、住民に退去を求めるまでには至っていない。
市は、調査結果を国土交通省に報告。アパに対し、マンションの住民と協議し、早急に是正計画を提出するよう指導していくとともに、住民の相談窓口を市建築指導部に設ける。
25日夜には同市内で住民を対象にした説明会があり、約60人が出席。住民からはアパ関係者に「今後、どうしてくれるのか」などとの声が出たという。
マンションに隣接し、田村水落設計が構造計算をしたアパグループの「アパヴィラホテル名古屋丸の内駅前」については、耐震強度を満たしていた。同ホテルは今年3月から営業を一時休止している。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/
2007042690143453.html

アップルパレス丸の内のHPはもう既に閉鎖されてますね。
http://www.apple-m.com/
アップルパレス丸の内というのは、以前アパが発表した、偽装の疑いがある物件には含まれていませんでした。
過去記事参照
http://zara1.seesaa.net/article/32077486.html
ゆっくりとではありますが、まだ出てくるかもしれませんね。。。
更に詳しくはカテゴリ「耐震偽装事件」をどうぞ
http://zara1.seesaa.net/category/1413749-1.html
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「田村水落設計」(富山市)による耐震強度偽装問題で、国土交通省と名古屋市は26日、「アパグループ」の同市内の分譲マンションの設計に偽装があり、強度が不足していたと発表した。最弱部分の耐震強度は基準の60%。建て替えの必要はなく、アパグループは補修で対応する方針。
国交省などによると、問題のマンションは同設計が関与した名古屋市中区の「アップルパレス丸の内」(15階建て、102戸)。同市の検証で建物のねじれやすさを検証する計算に問題点が見つかったほか、マンションの自重の評価が甘いなど設計にずさんな点があった。同市は意図的な改ざんと判断したが、構造設計を担当した水落光男・元1級建築士(免許取り消し)は偽装を否定しているという。
同マンションは民間確認検査機関「日本ERI」が建築確認を行って06年3月完成し、83戸が売却された。同設計が関与した入居済みのマンションでの強度不足判明は、新潟県三条市のマンションに続き2例目。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a
=20070426-00000057-mai-soci
マンションも耐震偽装‐アパグループ 名古屋 水落建築士が構造計算
名古屋市は26日、田村水落設計(富山市)が構造計算を担当したアパグループ(東京都港区)の名古屋市中区の分譲マンションで、耐震強度の偽装が確認されたと発表した。同市の再調査で、震度6強以上の地震が発生した場合には耐震強度の基準値が「1・0以上」必要なのに「0・60」しかなかった。市はアパグループに対して是正勧告した。マンションの耐震偽装が確認されたのは東海地方で初めて。
このマンションは、同市中区丸の内の「アップルパレス丸の内」(15階建て、102戸)。昨年3月に完成し、83戸が販売済みという。
市の再調査で、田村水落設計が作成した構造計算書の中に偽装1項目と誤り3項目が見つかった。耐震強度を高く見せかけるよう数値を差し替えていた。水落光男元建築士は、市の事情聴取に対し、数値について独自の考え方を示したが、市側が採用できる内容ではなかった。
中規模程度の地震には耐えられるとみて、住民に退去を求めるまでには至っていない。
市は、調査結果を国土交通省に報告。アパに対し、マンションの住民と協議し、早急に是正計画を提出するよう指導していくとともに、住民の相談窓口を市建築指導部に設ける。
25日夜には同市内で住民を対象にした説明会があり、約60人が出席。住民からはアパ関係者に「今後、どうしてくれるのか」などとの声が出たという。
マンションに隣接し、田村水落設計が構造計算をしたアパグループの「アパヴィラホテル名古屋丸の内駅前」については、耐震強度を満たしていた。同ホテルは今年3月から営業を一時休止している。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/
2007042690143453.html

アップルパレス丸の内のHPはもう既に閉鎖されてますね。
http://www.apple-m.com/
アップルパレス丸の内というのは、以前アパが発表した、偽装の疑いがある物件には含まれていませんでした。
過去記事参照
http://zara1.seesaa.net/article/32077486.html
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卜部元侍従の日記
A級戦犯合祀:「御意に召さず」…卜部元侍従が日記に記述
晩年の昭和天皇に仕えた卜部亮吾(うらべりょうご)元侍従(故人)の日記に、自らが亡くなる直前の01年に昭和天皇の靖国神社参拝取りやめについて、「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記していたことが分かった。日記には、昨年7月に判明した故富田朝彦・元宮内庁長官の昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したことを示すメモの日付と同じ日に、昭和天皇から卜部侍従に靖国神社の戦犯合祀に関する話があったことを示す記述もあった。昭和天皇のA級戦犯合祀への気持ちが改めて浮き彫りになった。
日記は卜部さんが侍従になった69年から亡くなる直前までの32年間、市販の日記帳33冊に書かれていた。靖国神社に関しては88年4月28日の日付で、「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」とあり、「靖国」以降は赤線が引かれている。
この日付は、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に関して、「私は 或(あ)る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが(中略)それが私の心だ」などとつづった富田元長官のメモと同じ日だ。富田元長官と前後して卜部さんが戦犯合祀についての気持ちを聞いたことになる。
この時は、昭和天皇のこの問題への気持ちについての記述はないが、01年7月31日の日記には、「靖国神社の御参拝をお取り止(や)めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記し、天皇が合祀に不快感を持っていたことをつづっている。
日記は、昭和天皇の闘病についても詳しく記されている。昭和天皇が腸の手術を受けるため沖縄訪問を取りやめた際の87年9月14日には「ついに来るべきものがきたということだが、暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」と不安をつづっている。
また、2・26事件から41年たった77年2月26日に「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」など戦中の記憶が消えない様子がうかがえる。石油危機では専用車の使用をためらったり、財政難を気にして小旅行を取りやめるなど、国民感情に気配りする姿も記されている。
卜部さんは京大卒業後に人事院に入り、宮内庁に移って69年から約20年間昭和天皇の侍従を務めた。91年4月から皇太后宮職御用掛として香淳皇后に仕え、00年の香淳皇后死去に伴う大喪儀では、祭官長を務めた。02年3月に78歳で死去した。
日記は、卜部さんが亡くなる約1カ月前に朝日新聞の記者に託し、遺志に基づいて朝日新聞が公開した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/
20070426k0000e040054000c.html

逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ
晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。
日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。
天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、体調の悪化で中止に追い込まれる。
87(昭和62)年9月14日、「手術にふみ切る線で沖縄もムリと判断。(略)ついに来るべきものがきたということだが暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」。
腸のバイパス手術を受けた天皇は国事行為や公務への復帰に執念を燃やす。しかし、ブレーキをかける卜部侍従に「突然摂政にした方がよいのではと仰せ」(88年2月9日)。そんなことなら、天皇が重篤な場合などに立てられる摂政を決めたらどうか、といらだちをぶつけている。
88年9月の吐血以降の容体、肉親の悲しみも痛々しい。見舞った皇族から「助けてとかどうにかならないかの頻発でお気の毒の由 点滴の針も難しくなる」(11月3日)。天皇の意識が遠のいていく中、意識をはっきり保たせるために侍医団は血中アンモニアを減少させる薬剤を使用していた。「今朝は反応がかなりはっきりしてこられた由 とにかく摂政の話を消すためにも意識混濁の表現は禁句と」(同29日)。肉親への反応も徐々に鈍っていく。「常陸宮同妃御参 殿下おもうさま(お父さま)と呼びかけ わずかに眼お開きか」(12月17日)
翌89年1月7日、卜部侍従は、息を引き取った天皇の髪を整えひげをそる。「たんかにて御尊骸(そんがい)を御寝室からお居間にお移しする あまりに重いのに驚く」
靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。
最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。
日記の随所にみられるのが、終戦記念日や原爆の日に律義に慎む天皇の姿だ。2・26事件の日もその一つだった。
事件から41年たった77(昭和52)年2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。
忍び寄る老いとの闘いも記録されている。75年2月17日、73歳の天皇は祈年祭の最中、賢所(かしこどころ)の中で2度倒れていた。その後の新嘗祭(にいなめさい)でも卜部侍従が天皇の体を支えており、高齢の天皇に祭祀がいかに過酷になったかがわかる。
このほか、77年7月、皇后が那須で腰椎(ようつい)骨折した際の御用邸内の様子、皇后が次第に心身の不調に陥るプロセスや天皇の心配ぶり、また石油危機では御料車の使用をためらい、行革が叫ばれた時には歴代最長寿の祝賀をやめさせるなど国民感情に気配りする天皇の姿も記録されている。
日記は「昭和天皇最後の側近・卜部亮吾侍従日記」全5巻として、5月以降朝日新聞社から順次刊行される。

http://www.asahi.com/national/update/0426/
TKY200704250363.html
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晩年の昭和天皇に仕えた卜部亮吾(うらべりょうご)元侍従(故人)の日記に、自らが亡くなる直前の01年に昭和天皇の靖国神社参拝取りやめについて、「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記していたことが分かった。日記には、昨年7月に判明した故富田朝彦・元宮内庁長官の昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したことを示すメモの日付と同じ日に、昭和天皇から卜部侍従に靖国神社の戦犯合祀に関する話があったことを示す記述もあった。昭和天皇のA級戦犯合祀への気持ちが改めて浮き彫りになった。
日記は卜部さんが侍従になった69年から亡くなる直前までの32年間、市販の日記帳33冊に書かれていた。靖国神社に関しては88年4月28日の日付で、「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」とあり、「靖国」以降は赤線が引かれている。
この日付は、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に関して、「私は 或(あ)る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが(中略)それが私の心だ」などとつづった富田元長官のメモと同じ日だ。富田元長官と前後して卜部さんが戦犯合祀についての気持ちを聞いたことになる。
この時は、昭和天皇のこの問題への気持ちについての記述はないが、01年7月31日の日記には、「靖国神社の御参拝をお取り止(や)めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記し、天皇が合祀に不快感を持っていたことをつづっている。
日記は、昭和天皇の闘病についても詳しく記されている。昭和天皇が腸の手術を受けるため沖縄訪問を取りやめた際の87年9月14日には「ついに来るべきものがきたということだが、暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」と不安をつづっている。
また、2・26事件から41年たった77年2月26日に「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」など戦中の記憶が消えない様子がうかがえる。石油危機では専用車の使用をためらったり、財政難を気にして小旅行を取りやめるなど、国民感情に気配りする姿も記されている。
卜部さんは京大卒業後に人事院に入り、宮内庁に移って69年から約20年間昭和天皇の侍従を務めた。91年4月から皇太后宮職御用掛として香淳皇后に仕え、00年の香淳皇后死去に伴う大喪儀では、祭官長を務めた。02年3月に78歳で死去した。
日記は、卜部さんが亡くなる約1カ月前に朝日新聞の記者に託し、遺志に基づいて朝日新聞が公開した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/
20070426k0000e040054000c.html

逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ
晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。
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天皇が強い意欲を示していた戦後初の沖縄訪問は、体調の悪化で中止に追い込まれる。
87(昭和62)年9月14日、「手術にふみ切る線で沖縄もムリと判断。(略)ついに来るべきものがきたということだが暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」。
腸のバイパス手術を受けた天皇は国事行為や公務への復帰に執念を燃やす。しかし、ブレーキをかける卜部侍従に「突然摂政にした方がよいのではと仰せ」(88年2月9日)。そんなことなら、天皇が重篤な場合などに立てられる摂政を決めたらどうか、といらだちをぶつけている。
88年9月の吐血以降の容体、肉親の悲しみも痛々しい。見舞った皇族から「助けてとかどうにかならないかの頻発でお気の毒の由 点滴の針も難しくなる」(11月3日)。天皇の意識が遠のいていく中、意識をはっきり保たせるために侍医団は血中アンモニアを減少させる薬剤を使用していた。「今朝は反応がかなりはっきりしてこられた由 とにかく摂政の話を消すためにも意識混濁の表現は禁句と」(同29日)。肉親への反応も徐々に鈍っていく。「常陸宮同妃御参 殿下おもうさま(お父さま)と呼びかけ わずかに眼お開きか」(12月17日)
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最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。
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事件から41年たった77(昭和52)年2月26日。天皇は意外な言葉を口にする。「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」。天皇のトラウマの深さがうかがえる。
忍び寄る老いとの闘いも記録されている。75年2月17日、73歳の天皇は祈年祭の最中、賢所(かしこどころ)の中で2度倒れていた。その後の新嘗祭(にいなめさい)でも卜部侍従が天皇の体を支えており、高齢の天皇に祭祀がいかに過酷になったかがわかる。
このほか、77年7月、皇后が那須で腰椎(ようつい)骨折した際の御用邸内の様子、皇后が次第に心身の不調に陥るプロセスや天皇の心配ぶり、また石油危機では御料車の使用をためらい、行革が叫ばれた時には歴代最長寿の祝賀をやめさせるなど国民感情に気配りする天皇の姿も記録されている。
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